(7)貴子の暴走

「やっぱりおじさん、良い人だわ。普通だったら痴話喧嘩なんて、迷惑に思って放っておくじゃない」

「さすがに目の前で痴話喧嘩が勃発したら、無視もできないさ」

「じゃあおじさんが面倒見の良い人なのを見込んで、意見を聞きたい事がもう一つだけあるんだけど」

 そう言いながら貴子も再び椅子に座ってしまった為、隆也はこれ以上居座られてたまるかと、慌てて貴子の腕を掴んで引っ張った。


「おい、貴子。いい加減にしろ。ご迷惑だろうが」

「これが終わったらちゃんと帰るわよ! それでね? 私少し前に、おじさんと同世代の人に相談されたの」

「ほう? どんな?」

 隆也を完全に無視して貴子が話し出した内容に、衣笠は幾分興味を惹かれた様に応じたが、すぐに顔から表情を消した。


「それが……、その人前科持ちでね。出所後は真面目に働いてたんだけど、急に大金が必要になって、犯罪の片棒を担ぐ羽目になっちゃったのよ」

「…………」

「おい、いきなり何を言い出すんだ、お前は」

 途端に衣笠は黙り込み、予想外の話の流れに隆也は頭を抱えたが、貴子はにこやかに笑いながら注意深く衣笠の様子を窺った。


(まあ、前科持ちだって事は想像付いてたけどね。でも、根っからの悪人じゃなさそうなのよね。うっかりギャンブルに嵌って、魔が差して強盗とか横領とかかなぁ……)

 そんな事を考えつつ、貴子は話を進めた。


「別れた奥さんが育てた息子さんが難病で、手術しないと助からないんだけど費用が高くて工面できないから、某政治家の裏金を溜め込んだ隠し口座から、人知れずがっぽり引き出して奪うって話を持ちかけられ」

「ちょっと待て! それは本当の話か!?」

「いちいちうるさいのよ。人の話は黙って聞けと習わなかったの!?」

(ふぅん? この人『息子』にも『病気』にも無反応。となると、ベタな話だけど、これとかかな……)

 血相を変えて隆也が話に割り込んできた為、邪魔された貴子は腹を立てて叱り付けた。その間も横目で衣笠の様子を確認してみた貴子だったが、思うような反応が無かった為、次の話に移す事にする。


「それで、私、おじさま達に相談されやすい容姿や雰囲気みたいで、同時期に同じ前科持ちの人に、また相談されちゃったの。その人はおじさんと同様、日本海側に住んでてね? 密輸関係の仕事に足を突っ込んじゃって。……ほら、海の向こうから色々渡って来るじゃない? 好むと好まざるとに係わらず」

「……何が?」

 どこか思わせぶりに尋ねた貴子に、衣笠が警戒心も露わに問い返した。隆也も(何を言い出す気だ)と下手に口を挟まずに慎重に成り行きを見守ったが、ここで貴子があっけらかんと言い放つ。


「ほら~、色々あるでしょう? 海苔とかキャビアとか韓流ドラマとか?」

「…………」

(あ、やっぱりおじさん、薬とか偽札とか改造銃とか言われるかと思ってたのね。ちょっとその顔可愛い)

 予想外過ぎる単語の羅列を聞いた衣笠は、緊張の糸が切れたらしく口を半開きにして目を見開いて固まり、とうとう怒りが振り切れた隆也は力任せに拳でテーブルを殴りつつ、貴子を盛大に怒鳴りつけた。


「どこまでふざける気だ、お前はっ!?」

 しかし如何にも心外そうな顔と口調で、貴子が話を元に戻す。


「えぇ~? 真面目に話してるのに、酷いわねぇ。……あ、それで、その人の別れた奥さんが、女手一つで苦労して育てた娘さんが、近々結婚する事になったの。だけど相手のご両親が『犯罪者の娘なんて冗談じゃない』と言って、良い顔をしないそうでね」

「…………」

 そこで如何にも困った様に、貴子が溜め息を吐いて見せると、衣笠は無言のまま項垂れた。それを見た貴子と隆也が、揃って素早く考えを巡らせる。


(あら、図星っぽい。じゃあこの方向で、もうちょっとつついてみようかしら?)

(ちょっと待て、確かにこいつの家族構成の欄には、別れた妻との間に三十手前の娘が一人いると記載されてた筈……。こいつ、何をどこまで察して、探りを入れているんだ!?)

 貴子は真顔で相手の攻略に取り掛かる事にし、隆也は下手に割り込んだら張り込みが台無しになる可能性を恐れ、貴子を強制排除するデッドラインを見極める為、腹を括って貴子の隣の椅子に腰を下ろした。

 そんな渋い顔をしている隆也に一瞬目を向けてから、貴子は素知らぬ顔で話を再開した。


「散々難癖を付けた挙げ句、『うちは付き合いが広くて、これ位の規模で披露宴をする必要があります。つきましてはそちらも相応の負担をして下さい』と言って、何百万かの費用額を提示されて、お母さんが頭を抱えてしまったそうなの」

 そこで思わず隆也が口を挟んだ。


「それは……、随分意地が悪いな。母子家庭だから一般的に金銭的に余裕のある暮らしではないだろうし、身内に犯罪者がいるなら親戚付き合いだって途絶えているだろう。借金の申し込みどころか、披露宴にも出席して貰えるかどうか微妙だぞ?」

「それが分かってるから、表向き『結婚を認めてあげても良い』的な顔をしながら、えげつなく嫌がらせをしているんじゃない」

「そんなのと親戚付き合いなんかしても、ろくな事は無いぞ。結婚自体を止めたらどうだ?」

 はっきりと渋面になった隆也に、貴子は困った様に小さく肩を竦める。


「赤の他人が、そんな事を言っても。結婚相手本人は凄く良い人なんですって。『そんな事を言うなら、披露宴なんてしない』と両親相手に大喧嘩して揉めてる最中で、娘さんとお母さんは却って申し訳無く思っているみたい」

 そこで何となく疲れた様に溜め息を吐いた隆也が、殆ど確信している口調で問いかけた。


「なるほど。それで元妻と娘の窮状を人伝にでも聞いたそいつが、手っ取り早く大金を手に入れる為に、犯罪の片棒を担ぐ事にしたと、そういう訳か?」

「そんな所ね。それで今の打ち明け話を聞かされた後、『どうすれば良いと思う?』と聞かれたから、『止めておいた方が良いですよ』と言ったの。さっき話した息子さんの治療費を工面したい人に相談された時には、『やったら良いんじゃないですか?』と言ったけどね」

「は? 何で相手が違うと対応が違うんだ? それ以前に犯罪行為を唆すな!」

 一瞬戸惑った顔をしてから、すぐに気を取り直した隆也は貴子を叱り付けた。しかし貴子は悪びれなく言い切る。


「だって『命あっての物種』でしょう? それにその人はもう殆ど決心してて、誰かに最後の一押しをして貰いたかっただけで、仮に私が『止めた方が良い』と言っても、裏金をちょろまかしてたわよ。断言できるわ」

「だからと言って、最後に押すな!」

「だけど娘にお金を用立ててあげたいって人の方は、相談した段階で凄く迷っていて。ああいうタイプは一生隠し事とかできないだろうし、いつかは捕まったり、妻子にバレると思うのよ。そうなったら娘さんが可哀想でしょうが」

「どうして娘が可哀想なんだ?」

 急に話の流れが変わった事に隆也は戸惑ったが、貴子は真顔で続けた。


「だってそんな大金、ポンと見ず知らずの人間の名前で送金しても怪しまれるだろうし、自分の名前を出して『披露宴の費用に使ってくれ』と伝えなければ駄目でしょう?」

「常識的に考えれば、そうだろうな」

「長い間、放っておかれた父親から費用を用立てて貰ったら、娘さんはその時は嬉しいだろうけど、それが犯罪行為で得たお金だと知ったらどう思うかしら? 真面目に働いて更正してると喜んだ分だけ、余計に裏切られた気分になるんじゃない? 結婚相手の家からも『そんな汚いお金で披露宴をしたなんて、いい恥曝しだ』とか言われかねないし」

 貴子はそう言って、二人で話し始めてから向かいの席で俯き、一言も発していない衣笠をチラッと眺めてから、物言いたげに隆也の顔色を窺ったが、対する隆也も不自然でない程度に向かいの席に視線を向けてから、些かわざとらしく頷いた。


「なるほどな。お前の見立てではそっちの相談をしてきた方は、如何にも要領の悪い、隠し事のできそうに無いタイプだから、いずれ事が露見するのを見越して、止めておけと助言した訳か」

「そういう事。だけどやっぱり気になってね。汚いお金でもお金はお金だし、やっぱり披露宴の費用を都合付けてあげる様に言うべきだったかな~って。それでおじさんの意見を聞きたくなったの。おじさん、どう思う?」

「……俺、の?」

 いきなり話を振られた衣笠は、ビクッとしてから顔を上げて貴子に顔を向けた。そんな顔色の悪い衣笠に、貴子は無邪気とも言える笑顔を見せる。


「ええ。二人目の凄く迷ってた人が、おじさんと年格好も雰囲気も、凄く良く似てる人だったの。だから第三者的な立場から、今の話に関してどう思うか意見を聞きたくなって。どうかしら?」

「その……、俺、は……」

「うん、何?」

(白々しい奴、大体事情を察してるくせに。頭は良さそうだが少々意地が悪いぞ)

 微笑みつつ答えを促す貴子を見て、隆也は密かに呆れた。そして答えに窮している衣笠がどう答えるのかを、多少の興味を持ちながら黙って見守ったが、ここで我に返った様に、衣笠が詫びを入れてくる。


「……ああ、すまないな、お嬢さん。そろそろ待ち合わせの相手が来る時間なんだ」

「あ、ごめんなさい、長居しちゃって! 五月蝿い迎えも来たし、これと一緒に帰るわ。色々話を聞いてくれてありがとう。凄く参考になったわ!」

 貴子が慌てて荷物を纏め、隣を指差しつつ立ち上がると、隆也はムッとしたものの引き上げ時を見誤る事無く、如才なく頭を下げた。


「お寛ぎの所、お騒がせして申し訳ありませんでした」

「いや、こっちも楽しかったよ。これからはあまり喧嘩するなよ?」

「はい、じゃあおじさん、さようなら」

「気をつけます。お世話様でした」

 ほっとした様に笑顔で別れの言葉を告げた衣笠に、二人も愛想良く笑い返して会計を済ませて外へ出た。するとドアを出た途端貴子が腕を絡めてきた為、隆也が嫌そうに振り払おうとする。


「おい、馴れ馴れしくくっつくな!」

「あぁら、まだ窓越しにあのおじさんが見ているから、恋人同士の小芝居に合わせてあげてるだけよ。最後まで役に徹したら?」

「このっ……」

 余裕たっぷりの表情で笑いかけてくる貴子に、隆也は怒声を抑え込み、そのまま歩き続けた。そして角を曲がって店から見えなくなった所で、貴子の手を振り払いつつ盛大に怒鳴りつける。


「もう良いだろう。手を離せ。とっとと失せろ!」

「言われなくてもそうするわよ。それじゃあね」

「全く、ろくでもない……」

 笑いを堪える表情で貴子がその場を立ち去ってから、隆也は注意深く店からの死角を選びつつ指揮車まで戻った。そしてドアを開けて仏頂面で乗り込むと、カメラとマイク越しに先程の一部始終を見聞きしていた部下達に、微妙過ぎる表情で出迎えられる。


「悪い、遅くなった」

「……ご苦労様です、課長」

「課長、本当に宇田川さんとは、知り合いでは無いんですか?」

「くどいぞ、相川。それよりそろそろ相手が来る。集中しろ」

「はい」

 ピリピリしている空気を醸し出している隆也に下手な事が言える筈も無く、車内に沈黙が漂った。しかし1分かそこらで事態が動く。


「榊課長! 男が一人、店に入ります!」

「よし、画像は撮れたな? 急いでデータベースにアクセスして解析にかけろ」

「了解しました」

「店内の捜査員はそのまま待機。決定的な受け渡し現場を押さえる。単に相席しただけだとか、後からほざかれたらたまらんからな」

「分かりました」

 隆也と桜田が矢継早に指示を出す中、解析技官の歓喜の叫びが上がった。


「出ました! 戸倉組の構成員で、藤川という男です」

「やっと釣れたか。その名前で大至急、通貨偽造等準備罪の容疑で逮捕状を請求しろ! 後で罪状は、幾らでも追加できる!」

「手間かけさせやがって……」

「後は確実に、ブツとルートを押さえるぞ。念の為周囲に見張り役などもいないか、チェックを怠るな!」

「はい!」

 そんな風に一気に緊迫して来た指揮車とは真逆に、もう一方の舞台である店内には、奇妙な静けさが漂っていた。

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