貝の化石のにおう時 学校司書の不思議旅1

美木間

第1話

 「あったらうれしくて舞いあがる舞茸」


 食卓の鍋から漂ってきた、きのこのにおいに目を細めて、父の話が始まった。


 「あったらうれしくて舞いあがる舞茸」


 おどけた口ぶりでくりかえしながら、大ぶりの舞茸を箸で摘み、くーっと高く掲げて、父は記憶をたぐる。


 「尊いものだからな、ある場所はぜったいに人に教えるなという掟があるんじゃ」


 舞茸をするっと口にすべらせると、熱っと父は、ふはふは唇をふるわせる。


 あまり丈夫ではない歯で、食べにくそうにしばらく噛んでから父は、


 「薄いな。穴馬のようにはいかんな」


 と、つぶやいた。


 父の故郷穴馬。

 穴馬は、福井県大野市和泉村の旧村名だ。

 今は、水を湛えた九頭竜ダムの底に眠っている。


 「こんなに肉厚なのに。だしも出てるよ」


 私が父の食べたのと同じくらい大ぶりの舞茸を箸で摘んで見せると


 「味がじゃよ」


 と、父が怒ったように答えた。


 「味も、においも、なんもかも、薄くなってしもてるな」


 「そりゃ、山に生えているようにはいかないでしょ」


 私は、つい口答えしてしまう。


 「食べさせたいなー、おまえたちに」


 ああ、始まった。


 「~させたい 」は、近頃の父の口ぐせだ。


 「さあ、行こう、さあ、仕度しろ、ぱぱっとせんことは、わしゃ嫌いじゃ」


 かつての父は、させたい、ではなく、しよう、だった。

 勢いがあった。

 そうした口ぐせの変化に、父の老いを感じる。


 「食べに連れてってくれるの?」


 免許証が身分証明用になってずいぶんたつ父に、この言葉は意地悪だ。

 親の老いを認められず、胸が痛むのをごまかして、つい苛立ちに変えてしまう。


 「したかったな」になる前に、行かねば。


 父の言葉のせいなのか、心なしか薄れたように感じる舞茸のにおいに、ふいに湧き起こった強い思い。


 思いたったが吉日。


 早速、母に提案してみた。


 「おとうさんが元気なうちに、穴馬、和泉村?今は大野市なんだっけ、行ってみない」


 「そうだね、あの辺は、新緑か紅葉の頃がいいよ。行くんだったら、私のふるさとの大野にも寄ってって。焼き鯖のおっきいの、串に刺したの、かぶりつきたいなぁ」


 食いしん坊の母は、これ幸いにと、ちゃっかり自分の希望を旅程に入れこんだ。


 「焼き鯖うまそう!福井は、化石が出るんだよね。じいちゃんのよく言ってる穴馬だっけ、和泉村だっけ、あそこも。化石発掘体験したいな」


 中学生の息子は、最近古生代にこっていて、目を輝かせている。

 おばあちゃん子なので、思春期でも恥ずかしがらずによく一緒に出かける。


 「おう、そうじゃ、化石が出るんだぁ。ダムの堰堤のところに」


 父が孫の言葉にうれしそうに反応する。


 「九頭竜ダムの堰堤?」


 「その辺の山から持ってきた石がずーっと堰堤に敷き詰めてあってな。山で化石が出るから、よおく探すと、あるんじゃよ」


 ロックフィルダムとして知られている九頭竜ダムに、そんな場所があるとは知らなかった。


 「今んなって、化石だ化石だ言うとるがな、ダムに沈んどるわしの生まれたとこに流れとった川でも、とれたんじゃ。ある時な、石を割ったら、カラス貝みたいな貝の化石が出てきてな、なにか硫黄のような、いやーなにおいがしたんじゃよ」


 「化石ってにおったりするの?なんで?」


 息子が食いついてきた。


 「なんでかは、ようわからんがな、ほれ、調べてみればわかるじゃろ」


 と、父は、パソコンを指さした。


 「化石化する時に、堆積物の性質で嫌気的な状態になると、においが発生することがあるのかな。でも、はっきりとはわかんないな」


 息子はパソコンではなく手元のスマホをいじって、ぶつぶつ言っている。


 「行ってみて、調べたらええじゃろ」

 

 孫と話すと、父の脳は活性化されるようだ。

 顔つきが見る間にしゃんとしてくる。


 いいかもしれない。

 みんなの希望を叶える父の故郷への旅。


 ならば、と、私は心を決める。

 来年の三月で、今の仕事の雇用期間が一区切りなので、思いきって一年間、仕事を休むことにした。 

 学校図書館の仕事は、やりがいもあり楽しかったが、安定を望めるものではなかった。ダブルワーク、トリプルワークをしないと成り立たない、きびしい雇用形態だった。


 体力が落ちるのは仕方ないとしても、司書本来の仕事以外の事務や行事や学校業務の補助に忙殺され、選書のための読書しかできず、自分の好きな本をじっくり読み込むことができない日々は苦痛だった。


 仕事をするのがいやなのではない。


 補助的な作業をするのも、先生方と連携し学校のスケジュールが滞りなく進むように協力するのも、生徒たちとの本や調べ学習を通しての交流も、毎回が発見の連続でやりがいのある仕事ではあった。


 ただ、肝心の司書としての本業が疎かになってしまう、専門職なのにないがしろにされてしまう感じが、いつもつきまとっていた。


 それは、きついことだった。 


 何のために資格をとり司書として勤務しているのか。

 このまま、ただ、摩耗していくのか。


 父の老い、母の老い、そして、自分の老い。

 そう自問する時間が増えてきたのも、悲しかった。


 「祭りの日には、舞茸の場所を知っとるもんは、宴会の時に、舞茸の煮しめを持ってきてふるまうんが、決まりじゃった」

 

 父の声が、鍋の煮立つ音が、村祭りの宴の情景を思い起させる。


 「したかったな」になる前に、行かねば、本当に。


 父の顔の向こうに、奥深い故郷の山並みが、ロックフィルダムの美しい偉容が、うすぼんやりと浮かんで見える。


 時を超える、不思議な化石のにおいが、漂ってきた。

 

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