第3話、価値の報酬

『 どう? 今晩の夕食、一緒にどこか食べに行かない? ダンナ、出張なのよね 』

 市販のミートソースのパウチを手に取った瞬間、まるで見計らったかのように大学時代からの友人である佐緒里の声で、美緒のスマートフォンに電話があった。 パスタを、ゆでようと思っていた矢先である。

「 いいわね。 どこにする? あたし、今晩の夕食、パスタにしようと思ってたんだ。 アタマの中は、パスタモードよ? 」

『 パスタかぁ・・ あ、美緒の近くにあるじゃん。 角のコンビニを駅方向に曲がってさ、喫茶店の筋を入ったトコ 』

「 喫茶店の筋・・・ ああ、あそこね。 味は及第点ね。 OK! 今から来る? 」

『 うん。 今、買い物帰りで駅の近くだからさ。 すぐに行けるよ 』

「 じゃ、待ってるね 」


 仕事が忙しく、食事はどうしても外食が多くなる。

 なるべく、夕食は自炊しようとは思っているのだが、疲れて帰って来た日は、やはりコンビニ弁当かインスタントに手が伸びてしまう。

 今晩は、簡単な物ではあるが、調理をしようと思っていた美緒。 だが、せっかくの友人の誘いを断るのも気が引ける。 このマンションに招いても良かったのだが、食後の酒が長引き、結局、寝不足になるパターンだろう。 ならばいっそ、外食にした方が良い。

( 久し振りだな、佐緒里も・・・ 半年前に、駅前で会ったきりだったっけ? )

 水を沸かしていたコンロの火を止め、テーブルに用意していたパスタを、食器棚下部の引き出しに入れた。


「 仕事に、生き甲斐を持ってやってる人なんて、いないって 」

 佐緒里は、パスタを口に運びながらそう言った。

 半年前に会った頃より幾分、髪を切ったのか、束ねていた髪を下ろしている。

( 佐緒里、大学時代に比べると、ちょっと太ったかな )

 美緒は、佐緒里の顔を見ながらそう思った。

 同じ、経済学部の出身の佐緒里。 現在は、就職した会社で知り合った先輩社員と結婚し、美緒と同じ区内のマンションに住んでいる。 子供は、まだいない。

「 でも、自分の仕事を天職だと感じている人もいるでしょ? この前、仕事で陶磁器職人の人に、取材をしたのね。 その人、作陶が天職だって言っていたわよ? 」

 フォークを皿に掛けて置き、グラスのワインを手に取りながら、美緒は言った。

 佐緒里も、フォークを置き、ナプキンで口を拭きながら答える。

「 そりゃ、そういう人もいるわよ。 だいたいその人、仕事内容が芸術でしょ?  創作が仕事の人は、そういう風に考える人が多いはずよ? だって、クリエイターなんだもん 」

「 そっかな~・・・ 」

「 そうよ 」

 再び、フォークを持ち、パスタを絡ませながら、佐緒里は続けた。

「 美緒の仕事だって、そうじゃん。 クリエイティブよ? 次はどうしようかな~、どんなデザインにしようかな~? なんて考えられるでしょ? それって常に、新たなコト、考えてるじゃん? 変化があるじゃない 」

 フォークに絡ませたパスタを、口に運ぶ。

 頬を膨らませ、お構いなしに佐緒里は続けた。

「 そりゃ、全てがそうだとは言わないケドさ・・ あたしみたいに、ただのOLじゃ、永久に同じ事の繰り返し。 だからヒマ潰しに、新人OLのイビリなんかしちゃうのよ 」

「 ・・佐緒里、そんなコトしてたの? 」

 顔の前で左手を立て、ヒラヒラさせながら、佐緒里は答えた。

「 ヤだぁ~、あたしはそんな事してないわよ。 ・・でも、社内では、あったみたい。 上司に気に入れられているコ、トイレとか給湯室に引っ張り込んでさ 」

「 陰険~ 」

 どんな仕事にも、やり甲斐はあるはずである。 それを、生き甲斐としてまでモチベーションを高めていけるか否か、だろう。 要は、気持ちの持ち方次第だ。


 働かなければ日々の糧はない。 それは、誰しにも課せられた義務のようなものだ。

 仕事をする。 その労働に、やり甲斐を見出せれば、それに越した事はない。 ただ、万人のほとんどが、仕事を人生の慣性で済ませてしまっているのではないか?

 佐緒里は、そんな事を言いたかったのかもしれない。


 では、何に生き甲斐を求めたら良いのだろうか・・・


 美緒は、そんな問いかけを、佐緒里に求めていた。

 佐緒里が言った。

「 まあ、あたしの場合、結婚したからさ。 仕事云々の議題については語る資格、無いわ。 それよりも、明日のスーパーのチラシ内容の方が重要 」

「 でも佐緒里だって、まだ働いているじゃん 」

「 そりゃ、そうだけどさ・・ 」

 再び、フォークに絡めたパスタを口に運びながら、佐緒里は続けた。

「 仕事はハッキリ言って、どうでもいいの。 仕事に燃えている美緒には申し訳ないんだケドさ・・ あたし的には、子供が出来れば、すぐにでも退職するつもり。 家事と仕事の両立って大変なんだから。 それ以上に子育てとなれば、もうイッパイ、イッパイよ 」

 佐緒里はナプキンで口を拭き、グラスワインに手を伸ばすと続けた。

「 ・・まあ、育児をしつつ、家事と仕事をこなしてる人もいるケドね。 あたし的には、無理 」

 ワインを口に含ませるとグラスを置き、小鼻から小さな短いため息を出しながら、佐緒里は尋ねた。


「 美緒・・ 何か、悩んでる? 」


 佐緒里は、返答をうかがうような、上目使いで美緒を見つめた。

 ・・少なからずも当たっている、佐緒里の問い。

 美緒は、ある種の、安堵感にも似た心境を感じた。

 手にしていたグラスをテーブルに置き、幾分、視線を落としながら答えた。

「 ん~・・・ 悩んでいる、って言うか・・・ 自分でも、よく分かんないの 」

「 仕事の事? 得意先のヤツに何か言われたとか? 」

「 そんなんじゃないよ。 仕事は、ウマくいってるよ 」

「 じゃ、社内に問題があるとか? 男女差別? 」

 首を振りながら、美緒は答えた。

「 それも違うわ。 あたし今度、制作1課の課長になるし 」

「 えーっ? ソレ、凄いじゃん、おめでとう! 」

「 ありがとう 」

 実際、美緒にも何が不満なのかは分からない。 いや・・ 不満があるわけでもない。 考えてみるに、悩んでいるわけでもない。 ただ、何かが『 足りない 』と思えてならないのだ。 では、何が足りないのか・・・?


 ・・それが分からないのだ。


 別に、知る必要は無いのかもしれない。 だが美緒の心の中には、いつも悶々と、忸怩たる思いのように存在している『 何か 』・・・

( いっそ仕事を辞めてしまったら・・ この思いも、しなくて済むのかしら )

 極論的な考えかもしれないが、実際、スッキリするだろう。 仕事をしている現在だからこそ、悶々とした思いが存在しているのだ。 仕事を放棄してしまえば、多分、心の曇りは四散すると思われる。


 だが、そんな事は出来ない・・・


 当然である。

 しかも、仕事は美緒にとって、全てであった。 自分の存在をアピールする手段であり、自分をグローイングアップさせる為の手段でもあった。 いわば、ステイタスである。

( 仕事をしているからこそ、自分が輝いていられるのよ )

 美緒は、そう思っていた。

 では、心のくすみを取る・・ もしくは、改善させる為には?

 ・・やはり、その原因を突き止める事だろう。 それに尽きる。 まずは、そこからだ。

( 難しく、考え過ぎなのかな・・・ )

 仕事は順調にいっている以上、仕事に関係する事ではないのかもしれない。 だが、人間関係や、仕事に関わりのない知人・友人にも、何も思い当たる節はない・・・

 いつもの事だが、美緒は、分からなくなってきた。

「 もういいや。 話題、変えようよ。 久し振りに会ったんだし。 ・・ワイン、もっと飲む? 」

 テーブルの傍らに立て掛けてあったメニューを手に取りながら、美緒は言った。

「 ん~・・ そうね・・ じゃ、チリワイン、もらおうかな 」

 佐緒里も、それ以上、美緒の『 悩み 』を追及する事はなかった。


 旧友との会食を終え、ほろ酔い気分で帰宅した美緒。

「 ただいまぁ~♪ 」

 水槽の中のネオンテトラたちに、機嫌宜しく話し掛けた。 魚たちも、突然、水槽前に現れた美緒に驚いたのか、右往左往している。 そんな様子に、美緒はクスッと笑った。

 その時、サイドテーブルに置いてあるコードレスフォンの着信音が鳴った。

「 ・・・・・ 」

 スマートフォンではなく、固定電話だ。

 現在、知人・友人のほとんどは、端末に掛けて来る。 別段、固定電話の必要性は無いのだが、仕事先によってはファクシミリでデータをやりとりする得意先もある。 その為に回線を引いてあるのだ。

 固定電話に掛けてくるのは、多くは営業・勧誘の類である。

 ・・美緒は、うんざりした表情をした。

 だが、親戚の可能性もある。 親戚たちには端末の番号も教えてあるのだが、ほとんどの者たちが固定電話に掛けてくる。 もしかしたら、それらの人たちからなのかもしれない。

 美緒は、受話器を取った。


『 美緒ちゃん? 牧野です。 お久し振りね 』


 受話器の向こうからは、亡くなった母親の姉、道子の声が聞こえてきた。 やはり、親戚からだった。 営業・勧誘ではなかったところに、美緒はホッとした。

「 道子おばさん? ご無沙汰してます。 お盆以来ね。 どうしたの? 」

『 いやさ、どうしてるかなって思ってねぇ 』

 用事も無く、掛けてくるはずはない。 何か、用があるのだろう。 美緒は、そう思った。

「 元気よ? 道子おばさんも、腰の調子、どう? 」

『 まあ、何とかやってるわよ。 ・・ところで美緒ちゃん、誰かイイ人、いるの? 』

( ・・来た。 用件は、これか・・・ )

 美緒は、あっけらかんと答えた。

「 そりゃ・・ それなりの人は、いるわよ? それがどうしたの? 」

 実際には、そんな男性はいない。

 道子が電話してきた理由を、薄々と推察しながら、美緒は答えた。

『 いやさ、実は、あたしの友達を通して、美緒ちゃんに縁談の話があってね。 イイ人なのよ、これが 』

 

 ・・やはり、縁談話であった。


 道子に聞えないように小さなため息をつくと、腰に手を当て、美緒は言った。

「 道子おばさん・・ 自分の結婚相手くらい、自分で見つけるわよ。 気に掛けてくれるのは嬉しいけど、そういった話は、ご遠慮申し上げるわ 」

 電話機の傍らにある水槽に手を伸ばし、ガラスを指先で軽く突く。

 魚たちが、小さな物音に反応し、くるりくるりと向きを変えた。

『 だけどねぇ、美緒ちゃん・・ 』

「 とにかく。 今は、結婚なんて考えられないの。 あたし、来月から課長に昇進するかもしれないのよ? 仕事だって、今より忙しくなるだろうし 」

『 いくら美緒ちゃんが、仕事で成功しているって言ってもねぇ・・ もう、いい歳なんだからさぁ・・ 』

( いい歳じゃなくて、適齢期を過ぎた歳だとハッキリ言ってよ )

 美緒は内心、そう思った。

 だが、働く女性の平均結婚年齢は、30歳前後と聞いた事がある。 それによれば、美緒はまだまだ『 余裕 』がある事になる。 まあ、慰めに近いし、言い訳にも聞こえるが・・・


 ・・確かに、結婚に対する憧れは、美緒にもある。 だが、仕事をしている現在の状況の方が、憶測とも言える憧れより、美緒にとって遥かに現実的で、かつ有意義である事には間違いなかった。 おまけに仕事は順風満帆。 経済的にも裕福な生活をしている。


 美緒は言った。

「 結婚したって、お母さんのように離婚するかもしれないじゃない。 もし、そうなった時、今の仕事環境が再現出来ると思う? あたしにとって、今の仕事が、全てなの。 何も不平・不満が無い会社って、そうそう無いのよ? 」

『 でもねぇ・・・ 』

 歯切れの悪そうな、道子の声。

 道子の年代の者から言えば、女性は結婚して当然。 しかも『 それなりの歳 』から早々に、だ。 結婚が遅れている者がいると、近所でも話の種になってしまう。 身内で適齢期を過ぎた未婚者がいれば、当然、気にもなろう。 家族であれば尚更、である。 『 ご近所の目 』が気になるのは、道子の年代では、仕方の無い事なのかもしれない。

「 とにかく! 今は、それどころじゃないの。 仕上げなきゃならない資料もあるから、電話、切るわよ? 」

 仕事が残っている事を理由に、早々に美緒は、電話を切った。


「 ・・・・・ 」


 外線ボタンを切ったコードレスフォンを、じっと見つめる美緒。

 水槽のモーター音が、静かに聴こえる。


 ・・結婚だけが、女性の人生ではない。

 道子も、それは理解している事だろう。

 結婚によってもたらされる、新しい展開・・・

 もしかしたら道子は、それを言いたかったのかもしれない。

( でも、それって、何・・・? )


 いつも、何かが足りないと感じる理由は、そこにあるのだろうか。

 結婚すれば、いつも心に感ずる、この不安にも似た心境は、完璧に消し去られるのだろうか・・・?


 ある意味、そうかもしれない。 それで心が落ち着く者もいる事であろう。


 ・・だが、美緒は気に入らなかった。

 結婚しない女性を、まず、色眼鏡で見る風潮。 それ以上の価値観は、中々に認めてもらえない社会・・・

 結婚出来ないから、仕事に精を出しているかのような、順位的偏見を感じるのだ。

「 佐緒里のように、さっさと結婚した友人たちの方が、そんなに偉いのかしらね・・・ 」

 今日日、婚期を逃した女性の事を『 負け犬 』と称する風潮すらある。 美緒は、小さなため息をついた。


 水槽の中の魚たちが、美緒の方に集まっている。 美緒は、ふっと笑顔を作ると、エサの入ったビンを手に取り、一摘みを水面に撒いた。

 一斉に、水面に群がる、小さな魚たち。

 ひと時、その情景を眺めた後、美緒は呟いた。

「 あたし、負け犬なんかじゃないもん・・・ 」

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