(6)ろくでもない再会

「取り敢えず、衣笠に不審がられてはいないし、女性客も大人しくしているみたいだな」

「全く、肝が冷えましたよ」

「しかし例の女性は、被疑者の隣のテーブルですか……。取り押さえる場合には、留意する様に徹底しておきましょう」

 急な事で店内にカメラは設置出来なかったものの、窓際の席を外から狙うのは十分可能であり、先程の捜査員がテーブルに仕掛けておいた盗聴器の感度も良好と技官から報告を受けて、隆也達は取り敢えず安堵した表情になった。


「そうだな。ところで、この衣笠という男、これまでにこの手の犯罪歴は有るのか?」

 急な事で隆也が細部まで目を通していなかった資料を捲りながら確認を入れると、この件の担当で全てのデータを頭に入れていた相川が、即座に説明を始めた。


「皆無です。以前は割烹料亭の板前でしたが、店の金に手を付けた挙げ句、その現場を同僚に見つかって殴り倒して横領と傷害で逮捕収監されてます。それで妻と離婚して、釈放後はあちこち流れ歩いていたみたいですね」

「絵に描いた様な、転落人生だな」

 思わず口を挟んだ桜田に頷き、相川は冷静に話を続ける。


「その挙げ句、富山で仕事の口を見つけて真面目に働いていましたが、そこが裏で偽札を造ってまして、ガサ入れ直前に上からブツを預かって上京した次第です。真面目に働いていれば良いものを、何かで脅されたんでしょうかね?」

「さて、それは本人に聞いてみないとな。それに、何を持って来ているかな? 紙の見本か、印刷データか、偽造防止システムの解析ソフトか」

 先程の苛ついた表情を綺麗に消し去り、面白がっているとしか思えない口調で告げた隆也に、桜田は半ば呆れた様に尋ねた。


「一部、曖昧な情報を上げて動いた俺達も俺達ですが、何を運んでいるかの確証も掴めないまま現場に捜査員を動員したと、上から叱責されないんですか?」

「これまで掴んだデータと俺の勘が、大物が釣れると教えてくれているからな。言いたい奴には好きに言わせておけ。結果を出せば何も言えんさ」

 傲岸不遜とも言える態度で言い切った上司に、桜田と相川は思わず顔を見合わせて苦笑いしたが、ここで男達の余裕を吹き飛ばす、通信技官の叫び声が車内に響いた。


「榊課長!」

「どうした?」

「例の隣のテーブルの女性が、被疑者と同じテーブルに座ってしまったそうです!」

「何!?」

「どうしてそんな事になってるんだ!」

 これからやって来るであろう取引相手を警戒して、離れた場所の映像に注意を払っていた面々が慌てて喫茶店の窓際の映像に目を向けると、確かに貴子と衣笠が同じテーブルに着いている事が確認できた為、揃って瞬時に顔を強張らせた。

 その数分前、店内ではこのような情景が展開されていた。


「あっ、と……。やだ、落としちゃった!」

 ボールペンがタイル張りの床に落ちたと同時に、貴子はさり気なく背後に向かって、それを軽く蹴り転がした。そして若干高めの声で独り言を漏らしてから、椅子から立ち上がって周囲の床を見回す。


「えっと……」

 キョロキョロと見回してから、狙い通り隣のテーブルの下にそれが転がっていたのを認めた貴子は、背中合わせに座っていた衣笠に控え目に申し出た。


「すみません、テーブルの下にボールペンが転がってしまいましたので、取らせて貰って構いませんか?」

「……あ、ああ」

「ありがとうございます」

 戸惑いながらも衣笠は軽く頷き、それに貴子は笑顔で礼を述べてテーブルの下に手を伸ばした。そして首尾良くボールペンを取りながら、ブラウスの袖に隠しておいた携帯電話をこっそり取り出し、窓際の床に置いてから、何食わぬ顔で再び立ち上がる。


「お騒がせしました。……あら?」

 改めて衣笠を眺めた貴子が怪訝な顔をした為、衣笠は僅かに顔を強張らせて警戒モードに入った。

「……何かな?」

 しかしそれには構わず、貴子は唐突に言い出した。


「おじさんって調理師かしら? しかも和食関係」

「どうして分かる?」

 衣笠が皺の深い顔に驚きの表情を浮かべて問い返すと、貴子は笑って自分の右手の甲から、親指と人差し指にかけてなぞりながら理由を説明した。


「何かここら辺が、長年包丁を握ってる感じ。そしておじさんは和食のイメージ。……これって偏見かしら?」

 そう言って悪戯っぽく笑ってみせた貴子に、衣笠も思わず笑いを誘われた。


「自分では分からないが、ペンダコならぬ包丁ダコでもあるかな? それにそれが分かるって事は、お嬢さんも調理師かい?」

 一気に緊張がほぐれたらしい衣笠が気楽な調子で尋ねると、貴子も笑顔で応じた。


「おじさんと比べたら、殻付きのひよっこだと思うけどね。お嬢さんなんて久しぶりに言って貰って嬉しいし、ここで会ったのも何かの縁。ちょっとおじさんに意見を貰いたいんだけど、駄目かしら? 何かさっき待ち合わせとか何とか言ってたみたいだけど、そろそろ相手が来る時間帯ですか?」

「いや……、随分早めに来てしまって、正直暇を持て余していたんだ。最近は若い子と話す機会も無いし、こんなおじさんで良かったら話し相手になるよ」

 立て板に水の如く申し出てきた貴子に一瞬唖然としたものの、衣笠は貴子に押し切られる形で苦笑しながら頷いた。それに気を良くしながら、貴子が衣笠の向かい側の椅子に座って話し始める。


「良かった。じゃあ早速だけど、今度私が所属してる料理学校が、ジャパン・フード・フェスティバルに参加するの。知ってる?」

「名前だけは。国内では珍しい食材や、最新式の調理器具などを紹介したり、展示販売する大規模な催し物だろう?」

「そう。商社や製造業や食品関係団体が入り乱れて毎年盛況なんだけど、うちも色々な業者と組んで新しいレシピや調理器具を紹介したりするの」

「なるほど」

「それで、うちの代表として私がデモンストレーション担当になったんだけど、来場者に試食して貰うメニューのレシピで悩んでいるのよ」

 それを聞いた衣笠は、感心した様に貴子を眺めた。


「料理学校の代表とは凄いな。先生かい?」

「まあ、そんなところね」

「そんな凄い先生に、俺の意見なんか必要かな?」

「取り敢えず聞いてて。それでね? 纏めて作りやすくて、万人受けするカレーにしようと決めたんだけど、せっかくそういう場所で振る舞うんだから、変わった物にしたいの。和風カレーとか」

 そこまで聞いた衣笠は無意識に腕を組み、難しい顔で考え込んだ。


「和風ねぇ……。確かにカレーうどんは鰹だしの汁とも喧嘩しないから、アイデアとしては良いかも知れないが」

「でしょう? だけど具を何にするかで煮詰まっちゃって。根菜だと里芋とか牛蒡とかのカレーとかは、既に出てるし。おじさん北陸の出身でしょ?」

「な、何で分かった?」

 いきなり自分の出身に言及されて衣笠は狼狽したが、貴子は何でもない事の様に告げた。


「アクセントが、昔付き合っていた、金沢出身の男に似てるなと思って。違う?」

 殆ど確信している様な口調に、衣笠は変に隠す事を諦めた。


「いや、違わない。富山出身で若い頃からあちこち行ってたが、最近は戻っていてね」

「やっぱり! 私の勘も、捨てたものじゃ無いわね。北陸って魚介類の水揚げが多いけど、特に富山湾って急に水深が深くなるから、近海で取れる魚の種類が多いでしょう? だから色々作ったり食べ慣れてるわよね?」

 手を打ち合わせて無邪気そうに喜び、嬉々として尋ねてきた貴子に、衣笠は何故彼女がどこの人間かなどと言い出したのが分かって、安堵しつつ苦笑いで答えた。


「なるほど。そうすると、その和風カレーの具は、魚介類をベースにするつもりか」

「正解! だけどイカとかエビとかアサリとかだと普通のシーフードカレーだし、どうしようかなって」

 そう言って「う~ん」と考え込んでいる貴子の前で、衣笠も律儀に悩み始めた。


「確かに。だが普通に魚の身を入れて煮込むと、すぐに崩れて跡形も無くなるぞ? 確かに挽き肉を使ったキーマカレーみたいなのも有るがなあ」

「開き直ってそんな考えでも良いかもね。ただ淡白な白身魚だと、味わいが弱いかも」

「予め別に焼いて香味や旨味を出しておくとか、味付けしておくとかは? 煮込んだ後の歯ごたえ重視なら、ナマコやトコブシとかを圧力鍋で下拵えして使っても良いかもしれんが。牛蒡とかにも合うだろうし。とろみとくどくない食感なら山芋も使えると思うし、香辛料のアクセントとして、ローリエの代わりに山椒の葉脈を潰して」

 そこで考え付くまま喋っていた衣笠の台詞を遮って、貴子が勢い良く立ち上がった。


「おじさん、ちょっと待って! 本格的にイメージ沸いてきたわ。書きなぐっておくから!」

「先生も結構、大変なんだな」

 慌てて自分の席に戻ってノートを掴んで戻った貴子が、再び椅子に座って猛然と何やらノートに書き始めたのを眺めて、衣笠は苦笑する事しかできなかった。しかし、その一部始終を盗聴していた指揮車の中では、笑い事では済まない険悪な空気が広がり始めていた。


「一体、何をやってるんだ、あの女は!?」

「何か、カレーの具材で話が盛り上がってるみたいですね」

「待ち合わせ時間は、大丈夫でしょうか? 本人は余裕があるとか言っていましたが」

 怒りも露わに隆也が机を殴りつけると、止せば良いのに相川が控え目に状況説明をした為、上司から殺気立った視線を向けられる羽目になった。それを宥める様に桜田が最大の問題点に言及したが、それを受けて隆也が声高に叱りつける。


「安心できるか! 待ち合わせ相手に女が同席してるのを見られたら、不審がられる。ただでさえ外から監視し易い様に、窓際の席を空けさせたんだぞ!」

「どうしましょうか? 本人が納得ずくで話している所に店主や捜査員を割り込ませるわけにも……。衣笠に不審がられます」

 難しい顔で桜田が取り敢えずの対応策を考え始めると、隆也は少しだけ考えてから、舌打ちしつつ勢い良く立ち上がった。


「ちっ! ……俺が何とかあの馬鹿女を引き剥がして、回収してくる。桜田、十分だけここの指揮を頼む」

「分かりました。宜しくお願いします」

 憤然として隆也が車から降りていくのを見送ってから、相川は自信なさげに桜田にお伺いを立てた。


「大丈夫でしょうか?」

「課長は若いが切れるし、腕も立つ人なのはお前だって良く分かってるだろう。心配しないで任せておけ」

「はぁ……」

 自信に満ちた表情で即答した桜田と、未だ不安が払拭できない相川は、それから黙ってスピーカーから聞こえてくる衣笠のテーブル付近の音声と、モニターに映る店の外観に意識を集中する事にした。


 一方、車を降りた隆也は真っ直ぐ問題の店に到達し、ドアを開けて店内に入った。その姿を認めて店内の捜査員達は動揺しかけたが、隆也が鋭い視線で、その動きと声を封じる。続けて物騒な気配を消してから、衣笠と貴子がいるテーブルに歩み寄った。


「ここに居たのか、貴子。探したぞ」

 恋人同士を装う事にした隆也は、テーブルに片手を付きつつ貴子に声をかけ、目線で(余計な事は言うなよ? 黙って俺の話に合わせろ)と脅した。取り敢えず貴子は隆也の芝居を無にする様な真似はしなかったが、その鋭い視線を真正面から受け止めても微塵も動揺せず、片手を振って「あっちに行け」と追い払う素振りをする。


「何よ。あんたなんかお呼びじゃ無いわよ。ほっといて」

「そうはいくか。あんな書き置き一つでトンズラしやがって。俺がどれだけ心配したと思ってる」

「心配してくれなんて、言った覚えは無いわよ」

「いい加減にしろ、貴子。取り敢えず帰るぞ」

 テーブルの向かい側から困惑気味の視線を受けているのを意識しつつ、隆也は痴話喧嘩を装いながらすました顔でそっぽを向いている貴子に再度辛抱強く語りかけ、次いで衣笠に向かって殊勝に頭を下げた。


「すみません、こいつがお邪魔しました。また強引に他人のテーブルに押し掛けたんですよね? いつもこんな調子なんですよ」

「いや、俺は気にしてないから」

「ほら、貴子。こちらの方にお詫びして行くぞ」

 苦笑気味に衣笠が頷いた為、隆也は身体を屈めつつ貴子の腕を掴み、その耳元で低い声で囁いた。


「お前、張り込み中だと分かってやってるよな? 俺にこんな小芝居させて、ただで済むとは思うなよ?」

 彼の部下達が聞いたら瞬時に真っ青になる地を這う様な声音も、貴子には全く意味が無かったらしく、同じ様に隆也だけに聞こえる声で毒づく。


「芝居? どこがよ、この大根」

「何?」

 そこで貴子は隆也の手を力任せに振り払いつつ、盛大に叫んだ。


「さっきからゴチャゴチャうるっさいわね! あんたの様に多少見た目は良くても、実は短小早男なんか願い下げだって言ってるのが、これだけ言ってもまだ分からないわけ!? さっさと消えちゃって! 目障りよ!!」

 貴子がそう叫ぶと同時に店内に不気味な沈黙が満ちたが、それも一瞬で、すぐに彼女以上の、隆也の怒声が店内に響き渡った。


「何だとこの馬鹿女! ふざけるのもいい加減にしろ!? そんなに痛い目をみたいのか!?」

 隆也が憤怒の形相で貴子の腕を手加減なしで捻り上げると、流石に貴子の悲鳴混じりの声が上がった。


「いたたたたっ!! ちょっと! 本当の事言われたからって、八つ当たりはよしなさいよね!?」

「何が本当の事だ! 大体お前と俺がいつ」

「こら、止めないか! 女性相手に乱暴はいけないだろう! 落ち着け!」

 狼狽して立ち上がった衣笠が、テーブルを回って二人に近寄り、貴子の腕から隆也の手を剥がそうと手を伸ばして掴む。そして味方を得た貴子が、勢い込んで言い放った。


「ほら! おじさんだって言ってるじゃない!」

「貴様……」

 ぎりっと小さく歯軋りをした隆也だったが、衣笠に変に怪しまれないようにこれ以上は抑えておく必要があると認め、忌々しげに手を離した。そして貴子は自由になった腕を擦りながら「これだから野蛮人は……」などとブツブツ呟いて隆也のこめかみに青筋を浮かべさせたが、それを聞き咎めた衣笠が、難しい顔になって貴子に言い聞かせる。


「お嬢さんも、幾ら本当の事とは言え、あんな事を第三者の前で公言されたら相手の立場が無いだろう。そういう事は思っても、口に出しては駄目だよ?」

 そう言われた貴子は、意外にも口答えや反論をせずに、軽く頭を下げて謝罪の言葉を口にした。


「すみませんでした」

「俺じゃ無くて、彼に謝るんだな」

 すると、引き続き素直に隆也に向き直って頭を下げる。

「……悪かったわ」

「ああ」

 しかし頭を上げた時、一瞬貴子がその顔に浮かべた噴き出す寸前の表情を認めた隆也は、怒りで腸が煮えくり返った。


(この女……、絶対面白がってやがる。誰が短小早男だと? 言いがかりをつけるな!! それに第一、どうして俺が容疑者に説教される羽目になるんだ!?)

 そんな風に、隆也が内心で必死に怒りを堪えているうちに、貴子は窓際に座り直した衣笠に、笑顔を向けた。

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