第20話 研修会ー弐日目 朝ー





――もういいかい



俺は、なぜか家の隅に隠れていた。

ここがどこなのか、なぜこんなところに隠れているのかわからなかい。

暗くて、怖い。その感情だけははっきりと理解できていた。



カツ カツ



闇の中で、靴音だけははっきり聞こえた。

そして、声。少し高めの男の声が、暗闇の中に響いていた。

暗い中、反響する声が不気味で、それだけで俺の恐怖を煽る。

少しずつ、俺に近づいているのがはっきりわかった。



「 もういいかい 」



今度は突如すぐ近くで聞こえた。

体が恐怖でガタガタと震えだす。

それをぐっと堪えるように、俺は自身の膝に顔を埋めた。








――まーだだよ









川のせせらぎのような軽快な音楽が流れ始める。

誰のアラームだよ、と思いつつ、俺は腹筋で上半身を起こした。

2段ベッドの上から、下段にいる2人を見下すが、音楽は俺がいるところより上から聞こえていた。

不思議に思い、視線を上げると、部屋の入口近くに、放送用のスピーカーが設置されていた。



「……おはよ、犀葉、立花」


「おー。おはよう」


「おはよう」



どうやら、この施設の全体のアラーム音らしい。

時計を見れば、時刻は5時。

いつもと一緒か、そう思いながら2段ベッドの上から降りる。

下段には成川と立花が寝ていて、俺は上段に寝ていた。

昨日は、あの一件の後、部屋に帰ってきた俺達は、改めて自分達の体に霊触がないか確認後、就寝し、次の日を迎えて今に至る。



(……あいつら、大丈夫だったかな)



川のせせらぎのアラームで起こされた俺は、施設の共同洗面所で顔を洗い、歯を磨いていた。

泊まる階の両端に設置されている共同洗面所なのだが、今は俺1人しか使っていない。

施設のアラームが鳴ったと思えないほど、人気がなく静かだった。

この階には俺達以外の人もいるはずなのに、声も聞こえない。変なの。

そして、口には出さないが、頭の片隅では、あの霊が言っていた言葉がずっと気になっていた。



―――『かくれんぼ』、スタート



耳にこびりつくあの声。

思い出すだけで、鳥肌がたつ。

それを拭うように、頭を左右に振り忘れようとする。

両手で水を掬い、口に含んで吐き出す。

そして、自身のタオルで口を拭きながら鏡を見て、ぎょっとした。


この階には、廊下の両端に共同洗面所がある。

数個の水道に、一枚の大きな鏡だ。

その間には、数個の部屋と、上下階に上がる階段がある。


その階段がある場所から見えたのは―――腕だ。


顏は壁に隠れて見えないが、おそらく男の腕が、上下に揺れていた。

通常であれば「バイバイ」と捉えてしまいそうだが、どちらかというと俺に存在を示すように「来たよ」と表現しているようだった。

今度は体ごと振り返ると、そこには何もなかった。

そのまま走り出し、階段を繋ぐ道へと出るが、案の定誰もいなかった。



「……くそっ」



吐き捨てるように言う。

やっぱり、宣言していた通り、あの霊はこの施設に入ってしまったのか。

しかも、悪意もある分、タチが悪そうだ。



「……犀葉?何してるんだ」



突如後ろから聞こえた声に、ビクッと肩を揺らしてしまった。

振り返ると、そこにいたのは不審そうな目で俺を見る立花だった。

いつもと変わらない筈の表情なのに、今日は何故か少し不安になった。



―――もういいかい



頭の中にこびりつく声。

ないとはわかっているが、立花になりすましているってことはないよな。



「いや、別に。見られてる気配を感じて来ただけ」


「……そうか」



そう言うと、立花はちらっと階段に視線を移し、そして俺に戻す。

しかし、無言だ。お互い無言なので、気まずい。

というか、男が2人で見つめっていても気持ち悪いだけじゃないか。



「なんだよ」


「……昨日、」



「―――おはようございます。あと15分後に研修室に集合してください。持ち物は筆記用具のみ。部屋の金庫に貴重品は入れてください。服装は、運動ができる格好に、運動靴を履いてきてください。繰り返します……」



立花の言葉を遮るように鳴った放送。

それに耳を傾けていた俺だが、一通り聞いたところで、今度は他の神社の人達が部屋から出てきた。

みんな研修用の白いジャージを着ている。



「おーい!立花!犀葉!急げー」



今度は成川の俺達を呼ぶ声が聞こえた。

俺が「わかってる!」と返事をして、立花に視線を戻す。

すると、立花が大きく溜息を吐き出したかと思うと、そのまま俺に背を向けて部屋へと歩み始める。



「おい、立花。話は?」


「後で言う」



そう言って、少し駆け足で部屋に行ってしまった。

なんだ、アイツ。やっぱり昨日から少し様子が変だ。

特に「楓彩八幡宮そうさいはちまんぐう」の名前が出てから特に変だと思う。

先程の腕のことも含め、いろいろ不安になることが多そうだ。

気を引き締める為に、自身の両頬を叩くと、俺も駆け足で部屋へと向かった。



2日目


5時  起床


6時  朝食


7時  座学① 


10時 ジョギング・筋トレ


12時 昼食


13時 座学②


15時 日別朝夕大御饌祭


18時 夕食


22時 就寝


本日の日程は上記の通りだ。

朝5時に起き、座学を中心に研修が詰め込まれている。


座学①は「一神教と多神教の違い」という講義だった。

一神教は「人間を超越した何でもできる完璧な存在が1人いて、それが神様である」という考え方。

多神教は「すべてのモノが神様になりうる存在である」という考え方だ。


一神教の代表例としては、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教である。

この3教は「世界三大一神教」と呼ばれている。

ちなみにすべて同じ神様であるが、呼び方が違うだけなのだ。


多神教は、自然が豊かなところで起きる宗教であり、すべてのモノに神様が宿るという考え方である。

自然物にも神は宿り、モノだけでなく、戦や人、事象に関しても神は宿るといわれている。

ちなみに日本は多神教である。


こんな感じで、歴史のみでなく世界の宗教事情も踏まえた講義を聞いた。



座学後は、ジョギング・筋トレだ。

「神主なのに、運動かよ」という周囲の声に、入社時には俺も思っていたなぁと心の中で頷く。

俺達は先に筋トレから始まった。

姿勢をよくする体幹を鍛える筋肉トレーニングとして、腹筋から始まった。

うつ伏せの姿勢で肘を付き、肘と足の指先で身体を支えるトレーニング。

他にも、脇腹である腹斜筋を鍛えたり、背筋である広背筋を鍛えるトレーニングをしたりもした。


その次はジョギングだ。

ジョギングは班を2つに分けて、山道を走るらしい。

班に2人、伊勢神宮に奉職している神主の先輩が先導するので、それについて走るというものだ。

ただ、先導する先輩は走るのがめっちゃ早かった。



「あー…俺、もう無理ー。先に行ってくれー」


「おう。お先ー、加藤」



1人、1人と脱落していくのを避けていく。

最初は大学時代の友人である井上や加藤と後ろの方で走っていたのだが、気づけば随分と先頭の方に来てしまった。

後ろを振り返るが、最初は30人近くいたのに、10人も残っていなかった。

加藤は学生時代にトライアスロンをしていた。トライアスロンとは、水泳・自転車・マラソンで構成される総合競技だ。

昔は俺よりも体力があったのになぁと思ってしまう。

毎日走っていたのが役に立っているようだ。



「あ、立花じゃん」



そのまま先頭集団の後ろについて走りつつ、ふと横を見る。

すると、そこにいたのは立花だった。

汗をかかずに平然とした表情なのはさすがだと思う。

ちなみに俺は正直なところ暑い。だけど、なんかムカついたから、無理矢理平然な表情をつくった。

あ行を先頭に2つの班に分けたと聞いたが、立花は前半組だったようだ。

おそらく成川は後半だろう。



「……おう」


「なんだよ、その顏」



声をかけると、ちらりと俺に視線を向けて前に戻し、もう一度視線を向けてきた。

今朝といい、一体何なんだ。

言いたいことがあるなら言えよ。



「言いたいことがあるなら言えって」


「……犀葉。昨日の夜、うなされてた」



昨日、うなされてた?

その言葉に、記憶を辿る。

ああ、確かに嫌な夢を見た気がする。



「ああ、確かに嫌な夢を見た気がする。それがなんだよ」


「" まーだだよ " そう寝言で言っているのが聞こえた」


「は?」


「――なあ。お前、犀葉だよな?」



その言葉が衝撃的すぎて、一瞬思考が止まった。

コイツは、一体何が言いたいのだろうか、と。

まさか、俺が" 憑りつかれている "とでも言いたいのだろうか。



「…もしそうならお守りを――ッ」


「立花、俺を疑ってるのか!?」



次に湧き上がってきたのは、怒りだった。

俺の寝言を聞き、コイツは俺が愉快犯の『此の世ならざるモノ』だと疑っているのか。

思わず立花の腕を掴み、足を止めてしまった。

先頭集団は行ってしまったが、そんなことはもう頭の中になかった。

立花も俺の手を振り払い、俺を睨む。



「……朝から階段の前にいたし、今朝から変だ」


「変と言えば、お前の方が変だろ!昨日、楓彩八幡宮そうさいはちまんぐうの奴らと出会ってから特に変なんだよ。お前こそ違うのかよ」


「ッ」



楓彩八幡宮そうさいはちまんぐうという言葉を出した瞬間、立花の表情が変わる。

そのまま俯いたかと思うと、突然勢いよく顔を上げ、俺の胸ぐらに掴みかかってきた。



「違う!あいつらは俺に関係ない!」



激昂する立花に、心底驚く。

今まで散々言い合いや喧嘩をしてきたが、ここまで怒るのは初めてだった。

驚きすぎて、言葉が出なかった。

強く握りしめる手や、怒りを表現する表情が「楓彩八幡宮そうさいはちまんぐうと関係あります」と言っているようなモノだった。



「……立花」


「くそっ」



乱暴に俺の胸ぐらから手を離す。

悪態をつき、顔はバツが悪そうに逸らしたままだった。

いつの間にか俺の中からも怒りが消え、ただ疑問が残った。

同期になって1ヶ月。俺は同期のことを何も知らないのだと実感した。



「……なあ、お前は立花だろ。出会って1ヶ月しか経ってないけど、同期は間違えねぇよ」



その言葉に、ゆっくりと立花は顔を上げた。

珍しく驚いた表情をしている。

ここまで力の抜けた表情は見たことがなかったので、その表情にも驚いた。



「俺は犀葉だ。どうすれば、信じてもらえる?」


「………」



目をそらさずに、真っすぐと立花を見つめる。

すると、立花がゆっくりと手を挙げたかと思うと、突然自身の頬を叩いた。

パァンと響く音に驚き、その行動に唖然としてしまう。

けっこう大きな音がしたけど大丈夫か。



「……俺も、もう疑ってない。だけど、確認作業はいる」


「ああ。塩水でも飲むか?」


「いや、俺達はそんなことはしなくてもいい」



そう言って服の中から取り出したのは宮司さんからもらったお守りだった。

俺も同じように自分の服の中からお守りを取り出す。

桃色の生地に金色の刺繍で「犀葉」と縫われた俺だけのお守りだ。

しかし、このお守りがどうして証明になるのだろうか。



「このお守りの力を引き出せるか?」


「力?」



首を傾げて聞くと、立花が自身のお守りを軽く握る。

すると、突如お守りが金色に光り始めた。



「すげぇ、なんで金色なの?」


「お前は?」


「ああ」



そう言って、俺も自分のお守りを握り、軽く力を込める。

すると、俺のお守りがゆっくりと青白く光り始めた。

そのお守りの光を確認後、立花の表情に安堵が見えたように感じた。

そうか、『此の世ならざるモノ』に憑りつかれていたら、お守りの効力は発揮されないのか。



「成川と話してたが、この確認作業が俺達でも必要になる」


「おう。わかった」


「特にお前はお守りの効力を発揮できずに憑りつかれそうだからな」


「うっせぇ」



一言余計なんだよ、と立花を睨むが長くは続かず、何故か少しだけ笑えてきた。

理由はわからないが、なぜかいつも通りのやり取りに安心した、という感じだ。

すると、後ろから集団の足音が聞こえてきたので、立花と一緒に脇に寄る。

先頭集団に遅れてしまった人達なのだろう。



「あー、やべ。そろそろ行かないと」



集団の人達が俺達を抜いていくのを見つめながら、そういえばジョギング中だったと気付く。

その集団が行ったら俺達も行こうか、そう考えていたその時――



「 ――もういいかい 」



クスクス。

俺の耳に入ったのは、囁くような男の声だった。

途端にぞわっと全身に寒気が襲い、脳内で警告が流れていた。

しかし、それを振り切り、追いかけるように俺は走り出した。



「おい!」



後ろで立花の声が聞こえたが、勝手に追いついてきてくれるだろうと判断した。

400mほど走り、10人くらいの集団にやっと追いつく。 

置いていかれた組なのでもう諦めたのだろう。ペースを少し落とし、みんな好き勝手に喋りながら走っていた。

ゆっくり走っているのなら好都合だ。

俺と立花は憑りつかれていないので、おそらく楓彩八幡宮そうさいはちまんぐうの奴らに憑りついているのだろう。

顔を見ればわかる。そう思って、その集団を後ろから抜かそうとした時、その集団の会話が耳に入った。



「え?マジかよ!最後になったら、バツがあるらしいぞ」


「は?嘘だろ」


「お先っ」


「てめっ」



その会話とほぼ同時に、全員が急に走るスピードを速めた。

ジョギングというより、全力疾走に近かった。

みんな最後になりたくないのだろう。

ちなみに、俺もバツがあるなんて聞いていない。

もしかしたら、この中にいる『此の世ならざるモノ』に憑りつかれている奴がそんな嘘を言ったのかもしれない。



「くそっ」



俺も一緒になってペースを速める。

1人ずつ抜かしながら顔を確認していくが、どれも見たことのない顔ばかりだった。

前を見ると残り5人といったところだろうか。

昨日は暗かったので、髪型や体格で判断できるか自信がない。

やはり顔を見ないと判断は難しい。


結局ゴールまでに追いつくことは無理だった。

ゴールまで来たら名前の後半組の人達も混ざってしまって、残りの5人が誰だったのか判断がつかなかった。

全速力で走ったことの疲れも合わさり、荒くなっている息を整わせながら歩き、周囲を確認する。

その時、ふと誰かと目が合った。



「……あ」


「お前、楓彩八幡宮そうさいはちまんぐうの…」



目が合ったのは楓彩八幡宮そうさいはちまんぐうの1人である「湯田」という男だった。

この男は、昨日の幽霊屋敷で何もできずにしゃがみ込んで震えていた男だ。

しかし、名前は後半組。走る前は点呼もあったのでこの男が憑りつかれているとは考えにくいか。



「お前の仲間はどこにいる?その中の1人が憑りつかれてる可能性が高いんだ」


「え、あの、みんなさっき走り終わって、食堂に行きました」



俺に少しビクビクしながらも指を差したのは建物の裏の方だ。

今からは昼食。走り終わった人から食堂に向かっているようだった。

確かに食堂が離れにあるため、外から行く方が近いか。



「ありがとう」


「あ、犀葉ー!」



湯田にお礼を言って建物裏に行こうとした時、誰かに呼び止められた。

聞き覚えのある声に振り向くと、10mほど離れたところに成川が立っていて、俺に手を振っていた。

俺もそれに手を振って応え、その手を口まで持っていく。



「あとで、話あるからー!」


「はー?今じゃダメなのかー?」


「立花がもうすぐ来るから合流しといてくれー。よろしくー」


「おい、犀葉ー!」



そう言って、俺は校舎裏へと向かった。

とりあえず、湯田はないとはいえ、残り4人の候補を見て靄がないか判断しよう。

今日は朝からずっと嫌な感じが消えず、そわそわと落ち着かないのだ。

この事件を早く解決しないと。



「にしても、なんでかくれんぼなんだ?」



ふとそんな疑問が湧いた。

なぜあの『此の世ならざるモノ』はかくれんぼをしたがるのだろうか。

そんなことを考えつつ、建物の裏を曲がった瞬間、―――勢いよく腕を引かれた。



「うわっ!?」











「―――ヒヒ、もういいかい」









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