第8話 出仕
「――――お前らはアホかぁ!!!」
皆様、どうもこんにちは。犀葉 瑛です。
只今俺達は、社務所の中で正座をさせられています。
実に不愉快な右隣には、昨日俺と口論になった同期の立花。
目の前には、そこらのチンピラよりも怖そうな山中さん。
その隣に、山中さんの怒鳴り声の瞬間に耳を塞いだ祿郷さんがいた。
「自分達で勝手に『此の世ならざるモノ』を祓っただと!?
事の始まりは、俺からだ。
昨日の怒りが収まりきらず、朝出社した時に山中さんと祿郷さんに出会った時に愚痴を零してしまった。
塩水を持ってなかったのは俺が悪いのだが、言い方がもっとあるだろう。バカとか頭悪いとか本当に失礼な奴だ。
そう言った途端、山中さんが沐浴に言ったばかりの立花を、引きづるように連れてきて俺と共に座るように命じた。
立花は不服そうにしていたが、顔が怖い山中さんに逆らえるわけがない。
「俺…、いえ、僕は、
―――逆らっちゃったよ。
初期ということは低級の中の低級ということか。
立花の真っすぐ背筋を正して反論する姿は素晴らしいと思うが、今の山中さんには逆効果だろう。
案の定、勘に触ってしまったようで、あぁ?とチンピラのような反応を返したかと思うと、引き続き怒鳴るように言葉を繋げた。
「そこじゃねぇよ!
後者ということは「その場所の影響を受けて生まれた」ということだ。
場所の影響?と首を傾げる俺と違い、立花の表情に少し焦りが見えた。
「―――山中、言葉が汚い」
「うるせぇ」
黙り込む立花と、怒りを顕わにするように睨む山中さんの間に入ったのは、その横にいた祿郷さんだ。
「賢い立花なら気づいただろうが、俺達はこの神社の神主である以上『此の世ならざるモノ』から目立つ存在になる。犀葉、ここまでの話で意味はわかるか?」
「……場所の影響を受けて生まれてくるとは、どういう意味ですか?」
「簡単に言うと、心霊スポットみたいな感じで、悪いものが寄ってきて集まる場所がある。そこから、靄も生まれることがあるんだよ。それが、場所の影響を受けるということだ。逆に、この神社は清められているから、敷地内では『悪いモノ』は生まれないし、寄りつけないようにしている」
あの電信柱が『此の世ならざるモノ』を引き付ける場所には見えないが、その周囲に可能性がないわけではない。
靄を祓う俺達を見て、日頃の恨みがあるモノが寄って来ないとは限らない。
「では、後者の場合だ。心霊スポットで小さな靄を未熟な者が祓ったとする。―――もし、その近くに強敵がいたら?」
あの小さな靄を祓うのを、実体化できるほどのモノが見ていたとすればどうなるのか。
そう考えて背筋がすぅと冷たくなるのを感じた。
立花はわからないが、俺は全く周囲を見ていなかった。
その場で別の『此の世ならざるモノ』に襲われなかったことが不幸中の幸いだったのだろう。
「その『此の世ならざるモノ』に同じ方簡易的な祓い方をしたとしても、完全に清めきれずに逆に反感を買うことになる。お前らはお守りがあるから、もしかしたら助かるかもしれない。しかし、周囲の人に憑りつき、神社で暴れたり、悪さをすることもあり得るんだよ」
そこまで考えていたか?
強い口調で祿郷さんに聞かれ、俯いていた立花が「考えていませんでした」と消え入りそうな声で発する。
俯いたままで表情はわからないが、いつもぴんと伸びている背中が今は丸く萎れていた。
そんな立花を見て、祿郷さんが深いため息を零しながら、言葉を続ける。
「" 出仕は神主にあらず "という言葉がある。新人神主がご祈祷ができるまでの研修期間が3ヶ月だ。3カ月後には、昼も夜もご祈祷に上がってもらうが、それまではご祈祷をすること自体許されていない。未熟な状態で祓うと、危険が生じるからだ。渡した塩水は祓うためのモノじゃない、護身用だ。肝に銘じておけよ」
「……すいませんでした」
厳しい口調で祿郷さんに言われ、俯いた状態で立花の口から謝罪の言葉が零れた。
肩に力が入り、少しだけ震えているその様子が、何故か心苦しくなった。
「―――すいません、立花は僕を助けてくれたんです」
思った以上に大きな声が出たと思う。
俯いていた立花の顔がゆっくりと上がり、瞠目している目と視線が合う。
祿郷さんは俺を見て大きな溜息を1つ零し、また立花に向き直った。
「そうなのか?」
「……いえ、助けようと思ってはいません。
おい、助け舟を出そうとしたのに!
内心焦りつつ立花に視線を送ると、余計なことを言うなという表情で睨まれる。
「違うってさ」
「立花はそう言っていますが、結果的には助けられました。祓わせることになった原因は僕にもあります!」
「あーあー!めんどくせぇな!お前ら仲が良いのか悪いのかどっちだよ!」
ガシガシと頭を掻きながら言葉を発する山中さん。顔にめんどくさいと書いてある。
祿郷さんは大きな溜息ももう一度零し、正座をしている立花の前に腰を下ろした。
「じゃあ、言葉が違うだろ。―――よくやったな、立花。とりあえず、2人が無事でよかったよ」
そう言って祿郷さんは、立花の髪を乱暴に混ぜるように撫でる。
びっくりしたように反射的に顔を上げた立花に、山中さんもしゃがんだ姿勢で肩を叩きながら言った。
「ああ、よくやった。ちょっと男の友情に感動したぜ」
「……友情?」
ゆっくりと復唱したのは、立花だった。
山中さんの言葉が引っ掛かり、少し感動していた気持ちが霧散する。
思わず俺も復唱しそうになってしまった。危ない危ない。
結果的には助けてもらったが、犬と猿、水と油のような相容れないこの関係に友情なんてある筈がない。
「待ってください、山中さん。その言葉は訂正してください。僕は助けたつもりは微塵もありませんが、その後に『ありがとう』の一言すらない礼儀知らずに友愛という感情が生まれるわけないでしょう」
「ッ、それはお前が礼とか言う前に、バカとかアホとか大嫌いだとか貶してきたからだろうが!そんな奴に『ありがとう』なんて出るわけないだろ!」
「それは学習しないからだろ」
「してるよ!お守りは持ってるって言ってんだろーが!」
「それはできなきゃ小学生以下だろ。必ず小瓶を持っとけと言われただろ。襲われないと学習しないのか」
「うるせぇ!お前の言い方がいちいちムカつくんだよ」
「―――お前らいい加減しろ!小学生の喧嘩かァ!!」
ーーー今日一番の山中さんの怒鳴り声が、境内に響き渡った。
「……ははっ!そういうことか!」
「笑い事じゃねぇよー」
その日の帰りは、成川と一緒だった。
あの後、山中さんの声に他の職員が集まり、その後は瀬田さんからこんこんと説教をされた。
昼からは仲良くするためか嫌がらせかわからないが、立花と2人でおさがり作り。
祿郷さんがご祈祷をしている間は、神饌所に2人きりという拷問のような時間を過ごした。
その間は会話は一言もないし、お互いに歩み寄る気もない。勿論俺も喋りかける気はない。
気分的にもむしゃくしゃしていた為、成川に声をかけて帰りにいろいろと付き合ってもらった。
まずは小さなバッティングセンターに行き、成川が市街地の本屋に行きたいと言ったので、道中に愚痴を聞いてもらった。
「気分はすっきりした?」
「まあまあ。思う存分愚痴を言わせてくれてありがとう。宿直で眠いのに悪いな」
「いえいえ、本屋も行きたかったからちょうど良かったよ」
成川は昨日宿直業務だったため、早起きをしていたのだ。
本屋に向かう時も、時々欠伸をしているのでおそらく眠たいのだろう。
成川には自然と「ありがとう」と出るのに、なぜ立花には言う気にならないのだろうか。
きっと言い方だろうなぁ、とぼんやり考える。
「あ、コンビニ寄っていい?」
「いいよー」
ふと、成川がコンビニの前で足を止めて、中へと入っていった。
俺も喉が渇いたと思いながら中に足を進め、そのまま清涼飲料水のペットボトルを購入してコンビニを出る。
ちらっと店内を見ると、成川はカップラーメンの棚の前にいた。夜ご飯にするつもりだろうか。
「……夜は冷えるなぁ」
入口の前に立っていたら、40代くらいのおじさんが目の前で煙草を吸い始めた。
よく見れば後ろに喫煙スペースが設置されている。ここで煙草を吸いたいみたいだ。
「すいません」と一言いい、俺は店から3mほど離れて成川を待っていた。
ふと、同じ光景が以前もあったな、と頭に過った。
あの時は1人で、喉が渇いたからコンビニに向かった。
……その道中で、確か、愛らしい少女の声が聞こえたんだ。
「 ―――おにいちゃん 」
背後から聞こえた、可愛らしい声。
気のせいかとも考えたのだが、ぞくりと背筋が冷え、鳥肌が止まらない。身体が本物だと叫んでいた。
聞き覚えのある、できればこのまま忘れたかった少女の声。
「 ねえ 聞こえているんでしょ? ふふ 貴方にずっと会いたかったの 」
そのまま後ろを振り返らず、俺は走り出した。
コンビニの中に入ってしまってもいいが、出る時に成川に迷惑をかけかねない。
しかし、その決断は一瞬で封じられた。
「――うわっ?!」
「 逃げないで 逃がさない みんなダメだったもの 」
強い力で腕を掴まれて引かれ、俺は足を止める。
振り返れば、以前と同じ髪の長い女の子が俺の腕を片手で引いていた。
振り払おうにも力が強い。小さい女の子の力には到底思えない。
「 ふふふ 貴方の カ ラ ダ ちょうだいね 」
強く後ろに引かれ、俺は体勢を崩し、尻もちをつく。
顔を上げるとほぼ同時に、目の前に立っていた女の子がゆっくりと俺に近づいてきた。
白くて細い手が俺に伸び、俺の膝に触れる。
スーツを着ているのに、その手は冷たいと何故か感じ取った。
身体の震えが止まらない。
その時、はっと胸にあるお守りの存在に気づいた。
「……ッ!」
「 きゃっ 」
ぎゅっと握りしめると「バチッ」と閃光が光り、女の子が俺から弾き飛ばされた。
その隙にと急いで立ち上がった瞬間、その女の子の顔が見えた。
二重瞼に大きな瞳、可愛らしい風貌で、年は一桁だろう。俺の予想では8歳くらいか。
夜闇でわからなかったが、閃光に照らされたのはブラウン系の髪だ。
「 ひどい 貴方まであたしを拒むのね どうして 助けてくれないの 」
弾き飛ばされた女の子がゆらりと立ち上がる。
お守りが効くとわかったので、俺はぎゅっと握りしめたまま女の子と対面した。
「 あたしは ただ 助けてほしいだけ それなのに あたしに触れると みんなおかしくなるの」
先程からいろいろな意味深い言葉が耳に入ってくる。
祿郷さんの言っていた『夜道を1人で歩くと、女の子に襲われる』噂はきっとこの子なのだろう。
「 うん そうね わかったわ 今度こそ 助けてもらうわ 」
両掌で顔を覆ったと思ったら、何かと会話をしているようだ。
そんなところも気味が悪いと思って見つめていたら、ぴたりと言葉が止み、ゆっくりと手が顔から離れた。
瞳孔が開いたままの目が、まっすぐ俺を見据える。
「 ねえ おにいちゃん 貴方の カラダ ちょーだい 」
一歩、一歩、ゆっくりと歩み寄ってくる。
まるで甘えてお願いを首をゆっくりと傾げているのだが、瞳孔が開ききっている目のせいで怖い。
もう恐怖でしかない。
どうする、どうする。俺はどうすればいいんだ。
「 おねがい たすけて 」
助けるってなにを?!
混乱と動揺でおかしくなりそうな頭を、さらにフル回転させて逃げ道を探す。
逃げても一瞬で捕まってしまうし、お守りに頼ることしか俺にはできない。
「 ---おねえちゃんに あいたい 」
---そう紡ぐ少女が、一瞬だけ幼く儚げに見えた。
「――犀葉!」
「 きゃっ! 」
突然冷たい水が頭から降ってきたかと思ったら、強く腕を引かれて立ち上がり走り出した。
驚きと混乱で状況が掴めてなかったが、どうやら俺の手を引くのは成川のようだった。
そのまま後ろも振り返らずに、一直線にアパートの前まで走り続けた。
「……よし、周囲は異常なし」
「はぁ、ありがとう、成川。助かったよ」
「ほんとに襲われるの好きだな」
「好きで襲われてねぇよ。成川はああいうのどうやって避けて過ごしてるんだよ」
疲れた、帰ろう。
そう思い、自分の部屋に行こうとすると、何故か成川もついてきた。
「なに?」
「
ううんと唸る。
霊触なので、あまり体に影響はないのだが、清めてもらおうか。
「じゃあ、お願い。散らかってるけど」
「俺の家の方が散らかってるよ」
お邪魔します、と成川が部屋に入ってきた。
さっきまでは外で暗かったので気づかなかったが、成川も髪が濡れていた。
「なんで濡れてるんだよ」
「あんな危ないやつに単身で向かった勇気を評価してくれ。塩水は護身用にもなるから、1つは自分で、もう1つはお前に使ったの」
「そういう使い方もあるのか!……ん?ああ、霊触を清めるモノがないのか」
「そーいうこと」
塩水をかけてもいいように、風呂場に行くことにした。
鞄の中から塩水を2つ取り出して、成川に渡す。
「はい、ばんざーい」
「……気持ち悪っ」
「うるせぇ」
親が子どもに服を脱がせる時に言う台詞に、寒さだけでない鳥肌がたった。
男が同じ部屋にいて、片方が裸なんて想像するだけで状況が気持ち悪すぎる。
「どう?」
「腕だな。―――祓ひたまへ 清めたまへ」
祓い言葉を唱えて、塩水を俺の腕にかける。
塩水をかけていくと、汚れが落ちるように靄が消えていく。
「腕だったら、俺脱ぐ必要なかったじゃん」
「そうだな」
今の恰好は上半身裸だ。
夜はまだ冷えるので、寒い。
「他に気になるところは?」
「いんや?」
「じゃあ、いいや。もう一個は持ったまま出社して、また塩水もらっとけよ」
使用した空小瓶を俺に手渡し、成川は自分の鞄を持ちながら玄関へと向かった。
俺も適当なTシャツを着て、玄関に成川を見送りに行く。
「いろいろありがとう。成川、明日は?」
「俺、休み。あ、必ず明日祿郷さんに報告しろよ」
「わかってるよ」
じゃあ、お疲れー。
そう言って成川は自分の部屋へと帰っていった。
俺も成川と外に出て、周囲を確認する。
部屋に入ったのを遠目で確認して、自分の部屋へと戻った。
「……はぁ」
これは安堵なのか、不安によるものかは自分自身もわからなかった。
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