真っ黒な師匠と銀毛の狐少女

ひるのあかり

第1話 いざ、異世界へ。

(・・・運が無い)


 上野二郎は、小さく溜息をついた。

 勤め先が倒産してしまった。

 初めてじゃない。

 実は、もう4度目の体験だった。

 最初は大学を卒業する時に内定を貰っていた証券会社が倒れた。

 次は、派遣から正社員に採用して貰った広告代理店が倒れた。

 続いて、面接即採用された地元のスーパーマーケットが倒れた。

 そして、一流大学受験向けの進学塾が倒れた。

 最初の証券会社以外は、二郎が就職してから3年以内に倒産している。


(いや・・そういう統計要らないから)


 二郎は、もう33歳である。

 この歳で、こんな傷だらけの履歴書で応募しても書類選考でシュレッダー直行だ。

 ほぼ絶望的な面接応募を繰り返しながら、派遣会社に登録して短期でも職を拾わないといけない。


(参ったなぁ)


 二郎は、すっかり温くなった缶コーヒーを見た。

 まだ倒産を知る前、塾の玄関扉に貼られた貼り紙を読む前に購入した缶コーヒーだった。無職になるなら金など使わなかったのに・・・。


「ついてねぇよな・・おれ」


 二郎はとぼとぼと道を歩いた。

 アパートは隣町にある。バスで15分ほどだった。ちょうど、3ヶ月の通勤定期を購入したばかりだ。すぐに払い戻しをしておいた方が良い。

 また、節約モードでジリ貧生活の開始である。

 気が滅入る。

 不幸中の幸いと言えるのかどうか、二郎には親兄弟が居ない。両親は幼い頃に他界していたし、育ててくれた祖父母は、わずかな老後の蓄えと年金で、二郎を大学まで行かせてくれ、昨年の暮れに老衰で他界した。

 大学時代に付き合っていた女性とは最初の就職に滑った時に主に二郎の方が引け目を感じて関係が悪化して別れた。次に付き合った女性は広告代理店の営業先で知り合ったのだが、これも倒産して以降、主に金銭的な理由で会う回数が減って紛争が起こって別れることになった。


(あれか・・これが、フラグってやつか?)


 二郎は、会社勤めが5年続いてたら、結婚を申し込もうと考えていたのだ。

 最近まで付き合っていた女性とは、ちょっとした妊娠騒動もあって、なし崩し的に結婚コースか・・という時期もあったのだが、あれがただの体調不良で良かった。今の状況で、子供を育てるとか、どう考えても無理である。生まれた瞬間から、子供に飢餓修行をさせることになるところだった。


「ふぅ・・」


 どうにも、暗い想い出しか浮かんでこない。

 二郎は、牛丼屋の求人貼り紙を横目で見ながら、ふとウィンドウに映っている自分の後ろに人影が見えた気がして振り向いた。


「・・・は?」


 二郎は動きを止めた。


「やあ」


 二郎がにこやかに笑って手をあげた。

 安物だがちゃんと折り目のあるスラックスにYシャツ姿の二郎(本人)と、金糸の装飾がされた襟高の上質そうな上着に黒いズボン、膝まである編み上げのブーツという姿の二郎(誰?)。

 目下、無職中の二郎はそっと眼を伏せて嘆息した。


(・・おれ、もう駄目かもな)


 とうとう、幻まで見えるようになってしまった。


「ふぅ・・」


 二郎は缶コーヒーで額を小突くようにして、今日何度目かの溜息をついた。

 眼をつむったまま軽く頭を振って眼を開けた。


(あ・・?)


 辺りが真っ暗だった。


(いやいや・・)


 二郎はもう一度眼を閉じた。しばらく動かずに居てから眼を開いた。


「えぇぇ・・と?」


 やはり、何も見えない闇の中である。

 右手に缶コーヒー、左手にナイロン製のビジネスバッグを握っている感触はある。


(何だこれ?・・とうとう、頭どころか眼まで?)


 二郎は何も見えない闇の中で、どっこいしょと声に出しながら座り込んだ。じたばた慌てる気力が無い。

 何も見えないが、床はあるらしく座ることは出来た。

 二郎は、無気力に闇中を眺めながら缶コーヒーのプルタブを開けると無糖コーヒーをちびりと口に含んだ。


(まあ、あれだ・・これって死んだよな?)


 白昼夢で、闇の中に放置とか聴いた事が無い。死因も何も分からないが、二郎の人生は、牛丼屋の前で潰えたらしい。


(どこまでも、ショボかったな・・おれの人生)


 二口目のコーヒーを飲みながら、二郎はがっくりと項垂れた。

 その時、


「お待たせしましたぁ~!」


 無駄にテンションの高い声が降ってきて、二郎は顔をあげた。


「あっちに人形置いて来るのに手間取っちゃって、ご免ねぇ~・・・ええと、ウエノジロウさんですね?」


 真っ黒い衣服の女が立っていた。二郎の常識で表現するなら、袖先や裾が破れた真っ黒なロングコート姿で、腰を錆の浮いた鎖で絞り、やたらと大きな鎌を肩に担いでいる。手元に何があるのか、タブレットでも操作するように指を滑らせたり拡げたりしていた。


「あれあれぇ?」


 女が二郎を見た。

 二十歳そこそこか、もう少し下くらいの容貌をしている。かなりの美人だった。


「記憶というか・・自我がしっかり残っちゃってるよね?」


「あんたは、何だ?」


「何って・・・・天の御使い?」


(いや、おれが訊いてるんだが・・)


 二郎は無言で女の顔を見つめた。


「ふうん、何だが手違いがあったっぽい?まあ、特に別命は届いてないから・・良いのかな?」


 ぶつぶつと自問自答しながら、怪しげな女が観察するように二郎を眺め回し、


「ちょい老け過ぎね・・後は、まあ、そんなもんかな」


「やれやれ・・こんな夢を見るのは初めてだ」


 二郎は、座り込んだまま缶コーヒーを口に含んだ。


(・・コーヒー飲んでることまで夢なんかね?)


 ぼんやりと考えている。


「じゃ、だいだい調整終わったから送還しちゃうね?説明とかしてる時間無いから、あっちで手引き書を読んで・・ええと、そうか、賠償特典あげるんだっけ」


 何に焦っているのか、女がうろうろと歩きながら考え込んでいる。


「ああっ面倒臭いわ!あんた、何が良い?」


 女が二郎を見て苛々とした声をぶつけてきた。


「何が?」


 二郎も面倒臭げに応じる。

 夢でまで不愉快にさせられるとか、どれだけ惨めなのか。腹立たしかった。


「何って、武器よ!さっさと希望を言いなさいよ!」


「武器とか・・阿呆か」


 二郎はそっぽを向いて缶コーヒーをあおった。

 馬鹿げた夢だった。

 出てくる女まで馬鹿っぽい。


「だいたい、何だこれ?生きてんのか?死んでんのか?」


 二郎は、半ばやけくそ気味に声をあげた。


「はぁ?生きてるに決まってんでしょ!」


 女が噛みつくように怒鳴る。

 実に煩い。


「じゃ、なんで何も無いんだ?真っ暗じゃないか」


「時間を止めて、あっちとこっちを入れ替えてんのよ。ちゃんと死体を用意してあげたから、しっかり憑依すんのよ?本当は死体をここに運んで処置しなきゃ駄目なんだけど、ちょびっと時間ずれちゃったから仕方ないでしょ?」


「・・へぇ」


 二郎は気のない声を出した。


「まあ、事情は行ったら分かるわ。手引きの書にちゃんと書いてあるから。それより、あんたは被害者なんだから特典が選べるの。ちゃんと選ばないと後悔するわよ?さくっと殺されちゃうんだからね?」


「殺されるって・・・いや、その前に被害者って何だよ?」


「面倒いから良いのよ、その辺は・・ああ、もう時間無いかも、じゃ、武器無しで良いのね?それで同意したって事で良いのね?」


「・・・ちょっと待て」


 何が何だか分からないが、とにかく、貰える物を貰わずに終わるというのは納得がいかない。


「金とか地位は貰えるのか?」


「無理ぃ~」


「なんかこう・・良い職業とか?」


「無理でぇ~す」


「くそ・・夢の中まで無職かよっ!」


 二郎は毒づいた。


「選べるのは武器だけでぇ~す。おまけの能力はその武器に合わせて決まりまぁ~す」


「・・武器ね」


 二郎は、しばらく女の澄ました顔を睨みつけていたが、ふと思いついて左手に持っていたビジネスバッグを開いた。


「中が見えない」


「・・何出すの?」


「本」


「書物?」


「武器が書いてある本だ」


「ああ、そういう本かぁ。まあ、良いのかも?」


 女が呟いた途端、スポットライトが当たったように、鞄の中身が見えるようになった。

 二郎は先日、塾の生徒から借りた本を取り出した。"大砲大戦バトルフィールド - プロファイル"と題されたゲームの設定資料集である。


「これに載ってる武器が欲しい」


「・・・分かったわ。時間押してるから、わたしが適当に選んでおいてあげるわ」


 女が二郎の持っている本を指さした。途端、本が光に包まれてくるくると回り始める。


「・・は?」


「えいっ」


 女が妙な声を出した。


「えっ・・」


 飲みかけの缶コーヒーの下半分が切断されて下へ落ちていった。まだ半分近く残していたコーヒーが台無しである。


「やっぱり体だけは丈夫ね」


 女が不機嫌そうに舌打ちをした。


「お、おまえ・・おれのコーヒーを」


「いいから、指の血を本に着けなさい。時間が無いのよ、さっさとしてっ!」


 女に罵られ、二郎は眼を剥いて怒鳴り返そうとしたが、すぐに馬鹿な夢の中だったと思い返して自分の右手を見た。微かに、親指が痛むようである。残っていた缶の上部を捨て、二郎は言われた通りに、浮かんで回っている"大砲大戦バトルフィールド - プロファイル"に親指を押し付けた。

 途端、金色の幾何学模様が幾重にも出現して本全体を包み込んだように見えた。


「はい、終了。じゃ、送還するわね」


 女が鎌の柄で足下を突くような動作をした。

 その様子を二郎は黙って見ていた。

 話せば話すほど不快になる。実に、嫌な夢である。


「ええと・・君は今からトリアン・カルーサスという少年よ。色々あって暗殺される予定になっているの。その子の死体に入り込んで人生を引き継いで頂戴。これであんたへの償いは終了ってことになるから頑張んなさい。ああ、また死んだら、ここに来るから、すぐに会えるかもね」


「へぇ・・」


 白けた顔で二郎が笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る