ゆらり、夢うつつ

中川那珂

ゆらり、夢うつつ

 水の中を泳ぎながら逃げ回りながら、いつも空に叫んでいた。言わずにいられなかった。


「ねえ……! ちょっと! やめなさいよ、その子嫌がってるでしょ!!」


 新しい"生"と向き合ったり諦めたりした仲間を横目に、ワタシはまだ諦めきれないでいた。

 今も、嫌だ嫌だと体を震わせる新入りを庇おうとしたのに呆気なく退けられて水に落ちてしまった。


「痛いじゃないっ!!」

「まーた、やってる。もう、諦めな……!」


 どこにいても目立つ黒い彼が、丸い瞳でこちらを睨んできた。そんな顔されたところで何も怖くない。

 新入りの次はワタシを標的にしたようで、執拗に追い回してくる。


「来ないでよ! もう! なんで、聞こえないの!?」


 人間の手は、ワタシを握りつぶしてしまいそうなほどあって、その手にワタシを捕まえる恐ろしい武器が握られている。何度も何度も世界の中を回って「他のにしよー」と、声が聞こえるまで、必死にヒレを動かした。


「…………はっ、はぁーー、ムリ……疲れた…………」


 底に沈んで息を潜めていると、寄り添うように新入りがやってきた。彼もまた、つい先程まで追い回されていた一匹だ。


「人間ってそういう生き物なんだから……何も変わらないよ……」


 新入りが、全てを諦めた瞳で諭すように口を開いた。そんな顔されると心臓が痛い。


「変わらないなんてわからないでしょ。これだけ人間がいれば、いつかはワタシの声が聞こえるかもしれないんだから」


 負けたりなんかしない。捕まったりなんかしない。

 意気込みを見せるように、空気を求めて水面へと泳いだ。

 "ワタシ"が生まれ育った場所は、海よりもずっとずっと小さな場所。箱のような場所。そこでの生活も然程気に入っていたわけじゃないけれど、気付けば強制的に旅立たされて、ワタシは今この狭い世界を生きている。海とは違う温い水。体力を奪うほどの水質に、周りの騒々しさ。――この世界は好きになれない。 


「昔の記憶があるっていうのも……なんだか、可哀想だな……」

「可哀想なんかじゃない。どうにかなるって思えるんだから幸せよ、ワタシは」


 人間はこれを"お祭り"と言って、騒々しくワタシ達を攫っていく。体と変わらないほどの何かで簡単に掬いあげて、小さな世界に入れられてどこかへ行ってしまう。

 攫われた仲間は、誰一人帰ってきていない。アレに捕まったら帰ってこられない。


「わーー! パパ! この子、まっかっか!」

「おい、お前また狙われてるぞ」

「大丈夫、相手はまだ子ど…………キャッ!」


 完全に油断していた。

 子どもだから怖くないではなく、子どもだから武器が大きいということにもっと意識を傾けていないといけなかった。


「おい!! もがけ!」

「もがいてるわよッ!!」


 いつもよりも大きくて堅い武器。人間の肌と同じ色をした何かに掬われて、体全体を使って抵抗を見せるも、呆気なく新しい世界へ落とされてしまった。

 ぽちゃん、と自らの体が落ちていく音を他人事のように聞いていると眼下では仲間が大騒ぎしていた。


(ああ……、もうおしまいだわ……)


 事態を把握すると、焦りや悲しみよりも疲れの方が大きくてその場で静かに息をした。水面から顔を出して、さようならの代わりに何度かヒレを振った。


「まいどありー!」


 小太りの大人は、ワタシを窮屈な袋に入れて子どもに手渡した。すると、子どもは袋越しにワタシの体を値踏みするように眺め始めた。


「や、やめなさいよ……失礼ね」


 真っ黒な瞳には、今のワタシの姿が映り込む。赤くて背ビレが大きくて、昔の自分とは全く違う姿。


「本当に……、魚になってしまったのね……」

「これからよろしくね、金魚さん」


 わかってはいた。知っていた。――みんながワタシを"金魚"と呼ぶから。



 *



 子どもは、自らをユウと名乗った。

 一体これからどんな地獄が待ち受けているのかと身構えたのも数時間のことで、驚くほど高待遇に拍子抜けさえしたものだ。


「金魚さん、ただいま!」

「おかえりなさい」


 今、ワタシは家の入口に置かれた箱の中に棲んでいる。

 今までにいた世界で最も広い箱には水草も隠れる場所もたくさん容易されていた。それに、ブクブクと空気が送られてきて、決まった時間にご飯を貰えて、夜になると明かりが消されて――とくに何の不自由もない生活。強いて言うなら、仲間がいない。

 寂しくも広い、ワタシだけの世界。


「ご飯だよー!」


 口を開けて、空から降ってくる茶色いご飯を流し込む。落ちそうになるのを下から掬うように食べて、また食べて、石に落ちたものも残さないで食べた。


「金魚さん、ごちそうさま?」

「うん、ごちそうさま」


 答えているのに聞こえないというのは、思っていたよりもずっとずっと寂しい。

 聞こえないとわかっていても一縷の希望にかけて、歌を紡いだ。昔のワタシが得意としていた歌。


「――あれ…………? なんかね、最近とてもキレイな歌が聞こえる気がするんだけど、誰にもわかってもらえないんだよ」

「えっ」

「ふんふん、ふふん、ふーん、ふん……」


 ワタシの国に伝わる子守唄を、音を探るように歌い紡いでいくユウの姿に叫ばずにいられなかった。


「聞こえるの? ワタシの歌!?」


 箱に頭を打ち付けて、何度も問いかけた。


「まあ……いっか! じゃあ、俺、パパと釣りしてくるね!」

「ユウ! 待って!!」

「いってきまーす!」

「ユウ! …………いってらっしゃい」


 何度も、何度も、声をかけているのに。一度だって、返事をしてくれない。


「そうよね、人間なんだから」


 ワタシが人魚だった頃、人間は恐ろしい生き物だと聞いていた。

 恋をさせて人魚を拐かしてしまうとか、人魚を殺して食べてしまうだとか。万が一、食べられることを免れたとしても見世物にされて一生帰ってこられないだとか。もう本当に酷い話ばかりだった。

 実際、ワタシは掬われた。見ず知らずの子どもに攫われた。


「でも、…………怖くない……」


 怖いことなんて何ひとつない。

 丸い瞳でこちらを覗いて、無邪気に笑って、たくさん声をかけてくれる。


「怖い人間でいてくれたら、もっと、楽だったのに……」


 いっそ、怖いままでいてほしかった。見世物にされてもよかった。こんな想いをするなら食べられた方が幾分かマシだったかもしれない。

 人魚のまま出逢っていれば、何か違ったかもしれない。


「なんか、お腹いっぱいになったら眠くなってきちゃったな……」


 家の中には誰もいない。箱の中にも、もちろん誰もいない。空気が送られる音だけが篭って聞こえている中で、そっと目を閉じた。



 *



 体が重い。冷たい、寒い。


(金魚になってから重さなんて感じなかったのに……)


 おまけに、瞼まで重い。


「……ま、ぶた!?」


 慌てて飛び起きると、首飾りがシャラン、と小気味いい音を立てた。


「え、なんで……!」

「お目覚めですか」

「お目覚めって……、ワタシ……」

「魔女の呪いを受けたとお聞きしたときは、心臓が止まるかと思いましたよ。ご無事で何よりです……」

「じい……」


 幼い頃より、多忙な父と母の代わりに面倒を看てくれている彼は「最近、涙腺が弱くて……」と言い訳がましく涙を拭う。何度拭いても酷い顔をするものだから、服の裾で無理矢理に拭いてやれば弱々しく笑った。


「ありがとうございます、姫」

「ところで、ワタシには何が起きていたの? 何だか、長い夢を視ていた気がするのだけど……」

「はい、一からご説明いたします」


 ロマンスグレーの髪を撫でつけて、咳払いの後、ゆっくりと話し始めた。

 ――事の始まりは、ワタシの好奇心。

 魔女が棲んでいるという洞穴に面白いモノが眠っていると聞いて、いてもたってもいられなくなった。面白いモノの詳細なんかどうでもよくて、ただ、秘密基地のような建物が気になっただけだったかもしれない。


(もう、随分と昔のことのように、あまり思い出せないけれど)


 とにかく、ひとりきりで洞穴に忍び込んでまんまと見つかってしまい、怒りをかって呪われた。あまりにも自業自得な結果に、下げた頭が上がらない。


「ごめんなさい、本当に……」

「危ないと、何度も申しました」

「……そうね、何度も聞いていたわ」

「それから、異変に気付いた小魚達が知らせにきて……そこからはもう大事(おおごと)です。ご想像はつくと思いますが」


 申し訳なくて、もうこのまま海の藻屑になってしまいたいほど。頭を上げてと何度も言われて、ゆるゆると上げるとまた泣きそうになっているじいが目に入った。


「魔女に直談判したのは、王様です」

「え?」

「何度も交渉を重ねて、姫を起こす魔法をかけるよう説得したのです。長い夢を視たというのも、可能性としては充分にありえます」

「夢……。どんな内容かもう、よく思い出せないけど…………」


 起きた瞬間から、輪郭がボヤけてしまっていくのを感じていた。


「胸が痛い、夢だった気がする……」

「なんと……! 夢の中でまで、お辛かっただなんて……!」

「いや、そんな大袈裟なものじゃない気がするけど…………なんだったかなー」

「そういえば、姫。姫がお眠りになっている間に、海辺に我が国の子守唄を歌う子どもが現れたと話題にあがりました」

「子ども? 人間が、どうして……?」

「理由はわかりません。不可思議ですが、とくに害もないもので何も手出しを出来ないでいます」


 ふと脳裏を過る"この歌声が届きますように――"という言葉。苦しいほど叫んで、願っていた。何度も傷付いて、涙した。


(誰が? ワタシが??)


「あっ……夢に、人間が出てきたことは覚えてるんだけど……」

「なっ!? 今度は人間ですか? いけませんよ、下手に顔を出しては!」

「わ、わかってる…………って、たぶん」

「姫様!!」

「大丈夫! 大丈夫よ!」


 前のめりになるじいの両肩を掴んで押し戻し「人間がどれだけ怖いか」について、何度も聞いた話を聞かせてくれた。

 恋をさせて人魚を拐かしてしまう。人魚を殺して食べてしまう。見世物にされて一生帰ってこられない。――想像通り、いつも聞いていたものだった。


(本当に? 人間って、怖い……?)


 バクバクとうるさく音を立てる心臓に巣食う違和感。人間は怖い、当たり前の教訓に「違う」と心が叫んでいる。


「…………っ、あれ……?」


 頭の中にワタシのことを呼ぶ声が流れた。今のワタシと違う名前で、何度も何度も呼ぶ声。


「姫?」


 鼻の奥がツンと痛み、心臓がキュウッと締め付けられて、気が付けばじいのことを馬鹿に出来ないほどの涙が溢れていた。


「どうかいたしましたか……?!」

「う、ううん。なんか、夢のこと思い出しただけ……」


 思い出しきれていないのに、涙が止まらない。

 ただいまの元気な声。ワタシのことを呼ぶ優しい声。くりくりの黒い瞳。ワタシの歌をキレイだと言ったときの横顔。


「……………、ウ」


 そうしてようやく、会いたかった人の名前を思い出した。

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ゆらり、夢うつつ 中川那珂 @nakagawanaka

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