嵯峨野夢物語

きりもんじ

嵯峨野夢物語

京都の嵯峨野地区は都の西北愛宕山の麓、

北から流れる清滝川と西の亀岡盆地から流れ下る大堰川との

合流地点から、ここはかなり急な崖っぷちが続く難所なのですが、


有栖川までの京都北西部のなだらかな小倉山裾野平野を指します。

平安時代に嵯峨天皇陵が有栖川上流にできたことでこの付近の

ことを嵯峨野と呼ぶようになりました。「さがの」いい響きですね。


嵯峨野にはこの現実世界と何かしら微妙に不思議な空間が各所に

存在しています。 化野そして小倉山です。この山は標高293m。

裾野には北に紅葉の常寂光寺さらに膨大な敷地の二尊院。

平家物語の祇王寺と紅葉の名刹が今も続きます。


小倉山は急勾配でまっすぐにはなかなか登れません。

結構深い山なのでシカやイノシシ、猿もいます。

一番怖いのは、どこから上り詰めてもその先は300m

の絶壁だということです。


その山裾に長神の杜があります。 近年荒れ地だったところを

数年かけて整備し百人一首の碑が配置されて花灯篭の時には

行燈も灯り幽玄の杜になっています。


一抱えほどの石に、


「巡りあひて 見しやそれともわかぬ間に

              雲隠れにし夜半の月かな」


紫式部です。『紫式部・・・?』と思いつつベンチに横に

なるとすぐに心地よい眠りが。.....ZZZZZZ。


紫式部と言えば源氏物語。昔ここはまさに

その舞台でした。この辺りは今ほどの竹もなくおそらく

周りはすすき野だったんだろうな。


そう思いながらうとうとまどろんでいると。どこからともなく

少女の声が聞こえてきます。耳を澄ますと、


『雲隠れの謎を解いてください。お願いです!でないと私は

この世に戻れません』

はっきりとそう聞こえました。

「え?」

『起きて。夕立が来るわ。こっちよ!』


声にせかされ起き上がるとみるみる黒雲が空を覆い

大粒の雨が降ってきます。『こっちよ!』声が呼びます。

稲妻が光り雷鳴がとどろいてきました。


とその時、天地を引き裂く大稲妻と雷がすぐそばに落ちました。

「どどどどーん!!!」


    -------------

暫くの時が経ちました。夕立も上がり日が差しています。

読経の声が聞こえます。渋い男の人の声です。艶のあるいい声。

思わず聞きほれてしまいます。


ゆっくりと周りを見回します。読経がやみ二人の話声が隣の部屋から聞こえます。どうも様子が変だ。襖の間から覗きます。庵の中のようです。


「素晴らしい実に素晴らしいですよ親父殿!」

「そうかそうか、それはよかった。はははは」


お二人の笑い声がさらに響き渡ります。

楽しい親子の語らいに日は西に傾き至福のひと時は過ぎていきます。

「南無法華経、南無法華経じゃよ・・・・」


しばし安らかな沈黙が流れます。老人はこの至福を

じっと味わいかみしめているようです。


「では、親父殿そろそろ・・・・親父殿、親父殿!親父殿!!」


夕霧様はじっと老いたる源氏を抱き支えて泣いておられます。

源氏はそれはそれは笑みを浮かべ幸せそうに亡くなっていました。

夕霧様は源氏の遺体を皆で褥に移すとあとは惟光と

女房二人に任せて早馬を走らせます。


全ての縁者と高僧たちが整いましたが

薫の君だけがまだお見えになりません。仏道入門のため

今比叡山で学問中だからでした。


夜が明けると高僧がまた一人増えました。

さらにもう一人加わって法華経が庵に響き渡ります。


身内の者は皆濃い鈍にび色の衣、棺には白単衣の源氏が

笑みを浮かべて収まっています。焼香が始まり樒を

一人づつ棺に納めて最後のお別れをします。


樒に埋もれた源氏はことさら美しく生きているように微笑んで

いました。棺の蓋は釘を石で打ち込まれ親族が担ぎ庵の出口に

運ばれます。黒塗りの平牛車に乗せられ家族が取り囲みます。

子供たちも一緒です。長い行列は化野まで続いていました。


高まる読経と燃え上がる炎に棺は燃え尽き、煙が立ち上り

みるみる鎮火しました。高僧が清めの酒と水を振舞います。

棺は白い灰の中に燃え落ちます。赤い輝きが中心部に残って

この世に名残を惜しんでいるように見えます。


とその時、ぽつりぽつりと雨が降り出しました。

僧たちは急ぎ骨壺を用意して親族に骨拾いをせかせます。

無常の煙と灰の香りが一帯に広がり、人々はこの世と

あの世の境を漂っているように見えました。


すると突然誰かが大きな声で叫びました。

「薫様じゃーっ!」

皆一斉にはるか東のほうを見つめます。


比叡の空には黒雲がかかり今にもこちらを覆いそうに

迫ってきます。そのわずか手前に砂埃が舞い上がって

います。みるみる近づいてきます。


駿馬に乗った薫様です。水干に髪をなびかせ全力で疾走して

きます。


「父上ーっ!父上ーっ!」

馬を庵の手前でお止めになり、息を切らせて人をかき分け

荼毘だびのもとにたどり着きます。


雨脚が急に強くなってきました。人々は徐々に足早に去って

いきます。骨壺は夕霧様が抱えておられます。惟光様が傘を差し。

高僧も傘の中で読経されておられます。他の僧はびしょ濡れ

ですがずっと読経されてます。


夕霧様が竹箸を薫様に手渡されます。薫様は息を整え無言で燃え

尽きた白骨を眺めておいでです。しゃれこうべ以外はほぼまだら

に皆が骨を拾われたみたいです。

のど仏が残っていました。夕霧様がこれを拾うようにと示されます。


のど仏を骨壺にお入れになったところで僧が蹴鞠ほどの石を持ってきました。

雨の中残った骨を砕いていきます。しゃれこうべだけが残りました。

夕霧様が骨壺を抱えたまま薫様に目で合図します。


薫様はその石を受け取りしゃれこうべを粉々に砕きました。

二人の兄弟は雨の中、しばし黙してたたずんでおられました。

嵯峨野は空も人もすべてが鈍色に覆われてしまいした。


  ーーーーーーーーーーーー


「先輩起きてください!先輩!」

可愛らしい声が耳元で響きます。


「え?ああ、ここはどこ?」

「長神の杜ですよ」

北山杉のベンチから起き上がり眼をこすりながらながら、


「きみは?」

「浮舟」

「?」


                         ー完ー

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嵯峨野夢物語 きりもんじ @kirimonji

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