第2話 神主の日常





――神主の朝は早い。



「……おはようございます、柴崎さん」


「ああ、おはよう。犀葉」



朝、6時起床。7時出社。

神社で潔斎としての沐浴、体を清めた後は境内の掃除だ。


俺は" 犀葉 瑛さいば あきら"、今年で23歳。ピチピチの社会人1年目、デビューしてまだ1週間。

この桃華八幡宮で奉職している神主だ。



「おはよう、犀葉くん。良い朝だねぇ」


「おはようございます」



掃除箇所は分担するのだが、今日の俺は参道の掃除だ。

竹箒で掃いていると、朝早くから参拝者の人達とすれ違う。

朝早くに来る人は大体いつも一緒だ。日々の散歩のコースとして組んでいる人も多い。



「此処にくると、空気が澄んでてええなぁ」


「そうですね。緑が多いですから」



この神社は、山に近いところにあるので周囲に緑も多い。良い土地だと思う。

ただ、出社する時の階段はしんどい。

それを毎日登ってくるこのおばあちゃんを心から尊敬している。

俺なら無理だ。仕事じゃなかったらこんな山を登る気にならない。



「みんな良い人たちやし、気持ちええわぁ。ありがとう」


「いえいえ、参拝者の方も良い人たちばかりで、僕達も嬉しいです。いつもありがとうございます」


「まあ」



そんな会話を楽しみつつ、9時半頃に境内の掃除は終わる。

そこからは、各々仕事に就くのだ。

神社もシフト制になっていて、部屋にある大きなホワイトボードにスケジュールが書かれている。

今日の予定は、午前は四垂作りしでづくりと、午後から研修か。

げっ、研修担当は、祿郷さんか。やだなー。スパルタなんだよなぁ。

今日のご祈祷番は、禰宜の瀬田さんと権禰宜の片岡さんだ。

出仕である俺は、まだご祈祷ができない。


神社にも、階級がある。


出仕しゅっし

権禰宜ごんねぎ

禰宜ねぎ

宮司ぐうじ


桃華八幡宮ではこの4つだと聞いた。神社によっては、人数の多さで、さらに細かくなっているところもある。

ここはあまり大きな神社ではないので、こんな感じなのだろう。

そして、俺は出仕、謂わば研修生みたいな感じだ。

人数は出仕3人、権禰宜5人、禰宜2人、宮司1人の合計11人がこの神社で働いている。



「なあ、成川ー」


「なんだー?」



午前は「四垂しで」を作る。

四垂とは、神社の注連縄しめなわ玉串たまぐしについている雷のような形の白い紙だ。

紙なのですぐに汚れて破れやすいので、たくさん作る必要がある。

作り方は簡単、白い紙をで四垂切包丁しできりほうちょうと呼ばれる専用の大きな包丁で切るだけ。不器用さんも安心の工作業務だ。



「そういえば、朝に祿郷さん見てないよな。今日研修を担当してくれるのに」


「んー?……そういえば見てないなぁ」


「寝坊か?いや、そんな風に見えないけどなー」



此処の神社の規模はそんなに大きくない。

有名な観光神社では、神主だけで50人くらいいるが、ここはたったの11人。この人数でもそこそこ大きい方に入る。

そんな田舎神社なのに、ここはすごく人気なのだ。毎年50人は受けにくるとか。倍率はどの神社よりも高い。

そして、なぜ俺が受かったのかわからない。成績も、身分も平平凡凡に近いのになぁ。



「――手を止めるなよ」


「あ、悪い」



不意に聞こえた声に、俺の意識は現実に戻る。

その声の主は一緒に作業していた同期、立花 光毅だ。

じろりと俺を睨み、また自分の作業に視線を移す。

この男は、第一印象から俺と合わないかなと思っていたが、やっぱり合わないようだ。

真面目なのはいいことだけど、硬いというか、陰険そう。

そんなことをつらつらと考えていたら、ふと静かな部屋にオルゴール音が響いた。



「もうお昼か」


「ほんとあっという間だな」



12時から13時までは休憩時間だ。

お弁当が支給されるので、手が空いたものから各自昼食をとる。

午後からも、ご祈祷番以外は自分の仕事に戻る。

神社は祭事やイベントは殆ど午前中に入る為、午後からの方が手が空くことが多い。

それにより、俺達の研修も午後から行われるのだ。


理屈はわかる。わかるのだが――



「やべ、脇腹痛い」


「食べてから走るのはきついー」


「お、喋る余裕があるのか?あと、1周追加」



今日の研修は、実技4時間、座学1時間。いや、待って、普通は座学が先だろう。

実技はご祈祷から邪気祓いまでなんでもできるように、この半年で作法を詰め込まれるらしい。



「それで何で走ってるんですか…!」


「健全な精神は健全な肉体に宿るからだ」


「走ってることに全然繋がらないんですけど!」



今日の地獄のトレーニングは、足場の悪い山道を3周。

高校までは運動部に所属していたので、体力に自信はあったが、さすがに4年のブランクはきつい。

3人でほぼ競争するように走り、俺は2位だった。とは言っても、3位の成川とはほぼ同着だったが。

俺と成川は走った後、立てずに地面に座り込んでいる。しかし、立花は汗をかいているものの、表情は余裕そうだった。



「立花は余裕そうだな」


「余計な会話をしなければ、余計な体力は減りませんので」


「腹立つなー。なんでそんな言い方しかできないんだよ」


「すべての事に意味はある。走ってるだけでそんな文句しか言えないなら、邪気祓いなんて到底先だな」


「あ?」



くそ、やっぱりむかつく。

常に上から目線で、常に人を見下している。こういう人間は嫌いだ。

疲れていることも合わさり、頭に血が昇るのを理性だけでは抑えきれない。

怒りのまま大股で立花に近づこうとするが、そんな俺の腕を祿郷さんが掴んだ。

そして祿郷さんは二重瞼をすっと細め、俺達に打ち据えるように言い放った。



「怒るな、とは言わないけど、立花も間違ってない。ただ、言い方は悪い。立花も同期と仲良くする気がないなら上に報告するからな」


「っ、すいません」


「……すいませんでした」


「犀葉、表情と言葉が全く合ってないぞ」



祿郷さんに苦笑されつつそう指摘されても、早々怒りは抑えられない。

しばらく片頬を膨らませていると、楽しそうに成川に指で潰されてしまった。



「じゃあ、続き。階段駆け上がり5往復」



うえ、と出そうになる声を飲み込む。

また立花に見下されたくない。というか、もう負けたくない。

必ず勝ってやる。



「参拝者にあったら必ず立ち止まって笑顔で挨拶すること。よーい、どん」



―――今度こそ負けるか!そう思って俺は全力で駆け出した。





「よっしゃ、いちばーん!」


「今度は成川が一番か。次は――…同着か」



今度は成川が一番だった。

速さ的には立花だったのだが、参拝者に「笑顔で挨拶」ができていなかったので1週追加。

俺は逆に参拝者に挨拶をしたら、持ち前の人当たりの良さが裏目に出てしまい、世間話に付き合うことになり出遅れた。

参拝者に罪はないのだ。

ゴールした瞬間倒れこみ、体全体で空を仰ぎながら呼吸を整える。

太ももと膝が震えている。もうこれ以上は無理だ。もう走れない。



「ほら、立て。次は座学だ」


「なにするんですか?」


「今日は宮司と個人面談だ」



残り1時間は宮司さんと個人面談だそうだ。

本日宮司さんが帰ってくるのが夕方だったので、その時間に座学を合わせたらしい。ああ、納得。

1人20分。待ち時間は大学ノートに今日学んだことを書いていく。

俺は3番目なので、一番最後だった。



「終わった。犀葉」


「ああ」



2番目の立花が出てきて、次に俺の番。

研修部屋から宮司さんの部屋は同じ建物である社務所の中にある。

歩いて1分ほどで部屋の前に着いた。そして、ノックを3回。

待っているとすぐに「どうぞ」と声が聞こえた。



「失礼します。お疲れ様です」


「お疲れ様です。さあ、どうぞ座ってください」



宮司さんの部屋は謂わば校長室のような感じだ。

部屋の奥に宮司さんの作業机があり、その後ろには壁一面の本棚に隙間なく本が詰まっている。

机の前に3つのソファと木のテーブルが置かれている。

1人用ソファが2つと2人用ソファが1つだ。

宮司さんが1人用ソファに座っていたので、2人用ソファに座った。



「犀葉くん、ここでの生活はどうかしら」


「はい、仕事内容はまだまだですが、この所には慣れてなれてきました」


「良かった。わからないことがあったら遠慮なく聞いてね」


「はい、ありがとうございます」



ああ、やっぱり優しい。天使だ。疲れた身体も癒される。

わかってはいたが、神主は殆ど男だ。

神社は男しかいない。巫女がいる神社もあるが、ここは少ないらしい。

女の人に飢えている中、大輪の花のような美しさの宮司さんには本当に癒される。俺の動力源だ。



「今日は犀葉くんにこれを渡したくて来てもらったの」


「……お守り、ですか?」



すっと綺麗な指で机上を滑るように出されたのはお守りだった。

3cmくらいの桃色の布で、桃華八幡宮の家紋が入ったお守り売り場でも売っているようなお守りだ。



「手に取ってみて」



言われるまま手に取ってみる。

裏を見ると、犀葉と金色で縫われていた。

すごい、世界にただ一つ、俺だけのお守りだ。



「どう?」


「すごいですね、この文字!俺の名前じゃないですか」


「ふふ、犀葉君の名前を入れたの。これは貴方を守るための物だから、どんな時も必ず持っていてくださいね」


「はい!ありがとうございます」



うわぁ、なんか桃の香りまでするし。

なんかアロマセラピーみたいな感じだ。癒される。

大事にしよう。そう誓い、俺は作務衣のポケットにそのお守りをそっと入れた。







* * *







夜 7時


俺は寮の自分の部屋にいた。

寮といっても、会社が借りている賃貸アパートだ。

アパートはいくつかあり、俺が108号室、成川が105号室、立花が101号室だ。

部屋は1DK。広さは8畳ぐらい。お風呂とトイレは別だ。

他の職員は別のアパートに住んでいるらしい。



「あ、帰りに買い物に行く予定だったのに、忘れてた」



冷蔵庫を開けて絶望。

何も飲み物が入っていなかった。具体的に言うなら、食べ物はあるが、飲み物がない。

お茶を沸かせばあるのだが、今日は炭酸が飲みたかった。



「買いに行くか」



財布と携帯だけをポケットに入れて、俺はアパートを出た。

コンビニは俺の寮から歩いて10分のところにある。

コンビニの周辺は市街でもある為、お店や住宅地が並んでいる。

とは言っても田舎の為、夜遅くまで営業している店は少ない。

まあ、俺の大学も田舎だったので、あまり此処と変わらないのだが。

そのせいか、夜目も効く方だ。



「 ――ねぇ 」



ぞくり。

後ろから聞こえた声に、一瞬にして背中が凍り付く。

4月でまだ肌寒い季節ではあるのだが、一瞬にして俺の全身の毛が逆立つ。



「 ねぇ、お兄ちゃん 」



その弾んだ声に、咄嗟に振り向いてしまった。

俺から1m離れたところに、何かがいた。

子どものような背丈だが、髪で隠れていてはっきりと顔が見えない。



「 ふふ、聞 こ え て る ん だ 」



――その何かが、確かに笑ったように見えた。



(……やべぇ!)



そこからは一目散に走りだす。

頭の中では危険信号が鳴り響き、昼の疲れもどこかに吹っ飛んだかのように「早く、速く」と身体も叫んでいた。

こういう体験をするのは久しぶりだった。

いつもヒトならざるものがいても、見えていないふり、聞こえていないふりを貫く。

ここまで明確に、存在感を知らせてくるモノに出会うのも久しぶりだった。



「 ねぇ 」



――すぐ後ろにいる。

こんなに全力で走っているのに、先程より近く声が聞こえた。

その息遣いも聞こえた気がして、嫌な感じが消えない。


怖い


そう思った瞬間、限界を迎えていた足がとうとう力尽きた。

足が縺れ、体が前に傾く。やばい。



「……いっ、てぇ」



無様にも満足に受け身も取れず、左肩から地面に倒れこむ。

痛がっている暇はない。逃げないと――



「――あれ?」



ふと、光が俺を照らす。

反射的に肩を揺らすが、聞こえたのは予想を反して男の声だった。



「犀葉?」


「え、……祿郷さん?」


「なにしてんだよ、こんなところで」



聞き覚えがある声だと思ったら、祿郷さんだった。

服装が昼間の紺色の作務衣でなく、白い作務衣だった。

白い作務衣は七分袖から見える黒いシャツ、同じく白いズボンに、足袋だ。

どこにでもあるようだが、そんな作務衣は俺は見たことがなかった。



「祿郷さんこそ、こんなところで何してるんですか?それに、その恰好は?」


「あー…仕事中だ」



祿郷さんにしてはめずらしく話を濁した。

右手で後頭部を掻きながら、視線は左に移す。

言えないことを聞いたのかな。


(やばい…!)


そこでふと先程のことを思い出し、勢いよく後ろを振り向く。

しかし、そこには人影はなく、変わらず街灯しか光を灯していない住宅地が広がっていた。

嫌な気配もなくなっていることも確認して、安堵の大きな溜息が零れた。



「……犀葉、宮司さんからもらった" お守り "はどうした」



お守り?

言われるがままに記憶を辿る。

宮司さんにいただいたお守りは、そのまま鞄の中に入れたままだ。



「家にあります」


「お前な…肌身離さず持っていろって言われなかったのか?」


「……言われました。すいません」



ただの厄除けのお守りだと思っていたが、そういうことだったのか。

そういえば、この神社は邪気祓いの神社でもあった。

今みたいな影から俺を守るために、宮司さんが渡してくれたものだったのか。



「……あ、平沢?悪い、犀葉がお守りなしでうろついていたから、家まで送るわ」



祿郷さんが大きな溜息を零したかと思うと、腰の小さな鞄から無線機を取り出した。

その相手は同じ権禰宜の平沢さんのようだ。本当に仕事中だったらしい。

それを聞きながら俺はゆっくりと立ち上がった。膝がまだ震えている。

本当に情けないものだ。



「ああ、悪い。……こっちにはいないっぽい。犀葉を送ったら合流する。じゃ」


「……すいません、お仕事中に」


「いや、逆に会えてよかったよ。気にすんな」



何があったかは俺に聞かなかったが、すべてわかったような口調だった。

本当だ。本当に会えてよかった。

会えなかったら、俺はあの影に捕まっていただろう。

そしたら――、と考えるだけで鳥肌が止まらない。




この夜、俺は宮司さんからもらったお守りを枕元に置いて眠りについた。








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