幻の部活

「ふぇぇぇん、痛いよ~」

「うっさい。明里が悪いんでしょ」


 隣で明里が泣き言を口にするが、私はそれを一蹴する。


 買い物を終えた私と明里は並んで歩いていた。二人して両手には大きな買い物袋を携え、学校へと戻ろうとしている。


「何も殴ることないじゃない。口だけで私は理解できる子だよ?」

「嘘をつけ! さっきのやり取りをもう忘れたか!」


 私は数分前の出来事を振り返る。


 ****


 出会い頭一番に明里の頭を殴り、一通り説教をしてから委員長に頼まれた買い物を二人で済ませる。代金を払い、急いで帰ろうとした時、すぐ側にあったたい焼きの出店の前で明里が立ち止まって眺めていた。


「ねぇ、由衣。美味しそうだね」

「そうね」


 明里の言う通り、屋台から昇る煙に乗せられるように甘い香りがそこから漂っていた。匂いからしてオーソドックスなアンコとカスタードクリームの二種類がメニューなのだろう。そして、生地の焼ける香ばしさが鼻孔をくすぐり、まだ食べてもいないのに口の中にはたい焼きが存在しているかのようだった。


「ねぇ、由衣――」

「ないよ」

「まだ何も言ってないよ!?」

「言わなくても明里の次に言う言葉なんて容易に想像つくわよ」

「じゃあ、せ~のっ! で言ってみる?」

「いいわよ。せ~のっ――」


「「たい焼き食べていかない?」」


 はい、見事にハモりました。しかも、一字一句、寸分の狂いもなく。


「お~う。見事に当たりましたな、旦那」

「誰が旦那よ。でもほら、ちゃんと当たったでしょ?」

「うん。よし、じゃあ買っていこう!」

「ちょっと待て。何よ、じゃあって」

「ええっ!? 当たったら買ってもいいんじゃないの!?」

「そんなルールいつ決めた!?」


 私は明里の発言に驚くが、明里はもっと驚いていた。目を最大限に見開き、口もパクパクと開閉していた。


 いやいや、何でそんなに心底驚いているの? 誰も買うなんて言ってないよ?


「だいたい、たい焼き買うお金なんかないじゃない。明里は財布を忘れたんでしょ?」

「えっ? 何言ってんの? あるでしょ? 由衣のポケットに」


 明里の言う通り、たしかに私のポケットには現金が納められている。しかし……。


「これは委員長から渡された経費でしょ。使えるわけないじゃない」

「由衣こそ何言ってるのよ。お金は使ってなんぼでしょ」

「うん、明里。少し黙ろうか」


 話の根本が変わりつつある気配を察した私は、一端話を中断させる。


 たしかにお金は貯めるか使うかの二通りしか存在しないだろう。特に、私達高校生は貯めるよりも使う方に特化した年代だ。明里の言うことも一理はある。だが、その使うお金が問題なのだ。これが明里の財布の中身なら何も言うまい。しかし、今手元にあるのはクラスの文化祭用に用意された経費だ。個人の欲のために使うものではない。


「大丈夫だよ、由衣」


 そう言うと明里はグッ、と腕をこちらに伸ばし親指を立てた。


「これはたい焼き。食べてしまえば証拠は残らない!」

「うん。お釣りでバレバレだから」


 ケチ~、と駄々を捏ねる明里。


 何がケチだ。そんなことをしたら説教どころの話ではなくなる。使ったが最後、周りから冷たい目で見られるのだ。おそらく、卒業するまで。


「そもそも明里、あんたがそんなこと言える立場? 明里が買うメモを忘れて、しかも財布まで忘れたからこんなことになったんでしょうが。私が来なかったら明里、ずっとここに――」

「あっ、おじさん。たい焼きくださ――」

「そぉぉい!」

「ギャン!」


 抱えていた荷物を振って明里の頭上に炸裂させる。次いで腕を取ると、明里を引き摺るようにして私はたい焼き屋から離れていく。


 後ろから聞こえてくる、出店から流れてきた曲が今の私の心情を表していた。


『ま~いにちま~いにちぼくらは鉄板の~、上で焼かれて~イヤになっちゃうよ~♪』


 もう、本当にイヤになっちゃう。


 ****


 という出来事が先程繰り広げられ、私は余計な体力を消耗しぐったりとしていた。


「もう、明里の食い意地には本当に負けるわ。少しは抑えてよ」

「いや~、やっぱ甘いものには目が奪われちゃうでしょう」

「その気持ちは分かるけど、せめてプライベートだけにしてちょうだい。文化祭の経費で食べるとかやっちゃダメだよ」

「いやいや、私本気じゃなかったよ? さすがに文化祭の経費で食べるとかしないから。それぐらいの分別はあるよ?」

「嘘を吐く口はその口か~!」


 明里の口に両手の人差し指を入れ、横にグイグイと引っ張る。


「い、いひゃいよゆひ! はなひて~!」

「よくもまあそんな心にもない事が言えるわね。どっからどう見てもガチの目をしてたじゃん。獲物を狙う獅子の目をしてたじゃん」

「ほんほはっへ~。ひんひてよ~」


 涙目になる明里を見て、このくらいで勘弁してやろうと思った私は手を離した。


「う~、ほっぺが伸びる~」


 解放された明里は頬に手を当て、円を描くようにマッサージを始める。


「あっ、そうだ。ねぇ、由衣」

「何?」


 落ち着いたのであろう明里が、何かを思い出したかのように私に尋ねてきた。


「ウチの学校、部活動が結構あるじゃない? いくつあるか知ってる?」


 唐突であったが、明里といるとこういう事は日常茶飯事だ。慣れている私は明里の質問に頭の中で数え始める。


 知っている限りでは運動部ではテニス、バスケ、バレー、サッカー、野球といった球技に、柔道、空手、ボクシング等の格闘技、剣道や陸上、体操、水泳部もあったはずだ。


 文化部では吹奏楽、美術、科学、演劇、書道、文芸、茶道等があった気がする。


 数え終えた私はその部活動を順に伝えた。


「うん、だいたいそれぐらいよね。他にも部じゃないけど、サークルというか愛好会みたいなものもあるみたいだよ」

「へぇ~。そんなのが存在するんだ」

「まあ、この愛好会は同様の趣味の持ち主の集まりであまり公になってないから、知らない人の方が多いんじゃないかな」


 入学して約半年。私と明里は帰宅部で部活動には入っていない。中学の頃はテニスをしていたが、あまり楽しくやっていた記憶がなく、高校まで続けるつもりはなかった。運動することは嫌いではない。高校では何か別の部活でも始めてみようか、とも考えたが、結局はどこにも属していない。多くの者は経験者で、その中で未経験者の自分が入り込むのは気が引けたし、部活紹介を見たり実際の活動を眺めたりもしたが、どうもピンと来なかったのだ。そして、あれこれ悩んでいるうちに入部申し入れの期間が過ぎ、自動的に帰宅部へとなってしまった。


 明里も似たような時間を過ごしたらしく、同じ境遇同士ということもあり私達はすぐに仲良くなった。それも親友と言えるほどまでに。


「でもね、それ以外に学校のプロフィールにも載っていない部活が存在するんだって」


 過去に意識を向けていたが、明里の言葉に現在へと戻される。


「プロフィールに載っていない部活? それ、ただその部活がないだけでしょ?」

「違うよ、本当にあるんだって」

「じゃあ、何で載ってないのよ?」

「分からないのよ、それが」


 ブンブンと頭を横に振る明里。


 部活動は基本、学校の紹介に使う項目の一つだ。載せ忘れとも考えたが、そんなことが起こり得るのだろうか。


「それなんの部活? 今挙げた以外だとバドミントンとか合唱部、それから囲碁部? に将棋部、あとは――」


 考えられそうな部活動の名前を次々と挙げていくが、明里の口からは斜め上をいく解答が告げられた。


「セイタン部、って言うんだって」

「セイタン部?」


 聞いたこともない部活動だ。一体どんな活動をするのだろうか。いや、そもそもどんな字を書くのか分からない。生誕? 星誕? それとも何かの略称だろうか。


「それ、どんな活動をするの?」

「う~ん、噂では生徒の悩みを解決する相談所みたい、とか」


 ああ、なるほど。徒の悩みを相して解決するから『生談部』とでも言うのだろうか。それならなんとなく理解できる。


「あとは、何かの生物を黒魔術で誕生させようとしているとか」

「待て待て待て。さっきと高低差が激しい。それ部活の域を越えてるじゃない」


 生物の誕生とか一介の高校生が、というか誰であろうと無理だろう。


「私だってよく知らないわよ。でも、セイタン部っていう部活があることはたしかなのよ」

「嘘くさ~」


 訝しげな目を向け、私は半信半疑、いや、八割疑いを持っていた。本当は十割と言いたいところであるが、明里の真剣な眼差しから彼女が私をからかってはおらず、作り話ではないと判断できたことから全否定が出来ないのだ。


「その部活の存在はたしかにあるのに、誰もその部員や部活動を見た者はいない。だからね、その部活は幻の部活と呼ばれているの」

「嘘くさ~」

「もう由衣、信じてよ~」


 腕をポカポカと叩き、明里が私に迫ってくる。荷物を持っているせいか、その打撃はとてつもなく弱い。


「でも、その……セイタン部? がどうかしたの?」

「いや、もしさっき言ったみたいに相談に乗ってくれる部活だったら行ってみたいな~、って」

「ええっ!? 明里、悩みなんかあったの!?」

「あるよ! 私だってお年頃の女の子のよ? 悩みの一つや二つあるに決まってるじゃない!」

「ちなみに、その悩みというのは?」

「お小遣いが上がらなくて困ってる」


 くっだらね~。


「あっ! 今くだらないとか思ったでしょ!?」

「いやいや、そんなこと」

「由衣にはくだらなくても、私には大問題なんだから!」


 喚き立てる明里をどうどう、と馬をなだめるように落ち着かせる。


「はいはい、明里には深刻な問題なのよね。んで、何で急にお小遣いが上がって欲しいのよ?」

「だって、お小遣いがあと五百円上がるだけで――」

「五百円上がるだけで?」

「――帰り道にある揚げ物屋のコロッケが週に四日食べれるようになるのよ!」


 やっぱくっだらね~。


 力説する明里には悪いが、私には本当にくだらない悩みである。


 その後、明里はその揚げ物屋の美味しさを伝えようとし始めたが、前方にある時計台を見上げ時刻を確認すると、私が出てから一時間近く経っていた。普通なら四十分くらいで往復できる距離なのだが、どうやらのんびりしすぎたようだ。


「やばっ、時間掛けすぎちゃった。ほら、早く戻ろう」

「え~? ゆっくり帰ろうよ~。荷物も重いしさ~」

「ダメよ。ウチのクラス本気で進行具合が良くないらしいから、早く戻って手伝わないと」

「だからゆっくり帰ろうよ」

「ダメだって言ってるでしょうが」

「由衣さんや。わたしゃもう歳での~。早くは歩けんのじゃ」

「高校の制服を着た婆さんがどこの世界にいる。そういう台詞は還暦を迎えてから言いなさい」


 ああ言えば駄々を捏ね、こう言えば駄々を捏ね……まるで子供を相手している母親のようだ。


「んじゃあ、由衣は先に帰っててよ。私は自分のペースで戻るから」

「……そう。分かったわ」

「おっ、さすが親友。話が分かる――」

「先に戻って委員長に、明里が経費でたい焼きを買おうとしたこと報告しとくわ」

「ゲッ! ひどいよ由衣! 親友の私を売る気!?」

「明里が遅れて行くと言うんだからしょうがない。さあ、早く戻って委員長に――」


 ヒュン! と目の前を影が横切り、振り向くと猛スピードで走っている明里の後ろ姿が見えた。重いと言っておきながら荷物をしっかり肩に掛け、なんの負担もないかのように猛然と駆けている。


「走るまでは必要ないと思うんだけど――って明里、待ちなさい! 私を置いていくな!」

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