わたし、引きこもりの小学生でした。

@Hariko

第1話 

 私が生まれた街は”ここ”じゃない。家族みんなが北国で生まれたというのに、私だけ父親の仕事の都合で埼玉で生まれた。


 生まれたときの私は低体重児で、仮死産と診断されていたようだ。10も離れた、私の前ではいつもおどけている兄がそう教えてくれた。

 ガラスケースの中で私は、数日か、一週間だったかはわからないけど、その空間の中で命を守られていたらしい。


 その頃の私たちは4人家族で、埼玉のマンション暮らしだった。3LDKでそれぞれの部屋はちょっと狭く、両親共々片付けは苦手だったのか、部屋はいつも雑然としていた。建築現場で働く父親と、ファミレスの洗い場で働く母親。物心ついたとき兄は中学生で、私にとってはもう大人だった。

 兄の制服すがたを見た記憶は、ない。

 保育園児のわたしは、よく先生に、

「おにいちゃんはもう、おとななんだよ!」

 なんて、嬉しがって話していた記憶が残っている。


 わたしは、とても甘やかされて育った。

 わたしの通った保育園では、今思うとちょっと不思議なルールがあった。

 冬でも必ず半ズボン、外で遊ぶときは裸足で遊ぶこと。お昼寝の時間は枕を使わない…

 …。父親がそれに抗議をしたおかげ(?)で私は冬でも長ズボンを履き、外で遊ぶときでも靴を履くことが許された。

 そんな優遇を受けていたのにもかかわらず、私は保育園に通うことを拒んだ。母親と一時でも離れたくなかったという理由だった気がする。

 私はいつも泣きわめいて別れを惜しんだ。けれど子供って単純で、一度保育園の中で皆の輪に入ってしまえばそんな悲しみなんてすっかり忘れてしまうし、保育園から帰るときだって今度は、まだ遊んでいたいからと駄々をこねて泣き始める。わがままな子どもだった。


 それでも母親は怒りもせず、わたしの名前をただ呼ぶだけ。でもその時の母親がどんな表情をしていたか、私にはよく分からなかった。


 幼少の心地良い思い出。それはお母さんに抱っこしてもらったこと、お父さんとふざけあって遊んだこと。大事に大事に育てられたはずなんだけど、私はきかん坊でかんしゃく持ちで、お風呂に入ることを拒んだり、歯磨きを嫌がったり、とにかく手のかかる子どもだったように思える。


 幼少時代の写真を見てみると、当時の私の身体は痩せ細っていて、髪はぐちゃぐちゃだったり、母親に切られたおかげで極端に短い前髪(近年、一部の女子の間でそんな髪型が流行ったが、当時の母は偶然にも時代を先読みしていたのだ!)だったり、歯は虫歯だらけだったり、傍から見れば汚らしい子どもだったと思う。

 親の私に対する世話が不十分だったのか、それはよく分からない。母親が私に関心を寄せなかったと言うのも、なにか違う。

 私は、母親なりの愛情をうけて育ったはずなんだ。母の温もりと匂いは、確かにあったはずなんだ。


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