第38話 望まぬ再会

 ミンフィールド高地は小高い山々に囲まれた高原地帯にある。ルナトゥーラをぐっと縮小したような雰囲気の土地だった。遠目に白亜の城が望める場所で、トリアンとシンノ、3人の影衆が地上へ舞い降りた。特務艦はそのままルナトゥーラへと引き返していった。


「では、我々はここで」


 影衆3人が黙礼をして木々の間へと駆け込んで行く。


「師匠・・先に行くね?」


 シンノも不安げに振り返りつつ、カルタナの街に向かって駆け出した。

 遠ざかる真っ白な尻尾を見送りつつ、空を振り仰げば、どこまでも澄み渡った蒼穹に陽光が眩しい。


(始まったか)


 森の中でルナトゥーラの影衆と、どこかの影者達が交戦を始めたようだった。

 カルタナの領主と闇の民の2つの勢力は影者を使っているだろう。そして、影者なら街を一望できる森に潜んでいないはずが無い。森から街までは街道の整った平原だ。残りは町中や城内だろう。

 ここまでは、予想の内だ。

 トリアンは森を出て、街道を歩き始めた。


(スイレン、上空へ上がれ)


『はい』


 トリアンの眼にしか映らない、淡く輝く真っ白な睡蓮が蒼穹へと浮かび上がって行く。

 スイレンが見るものを、トリアンも見ることが出来る。

 これに、危険探知マーカを重ねると、索敵の範囲は一気に拡大された。

 森の中で次々にマーカが消されていた。全体の数は見えていなかったが、ルナトゥーラの影衆がきっちりと仕事をしているようだ。

 シンノの銀毛の尻尾が城門をくぐったのを見届けてから、トリアンは小走りになって街道を駆け抜けた。

 身を隠すものが何も無い、綺麗に晴れ渡った日差しの中、街道を駆けるトリアンの姿がすうっと消えて行った。足音も、衣服が風をはらむ音もしない。

 街道から繋がる城門を抜け、跳ね橋を渡って格子門を潜ったところで、まるで元から居たかのように黒衣のトリアンが歩いていた。

 黒い袖無しの作務衣のような衣服に、足首を絞る革の半長靴という姿は、行き交う人々の中には見かけない珍しい格好だったが、時折擦れ違う獣人の行商人の中には似たような格好の者達がいた。


(・・ふうん)


 スイレンの上空からの視線で見渡すと、行く手の白亜の城から放射状に道が延びていることが分かる。ほぼ円形の城壁に囲まれた街だった。

 赤茶けた色の屋根が多く、所々に灰色の屋根の家が混じる。壁は木と煉瓦を合わせた建物が大半だった。

 街の北側の門から続く道の先には駐機場がある。

 かなり大型の飛行艦が2隻も駐機していた。どちらも、定期航路を飛ぶような飛行船とは用途の違う、明らかな戦闘艦である。

 町中に糞尿の臭いはない。

 魔導による下水の管理が徹底されているのだろう。

 区画のされ方も、行き交う人々の衣服、表情などを見ていても、生活に困窮している様子は感じられなかった。


(・・良い治政者が居るということか)


 トリアンは内心で大いに感心しつつ、いつもの無感動な顔で町中を散策するように歩いて城へと向かった。

 向けられる視線はあったが、探知マーカが点灯するほどのものは無い。

 無謀なスリの子供が突進してきた事はあったが、ぶつかることすら出来ずに過ぎていった。

 スイレンを先に行かせて、白亜の城を上空から丹念に観察してみたが、堅城というより純白の城館を中心にした庭園といった様相だった。


『五重の結界がございます』


「ほう・・」


『形状は円形、地下まで覆っております』


「魔法の阻害か?」


『許可無き者の魔法形成を阻害するものですね。逆に、許可を得た者の魔法は強化されるようです』


「優秀な術者が居るな」


 トリアンは感心した。

 取捨選択型の結界魔法は難しいのだと、クドウが言っていたのを思い出した。

 その術者が、街の魔導整備にも尽力したのだろう。


「戻れ」


『はい』


 睡蓮の白花ががトリアンを包み込むようにして身中へと戻って行った。


(ふむ・・)


 結界に踏み入ったらしい。

 正面に城の正門を見ながら真っ直ぐに歩いて行くと、気づいた衛兵が斧槍を手に二重に列を作って構えた。


「何用だ?」


 年配の衛士の落ち着いた声音を聴きながらトリアンは軽く眉根を寄せた。

 豪奢に聳える城館に危険探知マーカが灯ったのだ。

 色は、赤。


「先に入った銀毛の狐人の連れだ」


 無駄だろうと思いつつ答えてみる。


「・・聴いておらぬな」


 衛士が当然の反応をする。

 トリアンは、強引に突破しようかと考えて、弾かれたように背後を振り返った。


(なんだと!?)


 驚愕に双眸を見開いた。

 黒塗りの装甲浮動車が近づいて来ていた。方向からして、北の駐機場から来た浮動車らしい。魔導で浮いて進む車は、有力貴族なら何台か所持している。そこまで珍しい物では無いのだが・・。


「カルーサスの・・」


 見覚えのある黄金大蛇の紋章が車体に描かれていた。

 当然のように、車中に危険探知マーカが点灯している。色はもちろん赤だ。


(・・なるほどな)


 クドウがトリアンを行かせた理由がこれだろう。どこまで占いで視ていたのか知らないが、カルーサス家が絡んでいるとなると、シンノ1人では荷が重い。

 トリアンは脇へ寄って道を空けた。

 衛士達が慌てたように整列し直して、出迎えの形をとった。

 横幅が3メートル、長さは8メートルの大きな車体である。魔導の仕掛けとはいえ、よく浮かんでいられるものだ。

 通り過ぎるかと思って見ていたら、停車して側面の扉が開かれた。中から、あまり会いたくない巨漢の老人が姿を見せた。


「若君が御出とは伺っておりませんでした」


 重甲冑に包まれた巨躯がゆっくりと近づいて来る。

 相変わらずの威圧感だ。


「おれも、貴様が来るとは聴いていなかったな。こんな田舎町に何のようだ?」


 トリアンの受け答えに、衛士達が息を呑んだ。

 衛士達はこの巨漢がどういう人物なのか知っているということらしい。

 ゴルダーンはそれには答えず、


「中で、御館様がお待ちです」


 身を脇へどけてトリアンに浮動車へ入るよう目顔で促した。


「お・・お待ち下さい!そ・・その少年は?」


 衛士が勇気を奮い起こして声をかけた。


「トリアン・カルーサスだ。顔と名を覚えておけ」


 トリアンは吐き捨てるように言って、ゴルダーンの前を通って分厚い装甲が張られた浮動車へと入った。内扉を開けると、細い通路があり、顔を向けるとビロードを張った座席に、見覚えのある壮年の男が座っているのが見えた。両脇に座っている若い女達には見覚えが無かったが、2人の女には赤い危険探知マーカが灯っている。ただの情婦という訳では無いのだろう。


「久しいな、トリアン」


 カルーサス家の当主が馴染みのある硬質に冷えた口調で声を掛けてきた。


「少し老けられましたか」


 トリアンは当主を正面に、左右の女達を等分に見ながら答えた。


「5年だ。年も取る」


「あいつは老いた様子がしませんが・・」


 トリアンは通路の背後を塞いで佇立した巨漢を半身に振り返った。


「くくっ・・あれは化け物だ。老いるものか」


 当主が喉を鳴らして笑った。


「おまえが来ておるのなら、少し趣向を変えた方が楽しめそうだな」


「闇の民に、カルーサスが何の用です?」


「帝室の用命だ。帝は化けた銀狐を飼うおつもりらしい」


「・・ほう」


「その前に、誠に上位種たるか、力量を測って参れとのお達しでな・・・何か可笑しいか?」


「失礼・・大変に楽しい事になりそうで思わず」


 トリアンは小さく頭を下げた。


「ここに来たということは、おまえは銀狐を知っておるな?」


「ええ、よく存じておりますよ」


「・・どうだ?」


「紛れもなく上位種・・仙狐に進化しております」


「妖狐では無く、仙狐・・だと?」


 カルーサス家の当主が苦く眉をしかめた。


「はい」


 頷きつつ、トリアンは右に座る女の顔を見た。白銀の髪に色の濃い碧眼、両耳に黄金の耳飾りが揺れている。肌を出さない上品な長衣を纏っていたが、豊麗な肢体の隆起は隠せない。


「・・銀の使徒」


 トリアンの呟きに、一瞬、女の双眸が鋭く細められた。すぐに平静な表情に戻ったが、もう1人の女の方も気配が変わっていた。


「ほう、おまえに伝手があるとは聴いておらぬが・・この者達を知っておるのか?」


 カルーサスの当主が訊ねた。


「いえ、以前に少し世話になったんですよ。一方的にでしたが・・」


 トリアンは薄く笑った。


「その者達を使うには、いったい幾らかかるのです?」


「最低でも竜金一本だな・・しかし、金を揃えたところで、カルーサスの継承権を持たぬ者には招聘できんぞ?」


「おや、そうでしたか・・それは残念」


 トリアンは興味を失ったように2人の女達から視線を外して後背のゴルダーンを振り返った。

 城館に着いたらしい。浮動車が停車したようだった。


「同行を許す」


 カルーサス当主の声に頷きつつ、ゴルダーンに続いて車の外へと出る。

 先に車外に出て待っていたゴルダーンの視線に、ふんと鼻を鳴らして応じ、トリアンは館の正面に並んだ出迎えの者達に視線を向けた。

 華奢で細い者達ばかりが並んでいた。

 トリアン自身も、人のことを言えないくらいの細身だが、居並んでいる者達は異質な容姿である。


(これが、妖精族というやつか)


 繊細に整った面長な美貌に、尖った長い耳、触れれば折れそうなほどに細い四肢をしている。肌は怖いくらいに白く、見事な白金色の髪に灰緑色の瞳をしていた。

 脇へ道を譲って頭を下げたトリアンの前を、カルーサスの当主が女魔導師を引き連れて過ぎる。ゴルダーンが背を護り、最後尾をトリアンが歩く形になった。

 館の出迎えの者達と、カルーサス当主が短く言葉を交わして、館の内へと招き入れられた。


(天井が高いな)


 この城館が大きな建物だということを差し引いても、15メートル近い天井高は不自然なくらいにだ。


(・・なるほど)


 天井に組まれた太い木組みの梁に、射手が潜んでいるようだった。

 危険探知マーカは黄色い。

 案内されたのは、大きな聖堂のような広々とした円形の塔内だった。

 中央に円柱状の円卓が備え付けてある他は何も無い。

 円卓を挟む形で、黄金色の刺繍で彩った長衣を羽織った長身の男と、褐色の外套を着て目深に頭巾を被った小柄な者が四人、そして銀狐の少女が立っていた。長身の男は妖精族と同じように尖った長い耳をしている。ただ、肌は褐色に近く、髪は真っ白で瞳は濃い青色をしていた。

 その長身の男の視線が、トリアンへと向けられて留まっている。

 待つほども無く、別の一行が入って来た。

 一目でここの城主だろうと想像がつく美麗な容姿で、銀色の軽甲冑に銀色のマントという姿で甲冑姿の騎士を5名連れていた。

 簡単な社交辞令が交わされ、それぞれが持参の書類を円卓へと置いた。妖精族が裁定者といった立場らしく、それぞれの書類を手に内容の確認を行い、付与されている魔導印を確かめていた。


「双方の契印書類は確認した。その上で問いたい。ジュセルタ・カーン殿は何を持って、この契印に異を唱え、マンデル・カルーサス殿に賠償を求めるのか?」


 妖精族の裁定者がシンノの横に立つ長身の男に問いかけた。


「知れたこと、我が娘シンノに、カルーサス家の末子を婿として差し出す約定を違えたからだ」


 待ち構えていたのだろう、ジュセルタという男が吠えるように言いながらカルーサス当主を睨み付けた。


「マンデル・カルーサス殿?」


「5年前、そちらのお嬢さんは行方知れずになっておられた。行方の知れぬ者のところへ、我が子を婿入りさせろというのは乱暴な話だな」


「ざ・・戯れ言を抜かすな!こうして、我が娘は、ここにおるではないか?」


「そう・・つい先ほど、感動の対面を果たされたようで何より」


「それは、そちらの・・カルーサスの末子にしても同じ事っ!」


「その通りです。我がカルーサス家も、そちらの要望に従い、末子トリアンを婿入りさせるべく、過日、飛行船にて送り出しました。その飛行船が不慮の事故で墜落したことは、こちらのアースニング殿にもお伝えしてある」


「だが、どうであれ、我が方にそのトリアン殿が到着しなかったことは事実であろう?」


「婿入りする先・・シンノ殿が行方知れずだったのも、また紛れもない事実。それについて、アースニング殿には何の連絡も無かったとか?」


「・・伺っておらぬ」


 妖精族の裁定者が頭を振った。


「・・何らかの手違いだ。使者は送っている」


「どこへ送ったのかは存じ上げぬが、現にこうしてアースニング殿はご存じないのですぞ?」


「何かの間違いだ!」


(・・なるほど)


 この辺まで聴けば、おおよその事情が飲み込めた。

 ちらと銀狐の少女を見ると、赤い顔をしてスカートの膝を握っている。


(あいつ、カラスがどうとか・・・生け贄がどうのと・・)


 溜息しか出ない。

 7歳の少女の勘違いと思い込みなのだろうが、とんだ誤情報の混線である。

 カラスではなく、カルーサスだったのだ。

 周囲の大人が家のために望まぬ婚姻をさせられるシンノのことを、生け贄だと表現したのだろう。どこでどう聞き間違ったか、"鴉"と"生け贄"という単語だけがシンノの中に残ったらしい。


「これは、当人に訊きたいのだが・・」


 アースニングという妖精族の裁定者が、シンノとトリアン双方を見比べるようにした。


「まずは、トリアン・カルーサス殿、墜落事故を起こした飛行船に乗っていたのかな?」


「はい」


「どうやって生き残ったのか、興味深いところだが?」


「運良く」


「・・ふむ」


 しばしトリアンの無表情な顔を見つめてから、アースニングはシンノを見た。


「そちらは・・シンノ殿は7歳の時に行方知れずになっておられたようだが?」


「ししょ・・魔物に襲われて連れ去られたところをトリアン様にお救い頂き、しばらく生活を共にしておりました。その後、縁あってルナリア学園に入学を認められて現在も在校中です」


「ほぅ・・それはまた波瀾万丈な・・」


「なんだとっ!?聴いておらんぞ!」


 騒ぎ立てたのは、ジュセルタ・カーンである。


「今、わたしが話をしている。しばし、ご静聴頂きたいが?」


 アースニングがやんわりと窘めた。

 なおも声を上げそうになりながら、ジュセルタが火が出るような形相でシンノを睨み付けつつ、青筋を浮かせながら沈黙した。


「御年12歳になられたばかりのはず。それでルナリアに入学を認められるとは、よほどの才がおありなのでしょう」


「良い師匠に巡り会えました。幸運を神に感謝いたします」


 シンノがしれっと言った。


「なるほど・・そして、そのシンノ殿にとって、トリアン殿は命の恩人・・共に暮らした時期もある・・と」


「発言よろしいか?」


 マンデル・カルーサスが声をかけた。


「どうぞ」


「その辺りの事は、当方も把握できておらぬ事。ただし、そこのトリアンはすでに当家より出した者です。当家はあの飛行船の事故で、末子は死亡したものと帝室に届け出ておりますので、どちらにせよ、そこのトリアンは当家に関わりの無い者になります。それを踏まえた上での裁可をお願いしたい」


「・・理として理解できますが、情としては胸の痛む話ですな」


 アースニングが苦笑した。


「元より、我が裁可は、届け出られた契印書類についてのみ。両家のご内情は考慮の外です・・・審理の宝珠をこれへ」


 命を受けて背後の騎士が台車に乗せた大きな水晶体を運んで来た。

 アースニングがトリアンを見て声を掛けようとする。


「片方の真否を確認すれば良いのだろう?」


 トリアンはその場を動こうともしない。

 すかさず、


「わたしが・・」


 シンノが水晶体の前に進み出た。


「・・ふむ、まあ・・ではシンノ殿、先ほど語られたことを確かめさせて下さい」


「はい」


 促されるまま、シンノが水晶体に片手を着けた。


「7歳の時、魔物に掠われたのは事実ですか?」


「はい」


「・・どのような魔物でしたか?」


「蜘蛛の魔物だったようですが、囚われて意識を失ったところを、別の・・蜂の魔物が奪ったそうです」


「蜘蛛の魔物は分かりますが、気を失っていたのに、蜂の魔物だとどうして分かったのです?」


「救って頂いたトリアン様に教えて頂きました」


「ふむ・・場所はどこなのです?」


「西方の大湿原です」


「なるほど、その後、トリアン殿と共に暮らしていたと仰っいましたが、事実でしょうか?」


「はい」


「大湿原は、周辺に比して魔物の数が多く、その強さもまた別格・・伺っている通りならば、当時トリアン殿は12歳、シンノ殿は7歳・・・幼い2人だけで湿原を生き延びたのですか?」


「はい」


「・・・ふむ」


 水晶体の色が青みがかったまま変化しない。

 アースニングがちらとトリアンに視線を向けたが、トリアンは不快げに眉をしかめたままそっぽを向いていた。


「あの湿原には、十首を超えるヒュドラが住み着いていたはずです。あれに見つかって無事にすむとは思えませんが・・」


「裁可に必要な質問とは思えないが?」


 トリアンは刺すような視線を向けた。


「・・失礼した。確かに、逸脱したようだ・・謝罪しよう」


 アースニングが軽く頭を下げた。


「ルナリア学園に入学されたのはいつのことです?」


「入学して1年と半年になります」


「中等部に進まれたところでしょうか?」


「高等部に在籍しております」


「・・優秀でいらっしゃる。あの学園で・・飛び級なさっているとは」


「もう、良いでしょうか?尋問されているようで落ち着きません」


「あ・・ああ、もう結構ですよ。ご協力感謝します」


 アースニングが苦笑気味に笑って頷いた。

 水晶体から手を離したシンノが、元の場所へ戻らずに、とことこと歩いてトリアンの横へ並んだ。


「お、おいっ・・きさ・・おまえっ、シンノ!」


 ジュセルタ・カーンが怒りに歪んだ声を絞り出した。

 続いて、怒りにまかせて何やら怒鳴り散らしたようだったが、この場に居る誰の耳にも届かなかった。口を開け、腕を振りかざして何らや言っているらしいのだが・・。


「・・・これは、音を遮断?この魔封の塔内で上級魔法を?」


 アースニングが信じられぬものを見るようにシンノを見た。

 "銀の使徒"達も驚いた顔を向けている。詠唱も魔力の高まりすら感じさせずに、一瞬で術を発動させたのだ。


「それで、裁可とやらはどうなった?」


 沈黙を保っていたトリアンが口を開いた。


「シンノ殿の言葉はすべて真実でした。不慮の事故によるすれ違いはあったにせよ、両人が出会い暮らしを共にしたことは事実。両家より示された契印書類は完遂されたことが認められました。カーン家よりの賠償請求は棄却いたします」


「・・よくやったと褒めるべきだろうな」


 マンデル・カルーサスがトリアンを見据える。


「影に褒められても喜べぬよ、下郎めが調子に乗るな」


 トリアンは吐き捨てるように言った。

 一瞬で場の空気が冷え切る。

 銀の使徒2人が薄らと笑みを浮かべ、ゴルダーンがゆっくりとトリアンに向き直る。


「聞き捨てなりませんな」


 アースニングが眼光を鋭くした。視線の先には、マンデル・カルーサスが居る。


「おまえらの幻術もこの程度ということか・・」


 苦々しく言い放ったマンデル・カルーサスの姿がじわりと変じて、背丈も体格も全く別の男になっていた。


「上には上が居るという事ですわね。まさか、カルーサスの坊やに見破られるとは思っても見ませんでした」


 銀の使徒が笑みを浮かべたままトリアンを流し見る。


「・・その方、この場を裁可の地と知って幻術を弄したか」


 アースニングが腰の剣へ手をやった。後ろで5人の騎士達が抜剣する。


「グラウス・サイレールと申す。帝室、八大貴家が一家の出とご記憶頂こうか」


「この場を汚した理由を述べよと申しておるのだ。サイレールの縁者とやら?」


 アースニングがゆっくりと腰剣を引き抜いた。

 これで、決着はどちらかの死によるものになった。


「浅慮は身を滅ぼすと知らぬのか?妖精の末とは長寿と聴くが・・・永い生に飽きたかな?」


 グラウスが鼻で笑う。


「家宰ごときが、勇ましいことだ」


 囁くような声が耳元で聞こえ、グラウスが慌てて振り返った、そこで銀の使徒の2人が死骸となっていた。


「飼い主に牙を向けた罪を知れ」


 剣を朱に染めて、トリアンの双眸が射貫くようにグラウスを見ている。


「き・・貴様・・」


「下がれ、下郎めが」


 トリアンがゆっくりと剣を振り回して、グラウスを遠ざけた。自然、グラウスは尻餅をつくように後退ってしまった。


「おいっ!」


 鋭く声を掛けられて、グラウスがぎょっと振り返った。

 そこに、怒りに顔を染めたアースニングが立っていた。


「妖精の血を蔑っする発言・・聞き逃すことは出来ぬぞ」


「・・・くっ、ご、ごるだ・・」


 グラウスが必死の顔で巨漢の老武人に助けを求めかけた、そこをアースニングによって叩き斬られた。


「表へ出ろ」


 トリアンはゴルダーンに向かって顎で外を指し示した。


「腕をおあげになられた」


 ゴルダーンが喜悦を押し殺すようにして笑みに口元を歪める。

 相も変わらぬ、夢に出そうな顔であった。

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