第4話、記憶の先にあるモノ

 出揃わないススキの穂が、金色に輝いている。

 傾いた夕陽に、琥珀にも似た、愛惜の情を想わすかのような空の色。

 たわやかな風が、ゆったりと吹き抜け、黄金色に縁取られた穂先を揺らしている。

 茜色に、遠く、淡く霞む山影・・・

 

 一面に、黄金色のススキの穂が揺れる野原の真ん中を、細い小道が下っている。

 穏やかな曲線を描きながら、細く下る、野の小道。

 誰かが小石に躓き、倒れた。

 誰・・? 倒れたのは。

 泣かないで。 ね? 悲しくなるから・・・

 ほら、あなたを呼んでるよ? 今、行くからね・・・!


「 ・・・・・ 」

 おかしな夢を見て、美緒は目が覚めた。

 むっくりと、体を起こす。

 6時29分。

 ベッド脇に置いてある目覚まし時計を見て、美緒は伸びをしつつ、大きなあくびをした。

( ヘンな夢・・・ )

 目覚ましが、ピピピ、と鳴り始める。

 スイッチを押し込みながらベッドから起き、美緒はカーテンを開けた。

「 いい天気・・・ 」

 遠くのビルの陰から、朝日が昇っている。

 空は快晴。 もう少し寒くなれば、この時間帯は、まだ夜明け前だ。 幾分、寒さを感じる空の色が、目覚めたばかりの意識に、心地良い。

 タイマーセットしてあるレンジから、チーンと音がした。 コーヒーメーカーからも、ポコポコと、湯が沸騰する音が聞こえる。

 再び、あくびをし、乱れた髪を手櫛で梳きながら居間に入る美緒。 水槽の所へ行き、魚たちに声を掛けた。

「 おはよう、キミたち。 ちゃんと整列しなさい。 小さく、前へ~~~・・ 習えっ 」

 届くはずもない号令を掛け、エサを振り撒く。

 水面に、幾つも出来る、小さな波紋・・・

 いつしか美緒は、先程まで見ていた夢の事など、すっかり忘れてしまっていた。


 初冬の朝の街角風景は、何だか眩しく感じる。

 ビルの壁面、ファストフード店のウインドウ、走り去る都営バスの窓ガラス・・・

 全てに、幾分、斜めとなった朝日が滑る。

 無機質な建造物の平面に、寒気に固まったような、冷たい朝日の

 それらが、そのまま目に飛び込んで来るようだ。

( そろそろ、コートが要るかな )

 美緒は、着ていたジャケットの襟を立て、そう思った。


 今日は、昨日プレゼンに行った得意先の、2次制作のリレーションだ。 デザイナー・アートディレクターたちと、制作の予定を立て、懸案となっていたコピーライターとも、打ち合わせをしなくてはならない。

「 カラー( 写真の事 )はOKだから、印刷所にデータ送信しておこうかな。 トリミングとレイアウトは、デザイナーに任しておいて・・ 問題は、コピーよね・・・ 」

 独り言のように、今日の仕事内容を呟く美緒。

 歩道を行く沢山の足音と共に、美緒もまた、地下鉄の駅へと吸い込まれて行った。


「 美緒さ~ん、神戸支社の辻井さんから電話で~す! 」

「 すんません。 2課の川中さんが、第一物産のレイアウト、先方に送ってくれって言ってますけど? 」

「 日高チーフ。 幸田プリンティングからですが、最終の色指定は、明日でも良いそうです 」

 外線の呼び出し音。 デスク同士の会話。 ドアを開閉する音。 様々なSEをバックに、美緒を呼ぶ声、伝え来る情報・・・

 多忙な美緒の、ビジネスワークが始まった。

 そんな中、的確に状況を見極め、指示を出す美緒。 実に、生き生きとしている。


「 橋口君、昨日のオリエント企画、どうだった? 」

 美緒は、パーティーション越しに、パソコンを操作していた若い男性社員に尋ねた。 昨日、玄関先で会った橋口である。

 モニターから美緒の方に顔を向け、見上げるように橋口は答えた。

「 バッチリです。 新しい警備会社、使えますよ? 他に比べて、少し安いし 」

「 そう? じゃ、今後もイケそうね 」

「 ええ。 ・・あ、さっき、受付の晴美ちゃんが美緒さんを探してましたよ? 」

「 分かったわ、有難う 」

 資料を持った左手を軽く上げ、美緒は受付へと向かった。


「 あたしを、探してたって? 」

 受付へ行き、事務作業をしていた若い女性社員に、美緒は声を掛けた。

「 あ、チーフ、いらっしゃったんですか? 」

「 奥の部屋で、横須賀支社の横井さんと打ち合わせしていたの。 何か用だった? 」

「 来客の方が見えて・・・ 」

 壁に貼った、数枚のタックメモを探す彼女。

「 来客? アポは、無かったわよね 」

「 はい。 ・・あ、これだ。 八代 良幸さん 」

 1枚のメモを取り出し、美緒に渡す。

「 やしろ・・ よしゆき・・・? さあ、知らないヒトねぇ~・・・ 」

「 30歳くらいの男性で、物静かなカンジの人でしたよ? 日高 美緒さんをお願いします、って・・ 何か、業界慣れしていない、イナカの人ってカンジかな? 名刺も、持っていらっしゃらなかったですし 」

「 ご用件は? 」

 タックメモを持っていた資料の脇に貼り、美緒は尋ねた。

「 お聞きしたんですけど、特に用事は無いからって・・ また来ます、っておっしゃったんだけど・・ アポを取ってからお願いします、って言ったら、要領を得ないようなカンジでした。 アポの意味、分かってないんじゃないかしら 」

「 そんな田舎丸出しの人が、こんなトコ、来ないわよ。 何かの勧誘じゃないの? 」

「 ・・いや、勧誘ではないと思いますよ。 そんな雰囲気、まるっきり無かったですから。 ホント、突然に思い立ってやって来た、ってカンジの人でした 」

 美緒には、全く記憶に無い名前だった。 だが、向うは美緒を知っている・・・

 全く面識の無い相手ではないらしい。

( あたしの知人・友人に紹介されて、訪れて来た・・ って可能性もあるわね )

 営業上、分からないからと言って、来社した者を無視する訳にはいかない。 しかし、美緒の記憶に無い限り、どうしようもない。

 人差し指を顎の先に当て、美緒は言った。

「 また来るって、おっしゃっていらしたのなら、詮索するのはヤメようか。 本当に用事があるのなら、また来て頂けるだろうし・・・ まあ、打ち合わせ中や、アポがバッティングしていても、業務に支障が無い限りは、誰とでも会うつもりだから、待っててもらってね 」

「 了解です 」

 受付前にあったエレベーターの扉が開いた。

 乗っていたのは、スーツを着た中年男性が2人。 その内、大柄な体形の男性が、美緒に声を掛けた。

「 やあ、どうもどうも、日高さん! 先日は、工場まで足をお運び頂き、有難うございました。 興和鉄鋼の鈴井です 」

「 あ、こんにちは~! 先だっては、カメラマンにまで昼食をご用意して頂き、有難うございました。 ・・さ、どうぞ中へ。 カラーのチェックでしたよね? 決まりましたか? 」

 受付横にあった、数組の来客用ソファーに案内する美緒。

 もう1人の、長身の男が言った。

「 いやあ~、どれも良いアングルで撮ってありましてね~ 実は、決めかねているんですよ 」


 初冬の都会の夜は、寒い。

 暖房の効いた社屋に、長時間いた事も影響しているだろう。 疲れた体には尚更、染み入るような『 冷え 』を覚える寒さである。


 深夜残業を終え、今日も終電車に走り込んで自宅近くの駅に着いた美緒。

 改札口を抜け、中央入り口へと向かう階段を上るに従い、冷えた外気が深々と体を覆って来た。

「 明日からは、絶対にコートだわ・・! 」

 ジャケットの襟を立て、階段を上りきった美緒は、首をすくめながら呟いた。


 数人の降車客が、夜の闇の中へと消えて行く。 構内入り口付近は、すぐに人影が無くなった。 そんなに大きな駅ではない為、駅前に接する幹線道路の交通量も、夜11時半を過ぎれば、まばらとなる。

 人影が絶えた、小さな駅前ローターリー・・・ 街灯も少ない為、闇が占める割合が多い。 その為か、大変に広く見える。 それが美緒には、妙に寂しげな風景として映った。


 小さな駅前ロータリーに、ポツンと停車している都営の最終バス。

 室内灯が、ぼんやりと点く車内には、数人の乗客の頭が見える。 皆、下を向き、動く気配が無い。

 ・・・自分の家、自分の部屋、家族が待つ家・・・

 それぞれに、行く先があるはずなのに、なぜか終わりの無い旅に、人目を避けて出発するかのように皆、覇気が無い。


 構内入り口まで続く、古いアーケードポーチ。 切れかけた蛍光灯が、チラついている・・・

 その下にあるベンチに、1人の男が腰掛けている。

 酔っ払いではなさそうだ。 だが、この寒い夜の闇の中、1人で佇んでいる。

 男を照らす、点滅する明かり・・・

 

 全てが無機質に見える。

 全てが、果てなく続く、深い闇に耐えている・・・

 

 美緒には、そんな風に感じられた。

( 八代・・ 良幸・・・ )

 美緒の脳裏に、今日、来社した人物の名が思い起こされた。

 何だか、妙に気になる。 遥か以前に、会っていたような気がしてきたのだ。

( 誰だろう? 聞いた覚えのある名前のような気がして来たんだけどな )

 ふと、今朝見た夢も、思い起こされた。


 黄金色に輝く、ススキの穂。 遠くに霞む、山々。 細い小道・・・

 ・・・あれは、いつか見た琥珀色の記憶。


( どこだったっけ・・・? )

 いつ見たのか? の方が、検索事項としては順当なのかもしれない。 何となく、美緒には、そう思えた。

 見上げると、都会にしては澄み渡った夜空があった。 月は無く、初冬の闇にちりばめられた幾つもの星が見える。

「 ・・・・・ 」


 『 1番星~! 』


 幼い頃、茜に染まる西空を指差し、無邪気に声を上げていた自分・・・ あれも、いつの頃の事だったのだろうか。

( ・・・どうしちゃったのかな、あたし。 何か、随分とセンチになってるわ )

 ふっ、と小さなため息をつき、足元の歩道に視線を移す美緒。

 ジャケットのポケットに両手を入れると、自宅のマンションの方へ向かって歩き始めた。

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