第15話 できそこない

 下水路の闇の中で、トリアンは生活をしていた。

 ほぼ、迷子である。

 下水路には厄介な魔物が多く生息していた。出来るだけ戦わないように逃げ回っている内に、どこをどう進んだのか分からなくなってしまった。

 下水路を徘徊する化け物には、まず死人となった小さな怪人をぶつけた。

 そうやって化け物の戦い方や弱点を把握するまでトリアンは遠巻きに見る事にしている。トリアンが参戦するのは相手の強弱の判断がついてからだ。

 すでに、小さな怪人はボロボロになっていたが、元々が強かったのだろう。下水路の化け物を相手にしても問題無く斃してくれる。

 おかげで、トリアンは索敵と探索に集中できた。


(・・蛇か)


 トリアンは、前方の闇を這いずる巨体を認めて息を殺した。

 この下水路がどこまで続いているのか分からないが、今まで出会った化け物の中では、蛇が一番の強敵だった。丈夫な鱗皮に覆われた肉体は強靱で、思いの外素早く動いて食い付いてくる。非常に攻撃的な性質で、逃げても執拗に追いかけてくる難敵だ。

 黒い短剣は、人にしか効果が無いらしく、大蛇をゾンビにすることは出来なかった。短剣で刺したり、拳で殴ったりして攻撃するしか無くなるのだが、これが思ったより重労働なのだ。

 内臓など破砕しているはずなのに平気で動いている。


(あいつも、もう駄目か)


 死人となった小さな怪人も、半身を引きずって動いている状態だ。今回の大蛇戦が最期の勤めになるだろう。

 ゆっくりと距離を詰めてくる蛇の巨体を見つめながら、トリアンは短剣を構えた。死人の怪人が汚水に腰まで浸かりながら進んで行った。あんな小さな体でも、大蛇の突進を受け止めるくらいの怪力がある。今更ながら、よく勝てたものだ。

 大蛇と死人がぶつかった。

 大蛇の大口が丸呑みに喰らいついた。その口中から汚れた鉤爪が鱗皮を突き破って外へ覗く。それが丁度、大蛇の眼の近くだった。

 大蛇が、死人を噛み直そうと大口を開いたまま乱暴に頭を振るが、口中でひしゃげながらも、怪人が鉤爪でぶら下がって離れない。

 当たれば骨折どころじゃない、凶悪な尻尾を振り回し、床を回転して転がり回る大蛇の動きを慎重に見定めて、トリアンは腹部を狙って短刀を突き刺し、大急ぎで素早く距離を取った。

 暴れる巨体のどこに当たっても大怪我を負う。

 続いて、また駆け寄って、身体ごとぶつけるようにして腹部を突き刺した。

 急所を刺せば一撃で・・・という生き物では無い。

 与えたダメージの総計が生命力を上回らないと斃れないのだ。それでも、脳や心臓といった急所を刺すことで、与えるダメージの量が跳ね上がる。何度も戦って試したので間違い無いはずだ。

 大蛇が、口中の死人をそのままに、トリアンめがけて食いついてきた。

 立ち尽くすトリアンを大蛇の牙が捉える。

 しかし、蛇が噛み応えを感じる間もなく、掻き消えるように姿を眩ませたトリアンが蛇頭を後ろから貫く。唸りをあげた尾が打ち払ったが、今度は逆側に回り込んで刺した。

 終わりは唐突にやって来る。

 生命力が尽きると同時に、魔物は黒色の粒子となって塵と消えるのだ。

 それがいつになるのか、トリアンには分からない。

 自然の生き物と違って、消滅する寸前まで弱った様子も見せずに暴れ続けるから厄介だ。

 大蛇の攻撃に一回でも当たると形勢逆転される。

 刺して跳び離れ、リスクを犯して接近して刺す。これを根気よく繰り返して少しずつ大蛇を追い詰めていた。


(・・来るか)


 闇を見透かすトリアンの眼が、大蛇の体表に微妙な変化を感じ取った。

 トリアンは全力で離れた。

 原理は知らない。

 いきなり、蛇の巨体から凄まじい熱が放たれて周囲を灼いた。

 10メートル近くも離れていて、炎で煽られるような熱気を感じる。


(2・・3・・4・・)


 胸中で数えながら、トリアンは走り寄るなり、黒い短剣で大蛇の脇腹を抉り、大急ぎで駆け離れる。

 再び、蛇の総身から熱気が噴出して周囲を灼いた。

 同じように数を数えながら駆け寄ろうとして、トリアンは大蛇の瞳の動きに違和感を覚え、地を蹴り後方へ宙返りをして逃れた。

 すれすれで、蛇の大口が空を噛んで抜ける。

 油断があれば形勢を覆される。

 それを嫌と言うほど教えられる相手だった。

 冷や汗で背を濡らしながら、トリアンは距離を取った。

 今度は本当に熱気が噴出した。

 直後に隙が出来る。

 トリアンが走る。

 待ち構える大蛇が狙いを定めて食いかかる。またしても、ぎりぎりで回避したトリアンが蛇の喉元を貫いた。

 大蛇が熱気を噴出させた。

 熱が吹き荒れ、わずかに動きを止める大蛇めがけ、音も無く忍び寄ったトリアンが黒い短剣を突き刺す。


(まだか?)


 微妙な変化も見過ごすまいとトリアンは大蛇を見ながらも、自分のステータス数値に視線を配った。

 スキルを使用すると"SP"と表示されているスタミナが消費される。矮躯の怪人が使っていたのをヒントに瞬間的に攻撃力を跳ね上げる事を意識してみたが、あの怪人のようにずうっと維持することは出来なかった。ただ、ほんの2秒、3秒くらいの間だけ手にした黒い短剣をより鋭く、より深く突き刺す力を得られる程度だ。それだけのために、50を消費する。効率が悪い。

 感覚的にはそろそろ大蛇の命も尽きる頃だ。


(最期のやつが来るかな)


 この蛇の魔物は、死に際に熱気に強酸を含ませたやつを噴出するのだ。

 ゴツゴツした鱗皮が逆立つようにして隙間を作る。その一瞬を見極めて逃げ去らないと人の体などひとたまりも無く溶解してしまう。

 初めて見た時は、脇に通路がある場所で戦っていた。咄嗟に脇道へ逃げ込むことで難を逃れたのだ。

 ここは、前後にしか行き道の無い下水路である。

 全力で離れるしか方法は無い。

 牙を回避して大蛇の眼を斬り裂き、回り込むようにしてガラ空きの腹部を狙って短剣を突き入れた直後、


(・・来た)


 黒い短剣に伝わる微妙な変化を感じるなり、トリアンは後も見ずに全力で走り出した。

 振り向かなくても、迫る熱気はひりひりと感じられる。

 途中、酸粘体が数匹集まっていたが、伸ばしてくる触手を黒い短剣で斬り払いながら駆け抜けた。


(・・よしっ)


 下水路に流れ込む汚水管へ辿り着くなり、身を捻るようにして狭い汚水管へ頭からダイブした。

 大蛇の熱と酸は指向性が強いのか、直進して灼くことはあるが、気体のように脇へ流れ込むことは無い。

 今回も、何とか回避できたようだった。

 やれやれと安堵の息をつきながら汚水管から這い出る。


(・・なんだ?)


 トリアンは闇を見透かすように眼を凝らした。

 大蛇の酸が溶かしていった傷跡に眼を向けた。

 溶解させられた壁の少し上に、よく注意して見なければ分からない、わずかな擦り傷が残っていた。


(ここか・・?)


 壁を指先で押してみる。

 ほんの爪の先程度だが、石が手前にせり出して来た。

 指で掴んで引くと、重い擦れる音がしてトリアンの顔の高さにある石の壁が一部だけ手前に倒れるようにして開いた。

 こんな所に、隠し扉の仕掛けがあったらしい。

 狭いが、人が出入りできるほどの隙間が生じた。

 トリアンは迷わず中へ身を潜り込ませた。わずかな間があって、後ろで石の壁が元通りに閉じたようだった。

 闇の中で息を潜めたまま、トリアンは眼を凝らしていた。

 わずかに空気の流れがある。

 下水路の悪臭で麻痺したはずの鼻だったが、ここはまた格別に臭かった。


(腐った・・肉か?)


 動物が腐乱した臭いだ。

 それも、しっかりと腐乱が進んだ、完熟した悪臭であった。

 目に染みる。

 トリアンは黒い短剣を右手に構えつつ、そろそろと闇の中を身を低くしたまま進んだ。

 進む先に危険探知マーカが一つだけ赤く灯っている。

 物音は立てずに歩いているつもりだが、どうやら何かに気づかれたらしい。進む先で、にわかに緊張がはしったようだった。


(死人の反応じゃないな)


 臭いを嗅いで最初に思い浮かべたのが死人だった。


(すると・・)


 何か生き物が居て、それとは別に死骸が腐って臭っているということか。

尿の刺激臭が強く混じっている。

 相手は、息を潜めて待ち構えている様子だった。

 ずいぶんと慎重である。

 トリアンは、闇の中で蹲っていた。止まっているように見えるが、実際は小指の先ほどの距離をじわりじわりと動いている。

 トリアンは破れた上着を脱いで丸めて持つと前方に向けて放り投げた。

 横から獣の腕のようなものが奔り出て上着を掴んで消えた。

 前脚だろうか。

 トリアンは闇中でじっと見つめていた。

 腕の太さだけで人間一人分くらいある。かなり大柄な獣だ。

 虎のような猫科の前脚を想わせる形状の腕だった。

 こんな閉所では出会いたくない相手だ。

 まともに体力差、肉体の強靱さを比べ合う事になってしまう。

 心臓を貫いても致命にならない化け物だ。逃げ切れずに組み付かれるだろう。


(奥が広い空間なら、まだ戦いようがあるんだか・・)


 通路から獣のいる空間、その入り口に獣は待ち構えている。

 獣の方も、かなり慎重だ。

 ただ、不思議な事に強引に通路へ押し入って来ても良いだろうに、じっと入り口で待ち伏せている。


(・・スイレン)


『幻体を出しますか?』


(先行させてくれ)


『了解です』


 思念で命じながら、トリアンのじわじわとした歩みは止まらない。

 すでに上着を放った場所まで来ている。

 通路が途切れ、ちぎれた扉が蝶番にぶら下がっていた。中はちょっとした小部屋だ。

 闇中で、それを見て取るとトリアンは決意を固めた。

 やるしか無い。

 どうしても獣が待ち構える場所の前を通り過ぎなければいけない。

 うまく幻体につられてくれれば良いが・・。

 硬軟自在というスキルで、どこまで強化できるか。少なくとも、豪腕の打撃に耐え、爪か牙による裂傷を最小に防ぎ止められないとその後は無い。

 覚悟を固めても、怖い物は怖い。

 すぐ近くに獣の気配を感じている。密やかな呼吸も聞こえる。ただ、獣臭がしない。獣とは違う生き物なのだろうか。


(・・行こう)


 トリアンの思いと同時に、幻体が一歩先に飛び出して行った。

 すかさず、闇中から腕が伸びて散らされる。

 その瞬間、飛び込んだトリアンが獣の腕をめがけて黒い短剣を一閃しながら小部屋へと身を躍らせる。切っ先に微かな手応えこそあったが、トリアンの一閃が届くよりも、獣が前脚を引っ込める方が速かった。

 引っ込めたのとは逆側の前脚がトリアンの背を襲った。

 ぎりぎりで回避するトリアンを、内へ巻き込むように引いた前脚が追う。

 トリアンは、逆らわずに鉤爪に捉えられるようにして跳んだ。

 喰いつこうと、すぐ間近に迫った獣の鼻面を、黒い短剣を腰だめに体ごとぶつかるようにして刺し貫いた。

 苦鳴があがった。

 反射的な動きで宙を振り回され、前脚の一撃で叩き払われる。

 強烈な打撃に、半ば意識を飛ばされながら、トリアンは高々と打ち上げられ小部屋の壁に叩きつけられ肺の空気を圧し出された。それでも、爪は肌身を裂かず、あの前脚の一撃でも骨は折れていない。

 "硬軟自在"・・ゴルダーンとの時にも何度も命を救われた自律魔法は健在だ。


(やれるか・・?)


 とにかく賭けには勝った。

 続いて襲う前脚を回避して床を転がりながら、トリアンは獣の姿を直視して声を失っていた。

 一言で表すなら、いびつ

 金属の拘束具で胴体を抑えられ、部屋の床、天井から伸びる太い鎖で拘束され、子犬か、あるいは子猫のような細い首から、どうやってか拘束具から抜き出した右の前脚と頭だけが自由に、本来の大きさに成長したらしい。拘束具の後ろ、後脚がある辺りに肥大した臓器が床へこぼれ出ていた。


(・・惨いな)


 あの拘束具がどういうものか知らないが、もう今から取り除いても取り返しがつかない歪んだ体躯になっている。


(それでも生きていたいんだろうが・・)


 トリアンは部屋の隅ぎりぎりまで離れて壁を背に片膝を床に着くと、床石を拳で砕いて石片を握った。

 トリアンは無造作に石を投げた。

 プンッ・・と小気味良い風鳴りを残して石片が投げられ、獣の剥き出しの臓腑を粉砕して貫く。さらに、一つ、二つと石片を投げてゆく。

 歪な獣は、衝撃と痛みに咆哮を張り上げていた。

 トリアンは続けて投げた。

 もう、獣は叫んで威嚇する事しか出来ない。拘束具のおかげで、部屋の隅まで爪も牙も届かないのだ。

 トリアンは、拘束具の後ろにこぼれ出た臓器をひたすら狙った。

 砕けた臓器がアメーバでも集まるかのように集合して獣に向けて戻ってゆく。それを何度も何度も繰り返す。

 延々と、根比べのように石片を投げ続けた。石は足下にいくらでもある。

 ついには、暴れていた獣も頭を垂れ、逞しく育った右前脚が力を失って床に伸びていた。


(どうだ・・?)


 落ち着いて見つめる先で、獣がゆっくりと黒い粒子となって崩れ去っていった。

 獣を拘束していた大きな金具が床に落ちて乾いた金属音を鳴らした。


(う・・これは・・・)


 暴流のように体に何かが流れ込んでくる。階梯が上がる時の感覚だった。

 トリアンは身体情報を見た。


----------------------------------------------------

 Nmae:トリアン・カルーサス

 Race:人

 Sex :男

 Age :12

 Level:5


身体情報(非公開)

 HP/MHP:4,180/5,500

 MP/MMP:12,025/15,850

 SP/MSP:3,120/3,820

 >extra points +1,000,850


状態情報(公開)

・不妊<永続処理> :子供が出来ません

・完全吸収<血脈> :糞尿の排泄がありません


<技能一覧>

----------------------------------------------------

自律魔法(非公開)

・素敵な瞳 :Lv8 :機能満載な瞳です

・危険探知 :Lv9 :敵意と害意を見逃しません

・召喚武器 :Lv2 :天使の贈り物です

・速度上昇 :Lv6 :速くすることができます

・回転上昇 :Lv6 :いつもより多く回せます

・硬軟自在 :Lv7 :ふにゃふにゃもカチカチです

・聴覚保護 :Lv3 :耳を大切に護ります

・視覚保護 :Lv4 :眼を大切に護ります

・爆風保護 :Lv2 :爆風に巻き込まれません

・耐性<衝撃>:Lv5 :打撃と衝撃にとっても強いです

・耐性<炎熱>:Lv2 :火とか熱とか御褒美です

・耐性<激震>:Lv1 :どんなに揺れても平気です

・耐性<激痛>:Lv6 :痛くても痛くないのです


特殊技能(非公開)

・青い天井 :Lv5 :レベルに上限無いです

・万死一生 :Lv8 :しぶといです

・冷静沈着 :Lv8 :冷め切ってます

・加護<源泉>:Lv8 :もりもり回復します

・加護<怨砂>:Lv2 :薄ピタです

・呑翁   :Lv2 :辛いことは呑んで忘れましょう


魔法適性(公開)

・none


一般技能(公開)

・恫喝   :Lv7 :柄が悪そうです

・挑発   :Lv5 :品が悪そうです

・細剣技  :Lv5 :貴族のたしなみ

・鞭技   :Lv5 :拷問上手

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(ひとまず、休めるか?)


 トリアンは、改めて悪臭漂う小部屋を見回した。


(ここは、あれか・・?)


 裏稼業の者達の隠れ家だろう。

 地上を追われた時の避難場所が下水路にあっても不思議では無い。 

 壊れているが、簡素な調度品もあり、棚には十数冊の本が並んでいた。あの獣が壊したのだろうか、裂けた壁の奥にも小部屋のような空間が覗き見えている。

 少し腰を落ち着けて調べてみる必要がありそうだ。

 もちろん、ここを使っている連中が入って来ることも考えておかなければならないが、しばらくは大丈夫だろう。恐らく悪臭の元になっている腐乱死体こそが、ここを使っていた連中だ。後で外へ運んで下水路で焼却しておいた方が良いだろう。

 トリアンは小部屋の中を見渡した。


(これは凄い)


 本の他に、薬瓶や調合器、材料らしき物が入った壺や布袋、金庫らしき仕掛け扉の奥には棒金貨がぎっしりと並び、鍵付きの木箱なども見つかった。壁の亀裂から覗き見える隣の部屋には寝台が並び、壁際には予備なのだろう、武器や防具が並べられていた。

 寝台の枕元に、申し送り書のような雑記帳が転がっている。あとは、酒類がいくつか遺されていた。


(もう一つ部屋がありそうなんだが・・)


 どこかに頭役のための部屋が用意してありそうだった。

 下水路からの隠し扉に、鳴子替わりに金属食器を加工して仕掛けてから、ゆっくりと部屋の探索を始めた。

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