第13話 世界樹の葉

 村に向かう山道を下りながら、ぼくは今日自分の身に起きたことを反芻していた。

 バイトに行こうとしたら、自称高級官僚と自称エルフに拉致されて秩父まで連れてこられた。とっくの昔に亡くなったと聞いていた祖父が実は最近まで生きていて、エルフの保護区を作っていたという。

 エルフの保護区は、実際は異界の魔物からこの世界を守るための前線基地で、どうやらぼくはその責任者にならなければいけない……らしい。


 なんら現実感を感じなかった。これは夢じゃないんだろうか?

 思い悩むぼくの横では、頭痛の原因タネが得意げな口調でしゃべっていた。


「でね、」


 村へと戻る道すがら、ルシルは例のエルフ煙草をふかしながら、はしゃいでいた。

 主な話題は、エルフ部隊が使っているプログラムの話なのだけど、専門的な話が多い上に、副流煙を吸わないように気をつけていたので、内容はまったく頭に入ってこなかった。


「ちょっとミツル! あたしの話、ちゃんと聞いてる?」


 聞いてはいるのだが、脳がキャパシティオーバーを起こしている。


「まぁ、なんとなくは。ところで、その煙草は何でできてるの?」


 とりあえず、話をそらすことにした。

 さっきルシルは、異世界から持ち出せたものはほとんどなかった、と言った。

 じゃあ、エルフ煙草の原料はなんだろう……と気になっていたのだ。


「これ? さっき丘の上で見たでしょ。世界樹。あれ」


 そう言いながら煙をフーッと吹きかけてきたので、慌てて手を振って吹き飛ばす。

 八木さんも盛大に迷惑そうな顔をしている。


「やめてください、ルシル。深蔓みつるさん、その煙草の原料は世界樹の葉を煎じたものです。煎じると、多幸感と幸福をもたらす物質が生まれるそうですよ。耐性がない人が吸うと、幻覚を見ることもあります」

「……それって、一種の麻薬では……?」

「習慣性は低いので、依存症の心配はない……らしいです。でも吸い過ぎると記憶の消去が起きたり、夢と現実の区別が曖昧になったりするそうです」


 それってけっこうヤバいんじゃ……と思っていると、ぼくの不安を察したルシルが口を挟んできた。


「大丈夫よ。後遺症とかないし。それに記憶を飛ばすには、この何十倍の煙が必要だから、ふつうに生活していれば何も起きないわ」

「あのさ……そもそも、その煙草の存在自体がふつうじゃないでしょ」

「なに言ってんのよ。ミツルも早くこの環境に慣れてくれないと」


 ツッコミを入れると、ルシルはマンガみたいに頬を膨らませた。見た目だけは可愛いのがズルいと思う。

「まだここを継ぐとは言っていない」と言い返そうとしたものの、


「いやあ、すごいですよね、世界樹。ちなみに、生の葉には止血や腐敗防止、樹液は滋養強壮や疲労回復、治癒能力の飛躍的上昇。さらに超レアアイテムの実ならば、蘇生や天候操作などの奇跡も起こすそうで、まさにデタラメとしか言いようがないですね。はっはっは」


と、八木さんが呑気な顔で異世界トリビアを披露したせいで、タイミングを逸してしまった。


「エルフのみなさんの話によると、世界樹は巨大な魔力の塊なんだそうです。ゲートに張った結界をイジする魔力も、世界樹から供給されているんですよ。この保護区の守護神みたいなもんです。……おや?」


 不意に八木さんが立ち止まった。

 原因は、スーツのポケットから流れたアラーム音だった。

 八木さんは無線機を取り出し、「どうしました?」と声をかける。


『八木さん、非常事態です』


 無線機から流れてきたのは、聞き覚えのあるボーイソプラノだった。

 パルム——さきほど出会った、エルフの少年の声だ。

 無線機のノイズを差し引いても、声に焦りがあるのが分かった。



 侵入者——不安を煽る言葉が、ぼくたちの耳朶を打つ。


「なんですって……?」

『場所はKの3。目標との距離およそ百メートル……。木に隠れて視界が不鮮明ですが……

「人間?」


 訝しむ八木さん。


「見間違いではないのですか? 人型の魔族、あるいは、ほかのエルフでは?」

『外見は黒髪、やせ形で、推定身長160cmほど。おそらく女性です。真っ赤なフォーマルスーツを着用」

「……およそ、山歩きをする格好ではありませんね」

『人間の年齢はわかりにくいですが、若いです。20代から30代……え、ちょっと、嘘でしょ!?』


 艶やかな少年の声が、突如としてひっくり返る。


 追ってきます! 早い!』

「パルムくん、目標から離れて隠れてください! 目標への手出しは厳禁。私がほかの隊員に対応を指示します」

『りょ、了解!』

「あー、もう! まどろっこしいわね」


 緊迫したやりとりをさえぎったのは、いらだたしげなルシルの声だった。


「なんで人間が入り込んでいるのかしら? 歪みの影響で、一時的に結界に穴が空いたのかしら。まぁいいわ」


 続けて、彼女の柔らかな唇が、優美な歌声を紡ぎ出す。


「我が友、放埒なる風の精霊よ。荒々しき揺り籠となりて我らを導け」


 その瞬間、ぼくたちの足下から突風が巻き起こった。

 着ていたシャツがまくれ上がり、髪が逆立つ。体のバランス感覚が消失し、ふわりとした浮遊感が全身を包み込む。


「な、なにこれ!?」


 数秒の間を挟んで、ぼくは何が起きているのかを理解した。

 宙に浮いているのだ——ルシルも、八木さんも、ぼくも。


「ルシル! 何をする気ですか!」

「うるさいわね」


 八木さんの抗議の声を受け流すと、ルシルは手のひらを天に掲げた。


「非常事態発生でしょ? さっさと現場に行って、侵入者をふん縛ってやらなきゃ。ね?」

「だからって、私たちも連れて行く必要はないでしょう!」

「捕まえたあと、念のため事情聴取しないとダメ。どうやってこの空間に入り込んだのか確認しないと。そのためには、同族のあんたたちがいたほうが話が早い」

「……事情聴取のあとは、どうするの……?」


 おそろおそる尋ねると、ルシルはニッと口の端を歪め、エルフ煙草の入っている小袋を手で軽く叩いた。


「もちろん、こいつで記憶をなくしてもらうに決まってるじゃない」

「やっぱりヤバいんじゃないか、その煙草!」

「黙ってないと舌を噛むわよ」


 ルシルの声と同時に、ぼくたちは空へと舞い上がる。

 地表がみるみる遠ざかり、広大な山林の風景が目に飛び込んでくる。


「さあ、いっくぞお〜! ていっ!」

「ちょ、ちょっと待……ぎゃあああああああああああああああ!」


 遊園地のジェットコースターやフリーフォールが子供の遊びに思えるほどの恐怖を携えて、ぼくは空を駆けたのであった……。

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