後編 『告悔のシアプカ』

エタラカとアムルイの戦いから半年が過ぎようとしていた。


              *


「さあ来いピリカ! いつでもいいぞ!」


「またぁ? もう俺疲れたよぉ。 ぜんっぜん面白くないしさ」


「そんな事言わずに、もう一回だけ! ね、ね、頼むよピリカ!」


「しょうがないなぁ、今日はこれで最後だからな」



この二匹、相変わらず修行と言う名の追いかけっこは続けているようである。



「よしウォセ、俺の本気を見て驚くなよ!」



そう言いながら、もはや大人の狐と変わりない程に成長したピリカが走り出した。



「さすがピリカ、そうこなくっちゃ!」



今度はウォセがピリカを追いかけ始めたのだが、その成長ぶりたるや目を疑う程であった。


捕まってなるものかと、得意の素早い動きを駆使しながら逃げ回るピリカ。右に走ったかと思えば左へ……左に曲がったかと思えば右へ。


上に跳んだと見せかけて今度は草っ腹に飛び込んだりと、実に芸が細かい。


相対すウォセは、ピリカの動きをただ静かに伺っている……右に左に忙しく眼球が走る。だが反対に体はピクリとも動かさない。そして、二、三歩助走をつけたかと思うと……。



〈タタタッ……ヒュバッ!!〉



大きく空に翔び上がり、ブナ林から高く顔を出す太陽を背中いっぱいに受けたウォセ。今までピリカが懸命に走り逃げた距離を一瞬で零に潰してしまった。


そして事も無げに地面に降り立ち、ピリカの行く手を遮る。



「ざーんねーんでーした」



「クッソーー!」



反射的に踵を返し逆方向に駆け始めるピリカ。目まぐるしく四肢が回転する。しかし……。



「つーかまーえーたっとー!」


「ゲーーー!」



そこへ瞬時の判断で身を翻したウォセが、まるで先程から待ち伏せしていたかのように先回りして、ピリカの尻尾を踏みつけた。



「まーたまたオイラの勝ちーー!!」


「チェッ、だから言ったじゃん、つまんねぇーの」


「ふふんっ」



昔から散々ピリカにやられっぱなしだったウォセは、鼻の穴を膨らまして大威張りである。



「もうピリカじゃあさぁ、オイラの相手にはなんないのかもねぇ」


「んな!? なにをー!! お前が頼むって言うから付き合ってやってたんだろーー?」


「はぁ? そんなこと言うピリカだって、友達はオイラ一匹だけじゃないかぁ!」


「言ったなぁ! ていうかさぁー、前から聞こうと思ってたんだけど、ウォセって本当に山犬なのかよ?」


「はぁ!? な、なに訳わかんないこと言ってんだよ!」


「自分の体見てみろよ! デカすぎじゃんか。デカイだけじゃないぞ、狼ソックリなんだよ! エタラカさんにソックリなんだよ!!」


「え……あ……え!?」



ピリカの言葉に動揺を隠せないウォセ。



「は! ウォセ……ご、ごめ……俺」


「クッ……」



思い詰めたように走り出したウォセに、ピリカの声は届かなかった……。



「ウォセ! どこ行くんだ! ウォセーーー!!」



                *



「そろそろ潮時かもしれねぇな」


「うむ、かも……しれんな。行くのか?」



そこは月見の爪と呼ばれる切り立った崖の上。下を見下ろせば、丁度ウォセ達の修行する姿が見える。そして反対側を覗けば、遠く眼下に人里が確認できた。


走り去ったウォセを見届けたエタラカは、いつになく真剣にシアプカに向かい話し始めた。



「行く。今を逃せば、また奴が旅に出ちまうだろう」


「そうか。スマン、ワシは……」


「ジジイ!」


(!?)


「それ以上言うな。それに、俺様にはまだもうひと仕事残ってんだ」


「……。ウォセの……ことじゃな?」


「あぁ、最近のアイツはどうーも甘ちゃんでいけねぇ。小さくても体中に漲ってた殺気がどっかに飛んでっちまった」


「……お主、気が付いとらんのか?」


「あぁ? 何をだ」


「アムルイを負かした日のことじゃ、ウォセのお主を見る眼が変わったのは」


「ケッ、エタラカって強くて格好いいーってか? くだらねぇ……」



エタラカは、やれやれという顔をした。



「それだけではないぞ。母の仇を討つという生きる為の唯一の目標が、余りにも大きな力の差を目の当たりにして振れてしまったのかもしれんな」


「クソッ、そんなら尚のこと荒療治が必要じゃねえか」


「なんじゃ……荒療治とな?」


「あぁー。俺様にしかできねぇ、荒くて荒くて……大荒のな」


「あまり無茶をするでないぞ? 肝心の……」


「へっ、わかってるって。だから後の事は頼んだぜ、偉い偉い語りべ様よぉ。くれぐれも余計な事は言うんじゃねえぞ」


「フォッ、お主という奴は……まったく」



今度は、シアプカがやれやれという顔をしている。



「それじゃぁ手始めに、ピリカにゃ死んで貰うとするか」



                *



ウォセは東へ向け、力の限り走っていた。東へ行けばキンタンの泉がある。



(ピリカの奴、何言ってんだ……俺が狼だって?笑っちゃうよ。俺が母さんの仇と同じ狼だなんて)



キンタンの泉は限りなく透明に近い。よく晴れた日に白い雲と青い空が水面に映ると、まるで天と地が逆さまになった様な錯覚に陥る程である。ウォセはその天然の鏡に到着すると、生まれて初めて自らの姿を映し見た。



「エ……タラカ?」



その鋭い眼光、頑強な四肢、鋼の体に尖った牙……毛色こそ違うが、紛れもなく挑み続けた狼の姿がそこにはあった。シロカネの……ホロケウの姿が。



「何だ? お前は誰だ? 本当に……オイラなのか?」



ウォセは身を翻し全てを知るために再び巣穴を目掛けて駆け出した。



(エタラカ!お前は何を隠してるんだ? シアプカ様!アナタに聞けば、このモヤモヤは晴れてくれるのか?)



今の自分の姿を、はっきりと確信したウォセ。その走りは山犬のそれではなく、蹴られる大地が泣きそうな程に疾く力強かった。


行きにかかった大よそ半分の時で戻ってきたウォセ。吼えるように、大人達の名を呼び叫んだ。



「エタラカーーーーー! 出てこーーい!! シアプカ様ーーー!! 前に言ってたオイラに話すことって、何なんですかーーーーー!!」



ウォセが巣穴へと続くブナ林へと差し掛かった時……。



「よぉ……。ずいぶん遅かったじゃねぇか、僕ちゃんよぉ」


「エタラカ! お前に聞きたい事が……」



(!?)



「ピ、ピリカ?……ピリカーーーー!! おーまーえーーー! ピリカに何をしたーーーー!!」



エタラカの踏み付けた足元には、薄汚れ、ピクリとも動かないピリカの姿があった。



「あぁー、これか? 今日は獲物にありつけなかったからよ、いい頃合になったコイツを今から喰うんだよ。あれ? お前も欲しかったのか? 仕方ねぇなぁー前足くらいなら……」


「ウ、ウ……」


「ありゃ? お友達を殺されて泣いちまったのか? 僕ちゃん……」 



「ウゥーーウォーーーーーーーーー!!」



ウォセの中で、眠っていたホロケウの血が弾けた。



周りの全ての景色が白く消し飛び何も見えない……。見えるのは唯、眼の前の獲物……エタラカだけ。


頭の中に思考はない……。急所は何処だ? 何処に喰らい付けばお前をひと咬みで絶命できる? 血が……教えてくれる、カラダが……応えてくれる。



「何をしておる! 避けるんじゃエタラカーーーーーーーー!!」



駆けつけたシアプカが咄嗟に叫んだ時には、ウォセの鋭く成長した牙がエタラカの横っ腹を貫いた後だった。



「ゥプ!!……ゴキュリ」



牙は内蔵まで達し吐血しかかったエタラカは、喉を鳴らして自らの血を飲み込んで見せた。だが、行き場を無くしたホロケウの浄血は牙穴から漏れ出し、灰色の体を真紅に染めていく。


なおも咬み潰そうと顎を軋ませるウォセを、今度はエタラカが低い体勢から頭を大きく振り上げ投げ飛ばした。



〈ドスン!〉



地面に叩きつけられた衝撃で、ようやく我に返るウォセ。



「お、おいウォセ! 大丈夫か!」



そこへ、死んだとばかり思っていたピリカが、慌てふためいた様子で駆け寄ってきた。



「痛てて……、あれ!? ピリカ!なんで……」


「ウォセーー! ゴメンよ! 俺、俺、まさか……こんなことになるなんて」


「良かった! 生きてた! ピリカが生きてたーーー!!」



頬をこれでもかとくっつけ、喜び合う二匹。



「でも、どうして? オイラ、てっきりエタラカに殺されちゃったもんだとばっかり……」


「ううん、違うんだよウォセ。俺、エタラカさんにウォセの最後の修行をするから協力してくれって頼まれてさぁ」


「最後の修行?」


「うん。それで、ウォセが帰ってきたら何にもしなくていいから、そこに寝っ転がってろって言われて……あれ?」


「どうしたんだよ ピリカ?」


「そう言えば、エタラカさんがいないぞ」


「しまった!! エタラカーー!! クソッ、エタラカの奴……あんな体で何処いっちゃったんだ。エタラカ、エタラカーーー!!」



動転しキョロキョロと辺りを見回すウォセ。それは、もはや親を探す子の顔そのものであった。



「……ウォセ」


「シアプカ様……」


「すまぬ……エタラカは、もうここにはおらんのじゃ。そして、恐らくもう……戻ってはこんつもりじゃろう」


「え!? いないって……戻らないってじゃあ、エタラカは何処に行ったんですか! 何でシアプカ様がオイラに謝るんですか!」


「ウォセよ……許せ。そして、今からこの語り部が話す事を、お前の純粋な心でしっかりと受け止めて欲しいんじゃ」



シアプカは語り始めた。エタラカとレラ、二匹の悲しいホロケウの物語を……。


            

                *



ウォセ……。もうわかっているだろうが、そなたは狼じゃ。だが、山犬でもある。つまるところ同じなんじゃ、この地では狼は山犬、山犬は狼……どちらも同じホロケウと呼ばれる獣じゃ。


では、なぜ山犬とだけそなたは聞かされていたのか? それにはまず、そなたの母の話から語らねばならん……。



そなたの母であるレラは、とても美しい白銀の毛並みを持って生まれてきた。そう、今のそなたと全く同じ……シロカネの毛色じゃ。


だが、それがいけなかかった。陽の光を浴びて輝く白銀の毛並みは珍しく、強欲な人間達に……それも、あの火を吹く人間に執拗に追われることになる。


仲間を守る為に狼の群れは、レラを捨てる事を決めたんじゃ。

                

         

        

「何だい、まだいたのかい! とっとと何処かへいっちまっとくれよ! お前がいると、大事なこの子達まで人間に狙われちまうじゃないか!」


「痛い!……。そうだね……今までありがとう皆んな。私のせいで、本当にごめんなさい」



家族として共に過ごしてきた仲間達からも忌み嫌われ、無情にも一匹だけで生きる事になったレラ……。


だが、不幸は重なるもんじゃ……。帰る場所もなく、人間から逃げ回り続けてヘトヘトになったレラが出くわしたのは、一匹の巨大なヒグマ……そう、アムルイだったんじゃ。



巨大な腕に掴まれてもレラは抗えなかった……いや、抗わなかったというべきじゃな。生きることに絶望し、やっと楽になれる……そう思った時……。



「クソ邪魔だ! そこの熊公!!」



そこへ突然現れたのが若き日のエタラカじゃった。苦もなくアムルイの頭に飛びかかり、右目を咬み潰してしまった。



「何!? 眼、眼がぁー、グゥウォーーーーーーーー」


「バカヤロー、何してんだ! とっとと走りやがれ!!」


「え!? あ……はい!」



二匹は逃げに逃げた。そして辺りが暗くなり、キンタンの泉が見えた頃、ようやくエタラカは足を止めたんじゃ。



「ハァー、ハァー。あの、ありがとうございました。助けてもらえなかったら、私……」


「あれ? おめえ こんなとこまで付いて来ちまったのかー!? それによ、別に俺様はおめえを助けたわけじゃねえ。あのデクの坊が気に入らなかっただけだぜ」


「ううん、それでもいいの。嬉しかった……本当に……嬉しかったの」


「や、やめろよ! 助けてねえって言ってんだろうが……。にしても、何でおめえみたいなのが一匹であんな所にいたんだ?」


「それは……」



レラは今までのいきさつを全て打ち明けた。もちろん、生きる希望を失っていたこともな……。



「へッ、おめえ一匹守れねぇなんて、その群れの連中も情けねえ奴らだな。それによ、自分から群れを捨ててやった俺様からすりゃ、そんなとこ出ちまって正解だぜ」


「もしかして、あなたも……一匹だけで生きてるの?」


「あぁ? 悪りいかよ? だがさっきも言ったけどよ、俺様は自分で選んで今こうしてるんだからな。お前さんと一緒にして貰っちゃー困るぜ。それによ」


「あ……はい」


「その泉に自分の姿を映してみな?」


「え?こ、こう? ……あ……」



レラはその時生まれて初めて自分の姿を眼にしたんじゃ。群れを出る要因となった、大嫌いな……シロカネの姿をな。



「どうだい?」


「え? どうって言われても……自分の姿なんて初めて見たので……」


「綺麗じゃねぇか」


「あ……え!? き、き……」


「綺麗だ。お月さんに照らされてよ、お前さん眩しいくらいだぜ」


「あ……ありがとう……ございます。あ、あのー!」


「うん? 何だ……」


「このままあなたに、付いていっても……いい……ですか?」


「バ、バカじゃねえか!? そんなもんダメに決まってんだろ!」


「どうして?」


「どうしてって、ダメなもんは、ダメなんだよ!!」


「フフ……でも私、もう決めちゃったもの」



こうして二匹はつがいとなり、レラの優しさがエタラカの心を溶かし始めた頃……ウォセ、そなたが生まれたのじゃ。


生まれたばかりで覚えておらんのも無理はないが、この時、そなた達三匹は間違いなく幸せな時を過ごしておった。


エタラカは、執拗に狙われ続けるレラをそれは必死になって守った。ワシがこの森の語りべとなって随分たつが、こと強さにおいて今に至るまで、エタラカ以上の獣には会うたことがない。


それから暫らくの間平穏な日々が続いたこともあってな、さしもの火を吹く人間も、エタラカに守られたレラのことはきっと諦めたに違いない……ワシでさえそう思っておった。だがな、だが甘かった……。


ワシら獣以上に、人間とは執念深い生き物だったんじゃ。


ある日奴はレラの隙を作る為に狙いを変えた……ウォセ、そなたにな。それもエタラカが狩りに出た僅かな時を狙ってじゃ。


母親とは不思議なもんじゃの……我が子に危険が迫っていることが何故かわかるんじゃな。


その日、森に溶け込んだ奴に誰も気付いておらんかった。いつものようにそなたと連れ立って小川に水を飲みに行ったレラだけが、どこか歪な空気を感じ取っているようじゃった。


キョロキョロと辺りを見回し、ふと目をやった岩場の隙間に、奴が……火を吹く人間がこちらを狙っている姿を発見したんじゃ。だがどうもおかしい。


いつもなら真っ直ぐに自分を狙ってくるはずの視線と殺気が、今日に限って僅かにズレている。



「はっ!……ウォセ!!」



〈ターーーーン!!〉



その音を聞くやいなや大急ぎで駆けつけたエタラカが眼にしたのは、全身の皮を剥ぎ取られ、見るも無残な姿となったレラの亡骸と、何もわからずその横で眠っているそなたの姿じゃった。



「レラ……。何故だかわんねえんだけどよ……、お前と暮らし始めてから、腹の辺がずーっとこそばいくてよ。ホントだぜ……何だかずーっと、こそばいくてよ……こそばいくて……レラ」



それからエタラカは、肉塊となったレラが土に還るまで飲まず食わずで毎日見守り続けた。自分を戒めるように、その痛みを刻み付けるように、ただひたすらに……見つめ続けたんじゃ。


そして、その間にも森では多くの獣たちが奴に殺されていった。


情けないことじゃ……この森で生きる全ての命の守護神たる語りべの役割に難渋を極めたワシは、憔悴するそなたの父にそれでも頼ることしかできなんだ。


小鳥達がついばみ、雨に打たれ、風に流され、虫たちの巣になり……すっかりレラの亡骸が土へと還った頃、意を決したワシはエタラカに話しかけてみたんじゃ。



「エタラカ、奴を……あの火を吹く人間を屠ってはくれまいか。これ以上奴を野放しにはしておけん……、お主しか……おらんのじゃ」


「ジジイ……。アンタに言われなくてもよ、俺様は奴を絶対に許さねぇ……。安心しな、必ず奴の息の根を止めてやる」


「すまん……力のない語りべだと恨んでくれて構わん。このワシにお主程の強さがあれば……」


「だから、てめえに頼まれたからじゃねぇつってんだろ! それに、今すぐってわけにはいかねぇんだ。もう少しだけ待っててくれねえか」


「もちろん無理な頼みをしたのはワシの方じゃ、ここから先はお主に全て任せる。 そうか……その子がウォセか」



エタラカの足元を見れば、何もわからず無邪気に遊んでいるそなたの姿があった。



「あぁ。コイツの背中見てくれよ、レラにソックリだ……。コイツを母親と同じ目には合わせたくねえ」


「うむ……、その通りじゃな」


「もしもだぜ? 俺様がいなくなった時によ、ウォセがちゃーんと自分の力でやってけるように、早いとこ鍛えあげなきゃなんねぇ」


「すまん……、そうじゃな」


「だからよ……決めたんだ。たった今からコイツとは親子でも何でもねぇ。コイツは拾ってきた、ただの犬っころだ。」


「犬っころとな?」


「あぁそうだ。コイツの母親を喰い殺したのは俺様だってことにするのさ。殺す気で向かってこなきゃぁ意味ねえからな」


「そ、それではお主、我が子に仇として憎まれながら暮らすことになるんじゃぞ! それが、それがどれほど辛いことか」


「へっ、いいんだよ。そんなこたぁウォセが強くなってくれりゃ……どうだってよ。それに、レラを守れなかった俺様がコイツから母親を奪っちまったってのは、本当のことじゃねえか」



そしてエタラカはそなたを連れ、隠れるように山奥の……今の巣穴に移り住んだというわけじゃ。


解したかウォセ、そなた達の大切な親子としての時を奪ったのは……このワシなんじゃ。


 

                *



「おっどろいたーーー! ウォセとエタラカさんが親子だったなんて」


「シアプカ様……。じゃあエタラカは……と、父さんは今頃……」


「うむ……、この森の獣達を守る為……そして何より、そなたの母の仇を討つ為に奴の所へ向かっておるじゃろう」


「あ! ウォセ!」


「ウォセ!! 追ってはならん! 今のそなたが行っても足でまといになるだけじゃ!!」



(そんな事わかってるさ、オイラ追いかけたりなんかしないよ! でも……でももしかして月見の爪からなら、父さんの姿が見えるかもしれない!!)



一方、時を同じくしてエタラカは、切り立った断崖を物ともせず一直線に火を吹く人間……即ち狩人の元へと向かっていた。


ターンッ、ヒュン……ターンッ、ヒュン……迫り来る岩肌を蹴り飛ばしながら、その度に勢いを増し灰色の何かになっていく。それはもはや走るという生物的動作などではなく、一筋の野生の風であった……。



(ウォセ……お前は今頃お節介なジジイから全てのことを聞かされている頃だろう。あのお喋りが口止めなんて聞くはずがねぇからなぁ。


レラを守ってやれなかったクソみてぇな親父を、お前は許してくれるか?


あぁ~いや……やっぱいいわ、柄じゃねぇな。だが、これだけは安心してくれ。


俺様は……お前の牙じゃぁ絶対に死なねぇー!!)



平地に降り立ったエタラカは視界に狩人の姿を捉えた。だが、手利き熟手の鉄砲撃ちが圧倒的な勢いで迫り来る野獣の殺気に気付かぬ筈がない。


一瞥しただけで状況を理解した狩人は、傍えの愛銃を両の手で構え一呼吸の動作で照準をエタラカに合わせた。



「ゥガフゥーーーーーーーーー!」



その構えを眼にし、自分達親子からレラを奪った《奴》の姿を判然と脳裏に蘇らせたエタラカの殺気は、唸り声を共にして空気の軋む音が響く程に倍加した。


睨み据えたその眼からは血の涙が流れ、食いしばった牙は自らの顎に突き刺さった……。


それもそのはず……奴は着ていたのだ。あろうことか白銀の毛皮を……レラを殺し奪ったシロカネの皮を衣にし身に纏っていたのだ。



(レラ……すまねぇ、ちょっと遅くなっちまった。レラ……レラ!!)



……そして。




〈ターーーーーン!!〉



乾いた鉄砲の音が森に谺する。しかし……当たらない。銃弾はエタラカの頬を掠め後方の山際に命中した。破裂音と共に岩肌が露わになる。


さしもの狩人といえどエタラカの勢いに気圧され焦りが出たのか、射程に捉えきるより一瞬早くに引き金を引いたのだった。


弾込めの作業に狩人が気を取られると確信したエタラカは、至近に迫った積年の仇を目掛け猛然と飛びかかった。



そう、俺はこの日の為に生きてきたのだ……お前を殺すこの日だけを夢見て生き長らえてきたのだ!



ウォセが穿った牙穴から真っ赤な血を空に撒き散らしながら、エタラカの鋼の体が全身で叫ぶ。



しかし……。



〈ターーーーーン!!〉



「な……に!?」



エタラカは知らなかった……人間達の命を奪うことへの貪欲さを。エタラカは知らなかった……獣達が狩られる以上に人間同士が殺し合い、屍の数だけ鉄砲が進化していたことを。


単発銃から連発銃へ。レラの命を奪った鉄の塊から火を吹いて飛んでくる恐ろしい速さの何か……それが一発だけだと思い込んでいたエタラカは隙を見せてしまった。


放たれた銃弾はまだ空中に留まるエタラカの、腹の皮を裂き胃袋を突き破り背の骨を砕いてから彼方へと消えた……笑うように咆哮しながら……。



〈ドサッ……〉



勝利を確信した狩人は、自分の仕留めた獲物を確かめる為に足早に歩を進める。一歩、二歩、三歩……。


獲物の前にしゃがみ、生意気な面でも拝んでやろうと右手を頭の上に差し出した。



「ガルフゥーーー!!」



瞬間、閉じていた筈のエタラカの瞳がカッと見開いた。そして、眼の前にある仇の腕に喰らいつき自らの体が捻じ切れんばかりに引きちぎった。


狩人は悲鳴を上げてのたうち回る。


利き腕を失くし鉄砲の持てなくなった狩人は命を奪われたも同然……。最後の最後、事切れる寸前で蘇ったエタラカは、レラの復讐を成し遂げ森の獣達を守ったのである。



『ゥウォフゥーーーーー……』



その時、消えゆきそうな意識の中で微かに、悲しげな狼の遠吠えがエタラカの耳に届いた。



「俺の為に泣いてくれるのか……ウォセ。だが、どうやら俺様は……ここまで……みてぇだ」



『ゥウォフゥーーーーーー、ゥウォフゥーーーーーー……』



「ハァ……ハァ……聞こえる、聞こえてるぞ……。初めてにしちゃーうめえもんだ」



『ゥウォフゥーーーーーーーーーーーーーーー、ゥウォフゥーーーーーーーーーーーーーーー……』



「ありがとな……俺の……ウォ……セ」



初雪が風に舞いながら、抱きしめるようにエタラカの体を包み込んでいった……。


幸せだった頃の二匹の声が、雪空の中に踊っている。



(ねえ、エタラカ? この子の名前ウォセって付けようと思うの……)


(吼える? 何だかみょうちくりんな名前だな……)


(この子が吼えて、メチャクチャなあなたの居場所を教えてくれたら、私はすぐに飛んでいって……あなたを見付けられるでしょ?)




〈了〉



【キャラ名解説】

 ・名前 ……アイヌ語訳

 ウォセ ……吠える

エタラカ ……めちゃくちゃ

シアプカ……老大な雄鹿 

 ピリカ ……可愛い

アムルイ……鋭い爪

 レラ  ……風

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