STORY3 オラクル(7/8)

加害者の妻からの手紙、密かにブログを読んでいた親父……喜怒哀楽をどんなに共有しても、お互い知らなかったり、あえて言わないこともある。それでも、相手を想い続け、理解し、受容し、同じ色の涙を流すのが家族だ。

自分たち夫婦と息子のオレの感情が凪(なぎ)になるまで、親父とおふくろは手紙のことを黙っているつもりだったんだろう。

いまは手紙の存在を忘れようと思う。聞かなかったことにしよう。


サーカスの公演会場は、格闘技イベントも開かれる巨大体育館で、すり鉢状の観客席がステージを見下ろす形状になっていた。

オレが真ん中で、親父とおふくろが両脇に座る。

正面スタンドの中段あたり、舞台まで遠すぎず近すぎず、全体を見渡せる贅沢な指定席だった。

直径十メートルほどの円形ステージを赤い布が覆い、出演者の入退場ゲートに重厚な幕がかかっている。

館内は、そのステージを境に半分に仕切られ、天井からの遮幕が反対側の客席を完全にクローズしていた。その閉ざされた場所で、団員や動物たちがスタンバイしているらしい。

売り子からアイスクリームを買ったり、ステージの脇で記念写真を撮ったり……夏休みのファミリーが開演前のひとときを過ごしている。


「子供の時にもサーカスに来たこと、覚えてるか?」

左手で顎を撫でながら、親父がボソッと話しかけてきた。

断片的な記憶がある。暑い夏の日だった。会場の近くで親父が塀に止まったアブラゼミを捕まえ、まだ幼稚園児だったカツは、そのセミを家に持って帰りたいと泣き、公演が始まると、ライオンの咆哮を聞いて、また泣いた。

オレがそんな思い出を呼び覚ますと、「あの時と同じサーカス団だよ」と、親父は背中を丸めた。

側頭部に白髪のかたまりが見える。カラス色の頭髪の中、毛染めの落ちた部分に年齢が表れていた。隣のおふくろも同じで、膝に置いた手の甲は、張りのない皮膚が骨格を目立たせている。


やがて、自動音声のアナウンスとともに場内が暗くなり、一座の代表らしき男がステージの中央でスポットライトを浴びた。

黒いハットにタキシードと蝶ネクタイのルックスは、絵本に出てくるサーカスの団長そのものだが、痩身で背が高く、白い顎ヒゲを伸ばした様は、むしろ大道芸を生業にしたマジシャンのようだ。

「キョウハ、ヨウコソ、オコシクダサイマシタ」

ハンドマイク越しに小慣れた日本語を操り出すと、入退場ゲートの上に陣取った楽団が演奏を始め、さまざまな衣装を纏ったキャストが登場してきた。

間髪入れずに、天井から垂れ下った布を二人の白人が腰に巻き付け、アクロバチックな演目を始める。

光と音に交差する、しなやかな肢体。

瞬く間に、観覧席の誰もがステージに集中し始める。

パフォーマンスの終了で大きな拍手が起こり、それが鳴り止まないうちに、今度は四頭の大型犬が調教師に導かれてやって来た。

そして、犬たちの華麗な演技が終わると、空中フラフープ、熊の曲芸、ジャンピング・ジャグラー、豹の輪くぐりと続き……十五分のインターバルを挟んだ。

親父とおふくろは休憩の合間もあまり言葉を発することなく、ポリプロピレン製の硬い椅子が体に合わないのか、たまに姿勢を変えておとなしく座っていた。



(8/8へ続く)

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