あの日、願いをかけたのは

Lyra

 その大きさを目にした途端、デカ、と思わず呟きが漏れた。辺りをちらと見回せば数組の家族連れにカップル、それぞれがやはり思い思いに感嘆の声をあげている。


 針尾無線塔。

 日本遺産の指定を受けたこの場所は、佐世保市内に幾つかある他の歴史的建造物とともに、今秋、スタンプラリー企画のポイントとなっている。


 市役所勤めの僕としては、主催の観光課と直接的な関わりこそないものの、盛況であるか気になるところ。行楽日和の日曜にひとり、家でグダグダしているのも虚しくて、愛車を走らせ自宅から一番遠いここを一箇所目、と決めた。遠目から見ていただけでは、この大きさも真に分からないままだったろう。大人になった今だからこそ、この距離まで近づける不思議さを感じる。

 

 休みの日にやるべき事がある、ってモチベーション上がる、地味だけど。駐車場の空きスペースは案外少なく、県外ナンバーや大型バスも目立つ。受付では案内役のガイドさんが団体相手の対応に追われていた。あ、おひとり様はスルーですか。大丈夫、僕はひとりでできる子です。記帳台のノートへ記名を済ませると、スタンプラリー帳を手にとり早速 押印。真新しさの残るそれが紙面から離れる瞬間じわ、と音をたてる。よし、綺麗。丸い枠の中にきちんと収まった。几帳面なA型、こういうところに整然さを求めてしまう、地味だけど。


 満足げな僕へ、手隙になったのかガイドさんが参加賞をどうぞ、と声をかけてきた。どれか一枚選んで、と差し出されたのは写真ハガキ。スタンプ設置の七箇所の景色が、プロの手によるものなのかそれぞれ美しく撮られている。僕は迷わずここを選んだ。あの日、あの子と見た景色とは、ちょっと違うアングル。


 「入口の扉は、重たかですけど開けてもよかですよ。中には入れんですけん、見終わったら閉めとってください」


 拍子抜けするほど簡単な注意事項を耳にして、僕は塔へと足を向ける。舗装などされていない凹凸の目立つ土の上を一歩ずつゆっくりと進む。市街地を離れ、鬱蒼と生い茂る木々に秋の陽光が遮られた静かな空気に、わずかな心細さを覚えた。とはいえもともとが軍事施設、そんな拓けた煌めかしい場所に建てられるわけがない。なんとなく空の青を探したくなって、上空を仰ぎ見た。


 「……そうそう。三つ、やんね」


 この、大正11年に完成した送信施設は当時としては珍しいコンクリート構造で、しかも現在の貨幣価値に換算すると250億円超もの巨費を投じられた重要施設…、って、受付に置いてあった案内資料の受け売りだけどね、コレ。

 たぶん、市民の大半が重要文化財だということもよく知らない。僕と同じく、詳しいことを知ろうとしたことがない、と思う。いつも変わらずここにあったから、いつまでも変わらずこれからもあり続けると盲信したまま。


 でも、知っていることもある。

 この塔は全部で三つあって、真上から見ると正三角形のそれぞれの頂点に位置している。今、僕をめぐる360度の視界には、前方を覆う高さ136mの一つ目と、距離をおいて後方に細長くそびえ立つもう一つ。恐らく歩を進めて行けば、残る一つも左右どちらかにお目見えするだろう。

 全景を臨む県道を車で走ったなら、とらえる角度にもよるが、三塔の一部が重なって二つに見える数瞬がある。いつの頃から、誰が言い始めたのか定かでないが、その時を逃さず願いをかけたらいつか叶うのだと教え伝えられてきた。


 あの日。

 高総体の応援の帰り道、だったのかな。マイクロバスの最後部にあの子と並んで共有した、三つの塔が二つに見えた瞬間。かけた願いは何だったか。


 それから、もうひとつ。

 太平洋戦争の始まりを告げた「ニイタカヤマノボレ1208」なる暗号はここから発信されたという…、


 「えー、嘘! 事実かどうかハッキリせんとってよ? ナオ」


 後方に突然、降ってわいた甲高い声に思わず肩をすくめる。ビビリなわけじゃない。僕も今、案内資料にある、まさにその一文を読んでいたところ。え、これホント?


 「マジか! うちらが教えられたとは何やったと? えー、なんかショック。高山くーん!」


 振り向き、はい、と思わず返事をしそうになった。

 僕が呼ばれたんじゃないだろうに。

 懐かしい、聞き覚えのある声だったから。


 「何? 突然…、ってああ! あの高山くん? 高校ん時の。あんた好きやったよね?」

 「好きやったー、高山 ノボルくん。知っとった? 誕生日12月8日よ? ここに縁のある人と思わん?」


 ……えー。コレ、なんのフラグ? 何かの罰ゲーム? 僕のドッペルゲンガー的な誰かのこと? それとも。


 凸凹道をゆるゆると歩いていた僕の背を声の主たちは足早に追い抜き、気持ち整備された階段らしき傾斜を軽やかに進んで行く。

 ああ、ヤバい。どうしよう。二つの背中のどっちが「ナオ」ちゃんなのか、僕は分かってしまった。


 「高山くん、3年の時、体育祭の応援団長に選ばれてさ。そっから女子人気の高ぅなってねー、あんま話せんまんま卒業したっちゃんね」

 「10年も経つとによう覚えとるね、アンタ。アレたい、市役所 行ってみたらよか。おらすやろ? 子ども未来部」

 「一番 用事なかもん。子どもの前にダンナもおらんとに」

 「あー、ね」


 そっか、そうなんだ。ダンナさん、いないんだ。良かった、って。ホッとしている僕が、あの日、願いをかけたのは。


 「どがんしとらすやろ、高山くん。子ども未来部、とかやけん、もう結婚してお父さんになっとらすかな」


 あん時、いつか、って願ったとにね。


 数歩、先を行くナオちゃんがもしも振り向いてくれたならその時は、どんなひと言から始めればいいんだろう?

 いや。受け身の待つ身じゃ駄目か。今日だってこうして、動いてみたから何かを手に入れられそうなのに。

 

 とりあえず。

 さっきの「好き」の過去形を、全力で否定してくれないかな。その鉄扉は重いらしいよ? 僕が開けるから。


(完)

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あの日、願いをかけたのは Lyra @lyraberry

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