六章③ 敗北

 ※



「……嘘、だろ」


 神風が破られた。否、今のは運が良かっただけかもしれない。シャナイアは音も無く距離を取り、地面に降り立ちルカを見る。

 彼女の剣は、シャナイアの顔の横を突いただけ。傷など負っていない。だが、それすらも初めてだった。

 神風。いつからか、この業にそんな大袈裟な名前が付けられた。神術と呪術を同時に使い、何者もを圧倒させる絶対の力。今までに抗えた者など居ない。

 増してや、自分が居る方に剣を向けられた者など皆無だった筈。


「俺の腕が鈍っているのか、あんたが強いのか……それとも」


 答えは、わかっていた。

 自分はまた、彼女を殺すことを躊躇っている。


「そんなこと……有り得ない!」


 呪術で力を研ぎ澄まし、指先にまで風を纏う。自分だけに、英雄だけに与えられた二つ力。


 殺さなければ。


「行くぞッ!!」


 棍杖を構え、強く踏み込む。一歩目で距離を詰め、二歩目でルカの背後に回る。シャナイアにとって、何も難しくない動作だ。

 一撃で決められるよう、頭部を狙う。相手に与える苦しみは一瞬、三年前に毎日のように繰り返し、骨の髄にまで染み込んだ殺戮。


 ――殺したくない!


「見えた」


 真紅の瞳が、こちらを向いて嗤った。


「――ッ!?」

 鮮血が、風に舞った。咄嗟に後ろへ跳び、彼女の剣から逃れる。

 左の頬に走る、痛み。恐る恐る指でなぞってみると、血が出ていることを思い知った。

 戦いの中で、初めて傷を負った。


「嘘だ……」


 躊躇した。躊躇が、神風を鈍らせた。


「だんだん慣れてきたぞ、英雄殿……もう一回やってみるか? 今度こそ、完全に捕えてみせるぞ」


 ルカは言う。酷く楽しそうに。対して、シャナイアは動揺を隠すことが出来なかった。


 殺さなければ。この女は、敵だ。

 殺したくない。だって、この人は――


 相反する二つの思い。ぴりぴりと、痺れる頬。

 彼女は、本当に強い。剣の腕や、呪術の才能も長けている。それだけじゃない。

 心が強いのだ。

 そんな人に、勝つことなど出来るのだろうか。

「いや……無理、かな」


 神風は、体力をかなり消耗させる力だ。鉛のように重くなった腕や足では、もう使えそうにない。


「ならば……決着を着けさせて貰う」


 言い終わると同時に、ルカの剣が煌めく。棍杖で受け止めようとするも、想定以上に疲労した腕では彼女の攻撃は受け止められなかった。

 金色の軌跡を描き、棍杖が宙を舞う。


「あ……」


 視界が反転する。あまりの衝撃に体勢さえも崩され、地面に倒れこんだその、僅かな時間。


 殺すことなんて出来ない。その理由が今、ようやくわかった。

 聖霊も悪魔も同じとか、女性だからとか、そういう大層な理由じゃなくて。


「この瞬間を、ずっと待っていた」


 青空が広がる視界で、彼女は凛然と微笑む。

 風に揺れる、長く艶やかな銀の髪。蠱惑的な褐色の肌に、色鮮やかな紅玉の瞳が煌めいて。女性らしい細身だが、剣を振るう腕に危うい脆弱さは一切ない。


 性格は横暴で、短気で怒りっぽく自己中心的だけど。本当に、強くて。


 本当に、


「私の勝ちだ、翠眼の英雄!!」


 本当に、綺麗な人だな。

 振り下ろされる白刃を視界に収めながら、シャナイアは小さく自嘲した。

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