六章

六章① そこから見える景色


 あっという間に二日が経った。特に何をした、といえることは無い。とりあえず日が暮れるまで穴を掘り、夜通しで埋め直して今に至った。


「あー! 疲れた、こういう作業って本当に腰にくるよね」

「……同感だ」


 二人同時にスコップを放り投げた。シャナイアは腰を伸ばすように反って、ルカは木に寄りかかり息を吐く。

 二人とも呪術を使えるにも関わらず、慣れないこの労働には想像以上に苦労させられた。


「すみません、お二人の足止めをしてしまって」

「ううん、気にしないで」


 俯くメグに、シャナイアが首を横に振る。急なことだったので、墓標はまだ出来ていない。葬儀をする余裕も、そこに集う者も居ない為、ユタは早々に土葬されることになったのだ。

 並ぶ死者達の中に、新たに加わったユダ。木の板で作った簡易な目印と、メグが備えた花。墓地の中では一番新しく、一番質素である。


「こうしてお墓の場所を頂けただけでも良かったです。ここならきっと、寂しくないですよね?」


 聖霊の常識として、死者の墓は基本的に家族や血縁者が作ることになっているようで。

 しかしユタにはメグしかおらず、彼女だけでは何日もかかってしまうだろうということでシャナイアが申し出て、ルカも巻き込まれたという状況だ。

 墓標だけは、街の者が後日設置する予定に決まったらしい。罪滅ぼしのつもりだろうか、定かではない。


「シャナイアさん、ルカさん。本当に、本当にありがとうございました。お二人と出会えて、わたしも旦那さまもとっても幸せでした」

「幸せ?」

「はい。わたしも旦那さまも、他の人とお話することなど滅多にないことでしたから、すごく楽しかったです」


 シャナイアが不思議そうに問い返すと、メグが穏やかな笑みで頷いた。


「旦那さまは常々仰っていました。自分が死んでも、世界は何も変わらない。いつもと同じように日が昇って、街の人はお掃除を始めてお店を開く。学生さんはお勉強して、日が暮れれば家に帰ってご飯を食べてベッドに入る。そういう毎日が、自分が死んだ後でも続いていく。自分の命など、何の価値も無いくだらないものだ」


 でも、とメグが続ける。


「わたしの毎日は、変わってしまいました。もう、旦那さまのお食事を作ることも、お掃除をすることもありません。旦那さまが亡くなったことは、私の世界を大きく変えてしまいました。それって、旦那さまが確かに存在して、生きてきたことに意味があったということですよね」


 少女は嬉しそうに笑う。本当に、嬉しそうに。敵である筈の聖霊の為に。

 その理由が、ルカには何となくわかるような気がした。


「きみは、これからどうするの?」


 シャナイアが問う。淡々とメグは答える。


「街の首長さまのお邸で働かせていただくことになりました。旦那さまのお邸は、近い内に取り壊されるそうです」


 殺されない分、かなりマシな待遇である。まだ幼い少女な上、足が悪いことを考慮されたのだろう。


「わたし……できるだけ毎日、旦那さまに会いに来ます。首長さまにも、お許しを頂けるようお話するつもりです」

「俺から言おうか?」

「いいえ、私が自分でお話したいんです。それに……これ以上お二人にご迷惑をかけることはしたくないんです」


 シャナイアの申し出を断るメグは、清々しい笑顔を浮かべていた。

 ユタの死によって、本来乗るつもりだった船はとっくに出港してしまい、次の船はまだ来ていない。


「大丈夫です。わたしはこれから、精一杯生きて行きます。お二人もお元気で」

「ふん。精々長生き出来るよう努力することだ」


 辛辣だが、彼女なりの激励である。弱い悪魔は聖霊の奴隷として生きるしかない。媚び諂って、腹が減っても汚くても、何もかもを我慢して生きなければならない。

 彼女を待ち受ける運命は決して明るいものではないだろう。それでも、彼女は笑みを崩さなかった。


「ありがとうございます! それでは、わたしはそろそろ街に戻りますね? お二人とも、今まで本当にありがとうございました。道中、どうかお気をつけて」

「きみも……頑張ってね」


 二本のスコップを受け取ると、足を引き摺りながらメグは力強い一歩を踏み出した。ゆっくりとだが、確実に前へと進む。

 小さな背中が見えなくなるまで、二人は彼女を見送って。訪れる静寂を、風が無遠慮に通り抜けている。


「ルカ、あっちの方行ってみない?」


 不意に、シャナイアが指を差す。見ると、墓地の先は更に高い場所へと続いているよう。

 どうやら、戦争で名誉の死を遂げた戦士達を永眠らせる為に空けておいた土地らしい。種族の為に命を捧げた者を少しでも景色が良い場所に、とのことだったようだが。

 実際は傍らに居る英雄殿のおかげで予測していた程の死者は出ず、今の墓地が満杯になるまではただの空き地にしておくつもりらしい。


「……既に予定の出発時刻からおよそ二日の遅れを取っているようだが?」

「ま、良いじゃん。ちょっとだけ、気晴らしにさ」


 景色も良さそうだし。そう言って、先に坂道を登って行ってしまうシャナイア。呆れと苛立ちに嘆息しながらも、ルカも後に続く。

 背の高い草木は刈り取られているとはいえ、踏み鳴らした程度の坂道は上りやすいとは言えない。


「ほら、早く早く。凄く良い眺めだよ?」

「眺めなど、どうでも……」


 立ち止まる彼に追い付けば、清々しい風が髪を揺らす。景色に感動するなどという繊細な感情は、自分には存在しない。

 そんなルカでも、そこからの景色には目を奪われてしまった。


「……へぇ」


 ブーゲンボーゲン特有の、暖色系の街並みが眼下に見える。東には田園などの秋色に染まる自然が続き、西には深い瑠璃色の大海原が広がっている。

 街の中では聖霊達が忙しなく動き回っている。この高さから見下ろすと、足元を這う蟻と大した違いはない。


「ここからの景色、あんたはどう思う?」


 シャナイアが言う。良い眺めだと、自分で言っていた筈だが。

 怪訝に思っていると、答える前に彼が笑った。


「遠くの方まで、良く見えるよね? 聖霊も悪魔も本当に小さな存在だと思うよね。でも……だからこそ、ここから見える景色は寂しい。ねえ、ルカ」


 再度、問う。


「この場所から見下ろす景色はどう? これが、あんたが望んだ景色だよ」


 瞠目した。そう、ルカは彼と同じ高みまで来てしまったのだ。

 悪魔と聖霊に違いは無い。その意味を知った、理解してしまったのだ。


「……思っていたものと、随分違うな」


 ルカの望み。誰よりも強く、高みに立つ。しかし、そこから見える景色は価値のあるものだとは到底思えなかった。

 思えば、自分が目指すものは一体何だったのだろう。


「私が望んだのは、こんなものだったのか……?」


 この世界は、くだらないものばかりで出来ている。

 否、くだらないものを作り上げているのは、他でもない自分達なのだ。


「俺は、生まれた時からずっとこの景色を見てきたからわからないんだけど……人より高い場所に居るっていうのは、そんなに良いことかな?」


 シャナイアが、宙に手を伸ばす。眼下に広がる街に向かって。

 その手はあまりにも高過ぎて、決して届かない。


「自分の役割を見つけて、毎日を必死に生きることが出来る人の方がずっと偉いと思うよ。俺は、人よりも力がある。化け物かもしれない。それでも、独りじゃ生きていけないからね。野菜を作ってくれる人、掃除をしてくれる人が必要だった。どれだけ才能に恵まれていようと、生き物は独りじゃ絶対に生きていけないんだ」


 そう、シャナイアもルカも、独りでは生きていけない。どれだけ剣の腕を磨き、強くなろうともそれは変わらない。

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