雨垂れ島を穿つ。

朝花倉

雨垂れ島を穿つ

 生まれ育った場所の自然を思い出す、子どもの時は自然で遊び、青年の時は自然に対する関心が薄れてしまっていた。地元を出ると、その自然が懐かしく感じることがある人は多くいるはずだ。

  



 屋久島


 洋上のアルプスと呼ばれるこの島は、九州最南端の岬である鹿児島県の佐多岬さたみさきから南南西約60キロの位置にある。1000メートル級の山が多くあり、その中でも宮之浦岳みやのうらだけは1936メートルと九州一の高さを誇る、このことが洋上のアルプスと呼ばれる所以ゆえんである。


 私は毎年夏に一度は帰る、帰ると騒がしい街の喧騒、蓄積された疲労から解放された気がするのだ。しかし今回は、目的としていた解放されることを忘れてしまうくらい、この島の新しい深みに落ちてしまった。いつも帰ればゆっくりと家で過ごすのが、当然のことだった。しかし今回は少し違う、宮之浦岳に登ることが一つの帰省の理由だった。

 子どもの頃は山には何度か登ったことはあったが、宮之浦岳は無かった。大人になり、一度は登らないとという感情があり登ることを決意した。


 日が登らないうちに家を出て、車で一時間ほどかけ登山入り口に着いた。その頃には日も登り、朝焼けで遠くの木々の色が赤く染まりだす。その色は人間に対する怒りを表しているのか、それとも歓迎しているのか、まだそれはわからない。登り終えて、ここに戻ってきたらわかるのだろうか?考えるのはやめにして、まずは登って見なければ何もこの山のことはわからないだろう、いや山のことだけでなく、島の深さについてわからない気がする。

  

 まずは一歩入り込んだ。


 地面は少し湿っている、前日は雨だった。この島は「月に35日雨が降る」とまで言われる。それほどよく雨が降る。なんて人間の私からすれば、鬱陶しい限りだ。鬱陶しいと思うものがいる反面、生き生きするものもいる、それが自然だろう。葉の上などに雨粒を頭に乗せ苔やスギはこうべを垂らし雨の恩恵にお辞儀をしているようにみえる、そんな自然の生き生きとした瞬間が人は好きである、カメラを持ってその瞬間を収めたがる。しかし人間が鬱陶しいと思う雨の時に生き生きとした顔を見せる自然は、私にはまだ人間にそっぽを向いてるように見えた。


 登っていると近くに川がいくつもある、大小様々で水の色も流れの力強さも違う。


 こんな楽しみ方があるのか。


 川や自然に目を落としながら、どんどん深みに入っていく。


 深く、もっと深く。もっと。

 探求心なのだろうか?いや、頭で考えるのをやめた。



 少し足を止める、一度息をすべて口から吐き出す、そして鼻からこの山が作りだす空気を体に取り入れる。味でも無く、腹でも無く、全く別のものが満たされていく。そしてリセットされる。

 

 さらに欲がでてくる。この空間で味覚も腹も満たしたくなったのだ。

 石に腰を掛け、リュックを置き中からガスバーナーと小さいステンレス製の鍋を出す。近くにある川で鍋に水を汲む、ガスバーナーに火を付け、鍋を火にかける。インスタントコーヒーとチョコレートをリュックから取り出し湯が沸くのを待つ。待っている間で少し疲労したことに気づく、しかし心地よい疲労だまだまだ登れる。湯が沸く。火を止め、ステンレスのコップにインスタントコーヒーをいれ湯を注ぐ、安っぽいコーヒーだが良い香りがして心が落ち着く、持ってきたスプーンでゆっくりと混ぜさらに香りを楽しむ。良い加減だ、少し口に含む、この山の深みにどんどん落ちていたのを現実に少し戻してくれた。これでまた冷静に山と向き合えそうな気がしてくる。少しのチョコレートを食べて腹を満たす。コーヒーを飲み干し片付ける、石から腰をあげてリュックを背負いまた私は足を進めだす。


 歩きだすとまた新しい風景が見えてくる。私の目に入る風景を構成するのは木々や川、苔などの変わることの無い要素だが、これがこの山のすべての自然だ、目に入る風景の一瞬一瞬が有名な画家の描く絵にも見えるが、小学生の描く不恰好だが自由な絵が一番しっくりくる気がする。難しいことを一切抜きにし理屈なんか無い、それが私の目に落ちてくる。

 心地が良い。


頂上が見えた。もう着く、体は疲れている。時間がどのくらい経ったかは気にならなかった。

 もう少し。


 着いた。

 達成感が押し寄せてくる、この頂上からの景色はどのようなものだろうと気になってきた。

周りを見渡す、高いはずの山々が下に見える、この景色が頭を混乱させるのだ自分がどこに立っているのかわからなくなるくらいに。

 感動があまりない、いや無い訳ではないのだが感動はしている、しかし慣れてしまったのだ。山の中に散りばめられた感動が多かった、多すぎるくらいに。

 

 山頂では持ってきたおにぎりとウインナーと卵焼きを食べる。そして腹を満たし下山するためのエネルギーを得た。

 


 休憩を終え、下山する。その途中で見える景色は見てきた景色と真逆のものだった。登山の時の景色とまた違う味があった。

 登山の時も深みに落ちていったが、下山も当然深みに落ちていった。この深みはまだまだあるだろう深度は底が知れない。

 この島の深みは多くの自然が作り出していて、人間もほんの少しだがその深みに関わらせて頂いていると思いたい、しかし立役者は雨だろう。雨が一番深みを増させている、それはこの宮之浦岳の自然の姿を見てわかった。


そして山に別れを告げる場所に着いた。

すべての体の灰汁が抜けた気がした。


山を出て登る前の疑問について考えたが、まだ山に歓迎されていたのか、されてなかったのかはわからない。これはまた登らないといけない理由ができた。いや登らせてしかない。


ごちゃごちゃと人間臭く考えたが最後の夕日は私の頭をクリアにするには充分な色だった。





 











 





 


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雨垂れ島を穿つ。 朝花倉 @Yutokaza

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