三章② 平和の代償




 想定していたよりも早く、ロイド達に追いつくことが出来た。

 急な崖を飛び降り、木々の間を抜ける。不意に、多くの気配を感じると山道へと戻る。一度通った地形を、シャナイアは完全に記憶している。

 だが、状況は最悪だった。


「なっ、どういう……こと?」


 彼らは歩みを止めている。背後から彼等に駆け寄ると、その正体が明らかとなった。

 不穏な気配、数は十。嫌な予感が胸を蠢き、杖を握る手に力が籠る。


「シャナイア!? なんでこんなところに居るんだよ!」


 追いついたシャナイアに、ロイドが驚愕の表情で叫んだ。他には村長の息子であるセルジと、農業仲間で比較的若い中年のヴィム。聖霊は、その三人だけ。彼等は皆、馬に跨りシャナイアを見下ろしていた。

 他の七人は、知らない顔だった。彼等は、聖霊ですらなかった。


「……そのガキか。左眼に眼帯をした旅人ってのは」


 悪魔が七人。その中でも一番身体が大きく、体格の良い男がシャナイアを睨む。

 その手には、古びた剣。他の六人の内、四人も似たような武装をしていた。


「ちっ……シャナイア、早く村に戻れ。コイツら、噂の隻眼狩りだ。オマエを狙ってやがるんだ、ルイ王子への腹癒せなんてくだらねぇことの為にな」


 ロイドが馬から降り、手綱をシャナイアに差しだす。右手は腰の剣を抜き、鏡のような刀身を露わとさせた。


「コイツらはオレ達が何とかするから、オマエは早く村に帰れ」

「ちょっと待ってよ、俺が目的なら俺が――」

「シャナイアくん、きみのことはおれ達が護るって決めたんだ。きみは何もしなくて良いんだ」


 セルジが馬上から言う。その手には弓矢、狩りで使うものだ。


「そうだ。いつまでも敗北を認めないで、目が不自由な聖霊ばかりを狙い憂さ晴らしをしている愚かな悪魔なんかにキミは渡せない」


 そう言って、ヴィムが斧を構える。木を伐採する時にしか使われないそれが、月光を浴びて妖しく光る。


「……確かに、我々がやっていることは憂さ晴らしに過ぎないかもしれん。だが、我々が聖霊を殺し続けていれば悪魔の希望となる。我々は再び立ち上がり、貴様らをガーデンから根絶やしにする!」

「馬鹿馬鹿しい、何が希望だ!!」

「それに、今回は少々事情が違う。我々は確固たる目的があって、そこのガキに用がある」


 そう言って、二人の悪魔が歩み出る。一人は、背は高いが痩せこけた男。もう一人は、同じく痩せて今にも倒れそうな、ここに居る中で唯一の女だ。

 二人は他の五人とは違い、明らかに奴隷である。襤褸を身体に巻き付け、靴も履いていない。武器と呼べそうなものは、男が手に持っている包丁だけだ。

 男の方が、先に口を開く。


「……ルイ・セレナイトの追悼式典の日、悪魔の子供にパンを買ってやった若い聖霊というのは」

「……え?」


 それは、思いもよらぬ問い掛けだった。しばらく黙りこみ、やがてシャナイアは頷いた。


「そう、だけど」

「そう……そうなのね」


 女の方が、シャナイアを睨む。血走った眼は誰よりも紅く、憎悪で震えていた。

 男が言う。


「よくも……よくも息子を殺したな」

「な、何を」

「あの日、息子は貰ったパンをおれ達の元まで持って来たらしい。大事に食べようとしたのか、仲間に分け与えようとしたのかそれはわからない。だが、あの街に居る悪魔はほとんどが餓死寸前だ。そんなヤツらが、これ見よがしに食いものを持ち歩く子供を見つけたらどうすると思う?」

「あの子は、周りに居た悪魔に暴行を受けて死んだわ。わたし達が見つけた頃には、自分の子かどうかわからないくらい酷い状態だったのよ。皆が餓死寸前の中で、幼い子供が食べ物を持って歩いていたらどうなると思う? 大人だろうと子供だろうと関係なく、生きる為に奪うに決まっているじゃない。どうせあの子が殴られて泣き叫んで、誰にも助けられないまま殺されるところを見て、楽しんでいたんでしょう!?」


 女の金切り声が、夜の闇に響く。そんなこと、思っていない。シャナイアはただ、本当に善意でパンを買ってあげただけだ。

 だが、今この場では言い訳にしかならない。


「そんなこと知るかよ! 子供を殴り殺してまでパンを奪う、浅ましい悪魔が悪いんだろうが!!」


 代わりにロイドが反論する。他の二人も頷いた。しかし、狂気に駆られた悪魔はシャナイアを睨む。


「許さない……しかも、ルイ・セレナイトと同じく左眼を隠した聖霊だなんて。ここで殺してやる、死んであの子に詫びなさい!!」

「今回はこの夫婦に加勢する目的で来た。そこのガキを渡せ、お前達のことは見逃してやる」

「ふざけるな! そんなの、ただの八つ当たりだろう!?」

「うるさい!!」


 一瞬だった。女が一気に距離を詰め、ロイドの横をすり抜けシャナイアを突き飛ばした。

 狂おしい憎悪は呪術の底上げとなる。シャナイアの身体に馬乗りになると、両手で首を絞める。

 とてつもない力と、閉ざされた呼吸に引き剥がすことが出来ない。


「お前さえ居なければあの子は……あんな死に方をせずに済んだ。ルイ・セレナイトは悪魔が殺した。お前もわたしが殺す、死ね!」

「う、ぐ……」


 窒息するか、首の骨が折れるのが先か。どちらにしても、このままでは死は確実。

 しかし、自分の首を絞める女の手を振り払うことは躊躇われた。これは我が子を殺されて絶望し、憎悪する母親の怒りなのだから。

 逃れられない。自分が犯した罪からは、絶対に。

 それならば、今こそが旅をしてまで探していた『目的』なのだろう。


「死になさい!!」

「シャナイア!」


 ロイドが剣を構える。しかし、彼はすぐには動かなかった。動けなかった、だろうか。シャナイアと女が重なっていたからか、すぐに剣を振るうことはなかった。

 だから、遅れた。


「ロイド!」

「え……」


 セルジが叫ぶ。シャナイアの視界の端で、振り向いたロイドの身体が不自然に揺れたのはわかった。それと、銀色の髪。耳に届いた、音。

 状況を理解するには、充分だった。


「……ロイド!?」


 友達の、身体が倒れた。あまりの衝撃に形振り構わず女を押し退けると、シャナイアは慌ててロイドの元に膝を着く。

 頭がふらつき、声が掠れるも、シャナイアはまだ死から遠い。


「あ……う、そだろ」

「ロイド、ロイド……大丈夫か!?」


 男の包丁が、ロイドの腹に深々と刺さっていた。剣が手から放られ、両手で傷口を押さえている。


「この、よくも!」

「悪魔がああ!!」


 ヴィムが斧で女の頭部を殴り付ける。頭蓋骨を割り、脳を潰し紅が散った。悲鳴さえ出せず、引きつったような呼吸を最後に、女は倒れこみ絶命した。

 セルジが男に弓矢を引く。至近距離で放たれた矢は、男の右眼に突き刺さり後頭部まで貫通した。

 男は紅い隻眼で、シャナイアを睨む。憎悪に歪んだ形相のまま、膝を折り、そのまま横に倒れた。最後に唇が紡いだ名前は、一体誰のものなのか。シャナイアにはわからない。

 悪魔が二人、死んだ。ロイドの腹に刺さった包丁は、抜くことが出来ない。

 大事な血管を傷つけているとしたら、抜いた瞬間に大量出血をする。それでショック死した者を、今までに何人も見てきた。

 だが、このまま放置しておくのも危険だ。


「シャナイア……逃げ、ろ」

「喋るなロイド、大丈夫だから」

「アイリを……頼む、アイツ……オマエのことが」

「お兄ちゃん!?」


 居ない筈の声が、聴こえた。アイリが慌てて、ロイドに駆け寄る。


「お兄ちゃん、大丈夫!? しっかりしてよ、お兄ちゃん!」

「アイリ……どうして」

「ふん、これは一体どういう状況なんだ?」


 次いで、冷酷な声。長い銀髪を揺らしながら、ルカが歩み寄る。

 動揺したのは他の悪魔の方だった。

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