赤い霧

赤い霧:提

唐突の転校生(甲)

****前書き****


 横書きで読みやすい改行の入れ方を模索中です。それと、(甲)で察して欲しいのですが、この話は長いです。上中下には収まりませんでした。


****本文****


 4月、遅咲きだった東京の桜が散り始めた頃である。入学式が1週間ばかり前に終わり、後輩が入ってきて「遂に高校2年か」などと俺は思っていた。



 その日は朝から快晴で、春らしい陽気であった。昼休み、義姉あねあかねさんから突然メールが来た。今日、部室に来るように、という内容である。



 同日、放課後、俺は「文化部」なる謎めいた部活の部室を前にしていた。あかねさんが創設した部活で、俺は半強制的に入られていた。出席は月に1度すれば良い方だ。



 部室は部室棟の最奥を半不法的に占拠している。さすがは現生徒会長の士示ししあかね様々さまさまである。



 生徒会長のどこにこんな権力があるのかなんて知ったこっちゃない。だが現にこんな部活が存在してるんだから、権力があるんだと思う。



 俺はドアを開けた。去年できたばかりの新校舎のドアは簡単に開いた。まだ錆びてないんだな。


「来たわね。」


あかねさんはドアが開ききる間も無く言った。あかねさんは窓の方を向いて座っていた。



 ああ、埃っぽい。あかねさんも相当出席していないのか。


「急に呼び出して何なんですか。」


靴を脱ぎながら聞いた。無意味に畳敷きにされた床のせいで、部室に上がるには靴を脱がねばならない。俺はあかねさんの趣味に違いないと確信している。



 あかねさんはハーフアップにした髪の先っちょをクリクリする。あかねさんの癖だ。


幡宮はたみやって知ってる?」


唐突に聞いてきた。そもそも部室に来いと連絡をよこしたのも唐突だったから驚くようなことじゃ無い。どうせあかねさんの気まぐれに決まっている。


「そりゃまあ。」


幡宮はたみや家は禍禊まがらいの中で最大手とも言える巨大勢力だ。知らない訳が無いじゃないか。


「じゃあ話が早いわ。」


あかねさんはやたらと格好つけて椅子を180度回して俺の方を向いた。



 あかねさんが書類のコピーを突きつけてきた。A4サイズのカラー刷りである。そういえば部室にインクジェットプリンターがあったな。


「これよ。」


「編入手続きのやつじゃないですか。一体どこからこんなものを……」


俺はあかねさんの手からそれを取った。受け取るというより奪い取るという方が近いかもしれない。何せ突然の呼び出しに加えてこの茶番がかったやり取りだ。少々イラついている。



 あかねさんはそんな俺の内心など察する気はさらさら無いようであった。


「それは内緒よ。そんなことより彼の名前、見てみなさい。」


幡宮八雲ハタミヤ ヤクモとなっていた。



 転校生の入学手続き書類なんて、あかねさんは一体、いつも、どこから情報を入手しているのか……。いつか捕まるんじゃないかと不安になる。



 呆れながらも言った。


幡宮はたみやですか。」


「……そういうわけではじめ、気を付けなさい。」


あかねさんは声のトーンを下げた。



 何に気をつけるのかは察しがついた。のことに違いない。どうやら今回の呼び出しはではないようだ。



 となれば、一つ問題がある。


夏織かおりには言ったんですか?」


夏織かおり——士示しし夏織かおりあかねさんの妹で、俺の義妹いもうとである。


「まだよ。夏織かおりも一緒に呼んだんだけど…………、今来たみたいね。」


あかねさんがドアの方に目をやった。



 戸を引く音がする。夏織かおりがいた。あかねさん、人の気配を察知する能力は抜群ですね。その能力の一部を性格の向上に回してくれれば……。



 夏織かおりはさっきの俺と同じ質問を、俺よりも不機嫌そうにした。


「いきなり呼び出してなんなのよ。」


妹の方も改善の余地は大いにありそうだ。



 ただ夏織かおりの場合は性格が悪いと言うより、口が悪い。いや、それでもニュアンスが違う気がする。



 冗長的な婉曲表現を余りしないというか……。ただ単純に気が短いというか……。どういうわけだか、いつも人を見下しているというか……。とにかくいつも微妙に上から目線で、人を弄るのが好きなのだ。ああ、結局、のか。



 あかねさんは夏織かおりを手招きする。夏織かおりはあからさまに嫌そうな表情をした。あかねさんはそれを意に返さず、ニコニコと微笑んで夏織かおりを見つめた。



 10、いや、20秒ほど沈黙が続いた。そして夏織かおりが大きく溜息を吐いた。あかねさんの勝ちである。夏織かおりは渋々とあかねさんの元へ向かった。



 あかねさんは咳払いをする。そこで格好つけるのか……。


「幡宮が来るわ。」


あかねさんは夏織かおりが近くに来てから小声で言った。俺の時もさっさとそう伝えろよ。対応の違いに思わずツッコミを入れたくなった。



 夏織かおりは、それだけ?、とでも言いたげな雰囲気で


「そう。それを私に伝えて何か?」


と言った。夏織かおりは相変わらずツンツンしている。ツンデレではない。ツンツンだ。こいつにデレ要素など存在する訳がない。



 あかねさんはもう一度咳払いをする。


はじめちゃんのことがあるからね。一応注意しておきなさい。」


あかねさん、俺のことを三人称で使うときに、ちゃん付けするのは良い加減やめて欲しい。



 夏織かおりは俺達に踵を返し、ドアの方に歩きながら言った。


「分かった。じゃあ私、今日、巡回があるから先に帰ってて。」


ピシャリとドアが閉まる。ことごとくツンツンしている奴だ。



 窓の外には黄昏の空が広がっていた。カラスに混じってが飛翔していた。


はじめもじゃないの?」


あかねさんが言う。あれ? 今日って……。


「ん? あ! 忘れてました。行って来ます。」


俺は荷物を持って、慌てて部室から飛び出した。



 巡回の当番は18時から20時——まがりが一番多い時間帯だった。現在時刻は17時40分。担当場所は寺口東町2丁目だからギリギリだった。



 俺は自転車を飛ばす。赫赫かくかくたる夕日が空低くに揺らめき、紅に染まった雲が漂っていた。



 前を走る自転車の少女がウエストまで伸ばした黒髪をなびかせていた。


夏織かおり?」


少女に尋ねた。



 彼女は蔵里北くらさときた高校の制服を着ていた。セーラーカラー(セーラー服の襟)の背中側、淵にだけ入ったラインは1年生の学年カラーである空色だ。



 少女が自転車の速度を落として並走してくる。


「何? 今、急いでるの。」


素っ気なく言った。



 ああ、やっぱり夏織かおりか。むしろ、入学したての1年の中に、上級生に向かってこんな口のきき方をする奴が夏織かおり以外にいたら、俺は驚愕する。



 そっか、夏織かおりも18時から当番なのか。


「分かってるよ。俺もだから。」


「でしょうね。だって今日、私とだから。」


衝撃的な言葉が夏織かおりの口から飛び出した。


「え? 今日、夏織かおりだった?」


記憶を辿るが思い当たる節は無い。ただ、言われてみればそんな気もしてくる。


「むしろ誰だと思ってたのよ。」


和泉いずみさん?」


「あの人は本町の時しか出てこないでしょ。あら、それとも抄俐せりちゃんの方かしら? このロリコン。」


夏織かおりがニヤリと笑った。



 和泉いずみ抄俐せりは今年度から中学3年になる和泉家次期当主の最有力候補だ。そして和泉いずみさん——和泉いずみ博匡ひろまさはその叔父にあたる。



 夏織かおりは何かにつけて俺はロリコン、ロリコン、ロリコンと言う。だが、俺はロリコンでないと思うのだ。


「なんで夏織かおりは俺のことをロリコンと決めつけるんだよ? 俺はロリコンじゃない。」


断言しよう。俺はロリコンではない。というか、そもそも、中3はロリじゃない。


「キモい。いっぺん死ね。」


どこから取り出したのかよく分からないカッターナイフをいきなり後ろに振りかざしてきた。刃の厚さが1ミリ近くある大きいやつだ。


「ぅおい、危ないな。」


俺は慌ててハンドルを切る。その反動で転倒しそうになるが、なんとか体勢を立て直した。


「——俺を半禍はんかのお前と一緒にするなよ。」


俺は冗談めかして言った。



 キッ——夏織かおりが突然自転車を止めた。俺はそれを数メートル追い越して止まる。


「酷いのね。半禍はんかだって不死身じゃないのよ。」


後ろから夏織かおりの声がした。割とマジな声である。



 そういえば夏織かおり半禍はんかであることを指摘されるのを尋常じゃないほどに嫌っていたな。


「ああ、悪い悪い。冗談だよ。」


とりあえず、こういう時は謝るのが吉だ。


「分かってるわよ。」


そう言って、今度は唐突に、夏織かおりは自転車を走り出させた。


「——それでも嫌なものは嫌なのよ。」


夏織かおりは走りながらそう付け加えた。



 半禍はんかは半分まがり——隠り世の生物——で、残り半分が現世うつしよの生物という生き物だ。別に人間じゃなくても半禍はんかはいるし、禍禊まがらいの3割近くは半禍はんかだ。



 珍しい物でもないのだ。特に差別されているわけでもない。だから、夏織かおり半禍はんかであることを指摘されることをやたらと嫌がる理由が分からない。


────────


 なんとか時間までに持ち場に着きた。俺と夏織、二人揃って息を切らしていた。毎日、大体1分遅れの6時の鐘がちょうど鳴り始めたから、ギリギリ遅刻というのが正しい。



 考えてみれば、タイムカードも監督官もいないのだから多少サボってもバレない気がするし、実際、以前はそうだった。最近はシステムが少し変わって以前のように30分とか1時間とか遅刻するとバレるのだが、5分やそこらじゃバレないと聞いている。それに禍禊まがらいにとってみれば5分は誤差の範囲だ。



 夏織かおりが自転車の籠に入れた学生カバンを漁っていた。一応、学校指定なのだが使用は任意という指定する意味が無いと思われるカバンだ。


はじめ、これ。」


夏織かおりがトイレットペーパーの芯ほどの円柱を突き出してきた。



 人避けである。夜中ならまだしも、夕方の住宅地は人通りが多い。術を見られると後処理が厄介なのだ。まあ、専門職の人を呼ぶだけなのだが……。



 俺は人避けを受け取る。発煙筒のようなそれに手持ちのマッチで点火した。まるで筒に吸い込まれるようにしてマッチの火は消え、代わりに筒が青白く光りだす。


「人避け、1本で良いの?」


俺はそいつを自転車のカゴに放り込みながら聞いた。


「私がもう一本持ってるから。」


夏織かおりが青白く光る筒を振ってみせた。



 夏織かおりは自転車のサドルの上に器用に片足で立つ。はっきり言って、そこに立つ意味は分からない。十中八九夏織かおりの趣味だよな?


「結界、張っちゃうわ。」


続いて夏織かおりは今度は学生鞄から陸上で使うバトン程の筒を取り出した。さっきの人避けよりやや大きい。



 士示ししの家に代々伝わる結界である——と言えれば格好良いのだが……。残念ながら、実の所は、受注生産して頂いている物だ。価格にして一方300円程度。結界は周辺のまがりを探索するレーダーの様なものである。



 夏織かおりがそれを投げ上げた。それは空中で火を噴き、カランカランと軽い音を立てて落ちた。俺はそいつを拾って夏織かおりにパスする。夏織かおりがそれをカバンに戻した。



 夏織かおりが自転車から飛び降りながら言う。


「うーん、3匹。……こいつらが全部敵対性のまがりだったら話は速いんだけど……」


夏織かおりはそう続けた。


「そりゃ仕様しょうが無いよ。つーか、夏織かおりの場合は関係無いだろ?」


夏織かおりの戦い方は1対1向きなのだ。


はじめがやれば良いのよ。術師なんだから。」


「そんな強力な術はねぇよ。あったとしたら禁忌にでもなってるでしょ。」


「一撃の威力が小さい。全体攻撃もできない。術師ってほんっと弱いわね。こんなのが蔓延はびこってるなんて……」


術師は禍禊まがらいの過半数を占めているのは確かだが、弱いと言われる筋合いは無いと思うんだけど? まあ、それは別に良い。


「で、どこから行くの?」


「着いてきて。」


いつの間にか自転車にまたがっていた夏織かおりは既に走りだしていた。



 まがりと呼ばれる異界の生物は、人類に友好的なものから敵対的なものまで様々だ。場合によっては有益なまがりもいるからそう簡単に「まがりならば殺す」とはいかない。この辺りの判別ができないのがあの結界の弱点である。そして便利な結界を作る技術者がいないのは士示ししの弱点である。士示ししは結界の家柄で有名なのだが……。


────────


 1匹目は近くの公園にいた。1人目とした方が正しいかもしれない。どちらにせよ、つても良い敵対的なまがりを「当たり」とするなら、「外れ」だ。


「あ、三隹みとりさん。」


三隹みとり詩靖しのぶは公園のベンチに座っていた。相変わらずの蠱惑こわく的な和服姿は、俗なこの公園には、場違いに思える。


「あらあら、士示ししのとこの兄妹じゃない。どうしたのかしら?」


三隹みとり、店はどうしたの?」


夏織かおりは質問に質問を返す。声音からして明らかに不機嫌である。普段から不機嫌そうなのだが、それに拍車がかかっている。


式神しきに任せて来たわ。」


夏織かおりの声から感情を読み取れないのか、読み取らないのか分からないが(恐らく後者だと思う)、三隹みとりさんは平然と答えた。


「ふーん、式神、あなたがそんなに離れて大丈夫なの? ここから店まで500メートルはあると思うけど。」


「あら、私を誰だと思って?」


三隹みとりさんは優しく笑った。どうにも彼女の表情と行動と言葉には同一性が無い。


「そう。まあ、別に私が知ったことじゃないわ。」


夏織かおりはそう言うと、自転車にまたがった。



 「外れ」だったことが悔しいのか、無駄足を三隹みとりに踏まされたことが苛立つのか、2匹目のまがりがいる場所まで夏織かおりは口をきかなかった。高1にもなって分かりやすい奴である。



 変電所がある細い通りで、夏織かおりは突然自転車を止めた。腕を横に出し、俺に止まるように無言で指示を出す。「当たり」だな。


「あの女。」


夏織かおりは小声で言いながら、前方50メートルをこちらに向かって歩いてくる女を指差した。



 「人避け」をしているにも関わらず、この距離まで近付いている時点で十二分に怪しい。女の背後だけ陽炎のようなものが見えた。不定形のまがりが取り付いた、と考えるのが妥当である。



 夏織かおりが俺を突っついた。


「確認してきてくれる?」


夏織かおりはバックから学校のジャージを出し、制服の上から着ていいる最中だった。


「分かった。下は着替えなくて大丈夫?」


上を着ても、スカートが汚れるんじゃないか?


はじめが女の方に行ってる間に着替えるに決まってるわよ。」


夏織かおりにど突かれた。脇腹が痛い。



 結界からはまがりの危険性と正確な位置が分からないし、目でみたらまがりかどうか分からない。本当、禍禊まがらいってアナログなんだよな……。



 俺は溜息を一つ吐く。自転車を止めて女の方に歩いていった。


「あのー、すみません。」


そう言いながら女の肩に手を置いた。触れて初めてまがりであると確定できる。面倒くさいったらありゃしない。



 とにかくこれで、まがりに憑かれていることは確信できた。


「え? 何?」


女は驚いたように俺の手を振り払った。おお、中身はまだ人間なのか。中々気が強そうな人だ。



 俺はこう言う時のお決まりの台詞を言う。


「いえ、怪しい者では無いんですけど……」


御免なさい。怪しい者です。禍禊まがらいとかいう凄く怪しい職業です。でも決して新興宗教の勧誘ではありません。



 女が抵抗しないうちに俺は特にこれといった効果を持たない弱いしゅを唱える。一般人を気絶させてまがりと分離するにはそれで十分だ。



 倒れる女が傷つかないように支えて、路肩の比較的綺麗な場所に女を置いた。まがりの方は路面に放置した。



 それと同時に、何かそれなりの大きさの物が一瞬にして背後を通過した。ビュンと通り過ぎたそれは、風という余韻を残して、女から分離されたまがりに噛み付いた。



 夏織かおりである。



 士示しし自体は結界を扱う家柄(最近は技術者不足)なのだが、彼女の得意攻撃は「噛む」「引っ掻く」「蹴る」である。結界、関係ぇねぇじゃねーか! 初めて見たときそう思った。



 俺は夏織かおりまがりと戦闘を開始したのを確認して、路肩に置いた女を背負いあげる。意識の無い成人女性というのは中々の重さがある。


夏織かおり、後は任せた。」


俺は言った。そして、女を負ぶって歩いく。幾ら何でも路肩に放置するのは可哀想に思えた。



 変電所の隣にあるアパートの階段に女を座らせた。数分もすれば気がつくだろう。


夏織かおり。」


俺は夏織かおりの方を見る。丁度、捕食中であった。黒いもやもやとした形のはっきりしない霞のような物を、噛み付いては引きちぎっていた。



 夏織かおりまがりを食べ終えて言う。


「ん?」


まだまがりの破片を口にくわえていた。そのくらい飲み込んでから話せよ……。


「大丈夫?」


俺は聞く。


「大丈夫よ。はじめは?」


残念ながら真意は理解してくれなかったようだ。


「うん。俺がしたのはこの人からまがりを分離して運ぶだけだから……この人、まだまがりが憑いてるってことは? 思ったより簡単に剥がれたから。」


簡単に剥がれたときは、中に残っていることがあるのだ。


「大丈夫。それも確認してあるわ。」


「そう……ああ、そうそう、最後の一匹は?」


「そこ。」


夏織かおりは口にくわえたまがりの断片で変電所を指した。


「とりあえず、それ、食うのか捨てるのかはっきりしろ。」


「ん。」


夏織かおりはそれをぺっと吐き捨てた。食わないならなぜ咥えた……



 夏織かおりは変電所の柵をよじ登る。


「来て。」


そう言われて、俺も柵をよじ登った。


「ここ、よく出るのよね。」


夏織かおりは呆れたように言った。



 確かにこの変電所はよく出る。週1回程度の割合でここにまがりがいたと報告が入る。更に、ここに出るまがりの7〜8割は敵対的なまがりとくるからタチが悪い。ある意味では若手の育成に役立っているらしい。



 3匹目は、1人目に続き3人目とした方が良さそうなタイプのまがりであった。


「下がって。」


夏織かおりが、俺の前に腕を出して、制止した。


「——人型は厄介よ。」


夏織かおりは小さな声で言った。


「言われなくても。」


俺は制服の懐に忍ばせてある札をすぐに出せるよう構える。



 3まがり夏織かおりより若干幼い少女の姿をしていた。変電所の裏で、裸で体格座りをして、尻尾が生えて、狐っぽい耳が付いているという状況を除けば普通の少女にしか見えない。要は明らかに異常だ。そこはかとなく怪しい。



 人型は7割型友好的だが、残りの3割程度の敵対的なまがりが強いから厄介なのだ。そしてここに出現するまがりの7〜8割は敵対的ときた。


夏織かおり、あのまがりの周りに結界張れる?」


「ええ。」


夏織かおりが2本揃えた指をすうっと下から上に線を描くように動かした。少女の周りに立方体の結界が張られる。こっちは正真正銘、士示しし家の結界だ。養子ではあっても部外者の俺には教えてくれない士示しし家の結界だ。


「少し話してみる。夏織かおりは三隹さんに連絡入れて。」


「え、ちょっと、危ないでしょ。」


「大丈夫、多分あの子、危なくない。」


と思う、と小さく付け加えた。


「勝手にしなさい。」


夏織かおりは携帯電話をスカートのポケットから取り出しながら言った。なんだ結局連絡はしてくれるのか。



 少女のまがりは栗色で癖の無い髪を肩まで伸ばしていた。俺はその少女の前に腰を下ろす。少女が俺を一瞥した。


「ねえ君。」


話しかけてみる。今度はちゃんと少女がこちらを見た。青に近い目をしていた。細部を見れば見るほど人間でないことが分かる。


「えーっと……、ここ、何処かわかる?」


意味不明な質問をする。俺は話しかけると言いながノープランであった。少女は静かに首を振った。


「名前は?」


またも少女は首を振った。



 少女が空を見上げる。俺もつられて見るが、特に何もない。既に暗くなった空にまがりが飛んでいた。なんの変哲も無いいつもの光景だ。


「……片羽かたはね


唐突に少女は呟いた。


「え、何?」


意味の分からない俺は聞き返した。


片羽かたはねが来る。」


少女はまたもそう呟いた。



 その時、横から強い風が吹いた。見れば体調3メートルはあろうかという白い狐がいた。


三隹みとりさん。」


俺は言った。夏織かおりの連絡から4,5秒——三隹みとりさんらしい速さである。


「この子?」


三隹みとりさんは人間の姿になりながら言う。


「はい。」


答えたのは夏織かおりだった。



 三隹みとりさんは少女の前に座った。


「結界、解いてもらっても良いかしら?」


夏織かおりは明らかに怪訝な顔をする。


「蛇の道は蛇。大丈夫よ。私が言うことを信用できなくて?」


三隹みとりさんは言う。夏織かおりは渋々と結界を解いた。


「怖かったわね。」


そう言って、三隹みとりさんは少女を抱きしめた。



 暫く少女の鳴き声が聞こえた。それから三隹みとりさんは少女を抱き抱えて言う。


「眠っちゃったみたい。この子は私に任せてもらえるかしら?」


「別に良いけど……。こっちで生活をさせるなら、ウチに連絡を入れてちょうだい。って良いかどうか他の禍禊まがらいに周知しないといけないから。」


「分かってるわ。」


三隹みとりさんは言った。その後、三隹みとりさんはまた狐の姿に戻り、少女を咥えて、どこかへ行ってしまった。恐らくいつもの古本屋に戻るのだろう。



 夏織かおりが座り込む。


「疲れたわ。はじめ、何か買ってきなさい。」


夏織かおりは俺を何だと思ってるんだ。」


「何って……、便利なパシリでしょ?」


「お前な……」


夏織かおりはクスクスと笑った。悔しいが、夏織かおりのこの笑顔の可愛さは認めざるを得ない。


「そこに自販機あったでしょ。何か買ってきなさいよ。」


夏織かおりは財布から160円を出しながら言った。



 さっきのアパートの近くに自販機はあった。既に女はいない。夏織かおりの好みはよく分からない。だが全商品の中で唯一160円の物があった。


「あいつ、まさか、これを買って来いという意味で160円渡したのか?」


自販機の商品なんていつ確認したんだよ。ちゃっかりしてるだよな……


 ん、と買ったサイダーを夏織かおりに突き出す。


「よく分かったわね。偉いわ。」


「160円の物はこれしかなかった。」


「そう。」


夏織かおりは言って、ペットボトルの蓋を開ける。プシュッと清々しい音がした。



 夏織かおりはそれをゴクゴクと飲む。CM張りの美味そうな飲み方をする。半分くらい飲み終わったところで夏織かおりが聞いてきた。


「飲む?」


「ああ。」


俺はそれを受け取って飲んだ。


「間接キス。」


夏織かおりがニヤニヤと笑う。夏織かおりは実に性格が良い。


「は?」


キャップを閉めながら俺は言う。始めからそう言うために俺に飲ませたのだろう。こいうのには乗らない方が良い。


「ヘンタイ。」


夏織かおりが言った。ジトッと睨んでくる。


「おい。」


はじめのストライクゾーンが広いのは知っていたけど、まさか妹まで含めているなんて……。お兄ちゃんはこんなウブな少女に何をする気なの?」


夏織かおりは芝居がけて言う。


「いつストライクゾーンが広いと言った? それに、お前は絶対ウブじゃ——」


唐突の腹パンを夏織かおりに加えられた。痛い。死ぬかと思った。昼飯から時間が経っていたのが幸いだ。


「ウブで可憐な少女。」


夏織かおりはニコリと微笑んだ。笑顔"は"可愛い。

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