第17話 相続会議

「な、ななな……」


 慌てるぼくとは対照的に、ルシルはケロッとしたものだ。


「世界樹の葉って、人によって効果の出方が全然違うんだけど、ミツルは効果が出やすい体質みたいね。あんた、やっぱりこの村に向いてるわ」


 ルシルは一人でニヤニヤしながら、うんうんとうなずく。


「あ、そうだ! マリコとユウを呼んでこないと」

「母さんたちは、いまどどこに?」

「別の部屋で休ませてる。二人ともミツルに付き添いたがっていたけど、大勢でこの部屋に詰めるとうるさくなっちゃうし、ミツルに迷惑かなって。だから交代で付き添いすることにしたのよ。さっきまではマリコの番で、1時間くらい前にあたしに替わったところ」


 ルシルは「ちょっと待っててね」というと、部屋を出ていこうとした。そのとき、


「ねえ、ルシル」


ぼくはなかば無意識に、ルシルを呼び止めていた。


「なぁに?」


 怪訝な顔で振り向いたルシルを見て、ぼくは不思議な気分になった。

 彼女には、何か聞かなきゃいけないことがあった気がする。なんだったっけ……?

 寝ているときに見た夢と関係がある気がしたけど、夢の記憶はすでにおぼろげになっていた。


「えっと、ごめん……何を言うとしたか忘れちゃった」

「ふふふ、変なの! 起きたばかりだから、まだ混乱しているのね。しばらく横になって、ゆっくりしてなさい」


 そう言って部屋を出ていくときにルシルが見せた微笑は、とても優しげだった。


* * * *


 ぼくが寝ている部屋に、ルシルと八木さん、そして母さんが揃うと、微妙な沈黙が訪れた。

 ぼくはベッドに座り、母さんと八木さんはソファ、ルシルはベッド脇の椅子に腰かけている。

 互いが互いをチラ見しながら、何から切り出せば良いか迷っている雰囲気。


「えっと……」


 何気なく口を開くと、全員の注目がぼくに集まった。

 とてもやりにくい雰囲気だが、ここはぼくが進行役を買って出るしかないようだ。


「母さん。ルシルと八木さんから、だいたいのことは聞いたよ」

 

 母さんはため息をつきながらうなずく。


「そう。で、あなたはどうしたいわけ?」

「えっと……それは……」


 予想外の質問が返ってきて、ぼくは戸惑う。

 その前に、母さんからの釈明なり説明なりがあると思っていたからだ。

 なぜお祖父ちゃんについて嘘をついていたのか。お祖父ちゃんと決裂した原因はなんだったのか……。

 森で会ったとき、母さんはこの保護区のことを「実家」と呼んだ。おそらく、母さんはここで生まれ育ったのだ。そして、何かのきっかけがあってお祖父ちゃんと縁を切り、家を出た。

 二人の間で何があったのかは知りたかったが、いま母さんにそれを聞くのはためらわれた。


「……もし、ぼくがここを継ぎたいと言ったら、どうするつもり?」


 逡巡しゅんじゅんした末、ぼくがひねり出したのはそんな質問だった。


「別に。好きにすればいいんじゃない?」


 即答だった。意外な答えに、ぼくは戸惑いを深くする。


「止めるんじゃないかと思った」

「なんでそう思うの?」

「母さんは、お祖父ちゃんと仲が悪かったんでしょ?」

「まぁ、仲が良かったとはいえないわね。でも、嫌いじゃなかった。父さんも、この保護区も」


 核心に触れない、はぐらかすような答え。


「マリコは素直じゃないからね。変に意地っ張りなところはソージローとそっくり」


 ぼくが母さんの本心を推し量ろうとしていると、ルシルが口を挟んできた。


「なんですって、この性悪エルフ。もう一度言っていなさい」

「ふふん、やはりマリコとは一度決着を付けないといけないようね」


 変な横やりで事態が混乱してきたが、そこにすかさず八木さんが「まぁまぁ」と割って入る。


「そんなことより、深蔓みつるさんの意向を聞きましょう。ケンカなんかいつだってできるじゃないですか。ね?」

「誘拐みたいな真似しておいて、よく本人の意向だなんて話ができるわね」

「ははは……。過ぎたことは良いじゃないですか。ねえ、深蔓さん?」


 八木さんがぼくのほうを向く。口元は笑っていたが、目には真剣な光があった。


「深蔓さんは今日、この保護区の意義を知ったはずです。難民となった異世界のエルフを保護し、同時に異世界からの侵略を阻止するための防波堤を築く……。常人にはできない偉業です。そして、その偉業の立役者たる草二郎さまは、あなたを後継者に指名した」


 そこまで言うと、八木さんは「ちょっとズルい言い方でしたね」と自嘲するように笑った。


「しかし、あえてズルい言い方をします。。さて、どうしますか?」


 ぼくは答えに詰まり、周囲を見回す。

 母さんはぼくから目をそらすようにそっぽを向いていた。何を考えているのかは分からなかった。


 ルシルと目が合った。ぼくは思わずぎょっとする。

 なぜなら、ルシルの表情から、かすかな不安の色を見て取ったからだ。

 これまでの彼女からは想像もできない、何かにおびえるような顔。


「……やってみます」


 なぜそんな顔をするんだろう……と疑問に思う間もなく、ぼくの口は独りでに言葉を紡いでいた。

 自分でもよく分からないが、ルシルを突き放してはならない……そんな気がしたのだ。

 アルバイトしかしたことのない二十八歳が何の役に立つのかは分からないけど、ぼくはここにいなければならない——正体不明の直感がそう告げていた。


 ぼくの答えを聞いて、八木さんが「え、本当ですか?」と目を丸くした。

 おい、あんたがやれって言ったんじゃないかよ。


「ははは……失礼。深蔓さんならイエスと言ってくれそうだと思ってたんですが、決断はもっと先になるだろうと……。時間をかけて、外堀を埋めるようにプレッシャーをかけていこうと思ってたんですよね。茉利子さんも強硬に反対するだろうと踏んでいたのですが……いやはや。杞憂でしたね」


 おい。ちょっと待て、そこの腹黒公務員。


「ミツル!」


 八木さんに何か一言言ってやろうと思っていると、ルシルがぼくに抱きついてきた。

 花の香りのような甘い匂いと、柔らかい肌の感触に包まれ、ドキリとする。


「お前はそう言ってくれると思ってたよ。今日はゆっくり休みなさい。明日から、手取足取り、ここの流儀を教えてやるから」

「わ、わかったから、ちょっと離れて……」


 そのとき、「ふう……」と小さなため息めいた声が聞こえた。

 声の主は母さんだった。

 母さんは、あきれるような、それでいてどこかほっとしたような、不思議な顔をしていた。


「深蔓」

「あ、母さん……ごめん、急に決めちゃって……」

「別にいいのよ。いつかこうなりそうだとは思ってたから。だからわたしも決めたわ」


 母さんはソファから立ち上がると、ぼくのほうに歩み寄る。

 頬にはいたずらっぽい笑いが浮かんでいた。


「わたしもここに住んで、あなたの仕事を手伝ってあげる」

「え?」

「げっ!」

「冗談ですよね?」


 驚きの声を発するぼくたちに向けて、母さんは高らかに宣言した。


「ありがたく思いなさい」

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