リニアとたぬき

さいとし

リニアとたぬき

「橋本方面への車両は終了しております」


 うん。わかってた。わかっていて、京王相模原線の最終電車に飛び乗ったのだ。私は引き出物で重い紙袋を抱えたまま、京王多摩センター駅に放り出される。あと3駅で私の家。けれど、その間には山が二つある。越えるだけで夜が明けそうだ。

 酔いもだいぶ覚め、テンションも下がり、二次会会場をあとにした時の苛立ちも虚しさに取って代わっている。おとなしく新宿でオールに付き合えばよかった。後悔先に立たず。しかし、飲みに参加しても、それはそれで後悔をしただろう。

 駅前のタクシー乗り場には長い列ができている。私は少し横着することにした。幹線道路沿いのコンビニに寄り、缶コーヒーを買って駐車場の入り口で待つ。駅のロータリーに戻る前のタクシーを、このコンビニ前では結構な確率で拾える事を、会社の同僚から聞いていた。


「どこまでですか?」

 同僚の話は本当だった。さほど待たずにタクシーが現れ、すかさず手を挙げた私の前で止まった。運転していたのは丸顔のおじさん。バッグと紙袋を座席に放り込んで一息つく。

「とりあえず、多摩境駅の近くまで」

「あー、橋本行きの終電逃しちゃったんですか。多摩センターで止まるって、中途半端ですよねぇ。引っ越してきたばかりの人とか、新宿から一本だから油断して立ち往生しちゃうこと、よくあるみたいですし」

「私は地元民ですよ。でも今夜はやっちゃいました」

 よく喋るタイプの運転手さんだった。車は滑らかにスタートする。ナビは使っていない。黄色点滅する信号を通り過ぎ、タクシーはすぐに一つ目の山を抜けるトンネルへ入った。

「地元ですか。私も今の多摩境あたりの生まれでね。橋本に高層ビルがぼんぼこ建つ前から、あの辺をよく知ってますよ」

「中学は駅のすぐ近くです。でも、もうすぐその学校、取り壊されるんですよね」

 運転手さんは丸々とした手で、ハンドルをぽんと叩いた。

「あれだ、リニアですか!」

「そうそう、それ。リニア駅の予定地になるとかで、移転するらしくて」

 橋本リニア駅構想。2014年あたりから誘致活動が始まって、翌年には本決まりになった。東京から名古屋までをつなぐリニアモーターカー、その神奈川県内駅が橋本にできる。私が子供の頃から、10年後には実用されると言われ続けていた、未来の列車。磁力で宙に浮いて走り、最高速度は時速500km以上。

「橋本駅と国道の周辺、土地の買い上げが盛んだそうですよ? この前乗せた不動産業の方が言ってました。買い上げた土地は、だいたいが物流センターになるんだって。遊ばせておくよりいいし、すぐに別の施設へ建て替えることができるから。きっと、最終的には駅施設にされるんでしょうね」

「私の母校も、倉庫になるんですか」

「そうかもしれませんねぇ」


 車は坂道を下り、京王堀之内駅の手前を通りすぎる。対向車線、その向こう側は暗い川。

「今日は、友達の結婚式だったんです。その、今度取り壊される中学の同窓生。ちょっと浮世離れしてる、地に足ついてないというか、そんな子だったんです」

「リニアみたいな?」

「うまいこと言いますね。そんな感じ」

 そう、彼女はリニアみたいな娘だった。ふわふわした態度、きままに振る舞い、興味のある方へと時速500kmですっとんでいくような。

「それがいつの間にやら、かっちりした職について、子供作って結婚ですよ。中央線のごときカッチリさですよ」

「あはは、そんなもんです」

「アラサーになった今、私の方がよっぽどフラフラしてます」

 なんでもできるね、結婚も早いだろうねと言われ続けた小中高。合コンの誘いを断って、本を読みふけっていた大学時代。卒業してしばらくすると、親も結婚の話をしなくなった。家は出たものの、結局は相模原線周りで暮らしている。

「夢物語だったリニアが現実の計画になって、そいつのおかげで母校は取り壊されて。自分の浮世離れが加速してくみたいです」

 警察署前を通り、南大沢の陸橋をくぐる。大聖堂風の大学キャンパスを左に見ながらしばらく進めば、多摩ニュータウン通り最後のトンネルにさしかかる。その向こうが多摩境の駅。


「じゃあいっそ、お客さんもこっちに来ますか」

「へ?」

 トンネルに入ったタイミングで、運転手さんが妙なことを口走った。

「昔から居たもんですよ。どうしても人間の群れに馴染めなくて、山に入ってくるヒトが。天狗って呼ばれてね。この辺じゃあ有名なのはいないが、ほら高尾山あたりじゃ祀られてるでしょう。私らからしちゃあ、わざわざ故郷を捨ててくるなんて、実にもったいない話ですがね」

「何の話をしてるんです?天狗?」

「お客さんの気持ちも、まあわかりますよ。なんにも考えずに好き勝手のんびりやってて、そしたら急に故郷の景色がガラリと変わっちまった。根無し草になった気分だ。私の仲間たちも同じ目にあってね。いわゆるノイローゼになって、無気力なまま死んじまったのもずいぶんいました。私は意地汚い性分だったから、こうしてなんとかやってますがね」

 バックミラーごしに運転手さんの顔を窺おうとして、ぎょっとする。さっきまできれいに剃られていたぽちゃぽちゃの顎に、茶色い獣の毛がびっしり生えていた。

「ちょっと、降ろしてください!」

「まぁまぁ、天狗候補生にサービスということで」

 車がトンネルを抜けた。いつもなら、抜けた途端に大きなマンション3棟が目に入るはず。けれど。

 トンネルの先は、真っ暗な林だった。むっと湿度が増した空気。湿度?車内なのに?

 私は尻餅をついた。木の根が手に触れる。タクシーの内装は消え去っている。ふくろうだろうか。どこかで鳥が鳴いている。街灯がまったく無い。あまりの暗さに、視界は墨を塗りたくられたよう。

「私らの森は、こんな感じでした。どうです。いいところでしょう」

 運転手さんの声が聞こえた。座り込んでいる私のすぐ脇で。思わず立ち上がる。振り回した手に木の幹が触れ、それに背を預けた。

「ずいぶん永い間、この辺は手つかずの森でした。人間との関わりといえば、時折農家をからかう程度で。ですがね、30年ちょい前に、一気にあたりの景色が変わっちまいました。丘が、尾根が、ごっそり削られて多摩ニュータウンになっちまった」

 声が私の周囲をぐるぐると回る。足元、膝の高さで。

「化かされたようだ、ってのはあんな気分のことを言うんでしょうな。何百年も変わらなかった景色が、たった数年で消え去った。私らが山を駆け回っていた時代が、まるで幻だったかのように。今じゃあ、本当に幻だったような気までしてきます」

 私は胸に手を当てて、息を整える。次第に、暗闇に目が慣れてきた。

「そろそろ、周りが見えてきたんじゃないですか? 足元に気をつけながら、ちょっと前へ進んでみてください」

 私はつま先を延ばして、先の地面を探りながら、一歩一歩進んだ。柔らかい土にヒールが沈んで、ひどく歩きづらかった。

「ほら、あなたの故郷の町は、ほんのちょっと前まで、こんなだったんですよ」


 視界が開けた。


 月明かりの下、梢が波のようにざわめいている。無数の影。濃いものも、淡いものも。人の目には、すべて影にしか見えない。それが眼下を埋め尽くしている。遠く遠く、微かに山の稜線が見える。相模原の山々だろうか。それがギザギザの切り取り線のように天と地とを分けている。青黒い雲をたどって視線を上げれば、ぼんやりと暈をまとった月。

 人のものと思しき灯りは、森の切れ目に幾つか頼りなく揺れているだけ。高層ビルの群れも、そこへ向かってまっすぐ伸びる列車の明かりもない。

「こんな立派な森でもね、あんたら人間がその気になったら、あっという間に消えちまいました。想像もできないでしょう」

 言われた通りだった。目の前の景色はあまりに荒々しく、力強く、人がどうにかできるものには見えなかった。

 それでも、ここは数十年後、私の故郷の街になるのだ。

「リニアが通れば、また景色は変わるでしょう。地震が起きるかもしれないし、相模原駅前の米軍基地が拡張されるかもしれない。山の中腹を削って作った住宅街なんて、本当はいつ崩れて消えてもおかしくないんです。それでも、私たちもあなたたち人間は、それを永遠のものだと思いたがる」


 そうだ。

 私は故郷がずっと変わらないものだと、なんの根拠もなく考えていた。自分の故郷そのものが、この景色を夢まぼろしにして立ち現れたものなのに。

 故郷も、自分の居場所も、あの娘も、みんな変わらない永遠なんだと思いたかったのだ。

 ふわ、と緑色の光が視界を横切った。驚いて周りを見渡すと、木々の間を同じ淡い光がいくつも漂っていた。

「運がいいですね。この辺には『今も』蛍が棲んでるんです」

 蛍はふらふらと闇の中を頼りなく踊る。蛍の成虫はせいぜい一週間ほどしか生きられないらしい。食事もろくに取らず、子供を残してすぐに死ぬ。

 少し羨ましくもある。

「運転手さん。私、いい年してちっとも成長してなかったんだなーって、今更わかりましたよ。明日も明後日も、学校がずっと続いてると思ってた頃から」

「人間の成長が遅いのは有名ですからね」

 ふん、と湿った鼻息が、足元で聞こえた。


 小山内裏トンネルの真上、山の尾根にある東屋で、私は目を覚ました。コンクリのベンチに転がっていたせいで、背中が痛い。髪はギトギトで服は汗臭く、ヒールは折れてタイツは破けているという散々な状況。おまけにバッグと紙袋が荒らされて、式場でもらった高価そうなクッキーが持ち去られていた。

 引き出物の皿も割れていたけれど、そちらは別に惜しくなかった。財布から、きっちりメーター分の料金が抜かれていたのには、さすがに笑ってしまった。

「…引っ越すか」

 手近の水飲み場で顔を洗い、一息ついてからつぶやく。以前から、少し考えていたことではあるのだ。いいかげん、古巣を後にするべきだと。

 でもまぁ、蛍の季節に帰ってくるくらいは、自分に許してやろうと思う。


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リニアとたぬき さいとし @Cythocy

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