第4話 幸福の訪れ

 目を覚ますと、見慣れない天井がわたしを迎えた。ここはどこだろう、と考える間もなく、傍らにいた両親の声が響いた。二人揃って、大人気ない大きな声でわたしの名を呼んでいる。母親はまた泣いている。わたしは身体を起こそうとした。すると、するどい激痛が電光石火で全身を駆け抜けた。これは動くことは出来ないと瞬間的に理解したので、仕方なく身体をもとの位置に倒した。

「お父さん、お母さん、ごめんね」

 謝罪の言葉が流れるように出てきた。わたしはこれまで、誰かに対して心から「ごめん」と言えたことがあっただろうか。

 

 簡素な病室の窓から青空が見える。その雲ひとつない青空は、わたしたちの世界をやさしく包み込んでいるように見えた。

 

 昨夜の記憶はほとんどなかった。なんとなく、恭子のことを思い出していた気はする。その後、両親から聞かされた話は、到底自分がやったこととは思えなかった。例のノートを父親が持っていると言うので、見せてほしいと頼んだ。父親は少し渋ったあと、B4サイズのノートをわたしの傷だらけの手に渡してくれた。血痕で赤く染まったノートをそっと開いて、わたしは愕然とした。そこにあったのは大量の”悲”と”怒”の文字。ところどころに”恭ちゃん”や”嫌”や”死”という文字も散見された。ノートの後半は文字の体をなしておらず、まったく読み取ることができなかった。自分はなぜ、こんなことを書いたのだろう。なぜわざわざノートに手書きなんかで。両親にもう一度「ほんとうにわたしが?」と訊きかけたが、寸前でやめた。これはわたしがやったんだ、愚かだった昨日のわたしが。

 

 しばらくすると、わたしが目を覚ましたと聞き、担当医がやってきた。医者は、今朝から予定通りエモーショナル・コントロールが開始されたことや、昨夜の出来事について、今後しばらくの療養についてを、機械のような口調で話した。そうだ、エモーショナル・コントロールがはじまったんだ。普通のひとは十五歳時点ではじめているので、わたしはもう二年半遅れになる。その不安が原因で、昨日は少しおかしかったのだろうと自分を納得させた。

 

 サルースによると、バイタルサインに異常はないとのことなので、両親は「終わったらすぐ来るから」と言って、仕事に出かけて行った。医者も退室すると、病室にはわたしひとりになった。自分の傷だらけになった身体を見るのは怖かったが、しばらくするとその恐怖もおさまった。そして、わたしはできるだけ隅々まで丁寧に観察した。皮膚がえぐれて生々しい傷跡が残る箇所は数え切れないほどあった。内出血でひどく変色した箇所も無数にあり、いままでの自分のまっさらな白い肌を思い出すことができなかった。「なにもここまでやることないのに」と他人事のようにつぶやいた。おおよそ見える部分を観察し終えた後、痛みに耐えながら必死に服を脱いだ。やはり服の下もひどい傷だったが、唯一心臓周りにだけは傷ではなく赤いインクが滲んでいた。それは文字が並んでいるようにも見えたが、うまく読み取ることができなかった。ふと周囲を見回すと、ベッド脇の荷物置きに手鏡を発見した。わたしはその手鏡にゆっくりと手を伸ばし、心臓周辺がうまく映るようにかざしてみた。すると、読めなかった文字たちが確かな文章となって出現した。


『絶対にわすれてはいけない』

 

 どうしてもわからない。昨日のわたしは、なにを忘れたくなかったのだろうか。しばらく考えてみたが、やはり見当もつかなかった。精神錯乱状態でやったことに意味などない。わたしは深く考えるのをやめて、手鏡をもとの場所に置いた。そして、疲れた意識を落とすため、ゆっくりまぶたを閉じた。


 一ヶ月後、ようやく退院の日がやってきた。もう心身ともにすっかり元気だったが、やはりあれだけの騒ぎと傷だったので、様々なカウンセリングやセラピーを受けさせられた。ノートはあの後数回見なおしてみたが、やはり気味が悪かったので両親に処分してもらった。自宅の部屋の落書きも、両親がさっぱり綺麗にしてくれたらしい。わたしの身体は、はやく外に出たくてうずうずしていた。勉強も少し遅れているし、なにより卒業まであと半年、学校にもはやく復帰したかった。以前は恭子に教えてもらってばかりいたが、もう頼ることはできない。自分の力で頑張って、最後は気持ちよく卒業を迎えよう。


「じゃあ、行ってきまーす」

 快晴の水曜日、わたしは勢いよく玄関を飛び出した。なんだかとても清々しい気分だ。太陽やアスファルトの道路、行き交う車や柔らかな風までもが、わたしを祝福してくれている気がした。もう、わたしの体内を献身的に管理してくれている機械を嫌悪することも、社会というぼんやりとしたものを憎むこともなくなった。わたしは、生まれて初めて幸せな気分というものを感じていた。両親にも、さいきん笑顔が増えたねと言われ、素直に嬉しかった。

 

 やはり十五歳のときのわたしの判断は間違っていたのだ。あのときエモーショナル・コントロールをはじめていれば、もっと充実した生活を送れていただろう。そしたら、恭子とももっと長く一緒に――と考えたが、それはまた違う問題だと、即座に考えを改めた。

「また、恭ちゃんみたいな友だちほしいなあ。もう高校じゃ無理かなあ」と大きめの独り言を青空に放ってみせた。

 

 いまわたしが言えることは、一時的な悲しみや不安など大したことはないということだ。過ぎたことをいつまでもくよくよしていても仕方ない。ときには積極的に忘れることも必要だ。サルースは健康管理のみならず、人生を豊かにしてくれるすばらしい発明だ。今後のさらなる技術革新によって、人間は生まれてから死ぬまで、ずっと幸福な気持ちのまま生きていけるようになるだろう。それは、きっとすばらしい世界に違いない。

 

 わたしはいま、とても、とても幸せだ。

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