都市の葬送

矢口 水晶

都市の葬送


 コチ、コチ、コチ、コチ、……。

 父の心臓の鼓動が聞こえる。

 父はベッドに身を横たえ、虚ろな目で天井を見上げている。彼の眼窩に嵌っている旧式の水晶体は白く濁り、光を通さなくなって久しい。

 彼の両膝の関節は何年も駆動していないため、すっかり錆だらけになっていた。顔は深い皺ともやしの根のような髭に覆われ、頭部は人工毛が抜け落ちて黒ずんだ頭皮が剥き出しになっている。首や腕には幾本ものチューブが接続され、その先は壁へと繋がっていた。私や母を始め、父の兄弟と親戚がずらりとベッドを取り囲んでいた。

 コチ、コチ、コチ、……。

 父の鼓動がだんだん弱くなっていくのが分かった。ベッドに備え付けられたモニターの波形がだんだん小さくなっていく。それが徐々に一本の線へと変化し、ピー……と言う電子音が鳴りだした。

 傍らの人体技師が父の脳波計や各種様々な計器を見比べ、父のわずかな生身の部分が完全に死滅していることを確認した。

「御臨終です」

 技師の言葉に、私たちは小さく息を漏らした。

 父は五十年以上も前からこの状態が続いており、私たちも心の準備が出来ていたので、特に深い悲しみに襲われることはなかった。むしろ、ようやく終わったか、という安堵感の方が勝っていたかもしれない。

 その後、人体技師は家庭用端末から電子死亡診断書を役所に提出し、『埋葬』の申請手続きが行われた。役所からの返信は数十秒で届いた。

『××××様の死亡届を受理いたしました。×月×日××時までに都市循環局にて『埋葬』を完了して下さい』

 私たちはただちに父の遺体を寝室から運び出した。




 私たちの住む都市は天を突くようなビルが林立し、その間に道路と大小様々な循環路が網の目のように張り巡らされている。空は染め抜いたような青色が広がっており、雲の影は見えなかった。

 今日は気象管理局によって『快晴』に設定されているらしい。私と母と数人の親族は父の遺体と共に車に乗り込み、都市循環局を目指した。

 現代の葬儀は非常に簡略化され、死亡したその日に都市循環局で『埋葬』が終了する。何世紀も昔の時代では葬儀に何日もかけていたと電子教科書で読んだが、昔の人々は何とも非効率的なことをしていたものである。

 そうこうしているうちに、都市循環局の建物が見えてきた。都市循環局は循環物再生工場も兼ねており、都市の各地に向かって枝分かれする大型循環路と繋がっている。都市循環局はいわば都市の心臓部とも言える重要な施設であった。

 私たちの車は入館ゲートをパスし、そのまま自動運転で循環物再生工場へと向かった。工場は巨大なサイコロのような形をしており、外壁を大小無数の循環路が覆っていた。私たちは父の遺体を車から降ろし、工場主任だという男に案内された。工場の中は薄暗く、やはり天井や壁を細い循環路とケーブルが走っていた。ポンプが循環物を都市に送り出している音だろうか、工場の中では常に低いうなり声が鳴り響いていた。

「こちらが再生炉です」

 工場主任は巨大な装置を指差した。それはパイプやらモーターやら計器やらがごちゃごちゃと寄せ集められた装置で、何とも形容しがたい姿をしていた。装置の真ん中にはぽっかりとトンネルのような穴が開いており、その中にはどす黒い暗闇がわだかまっていた。

「この装置によって『埋葬』が行われます。最初に故人の御遺体は生身の部分と機械の部分に分解され、生身の部分は栄養剤や肥料に、機械の部分は機械部品や燃料として再生されるのです、はい」

 工場主任の説明に、私たちは感心して頷いた。

『埋葬』とは埋めて葬るという字を書くが、この呼び方は旧時代からの慣習でしかなく、現在そのような葬られ方がされることはまずない。現代ではほとんどの人間に多かれ少なかれ機械化の処置がされており、土中に人体を埋めたりしたら産業廃棄物の不法投棄になってしまう。そもそも現代の都市に何かを埋めることのできる土など存在しなかった。

 遺体を始めとした都市の様々な廃棄物は、都市循環局によって新たな資源に再利用され、それらは都市に張り巡らされた循環路を介して私たちへと供給される。無暗に生産、消費、そして廃棄を繰り返していた旧時代とは違い、現代は完全なる再生循環社会なのである。

 父の遺体は私たちの手によって再生炉のコンベアに乗せられた。

「遺族の皆様、故人に最後の言葉をおかけください」

 工場主任が神妙な顔つきで言った。

「あなた、今までありがとう」

 母は目尻に溜まった涙を指先で拭い、胸の上で重ねた父の手に、生前彼が愛読していた文庫本(今時、電子書籍ではなく古代遺物的な紙媒体である)を持たせた。

 それもどうせ分解されて他の循環物とごちゃごちゃになってしまうのに。私は冷めた気持ちで思った。

 コンベアがゆっくりと動き出した。父であった物体が再生炉の真っ暗な穴の中へと運びこまれていく。私は子供の頃に電子教材で見た、蛇という生き物が蛙を丸飲みにしてしまう映像を思い出した。

 再生炉の扉が落ちると同時に機械が稼働し始めた。巨大なモーターが唸り声を上げ、いくつものランプが明滅する。工場主任は忙しなく操作パネルを叩いて再生炉の出力を調整していた。

 やがて機械の中から、ゴウン、ゴウン……と低い音が聞こえ始めた。これは遺体の生身の部分と機械の部分の寄り分けが終了し、分解して撹拌している工程だと工場主任が言った。

「皆さま、良かったら工程の一部をご覧になりませんか?」

 そう言って、工場主任は私たちを再生炉と繋がったタンクへと導いた。この中で循環物の撹拌がされているらしい。タンクには小さな丸い窓が付いていて、中が覗けるようになっていた。

 最初は戸惑っていたものの、私たちは好奇心に駆られて代わる代わる窓の中を覗き込んだ。日頃から循環物を摂取しているものの、それらは循環路やチューブを介しており、直接私たちの目に触れることはなかった。

 私と母は怖々と窓を覗いた。タンクの中はどろどろとした液体が充満している。底の方でプロペラのような攪拌機が回転し、まるでドラム式洗濯機のように液体を混ぜ合わせているのである。

 生まれて初めて見た循環物は、不思議な色をしていた。青黒い液体、桃色の液体、白っぽい液体、緑色の液体など様々な液体や物質が混じり合い、極彩色のマーブル模様が絶え間なく蠢いている。時折、元が何だったのかよく分からない固形物が姿を現すが、それも攪拌機によってすぐさま分解されて見えなくなった。

「お父さんはどこかしら」

 母は首を伸ばすようにしてタンクの奥を見ようとしていた。

 タンクが古いせいか、どこかから中の臭いがかすかに漏れ出し、甘いような湿ったような、言葉では表現しようのない臭いが私たちをとりまいていた。

 ゴウン、ゴウン、ゴウン……モーターの駆動音と共に、循環物の溶液が渦を巻いている。父の肉体も、飲み屋の残飯も、便所の排泄物も、野良猫の死骸も、分解してしまえばすべてが等価値だった。

「皆さま、故人の身体は循環物として都市をめぐり、私たちの生きる糧となります。この完全再生循環社会において、無駄な死などありません。故人の魂は、都市と私たちと共に永遠に生き続けるのです」

 工場主任の言葉に、母と数人の親族が感慨深げにうなずいた。

 ゴウン、ゴウン、ゴウン、ゴウン……。

 私は都市の心臓の鼓動に耳を澄ませた。




 父の『埋葬』は無事に終わり、循環物として都市のどこかへと消えた。私と母が帰宅した頃には、すっかり日が暮れていた。

「どっこいしょ」

 母は私の手を借りながら、寝室の椅子に大儀そうに腰を降ろした。彼女の腰や膝も長年使いこまれているため、駆動部に疲労が蓄積していた。

「すっかり遅くなってしまったわ。早く今日の補給をしてしまいなさい」

 私は頷いた。母を寝室に残し、食堂へ向かった。

 食堂の壁に下がったチューブを手に取り、点滴のように腕に接続する。壁の中には家庭用循環路が通っており、そこから一日一度、栄養剤と燃料を補給することで私たちの生命は維持されている。

 細いチューブを介して体内に侵入してきた循環物が、今度は血管を辿って私の中に満ちていくのを感じた。

 ゴウン、ゴウン、ゴウン、……

 タンクの中で、循環物が掻き回される音が耳の奥でよみがえった。

 父の魂は分解され、攪拌され、都市をめぐり、そして私の命と混ざり合う。

 私は、途絶えたはずの父の鼓動を感じた。

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