二章⑤ 再会


「どこだ、どこに居る!?」


 思わず、叫ぶ。浅はかなその行動に何よりも、自分が一番驚く。

 一瞬だけ、気が逸れてしまった。


「――ここだ」


 考えるよりも先に、身体が動いた。左足を軸に身体の向きを変え、両手で杖を構える。

 直後、強烈な衝撃が両手を走る。


「くッ!!」


 咄嗟に後ろへ跳ぶ。杖を構え、前方を見据える。声の主はようやく、その姿を露にした。

 刹那、呼吸さえも忘れてしまう。


「……嘘、だろ」

「久し振りだな、翠眼の英雄」


 再び顔を覗かせた太陽が、彼女の姿を色鮮やかに照らす。高い位置で束ねた長髪は艶やかな銀色。褐色の肌に、煌めく瞳は紅玉のよう。

 一点の曇りも無い長剣を構える、美しい女剣士。その凛然とした姿は、記憶にあるものと等しい。


「……何のことかな。初めまして、悪魔のお姉さん?」


 戦慄。必死に平静を装う。


「こんな田舎に何の用? 悪いけど、近くの村に金目のものなんか何も無いよ」

「私の目的は貴様だけだ、ルイ・セレナイト」


 風が、女の髪を揺らす。さらさらと揺れる銀髪は、癖も無くまるで絹糸のようで。

 それだけなのに、どうしても目を奪われてしまう。


「意味がわからないな……ルイ王子はお亡くなりになったことを知らないの?」

「私が間違っているとでも? 有り得ないな、自分を殺しかけた男の顔を忘れるものか」


 地面を蹴り、女が一気に距離を詰める。隻眼でそれを捕えると、なんとか襲い掛かる斬撃を杖で受け止める。女性とは思えない力だ。

 悪魔に性別は存在しないとは良く言ったもので、それは悪魔が秘める力のことを意味している。


「まあ、お互いが合意の上ではあったがな。双方どちらかが死ぬまで終わらない、戦いとはそうであるべきだ」

「くッ……」

「だが、貴様は私を仕留め損なった。『邪魔者』が入ってきたからな。運が良いのかどうかはわからないが、戦争が終わろうと悪魔が滅ぼうと私にはどうでも良い」


 息を交わしながら、女が淀みなく言葉を紡ぐ。


「私はただ、あの時の決着をつけたいだけだ。貴様もそうだろう、翠眼の英雄殿?」

「くっ、そ……」


 今度はシャナイアが女を突き飛ばす様にして、距離を取る。びりびりと痺れる腕が、力では彼女の方が上であることを訴えている。

 聖霊が神術を使うように、悪魔もまた特殊な力を持っている。自らの身体を呪い、身体能力を向上させる『呪術』。これにより、悪魔の中では小柄な女性が大男より腕力が上であることも珍しくない。

 彼女は呪術において相当の実力者である。加えて、剣の腕前もかなりのもの。


「平和ボケしたのか英雄殿? 私は本気の貴様と勝負したいのだ。だから、そのふざけた眼帯を取れ。手に持っているそれも、あのやたら派手な棍杖なのだろう?」


 氷の美貌で、微笑する女。さあ、どうする? 沈黙を保ったまま、自身に問いかける。

 このままでは、彼女に殺される。しかし、要望に答えてやる気は無い。ならば、どうするか。

 シャナイアは、『風』を呼ぶ。彼の神術は風。風はシャナイアが思い通りに姿を変え、力を貸してくれる。

 集中する。殺す気は無い、目くらましになれば良い。


「……残念ながら、人違いだよ。お姉さん、あんたが探しているルイ王子は……もうこの世には存在しない」


 山の香りを纏う風は、操るのに少々手こずる。しかし、準備は整った。


「戦争はもう終わったんだ……それを認めなよ!!」


 シャナイアが右手を上げる。すると、呼応した風がその身を凝縮させ、渦を巻き旋風となる。

 風は女に狙いを定め、地面のあらゆるものを巻き上げる。


「ッ、しまった!」


 女剣士の声までも掻き消した風は、辺りの木々までもをなぎ倒す。ようやく出来た隙に、シャナイアが踵を返す。


 今の内に逃げてしまえば――


「……などと、言うと思ったか?」

「えっ――」


 左の脇腹に、衝撃が走る。視界に散らばる銀色、自分を捕えた紅い瞳。長剣が、シャナイアの放った風をいとも簡単に切り裂いたのだ。

 まともに食らった蹴りに、シャナイアの身体は飛ばされ、巻き込まれなかった大木に激突した。


「ぐっ、あああ!!」


 脳天から爪先まで駆ける激痛。指先に触れる布と、その下に感じる冷たい感触。杖は何とか、離さずに済んだ。


「そういえば……その辺りだったな、父親に刺された場所は。古傷が痛むか? あの時意識はあったんだが、貴様のお陰で身体が動かなくてな。獲物が取られるかと思ってひやひやした」


 息が、出来ない。あまりの痛みに意識が朦朧とし始めた。歩み寄った女がシャナイアの眼帯に手を伸ばす。


「こんなもので隠したとしても無駄だ。私は貴様の顔を忘れない。さあ、素直に正体を――」

「シャナイア!?」


 絶望的な状況に、すっかり聞き慣れた二人の声が飛び込んだ。慌てた様子で駆け寄ってくる彼等は、シャナイアの言葉を護ってくれなかったらしい。

 最悪だった。


「なんで、悪魔がこんな場所に……」

「お、おい悪魔! シャナイアに何か用かよ、そいつに指一本触れてみろ。叩き斬ってやるからな!!」


 脅えるアイリに、激昂するロイド。その手には、抜き身の剣。シャナイアが教えたことを忠実に守ってはいるが、実力差は歴然で。

 掠れる声で、叫ぶ。


「だめ、だ……逃げろ!」

「シャナイア? ……ふん、御大層な偽名だな」


 手を引き、女の興味がシャナイアから逸れる。その瞳が映すのは、ロイドとアイリだ。


「ガキ共、今すぐ消えれば見逃してやるが? こいつに、貴様の命を賭ける価値はあるのか?」

「そいつはおれ達の友達だ! 友達を護るのは、当り前だろ!?」

「貴様等は何も知らないんだな。……私の邪魔をするなら」


 殺すぞ。底冷えする殺気に、鋭い切っ先が二人を睨む。兄妹が明らかに恐怖したのが気配でわかる。


「やめ、ろ……」


 痛みを押し殺し、杖を地面に突き立てる。縋りつくようにして立ち上がると、杖を握り直し構える。


「その二人に手を出してみろ……その前に、俺が!!」


 はっ、とする。今、何を言おうとした?


「……俺が、何だ?」


 女が満足そうに微笑する。おもむろに剣を収め、銀髪を揺らし背を向けた。


「くくっ……貴様に『護りたいもの』でも出来たか? 馬鹿馬鹿しい、そんなくだらないものに現を抜かしているのか。らしくないな」

「俺、は……」

「今夜、もう一度此処に一人で来い。翠眼の英雄殿、貴様も仕留め損なった私を殺したくて仕方がないのだろう? 来なければ、それなりの行動に移させて貰う」


 そう言い残して、女は姿を消した。あくまで、彼女の目的はシャナイアだけらしい。


「シャナイア!?」


 両足から、力が抜けた。崩れるようにして座り込むシャナイアに、アイリが駆け寄り膝を着く。


「あー……嫌な汗かいた」

「シャナイア、大丈夫? 怪我したの? どこか痛いところは無い?」

「大丈夫だよ、鍛えてるからね」

「あの悪魔……まさか、あれが噂の隻眼狩りか? ほら、この前ブーゲンボーゲンで兵士が言ってただろ?」


 ロイドが苦々しく言う。彼女が、そうなのだろうか。


「シャナイアのことを翠眼の英雄って言ってたし……やっぱり、ルイ王子への憂さ晴らしか」

「シャナイア……口のところ、血が」

「え? ああ、ちょっと口の中切っただけだよ。大したことない」


 言われてから、口の中に広がる鉄錆の味に気がつく。拳で拭えば、まだ鮮やかな赤い色が肌を汚した。

 怪我と呼べるものでもない。


「大丈夫だよ、あの人は……俺がどうにかするから」

「で、でも」

「来てくれてありがとう。でも、危ないから武器を持った悪魔に喧嘩を売っちゃだめだよ?」


 重たい両足でゆっくりと立ち上がり、踵を返す。ぞわぞわとした怖気が、背筋を這う。


「ほら、早く行こう? お昼ご飯、食べ損ねちゃうよ」


 得体の知れない何かに追い立てられるようにして、シャナイアが先を急ぐ。


「お、おいシャナイア!」

「待ってよ、シャナイア!」


 ロイドとアイリが、追い掛けて来る。シャナイアの頭の中では、女の言葉が何度も繰り返される。


「今夜、か」


 それならば、好都合だ。二人に聴こえない程に小さな声で呟いて、シャナイアは一人、薄暗い決意を胸に秘めた。

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