【10】 夏の終わり ― End of the Summer ―

真実か幻か

 長いようで短かった夏休みも、あと一週間ほどを残すだけとなった、八月の下旬の昼下がり。

 僕は今、地元の外れにある霊園へと続く畦道を一人歩いている。

 あの復讐に彩られた惨劇があった夜以来、特に変わりない毎日が続いていた。

 下腹部を刺されて意識を失っていたココナについては、幸い傷は浅く、二学期が始まるまでには退院できるそうだ。

 ただ見舞いに行ってやると、いつも決まって、『せっかくの夏を無駄にすごさせられた。どうしてくれんのよ』などと自分で企画した肝試しだったくせに、なぜかボクに八つ当たりをぼやいてばかりで、そのたびにうんざりさせられるため、できれば、もう少し大人しくなるくらいの深手を負ってくれれば――とは、無事に済んだからこそ言える冗談だろう。

 マキトについても、相変わらずだ。

昨日も街中で、女の子と遊んでいるところを見かけた。盆休みには、別の女の子をつれていたから、また二人以上の女の子を股にかけて遊んでいるんだろう。夏祭りで三股しているのがばれて、酷い目にあったと嘆いていたくせに、まったく懲りていない様子だ。

 ただ、もうこりごりだと感じていることもあるようで、以前は、あれほどお笑い好きだったというのに、マンションで一人暮らししているボクの部屋に泊まりに来た時、夕食を一緒に摂る際、何となく点けていたテレビで、お笑い番組の特番が始まると、慌ててリモコンを手に取り、すぐさま別の番組に切り替えたのだ。

 理由を尋ねると、

「誰がお笑いなんてくだらねーもん観るかよ」

 とやけにむきになって返された。

 どういう心境の変化だろうと、その時は不思議に思ったけれど、あとあと考えてみると、そうなっても仕方ないかもしれない。

 あの夜、誰が考えたのか、適当でくだらない七不思議や二人の変人を相手に、さんざん突っ込まされたことで、相当な負担を強いられていたんだろう。それがトラウマにでもなったのか、お笑いアレルギーを起こしているらしい。神経が図太くて鈍感なやつだとばかり思っていたけれど、けっこうナイーブな面もあるってことを、初めて知らされた。

 偉大なるゴーストハンターのヒロタに関しては、あの事件以来会っていないけれど、また懲りずにどこかで、悪霊退治に変わらぬ情熱を傾けているんだろう。

 そのヒロタについて一つ疑問な点が残っているかと思う。

 なぜ、あの時、ヒロタは、自分の力でロープウェイを滑り降りようとせずに、ああいう形になってしまったのか。

 あの後聞いた話だと、実はヒロタは高所恐怖症で、『こんな高いところから滑り降りるなんて絶対に無理だから、師匠が、ヨウがココナを抱えて滑り降りたみたいに、ボクにもそうしてくれませんか?』と頼んだところ、神薙は、『いかに私と言えど、キミのような巨漢を抱えてそうすることはできない』と断ったのだが、それでもヒロタはなかなか受け入れようとせずぐずっていたため、強引に拘束されて、滑り落とされることになってしまったらしい。カーテンの切れ端を手持ちの二本とも使ったのは、拘束するのと滑車代わりにするのを一本で済ますのは、長さが足りないと判断したんだろう。

 そして、ヒロタが子供のように駄々をこねたせいで、自らの脱出手段を欠いてまで、ヒロタを助けることにした神薙だが、彼は――。


 目的の霊園が、見えてきた。

 立ち並ぶ墓石の前では、一人の、長髪を後ろで結わえ背中に日本刀を差した黒ずくめな羽織袴姿の男性が、両手を合わせて拝んでいる。その傍には、鎖で繋がれた犬をつれているようだ。大人しく隣で座って、主が拝み終えるのを待っている。

 ボクは、そこまで歩くと、拝んでいる羽織袴の男性の背後から、

「神薙さん、あなたもお参りですか?」

 その声を聞いて、合わせていた両手を離した羽織袴の男性――神薙は、ゆっくりと立ち上がって振り向くと、

「……芦原君か」

 とあの夜と同じ、眉間に皺を寄せた難しい顔で、低くよく通る声を聞かせた。

 神薙は、あの夜、ヒロタを強引に地上へと脱出させた後、しだいに炎に包まれていく廃病院の最上階で、炎をかいくぐるようにして調理室に向かうと、そこにあった大型の冷蔵庫の中に身を潜めたらしい。

 おかげで、後から駆けつけた消防隊が、燃えさかる炎を鎮火させるまで、身体を焼かれることもなく、煙も吸い込まずに済んだらしい。助け出された時は、中にはかなり熱がこもり、酸欠状態に陥ってもいて、火傷を負ったりもしていたらしいけれど、迅速な救助隊の措置と持ち前の強靱さのおかげで、特に後遺症などが残ることもなく、無事に済んだとのことだった。ただ彼の愛刀『蜻蛉丸』は、火が点けられてすぐに炎に包まれてしまったため、その手に戻すことはできなかった。


「あの時は、ありがとうございました」

 とその恩人に頭を下げる。

「それに、あなたが『蜻蛉丸』を失ってしまったのは、元はと言えば、ボクたちがバカな肝試しなんてしようとしたからです。本当にすいませんでした」

「なに、別段、問題ない。こいつも『蜻蛉丸』だからな」

 と神薙が、その背中の鞘に差した日本刀の柄に手を添える。

「え……?」

 思わず、あんぐりとしてしまった。

 この世に二つとないんじゃなかったのか……だいたい、この人、こんなところで刀を持ち歩いて、逮捕されたりしないんだろうか……。

 ボクはそれらの言葉を飲み込みつつ、気を取り直すと、

「その犬って、もしかして、あの時、ボクたちを襲おうとして、神薙さんに日本刀で峰打ちされた犬じゃないですか?」

 毛並みも綺麗に整っていてふっくらとしているため、薄汚れて痩せ細っていたあの時とはだいぶ見た目が違うけれど、その面影は残っている。神薙を救った大型の冷蔵庫の中には、先に野犬を閉じ込めてあったわけだけれど、その野犬も一緒に助け出されたと聞いていた。

「ああ、そうだ」

 神代は答えると、隣できちんとした姿勢で座る犬を見下ろしながら、

「こいつは、ただ不遇な境遇にあったというだけで、罪はないからな」

 あの時、悪鬼呼ばわりしていたくせに……。

 だけど、ボクたちをその野犬から救ってくれたり、可哀想な野犬を見捨てずに助けて飼おうとするあたり、変人なのは確かだとして、いつも顰めっ面をしてはいるけれど、心根は優しい男性なのかもしれない。

「名前は、何ていうんですか?」

「ドーマンだ。そう名づけた」

 聞いた瞬間、『ドーベルマン』を縮めでもしたんだろうかと思ったが、そう言えば、高名な陰陽師に、そういう名前で呼ばれているのがいたな、と思い直す。

「ドーマン、良かったな、優しい人に飼ってもらえることになって」

 身を屈めて、「もう悪さするなよ」とその頭を撫でてやると、尻尾を振りながら、くうんと可愛らしく鳴いた。あの時は腹を減らしていただけで、元々は大人しく賢い犬のようだ。

「それじゃあ、私はもう行くぞ。この後、悪霊退治を請け負っているからな」

「ええ、頑張ってください」

「ああ」

 と神薙はボクに背を向けると、ドーマンを従えながら、霊園の出口へと向かった。

 その後ろ姿にボクは、

「あの、あの時はほんとにありがとうございました!」

 と深々と頭をさげた。

「……私が君たちを救えたのは、星川君のおかげだ。礼を言いたいのなら、彼女にそうしてくれ」

 こちらに背を向けたまま、神薙は答えると、霊園を出て、近くに立つ民家の裏にその姿を消した。


 神薙を見送ったボクは、前に立つ墓石へと向き直った。

『沖本家之墓』――。

 墓石には、そう刻まれている。

 ここには、今は亡き沖本レイナと星川サキが眠っている。

 あの夜、彼女は、一緒に暮らしている母親に、少し夜風に当たってくると伝えて家を出たきり、朝になっても戻らず、心配した母親が彼女の自室を調べてみたところ、その机の上に、一通の遺書がしたためられていたそうだ。

 それには、こう記されていた。


〈今日で、姉さんの浮かばれない魂を鎮めて、天国に向かわせてあげることができる。

 私も、その姉さんと一緒に行くつもり。

 姉さんも、それを受け入れてくれている。

 だから、私の死後は、その姉さんと同じ墓に入れて欲しい〉


 そう先に告白しておいてから、これまで、女手一つで自分を育ててくれた母親に向ける深い感謝と、先立つことを許して欲しいとの謝りの言葉などが、つらつらと書き連ねられていたらしい。

 サキは、あの廃病院で、昨年、そこで供養をしているというシュンに会ったということだったけれど、その時に、そこにまだとどまっていた姉のレイナから、自分やファンの二人を殺した犯人が、その彼だということを、伝えられていたのかもしれない。

 そして、その次の年のあの夜に、決意を決め、すべてにけりをつけようとしていた。

 そうして姉のレイナと一緒に、天国へと旅立って行ったわけだけど、その姉のレイナについては、まだ遺体が見つかっていないため、ここに、そのサキのように、遺骨などが納められているわけではない。

 それでも、あの夜に、長い苦しみから解き放たれた沖本レイナは、その魂を鎮め、成仏できたことだけは確かだろう。

 ココナが疑問に感じた、サキが持っていた携帯のストラップに、『OKIMOTO』という彼女の旧姓にあたる苗字が記されていたことについては、後から考えてみて、あれは、サキが、自分の携帯に、亡き姉のレイナの遺品であるストラップをつけていたんだと分かった。

 常日頃からそうしていたかもしれないけれど、あの夜、姉のレイナに、その復讐を遂げるのを見守っていて欲しいという気持ちもあったんだろう。

 これは、その時、三人がともに炎に包まれた後、火の手が上がったその休憩所から一番離れた病室へと移動する際、神薙から聞いた話なんだけど、あの時、あの場には、死んだ沖本レイナの浮遊霊がいたらしい。

 そうなる前に、サキは、その姉のレイナと相談し、そのことを神薙に打ち明けて、自分が注意を引きつけておくから、ヒロタから借りたボウガンを使って、隙を見て、シュンが凶行に及ぼうとするのを食い止めて欲しいと頼んでいたそうだ。

 そして、レイナが、サキの身体に乗り移って、自らの命とともに、すべての復讐を終わらせようとしていたシュンとともに、炎に巻かれた。

 そうして、ボクたちを救ったサキと、想いをともにするレイナは、ともに、シュンをつれて、あの世へと旅立って行った。

 すべてのしがらみから、時放たれて――。


 命を救ってくれた二人が眠る墓石の前に、花束を添えると、身を屈めて瞼を閉じ、両手を合わせた。

 その場で眠り続けていたマキトなんかは、サキが、シュンを怖がらせて動きを封じるために、そういう演技をしただけだろ、なんて言っていたりもするけれど、ボクには、そうとは思えない。

 あの時、サキは、亡き姉である沖本レイナとともにあった。

 より刺激あるリアルを追い求め、幽霊何かの存在をずっと否定していたボクだけど、なぜか、疑いを抱くことなく、そう信じてることができていた。

 誰がどう言おうと、関係ない。

 幻想のような話しであっても、それをボクが信じるのなら、それがボクにとっての真実だ。

 それで、いい。


          *


 二人への長い祈りを捧げた後、元来た霊園から続く畦道を辿りながら、思いを巡らせた。

これから先、大学受験へと向けて、色々と大変になっていくだろう。来年は、課外授業などで、夏休みどころじゃないかもしれない。

 どの大学を受験するかだけど、ボクは、現実の事件の謎を追うのが好きだと言っても、警察官や検事なんかを目指しているわけでもないから、試験がそう難しくない私立大学を選ぶつもりでいる。

 現実に起きた凶悪事件を追うのは、あくまで、趣味でそうしていただけのこと。

 将来は、たぶん、中堅企業にでも就職して、あたりさわりのない平凡な人生ってやつを送ることになるんだろう。

 その趣味についても、今日の朝、これまでに集めた資料や、自分で纏めたファイルなどを、まとめてゴミに出してきた。

 あれからずっと悩んでいたけれど、やっと踏ん切りがついた。

 ボクはずっと、現実に起きた凶悪な事件などにリアルを求めていたと思っていたけれど、結局は過去に起きた、自分とはまったく関係のない事件に刺激を感じていただけ。

 それは、推理もののドラマや小説でわくわくするのと、大した差はない。

 この夏の初めに、現実の事件――それも、その渦中に置かれたことで、そのことにようやく気づかされた。

 僕みたいな、漫然とした日常に退屈さを感じて、刺激が欲しいだけなやつが、遊び半分で立ち入っていいような領域じゃない。

 ただ、その趣味は捨てても、あの夜のことだけは、生涯忘れずにいるつもりだ。

 良い想い出――とは、どれだけ時を経たとしても、決して言えないだろうけど、それでも、忘れちゃいけないような気がする。

 復讐の糸に操られた憐れな二人、そして、そんな彼らを救おうとして、彼らとともに儚く消えていった彼女のことを――。


 ふと、空を仰いだ。

 青々と広がる空に、もうしわけなさげに薄く浮かんでいた雲が、風に流れて千切れ、しだいに薄らぎながら、消え去っていった。



 夏の終わりを、予感させるように――。


        (了)



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夏夜に見た悪夢 雨想 奏 @usoukanade

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