裏門通り商店街

櫻井 大也

第1話 銀ねこ

 埼玉県の県庁所在地、さいたま市浦和区(旧浦和市)にある商店街、裏門通り商店街に私は生まれ育った。この街は古くから商店が立ち並び、2016年現在でも昭和の雰囲気が感じられるレトロな街である。商店街に隣接する玉蔵院は、春になるとしだれ桜がこれでもかというくらい咲き乱れる。そして平日の昼間になると、市役所や県庁で働いている職員の人たちの腹を満たす店が沢山立ち並ぶ。これだけ美味しいお店が多い街はあまり無いと思う。 

 その中でも、平日の昼間しか空いていない、幻の蕎麦屋『銀ねこ』を訪ねる。店の前に着くと市役所の職員や県庁の職員と思われる人たちが並んでいる。その列に私も加わる。10分ぐらい並んでいよいよ私の番だ。暖簾をくぐり、ガラガラと引き戸を開けて中に入る。


「ズズズズッ」「はい!お水ね」「冷やしキツネ!」「冷やしタヌキ!」「はい!冷やし一丁!」「冷やし月見入りました!」 「ズズズズッ」「ごちそうさまでした」

 従業員の女性の声とお客の威勢よくそばをすする音が交差し忙しさに拍車をかける。人気のある店というのは、やはり活気がある。

 

 銀ねこは戦前からあり、昔はシルバーキャットというカフェだったようだ。その名残なのか大きな古時計があった。あの時計はこの店をずっと見てきたんだなぁ。

さぁ注文をしようか。メニューを見なくてもだいたい決まっている。冷やしシリーズのどれかだ。冷やしシリーズとは私が勝手に呼んでいるが、これに挑戦しないと銀ねこに行ったことにはならない。冷やしシリーズには、タヌキ、キツネ、月見。それと夏にしか現れない冷やし中華がある。

 「冷やし月見をください!』 その中でも私は少し贅沢に冷やし月見そばを頼む。


頼んでいる間は店の棚の上にあるテレビで流れる高校野球を眺める。最終回ツーアウト満塁、カウント2−3、ピッチャーが投げた!ドン!

そのクライマックスを遮るようにおばちゃんが目の前に冷やし月見を置く。

「はい!お待ち!冷やし月見ね!」

 

 私は昨日の夕飯から何も食べていないので、テレビの高校野球の行方よりも、冷やしタヌキの行方を追っていた。よだれが出るとはこのことだ。箸を割ってまずはキュウリを口に入れる。うーんしょっぱい。このしょっぱさがたまらない。ここの冷やしタヌキはちょっと違う。塩漬けのキャベツとキュウリ。横には浦和らしくレッズのような赤いトマトが添えられている。野菜は塩漬けされており、ツユと蕎麦と絡めて口に入れると三味が交わる絶妙な味が口に広がる。通は月見を頼む。すると上に乗せた半熟の目玉焼きを割って絡めると黄色い黄身がツユに絡みさらに贅沢な味になる。初めての人はこんなに沢山の量は食べれないと思うだろうが、試してみたらわかるはずだ。

「ズズズズッ!ズズズズッ!」あっという間に目の前の皿には何もなくなっていた。


食べ終わってテレビに目を向けるとあのピッチャーが泣き崩れている。押し出しサヨナラ負けか。人生はなかなか上手くいかないから楽しいんだよ。若者よ。私も下ろし立ての白いシャツに蕎麦つゆのシミを作ってしまった。でも後悔はしていない。最高の昼食ができたから。夢中だった証拠だ。


 昼しかやらない幻の店『銀ねこ』裏門商店街に来たらあなたも是非。

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