第31話 銀狐、散るっ!
トリアンとシンノの組み手は夜に行われた。
周囲1000メルテに人の住まない場所を選んで行われた。ぎりぎりの距離で、遠眼鏡を使って観戦していたサイリ達、影衆や騎士、戦士団など、色々と信じていた常識が崩壊するような衝撃を受けてしまった。
今まで信じていた強さの基準、これだけ出来れば強者だという物差しが、赤子の玩具でしか無かったと思い知った。ルナリア学園都市の闘技大会ですら、幼児の徒競走に過ぎなかった。
それほどの衝撃的な組み手だったにも関わらず、シンノが怒られていた。
いったい何をやっていたんだと、厳しい叱責を浴びていた。
拳で頭を叩かれて、蹲って呻いていた。
シンノその人が魔神だと言われても信じてしまいそうなほどに、凄まじい魔法の数々を放ち、とてもじゃないが眼では追えない速さで鮮やかな体術を駆使して息を呑むほどの連撃を繰り出していたのに、遅すぎると怒鳴られ、無駄に動くなと叱られ、魔法の発動が遅いだの、種類が見え透いているだのと駄目出しされる。
見物していた誰もが、いつしか拳を握って銀毛の狐娘を応援していた。
何度も打ちのめされ、地面を転がされても立ち上がり、歯を食いしばって立ち向かってゆく健気な姿は見ている者の心を打った。組み手は、夜更けまで延々と続けられて唐突に終了した。
「今のは良かった」
トリアンから褒められ、輝くような笑顔で両手の拳を握るシンノの姿を見てルナトゥーラの戦士達の中に新たな銀狐ファンが誕生した。
そんな一幕があった翌朝からの魔法訓練である。
集まった誰も彼もが悲壮な覚悟を決めていた。銀狐の少女があれほど頑張ったのだ。自分達が逃げ出す訳にはいかない。
指定の広場に集まったのは3000名。男も女も居る。みんな魔導書の写本や自作の備忘録を足下に置いていた。
遠目に歩いてくる黒づくめのトリアンの姿を見ただけで、脂汗が滲み、歯の根が震える者まで居る。
「おはよう」
トリアンの声に、総員が背筋を伸ばして硬直した。
いずれも筋骨隆々、逆三角の見事な体躯をした戦士達だ。
最前列には、王女やサイリ、影衆の姿もある。
「まずは魔法の基本からやる」
横で、シンノが人差し指を前に出した。その指先から炎が噴き出した。100メルテほど先の地面を撫でるように灼いてから消える。
「よし、やってみてくれ」
そう言って、トリアンは全員を見回した。
全員の目が点になっていた。
「どうした?」
不思議そうに言うトリアンの顔をみんながじっと見つめた。
本気で言っているらしい。
全員が慌てて指先を頭上に向けて突き出して、しかし、そのままどうしたものかと考え込んだ。持ってきた魔導書の写本を読んで、火球の呪文を唱えようとしたり、必死に指を振ったりする者もいる。
「どういうことだ?」
トリアンはサイリを呼んで訊いた。
「申し訳ございません。その・・無詠唱で火を出す魔法も・・いえ、火だけでなく、風や水など、どれ一つとして成功したことが無く・・まだ、詠唱をしてすら成功の率が悪く・・」
サイリが青ざめた顔のまま懸命に説明する。
「何を言っている?魔法に詠唱は無いぞ?」
「・・は?」
「魔法というものに詠唱は無い」
トリアンは呆れ顔でサイリ達を見回した。
サイリ達が後ろに控えているシンノをそっと見た。シンノが遠い眼差しをしたまま人形のように立っている。
「仕方ない。シンノがやる事をしっかり見ろ」
言われて、シンノの指先に小さな炎が灯った。
「自分が指先で紙に火を着けていることを想像してください。指で火を着けている感じです」
シンノの説明を聴いて、サイリが人差し指を見つめた。
途端、パパッ・・と火花が散った。
「ぁ・・わっ!?」
サイリがぎょっと身を仰け反らせた。
「火花で着火も悪くないです。散った火花で火が着くようにしてみてください」
言われて、サイリが真剣な眼差しで自分の指を見た。再び、火花が散った。周囲へ火花が飛び散って地面に落ちると、それぞれが小さな炎を噴き上げてから消えた。
「・・こ、これが?」
「それが魔法だ」
トリアンが頷いた。
すぐに、集まった者達の間でも声があがりだした。
「出来ない人は、獣脂に芯を浸して火を着けている自分を思い浮かべてください」
シンノの助言に、サイリが地面に指を向けて意識を集中する。
今度は、拳大の炎がいきなり出現して消えて行った。
「よし、出来た者、出来なかった者が居ると思うが、体験した事を思い浮かべること、火が燃えている様子を頭の中で思い浮かべる事が出来れば必ず出来るようになる。後で、火を熾して眺めておけ。次は土の魔法だ」
トリアンの声に全員が姿勢を正して耳を澄ませた。
「これは土遊びをやったり、土を耕したりした経験が物を言う。穴を掘ったり、土団子を作って投げたりした経験でも良い。火と同じだ、思い浮かべろ!」
今度はかなり多くの者が歓声をあげた。
「次は風だ。これは、息を吹き出す自分、木の枝を揺らす風・・木の葉を巻き上げる風でも良い」
順番に属性魔法を試させて、またサイリを呼んで前に立たせた。
「次は、剣や拳、槍でも良い。武器で斬ること、打つこと、突くこと・・すべてが魔法で再現できる。これは、おまえ達には簡単だろう。足下の地面を武器で攻撃した自分を想像し、その結果を思い浮かべてみろ」
「はい」
サイリが強い意志の宿った双眸で足下を見ながら頷いた。
半拍後、地面が切り裂けた。
「うん、今までで一番良いな」
「・・ありがとうございます!」
サイリが顔を紅潮させて礼を言った。自分でも会心だったのだろう。
「シンノ」
トリアンが少し離れた丘を指さした。
シンノは片手を丘に向けた。直後に、拳大の大穴が無数に開いて丘が崩落していった。
「原理はおなじものだ」
頭で思い描いて魔力で形にする。
「これが魔法なのですね」
サイリが納得した顔で頷いた。
「師匠」
シンノが手をあげた。
「うん?」
「補足の説明をさせて下さい」
「良いだろう」
トリアンは頷いた。
「ええと・・呪文の詠唱とかもインチキじゃないんです。魔力を大切に無駄なく使うためには必要なんです。でも、覚える順番が間違ってるんです。先にこうやって使ってみて、それから先に工夫するときに必要になるんです。呪文を唱えるのが難しい人は魔法陣を描く方法もあります。魔道具なんかは、中に魔法陣の代わりになる仕掛けが入っています。だから、みなさんが今まで勉強したことは嘘とかじゃないんです。ただ、今のみなさんには合っていないんです」
シンノが手を振り、小さな体を使って一生懸命に説明する。
「今、はっきりと理解できました。シンノ様、ありがとうございます」
サイリが笑顔で礼を言った。
「魔法の種類はこんなものじゃない。いくつかやって見せるから、自分で練習して習得してくれ」
トリアンはシンノに向かって頷いて見せた。シンノがトリアンに向けて炎を放った。
トリアンが避けもせずに炎を浴びる。
辺りが凍り付いたように静まりかえったが、何事も無かったかのようにトリアンが笑っているのを見て、ほっと安堵の声が漏れる。
「魔力で生み出されたものは、魔力で防げます。鎧のように魔力を纏う事だって出来るんです」
シンノが右手から炎玉を打ち上げ、左手から水玉を打って空中で衝突させた。水蒸気をあげながらも僅かに水を残して炎が消え去った。
「魔力で生み出したものは、魔力で効果を加えることもできます」
同じように炎玉を飛ばして、今度は風で煽ぐように支えて炎をどんどん大きくする。シンノがトリアンを見た。
トリアンが手で握るような仕草を見せて巨大な炎を消し去った。
「それから、これは時間が空いた時とか遊びでやると良いです」
シンノが右手の五本の指から、それぞれ火、土、水、風、雷の小さな玉を生み出して、自分で握り潰し、今度はそれぞれの指に違う玉を生み出して見せる。
「やっている事は分かりますよね?」
「・・五つの属性の魔法を五本の指から出して、維持して、無属性の魔法を手の平に纏って握り潰してる」
グレイヌ王女が呆けたように呟いた。
「その通りです。コツさえ分かれば簡単ですからやってみて下さい」
「さて、こんなお遊びで時間を潰しては勿体ない。まずは初歩の魔法が出来るようになることが目標だ。これは今日中に達成してもらうぞ」
トリアンは地面から岩を三つ抉りだして地面に転がした。
「あれが的だ。火、土、風、水、雷の内、二つ以上を使用して、三つを同時に破壊しろ。順番に破壊しては駄目だ。同時に破壊しろ」
トリアンの命令に、シンノがそっと視線を伏せた。
(出ました、鬼です・・鬼師匠です。わたし、これに泣かされたんです)
7歳の時に、これをやらされたのだ。銀狐の少女は、心的外傷を負っていた。
「魔力を使い果たすと失神する。一晩は目が覚めないぞ。自分の中にどのくらいの力が残っているのか、よく感じながら魔法を使え」
(・・また、あんなこと言ってます。鬼です・・・悪魔です。分かるわけ無いです。何回も倒れてやっと分かるんです。そして、倒れたら拳骨が降ってくるんです)
「魔法を大きく拡げれば威力があがる訳じゃない。大きな魔力を撓めて絞ることで強い効果を発揮する事もある。火の魔法、風の魔法を使っていても、魔力の注ぎ方は剣や槍など武術と似たところがある」
(・・わたしも、武術を先に習いたかったです)
シンノがそっと顔を覆った。
「もしも、自分の中の魔力が枯れそうだと感じたら、これを飲め。魔力を補充する薬だ」
トリアンがずらりと薬瓶の並んだ箱を取り出して地面に何箱も積み上げた。
「ただし、恐ろしく不味い。その上、だんだんと効果が薄れて行く。よく考えて飲むようにしろ」
(出たぁ~・・悪魔の薬です。本当は薬じゃないんです。あれはただの不味い何かなんです。ぜんぜん、魔力が補充されないんです)
シンノが顔を覆った手の指間から薬箱を見ている。
「こちらには、傷薬を置いておく、魔法の練習には事故が付き物だ。火傷、切り傷、骨折・・時には手足が失われる事もある。だが、この薬はそれを治せる。怪我をした者がいたら、無事な者が手当にあたるようにしろ」
(神来たぁ~・・こっちは本物です。ごくりと飲めば切れた手だって生えちゃいます。潰れた眼も元通りです)
シンノの尻尾がパタパタと勢いよく振られる。
「おれは、少しシンノと訓練をしている。出来るようになったら呼びに来い」
トリアンの声に、サイリ達が気合いの入った声で返事をした。
後ろで、耳と尻尾がしおしおと垂れた銀狐の少女がいた。
そんな気がしていたのだ。
昨夜の組み手で許して貰えるはずが無い。
シンノの師匠は正真正銘の悪魔なのだ。鬼の神なのだ。
足早に先を歩く師匠の背を追いかけながら、シンノはちらと背後を振り返った。
みんなが覚えたての魔法を一生懸命練習している。あの物臭なグレイヌまで黙々と練習していた。
とても眩しかった。
シンノは師匠の背中を見た。そっと溜息をついた。
仕方ないのだ。
なんてったって、シンノの唯一人の師匠なのだ。そして、唯一人の家族なのだ。
こうして鍛えてくれるのも、時々、ぼこりと殴るのも、すべてシンノの為を思っての事なのだ。きっと、今のシンノでは太刀打ちできない魔物を識っているのだ。そんな魔物に出会っても生き残れるようにと鍛えてくれているのだ。
組み手は疲れる。
本当に、一瞬たりとも息をつけない。毛ほどの油断も許されない。ずうっと緊張し、最大限に集中し続けて、それでもボコンと拳を当てられる。
シンノは一切の、これっぽっちも遠慮無く、総力を振り絞って攻撃をしているというのに、どうやっても捉えきれない。
心がぽきりと折れる。
それでも、時々、本当に時々だが、褒めてくれる事がある。
それは嬉しかった。
師匠は嘘を言わない。本当に良かったから褒めてくれるのだ。
それに、組み手が終わると優しい。
おしゃべりにも付き合ってくれる。一緒に歩いて、お茶をしたり、お菓子を買ったり、嫌な顔一つせずに付いてきてくれる。
そう考えれば、こうして山道を歩いているのも二人で散歩をしている訳なのだ。
楽しい散歩なのだ。
例え、それが
(えっ・・いやいやっ、違うからっ!処刑台じゃないから!)
シンノは慌てて首を振った。
「どうした?」
トリアンが振り返った。
「ひゃ・・な、何でも無いです」
シンノが飛び跳ねるようにして答えた。
「考えたんだが・・」
(ぎだぁぁ・・)
シンノの尻尾が逆立った。この前置きから始まって、ろくな提案が出てきた事が無い。
「今日は、おれも魔力を使おうと思う」
「・・・師匠」
シンノの紅瞳から表情が抜け落ちた。
「なんだ?」
「あ、ああの・・昨日って魔法は・・?」
「体術だけだ」
トリアンの返事に、シンノが膝から崩れ落ちた。両手を地面について項垂れる。
「し・・師匠、魔法を反射させてましたよね?」
「ああ」
「あれも体術ですか?」
「ああ」
「あれって・・氷雷を練った魔法に竜巻を掛け合わせたやつですよ?」
「そうだったか?」
「・・師匠より強い人とか、魔物とか居ます?」
「居る」
「本当に?」
「たくさん居る」
「・・そうですか。信じられないですけど、師匠は嘘を言わないから・・でもでも、そんなに沢山は居ないですよね?」
「いや、おれを虫けらのように殺せる奴らが大勢居るんだ」
「・・師匠が虫けらだと、わたしはどうなりますか?」
「同じ虫けらだな」
「師匠も、わたしも虫けらですか」
「今思えば、本当に運が良かったんだな。おれは、殺されるところを3度も見逃されている」
「・・その、強い相手に?」
「そうだ」
「師匠よりも強い相手かぁ・・」
「勝てないまでも、逃げ延びるだけの力をつける。まずは、見逃されるのでは無く、自力で逃げ延びるだけの力を身につけるんだ」
「なんだか、果てしないです」
シンノが溜息をついた。
「仕方が無い。相手は、元々、遙かに先を行っている。そして、今もどんどん先へと進んでいるはずだ。距離を縮めるためには、相手より速くこちらが進まないといけない」
「師匠とわたし、二人がかりでも勝てません?」
「瞬殺されるだろう」
「うえぇぇ・・訊くんじゃ無かった」
シンノが呻いた。
「ただ、どちらか片方なら逃げ延びるくらいはできると・・・そう思いたいな」
トリアンは虚空を見上げるようにして呟いた。
いつになく不安げな自信の無さそうな声音に、シンノがじっと見つめたまま無言で頷いた。本気で恐れている相手が居るのだ。シンノの師匠から、怯えとも絶望ともとれる微かな震えが感じられた。
シンノは抱きつきたい衝動を懸命に堪えながら、やり場の無い両手を握りしめるようにして師匠を見上げていた。
「師匠は、カイナードとかと戦争するんです?」
「あれは、ルナトゥーラがやる。おれとおまえは穴掘りだ」
トリアンの言葉に、シンノが少し表情を明るくした。結局のところ、シンノはトリアンと一緒に居られるなら何だって良いのだ。
「穴掘り?」
「鉱山に繋がったとかいう地下迷宮だ」
「・・ああ、そう言えば」
「そして、たぶん・・そこにはあいつが居る」
「あいつ・・?」
「おれを虫けら扱いする奴だ」
「・・地下の迷宮に」
シンノは表情を引き締めた。
「クドウさんから・・おまえには自由にさせろと言われている。行動を縛るなと」
「お姉ちゃんが・・?」
「おれが言うことでも無いが・・もっと女の子らしい生き方があるだろうから、できるだけ平穏に学園生活をおくらせて欲しいと・・先生はおまえのことを案じていたな」
「師匠は・・その・・わたしが居なくて良いです?」
シンノがそっとトリアンの表情を伺い見る。
「おれは、引きずってでも、おまえを連れて行く。泣こうが喚こうが、おまえに選択権は無い」
トリアンはきっぱりと断言した。
「・・うふふ」
シンノが笑みを浮かべた。
「それでこそ師匠です!」
「クドウさんには叱られるけどな・・もう決めていたことだ」
トリアンはシンノの頭に手を置きつつ、
「しかし、いくらなんでも、今のままでは弱すぎる。このままでは連れて行けない」
「うううぅ・・天国から地獄です・・・全力で頑張りますからね!」
シンノが両拳を握って気合を入れた。
「よし、昨日のような鈍い動きをしていると命を落とすぞ。ちゃんと本気で動けよ」
トリアンはにこやかに言いつつ拳を握った。
(ぎ・・ぎだぁぁぁぁ・・・師匠のニコニコ笑い来たぁぁぁぁ~)
この世の終りといった顔色で、シンノも総身に魔力を纏うと、風、雷、火、水の防護膜を幾重にも張り巡らせる。気休めでも無いよりマシだ。
明日の日の出を見るために・・。
「ぜ、ぜぜ、全力でいきますっ!」
どもりながら、シンノが有形無形の魔法球を全周に浮かべながら飛行を開始した。
飛行しながらシンノが幾人にも増えてゆく。
直後、どしっ・・という打撃音と共にシンノが地上へ急落して地表に激突した。咄嗟に、尻尾を使って衝撃を吸収しつつ自ら転がって土槍を跳ね上げる。
「ひぃっ」
シンノは全力で飛行術を使った。
自ら生み出した土槍にぶつかり、へし折るようになるが構わない。
地表に巨大な穴が開いた。
震動も何も無い。
いきなり、唐突に地面に半径500メルテ、深さ100メルテの円形の穴ができていた。
シンノは音を聴き、臭いを辿りながら、遮二無二動き回りつつ、とにかく魔法を討ち続けた。あらゆる属性の圧縮した魔法弾を間断なく連射しながら、一瞬たりとも同じところに止まらずに疾走る。
幻体が通用しない。
音を使った幻影も無効化されて逆に幻影を見せられて死にかけた。
まだ、一度たりともトリアンの姿を視界に収めきれていない。ただただ、何となくの気配を追って魔法の攻撃を繰り返していた。
恐ろしい勢いで魔力が減ってゆく。
(こんなの繰り返しても駄目だ)
シンノは決死の賭けに出ることに決めた。
纏う魔力を絞り、浮遊させる魔法球も消した。代わりに、小指の先程にまで圧縮した雷玉を生み出しながら疾走る。シンノが通過した周囲に、ぽつりぽつりと雷玉がタンポポの綿毛のように浮かんで漂っている。どちらへ移動するのかも分からない。ただ、風に舞うようにして漂う小さな雷玉はどんどん数を増やしていった。
シンノが両手を合わせて、人差し指に魔力を集めながら走っている。
三角の耳は左右へ忙しく向きを変え、紅瞳は広く視野を保ちながら前を見据える。一点集中、捨て身の一撃を撃ち込むために練りに練った魔力の塊を指先に集めて回転させながら圧縮し続けていた。
(勝負ですっ!)
どんなに速く動いても、方向感無く漂う雷玉の中をすり抜けることは出来ない。
転移術は、姿を表す直前に魔力層が生まれるので分かる。
長距離からの攻撃なら、躱しきる自信がある。
中距離戦なら、両手に集めた魔力の一撃で圧し勝つ。
シンノは忙しく移動しながら周囲の気配に気を配っていたが、トリアンの気配は消え去り、まるで所在が掴めなかった。
シンノが駆け回っている地面ごと、範囲魔法で襲ってくるつもりか。
それなら、魔法を放つ直前の気配を狙える。
いつしか、粉雪でも舞っているかのように、辺りを無数の雷玉が漂っていた。
(・・出しすぎた)
雷玉が多すぎて、視界の邪魔になる。
内心でしまったと後悔したが、今更どうしようもない。少しでも意識を逸らすと、あの師匠の餌食になるだけだ。
自分の魔力で生み出した雷玉は触れても爆ぜることはない。ふわりと漂い離れて行くだけだ。
シンノは雷玉の中を突き進んだ。
後で思い返せば、これが鬼師匠の罠だったのだ。
忘れてはいけない。
シンノの師匠は、鬼なのだから。
漂う雷玉の中に、シンノの生み出したものじゃないものが混ざっていたのだった。
一瞬の出来事だった。
物凄い覚悟で、力み返っていたシンノだったのに、たった一粒の雷玉に触れてしまったがために、跳ね飛ぶようにして身を硬直させてシンノは地面に転がっていた。全身から白煙が立ち上っている。
倒れ込む直前に、指に集めていた魔力弾を撃ち放ったが、どこへ飛んでいったのか見届けることなく、シンノの意識は途絶えていた。
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