五章⑥ 差別

 朝になると雨はすっかり止んだ。連なる雲のすき間からは光が差し込み、青空さえ覗いていた。

 昨夜は妙な時間に起きていたからか、二人とも遅くまで惰眠を貪っていた。それでもルカが先に目を覚ますと、シャナイアを叩き起こして支度をする。


「出発する前に、メグ達に挨拶でもしてくる? 気になってるみたいだし」

「……それは貴様だけだ」


 素っ気なく返せば、肩を竦めるシャナイア。宿代を支払い、メグ達の屋敷へと足を向ける。

 交わされる会話は、今後の予定をぽつりぽつりと確認する程度。昨夜のことは、二人共口にする気は無いようで。

 ただ、


「貴様は、何の為に旅をしているんだ?」


 それだけを訊ねてみる。すると、彼はしばし考えて、


「目的を果たす為、かな」


 と、答えた。それが何か、問い詰める気にはならない。


「……あれ?」


 シャナイアが足を止める。閑静とした街外れが、今朝はなんだか騒がしい。しかも、不穏だった。

 耳に届く怒声。張り詰めた緊張感が、肌を刺すよう。シャナイアと共に歩を進めると、その中心はあの二人が住む邸だとわかった。


「……いい加減にしてくれよ、じいさん。もう何年も金貸したままなんだよ、いい加減払えよ」

「ウチの店でも、ツケがたんまりと貯まってんだ。今日こそはきっちり返して貰うぞ」

「仕事もしねぇで遊んで暮らしてたんだ、借金を返すアテはちゃんとあるんだろうな!?」


 街の住人達が、邸の前に集まり声を荒げている。そういえば一昨日、壁の落書きの中にも似たような文句があった。どうやら相当の借金があるらしい。


「ご、ごめんなさい! 旦那さまは最近お身体の調子が優れなくて……お話は、また日を改めて」

「うるせぇ! 悪魔は黙ってろ!!」

「そんな言い訳は聞き飽きたんだよ!」

「ちっ……どいつもこいつもうるせえなぁ」


 無理矢理に寝床から引っ張り出されたのだろうか。寝間着姿のユタが、扉の前の敷石に力無く座り込んでいる。息も切れ切れで今にも倒れそうだが、それをメグがなんとか支えている。

 脅え、震えながらもメグは必死で住人達に許しを請うている。聞く耳すら持たれていないようだが。


「街の皆で決めたんだ! 今日こそ貸した金を返してもらう! それが出来ないのなら、この街から出て行ってもらう」

「そ、そんな! 待って下さい、旦那さまは今――」

「悪魔は黙ってろって言っただろ!!」


 ひゅん、と空を裂く音。一人の男が、足元に落ちていた石を拾い、ユタを狙って投げたのだ。

 メグが咄嗟に、ユタを抱き締めるようにして庇う。小さな石が、彼女の額に当たった。ぽたり、と鮮血が敷石を濡らしていく。


「メグ!? ちょ、ちょっと退いて!」


 シャナイアが住人達を押し退け、二人の元に駆け寄る。無意識に、ルカもそれに倣う。


「メグ、大丈夫?」

「シャナイアさん!? ルカさんも……わたしは、大丈夫です」


 かなりの出血が見られるが、どうやら額を少し切っただけで済んだらしい。ハンカチでしっかり押さえるよう、シャナイアが言う。


「……なんだ、あんた達は」

「この街の者じゃないな。それなら、放っておいてくれないか。これは、我々の問題だ」

「ちょっと、やり過ぎなんじゃないの? ユタさん、本当に具合が悪いんだ。お金の話なら、もう少し元気になってからにしなよ」

「はっ、そのジジイはもう長くはねえだろうよ。死ぬ前に借金返して貰わないとな」

「そうだ、どうせならさっさと死んじまえ! 土地と邸を足しても、足りないだろうがなぁ!!」


 ふと、ルカは気が付いた。

 何の前触れもなく、わかってしまった。


「……どうして、そんなことが言えるんだ。あんた達、苦しんでる病人を見殺しにするのかよ?」

「おれたちが汗水流して稼いだ金を貸してやっても、そのジジイは酒代に費やして使い切っちまうだけだ」

「それなのに、悪魔のガキなんか買いやがって……金の無駄だ! 悪魔を擁護するなんて目障りなんだよ、さっさと出て行け!」

「とっととくたばれ! お前達に生きてる価値なんかねぇんだよ!!」


 辛辣な言葉が一方的に投げつけられる。メグとユタは、何も言わなかった。

 言えなかったのかもしれない。


「どうして……そんなに酷いことが言えるんだ? 確かに、この人はお金を返さない悪党かもしれない。でも、そこまで言う必要は――」

「……待て」


 眼帯に触れるシャナイアを、ルカが止める。恐らくは、正体を晒してでも止めるべきだと判断したのだろう。

 馬鹿馬鹿しい。この争いに、翠眼の英雄が関わる必要があるだろうか。


「……貴様が言っていたことが、ようやくわかった」


 思考の隅に引っかかっていた言葉。その意味が、今になってやっとわかったのだ。

 聖霊達を見据える。


「聖霊と、悪魔。容姿と能力以外に何が違うか。……何も違わんな」

「何だと?」

「二つの種族に違いは無い、と言ったんだ」


 その言葉に、住人の矛先がルカに移る。怯むことなく、続ける。


「先日、この街で悪魔のガキが一人死んだ。そのガキは飢えに耐えられず、盗みを働こうとした。当然聖霊に見つかり殺されそうになったが、どこかの馬鹿でお人好しな聖霊がガキを助け、パンまで与えてやった。しかし、そのガキはその日の内に死んだ。パンを持ち帰ったまでは良かったが、同じように飢えた他の悪魔に狙われ、殴り殺された」

「ふんっ、その話が何だっていうんだ? 悪魔は野蛮だな、子供だろうと腹が減れば容赦はしないってか」

「貴様達は今、同じことをしようとしていないか?」


 そう、シャナイアが言っていたことはこういうことだったのだ。ルカはそれなりに長い間、翠眼の英雄を探して旅をしてきた。聖霊の村や町も訪れたことがある。それでも、彼に言われてようやく気が付いた。いや、無意識の中ではもう知っていたことなのかもしれない。


「貴様等聖霊は、自分達があたかも崇高で優れた種族だと思っているようだが。やっていることは悪魔と同じなのではないか? 腹が減っていたから、パンを持ったガキを殴り殺した。借金を返さないから、病で死にそうなジジイを街から追い出し、邸と土地を手に入れようとした。……生死がかかってないところを見ると、貴様等聖霊の方が幾分か卑しく見えなくもないが」


 聖霊の中でも、一番驚いていたのはシャナイアだった。

 そして、住人達も衝撃を受けていることは表情でわかった。


「戦争は終わった。悪魔を卑下し、戦う時代は終わった。今度は聖霊が富を培う為に、足を引っ張る者を排除しようとする。それがたとえ同じ聖霊であろうとも、子供だろうと老人だろうと怪我人だろうと病人だろうと関係無くな」

「あ、悪魔が戯言を!!」

「悪魔に戯言を言われたくないなら、まずは同じ聖霊くらい護ってやったらどうだ? 聖霊は悪魔より優れた種族である、その証拠を見せてみろ。今すぐに、見せられるだろう? 貴様等が本当に優れているならな!」

「もう良いよ、ルカ」


 シャナイアがルカの肩を掴む。住人達の顔にはもう、怒りはない。むしろ、得体の知れない化け物を前にしたかのような恐れさえ見える。

 誰かが、ルカに反論する前に。否、反論出来たかどうかわからないが。

 不意に、粘つく水音が鼓膜を撫でた。


「……旦那、さま?」


 ルカとシャナイアが同時に振り向く。メグが弱々しくユタを呼ぶ。最初に視界へ飛び込んできたのは、紅だった。

 どす黒くも紅い色。ユタの口から大量に溢れる粘着質なそれは、間違いなく血だった。


「旦那さま!? 旦那さま、しっかり!」

「駄目だ、寝かせないで! 血が肺に入ったら窒息する」


 びくびくと痙攣しながら吐血するユタに縋って、メグが泣く。シャナイアも彼等の元に膝を突くが、手の施しようがないのか支えることしか出来ていない。


「誰か、医者を呼んで!」

「お願いします、どなたかお医者さまを呼んでください! 旦那さまを、旦那さまを助けてください、お願いします!」


 シャナイアが叫び、メグも懇願する。しかし、住人達は困惑するだけでその場から動こうとはしない。


「……皮肉だな。悪魔のガキが聖霊の為に泣いているというのに、貴様等聖霊は同胞の為に何もしない。むしろ、早く死んでくれれば邸と土地が手に入るから、さっさとくたばれとまで願っている」

「ぐ……」

「ほら、このまま見ているだけか? 死ぬのを待つだけか。なるほど、聖霊とはそんなにも冷たい生き物なのだな。それなら、そこに悪魔が付け込む隙がありそうだな。そして再び、戦争が始まるかもしれんぞ」


 嘲笑して、ルカが言う。住人達ははっと、悪夢から醒めたかのように顔を上げた。

 何人かは医者を呼びに走り、別の数人は近所から何か手当ての助けになりそうなものを探しにバラける。

 残った者は、ルカ達だけ。


「いや……いやです、旦那さま……死んじゃいやですよ……」


 血の気が失せた顔。最早支えることさえ出来ず、横たわるユタにメグは尚も縋る。

 シャナイアの方を伺うも、その表情は暗い。それが何を物語るかなど、訊くまでもなかった。


「一人に、一人にしないでください……わたし、まだ字を手く書けません」

「……メ、グ」

「計算も間違ってばかりだし、まだ……まだ教えて欲しいことがいっぱい」

「も……いい」

「教えて欲しいことも、お話ししたいことも、見てもらいたいこともたくさん……たくさんあるんです」

「もう……いいって。てめえは、十分よくやった」


 水風船のような手が、震えながらもメグの髪を撫でる。

 それは父が娘にしてやるような、優しく温かいものだった。


「よくやった。本当に、よくやったよ」

「……旦那、さま」

「おれの一生はくだらなくて、退屈なことしかねえのかと思ってたが……てめえが居たこの数年間は、結構……楽しかった」


 ひゅーひゅー、と喘ぎながらユタが笑う。浮腫んだ顔でぎこちなく笑顔を作ると、ルカの方を向いた。


「おい……お前ら、名前は?」

「……シャナイア」

「ルカ、だ」

「シャナイアにルカ、か。てめえらも、ありがとよ。結構……楽しかったぜ」


 そして、目をゆっくりと瞑る。二度と目を覚まし、ルカ達に悪態を吐くことはしなかった。

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