欠片 迫田俊和

 その店を見つけたのは、全くの偶然だった。


 仕事帰りにコンビニに寄って雑誌を買い、駅へ行くのに少し近道しようと思ってコンビニ脇の路地を入ったら……。そこにくだんの店があったんだ。それまで何度もその道は通っていたのに、全く気付かなかったんだよな。


 縦看もネオンサインもない、本当に地味な店だった。体格のいい人なら通れないような細長い木の扉の真ん中に、半月、と墨書されている。達筆だが、店の様子を表すようなものが他に何も書かれていない。バーなのか、スナックなのか、小料理屋なのか……何の店だか皆目見当もつかない変な店だ。


 扉の目線位置には、丸い窓が開けられている。その左半分は黒い板で塞がれていて、右半分から店内の明かりがじわりと漏れてくる。そうか、暗くなると目の前に半月が浮かび上がるってわけか。地味だけど、洒落た仕掛けだな。ふらふらと吸い寄せられるように、半月窓から中を覗いた。カウンター席しかない狭くて細長い店内が、ぼんやりと浮かび上がった。


 カウンターの向こうには、若い女性バーテンダーと、学生っぽい風体の板さん。そして、えも言われぬ笑みを浮かべながらカウンターに寄りかかっている年齢不詳のママさん。それだけ。客は誰もいない。三人は会話を交わすでもなく、ただ佇むように、それぞれの持ち場に立っているという感じだった。


 どうしようかな、と思った。地味だけど、もしかすると会員制の高級クラブとかかもしれない。そんなに持ち合わせはないし。まあ、でもあの雰囲気だとすぐにアブナイ系の人が出てくることはないだろう。最初に飲み物の値段を聞いておけばいいよな。軽くビールでも引っ掛けて出てくれば、飲み代は知れているはずだ。


 私は、半月状に刳ってある扉の取っ手を引いた……。


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