ロムス宮の地下に存在する、訓練用の部屋。そこでアルツェロが替えの義手、義足の使用感を試していた。完全に壊れてしまっていた義手はもちろんのこと、義足もやや痛みが見られたので、予備のものと交換ということになった。


「なんだかイマイチだ。脚だけは元のままにしてくれないか?」


 しかし担当者はあまり良い表情をしなかった。


「保証できませんよ」

「それでいい。こんな動きじゃ足手まといだ」

「……わかりました。どうなっても知りませんよ」


 そうして使い慣れたものへと戻してもらう。やはりかなり動きやすいようで、一通り試した後、表情をにこやかにして担当者に親指を立てた。


「あとは腕ももうちょっと調整を」

「わかりました」


 そんな様子をササラが少し離れて眺めていた。アノマロカリスの中で戦闘能力では二番目ほどに存在する彼がまさか両腕を破壊され、あそこまで劣勢に立たされるとは想像し難い光景だった。

 吸血鬼という人外を見たのは初めてだった。強大な力を持つとは聞いていたものの、自分たちならばなんとかなるだろうという評価をしてしまっていた。あまりに数が少ない故に、尾ひれがついただけだろうと。


「ササラ、あのワーライガー知り合いだったろ?」


 見抜かれていた。一体どこでバレてしまったのだろうかと考えるが、その隙を与えないようにアルツェロが続けた。


「次は殺せるか?」

「え?」

「言い方が悪かった。次は殺せ」


 義手の調整をしながら、普段と変わらぬ口調で言った。やはり前のものとは違うようで、わずかながら機械音が聞こえた。


「アノマロカリスは閣下に仇なすヤツらを潰すためのもんだ。それなのに知り合いだから殺せないなどと、そんなことあるはずがない」


 口を開けなくなってしまう。実際にエオンを目の前にし、己の剣が鈍ってしまったのは間違いなかった。出るときは殺す覚悟をしていたのに、どんどんと揺れ動いてしまった。

 ロムス宮に戻ってまずしたのは、博士公への報告だった。ぼろぼろになってしまったアルツェロを見て、彼は煙草をわずかに強く握った。


「散歩は、どうだったかね?」

「思ったより険しい道中でした」


 アルツェロが自分なりにシャレをきかせて言えば、博士公は小さく笑うことなく煙草を吸った。部屋に煙が広がる。


「エオン、そしてバルトロ、そしてもう一頭の吸血鬼と交戦しました」


 ササラが報告すれば、博士公は眉間にしわを作り、彼女を睨んだ。より煙草が強く握られる。


「もう一頭の吸血鬼?」

「実際に交戦した彼の話と、赤い瞳からそうであると」

「まだまだ幼い少女でした。それに、バルトロのことを『ととさま』などと呼んで親密な間のようで」


 その言葉を知っていたようで、とうとう目頭を押さえだす。


「それは東の島国で父を呼ぶ言葉の一つだ。バルトロの娘だと……まさかそんなものまでいるとは、私は聞いていないぞ」


 自分たちも知らなかった。それに吸血鬼が二頭になってしまうなどと、想像もしていなかった。幼い少女であろうとも、吸血鬼であることには違いない。その力の片鱗はあの攻撃を受けた時に感じた。殺すための的確な突きだった。


「こんなことならば、アノマロカリスを派遣するべきではなかった。アズーロの腰抜けめが……」


 今、アノマロカリスの多くがオーロ国内を離れてしまっていて、残されたのがこの二人だけだった。アノマロカリスは選ばれし人外のみが所属できるため、その人数は六人。そのうち四人が同盟国であるアズーロへと派遣されていたのだ。

 数日前からアズーロは他国との戦闘が起き、劣勢の状況であるらしい。そこで同盟国という立場を利用され、アノマロカリスの派遣が要請された。スコパスは気に入らなかったが、周辺国への体裁を考えて一部の派遣を決め、このようなことになっていた。


「呼び戻せ。今すぐにだ」


 博士公が近くの者に命令する。珍しく静かではなく、語気を荒くし、苛立ちを隠し通せていなかった。そんな様子にアルツェロはワイシャツの襟元を広げ、目が泳いでしまっていた。自分の責任であると感じているのだろう。仕留められなかった自分の。


「閣下、一日必要であるとのことです」

「それ以上は早くならないのか? 私が直接話す、貸せ」


 通信機の受話器を奪うように取ると、彼は向こう側への男へ声を飛ばした。


「スコパスだ。応答せよ」

『こちらフェデリコ。閣下ではありませんか』


 落ち着いた声色で返してきたのは、アノマロカリスの隊長で最年長のフェデリコだった。年齢は三十を過ぎたくらいで、長年戦場に身を置いてきた男だ。アルツェロを抑え、戦闘能力で頂点に立つ存在。


「帰投に一日掛かるとはどういうことか?」

『そのままの意味であります閣下。戦闘地域まですぐそこの位置にまで来ています。ここからの帰投となれば、急いでも一日は掛かります』

「君だけ飛んで帰ればよい。なんのためのワーアルバトロスだ」


 フェデリコはワーアルバトロスと呼ばれる種族だった。完全にその姿になるタイプではなく、背中から大きなアホウドリの翼を広げられて長距離を飛ぶことができた。確かにその能力を使えばすぐにでもオーロへと帰ることができるだろう。


『確かに私だけならば半日で帰投できます。ですが、部下を置いていくことはできません』

「何を言っている」

『道は険しく厳しいものであります。敵の襲撃があってもおかしくはありません。このような状況に部下を残すなどできません』

「バカなことを言うな。貴様らはアノマロカリスなのだぞッ」


 すぐにでも受話器を投げるような勢いになった。手に血管が浮き、歯を強くくいしばり、このような姿は初めてだ。


『アルツェロにササラがいます。私の誇るべき部下であります。人外など、クモの子を散らすようにできるでしょう』

「いいか、これは命令だ。フェデリコ、貴様だけ今すぐ帰投するのだ」


 目が血走るようになった。額に汗も流している。


『一日です。一日掛かります。申し訳ありません、砂塵の環境下のためか通信機の調子が悪く、これにて通信を終了させていただきます』


 ぶつっと音を立てて通信が本当に終了した。そのあと発信してみても、もう繋がることはなかった。戦闘地域は砂が多い地域だが、このようにタイミングよく調子悪くなるとは考えにくかった。しっかりと対策されている物のはず。

 近くの者に手を震わせながら受話器を渡し、瞼を閉じて目頭を押さえたままに動かず何も言わなくなった。ただ怒りに震えているのがありありとわかる。


 フェデリコは部下思いだ。こういうことを言うのもわからなくはなかった。しかし国の非常事態ならば我一番と動くはずなのだ。実際に無茶をしたこともある。愛国心の塊のような人物であるとササラも、そしてアルツェロも、ここにいる誰もが思っていた。


「……誰だ」


 ゆっくりとスコパスが口を開いた。もう博士公としての見え方など気にしてはいないようだ。奥にあるただの六十歳の男性としての姿が見える。変わっているはずがないのに、幾分顔などのしわが増えたように感じられた。


「誰が繋がっている。私のアノマロカリスに、私以外の誰が繋がっているッ!」


 彼はもうそうであるとしか考えられなかったらしい。対応が遅いことも、ここに理由があると確信を得たようだ。自分が治めてきたこの国が、人外相手にこうも後手を踏んでしまうことなどありえないと。


「アルツェロ、誰だ? 誰と繋がっている?」


 名指しされた彼は身体をびくりとさせ、ふるふると首を横に振って否定した。


「私は、閣下のご命令通りに動くのみです」

「何か怪しい動きなどなかったか?」

「いいえ、隊長がそのようなこと……」


 ササラも心当たりがなかった。同じように尋ねられたが、その通りに伝える。いつもと変わらずややぐうたらに過ごしていた記憶しかない。隊長で最年長なのだから、もうちょっとしっかりとした生活をして欲しいと思っていたくらいだ。

 そうしてスコパスへの報告は終わり、現在へと至る。


 政府は要求された武器、銃弾を用意するために慌ただしく動いていた。素直に渡す必要があるのか、ダミーを混ぜるべきではないかという意見が出たが、そのことを見破られ、人質が皆殺しになってしまった場合は博士公と共に誰が責任を取るのかという話になってしまい、結局本物を提供することになったのだった。


「所詮は人外だ。武器を与えたところで上手く使えんし、さらにこちらの方が数は圧倒している。すぐ皆殺しにできるに違いない」

「その通り。我々が上であることを改めて教えなければなりませんな」

「あの放送協会を自分たちの城にできて喜んでいるようなヤツらですからな」


 敗北を忘れた者たちだった。

 ササラはあまりにひどく甘い考えにサーベルを突き付けてやりたかったが、そんなことできるはずもなかった。ただ言われた通りのことをやらねば、超能力者である自分が比較的自由に生きられる今の立場を失ってしまう。


「わかっています。次こそ……殺します」


 アルツェロに己の覚悟を伝える。

 エオンの殺気は確かなものだった。ササラを正面から超えることによってより成長する。などというわけのわからないことを言っていたが、確かにその言葉通りに実践しようとしていた。


 幼い頃、研究所で稽古をつけてやった頃とは比べものにならないくらい強くなっていた。まだ未熟なところが見えるが、あのワーライガー由来の力と速さは実に驚異的だった。これからも鍛錬を積めばより強くなるはずだ。

 そう言えば、と思い出す。


 あの頃の彼は『おねえちゃん』と呼ぶ、同じ研究所の人外にとても懐いていたのを覚えている。二人いつも一緒で、詳しくは知らないが共同で実験をされていた。

 何回か話したことがあったはずだが、見た目、名前ともにぼんやりとして思い出せない。もう少し記憶の引き出しを探り、すると同い年であること、そして次に引き当てたのが。


 片方ずつで色の違う瞳だった。それぞれあまりにきれいな鮮やかさだったので、それを素直に口にすれば、照れくさそうに彼女は笑っていた。

 それ以上はもうダメだった。正直、あの研究所よりもアノマロカリスでの記憶の方が圧倒的に多い。多くのことがあった。入って間もない頃は心細く、いつもアルツェロ、レオちゃんと呼ぶ男の子についていっていた。


 アルツェロという名前が発音しづらく、だからこそレオちゃんというのを考えた。彼はそう呼ばれる度に恥ずかしそうにしていたが、それでも止めるように言うことはなかった。頼ってくれることに嬉しさを感じていたらしい。


「それならいい」

「これから人外、どうすると思います? 人質を解放した後、人外たちはずっとあそこに立てこもり続けるつもりですかね」

「さあ、わからない。でも」


 調整のために義手を両腕とも外し、器用に脚を使って煙草を吸っていた。あまり行儀の良いものではないので、ササラは直して欲しかったが言っても聞いてはくれなかった。


「じりじりやっても、死ぬだけだよな。人質だっていなくなるわけだし」

「ええ」

「軍は周辺を固めて、我慢できなくなって出てくるのを狙うようだ。俺はそう上手くいくとは思わないけど。ヤツらは慣れている。そもそも好きなようにやられているのを忘れてるんじゃないか」


 かなり高級な煙草らしいが、ササラは煙草のにおいがあまり好きではないのでわからない。アノマロカリスの喫煙者は彼女以外全員だ。それでも吸おうとは思わなかった。


「私たちはどうします?」

「ロムス宮で閣下を守る。軍に義理はない。まあもし来たとしても、俺が全員噛み砕いてやる」


 当然のことだった。アノマロカリスは現在の博士公が創設し、その命令で動く特別部隊だ。軍に所属はしていない。目を掛けてもらい、拾ってもらった恩は彼にある。


「それはそうと。レオちゃんはやめてくれ、レオちゃんは」


 目を逸らせながら、彼女に言う。弱々しく、まったく言葉に強さはなかった。


「ごめんなさい。つい」

「まったく、もう大人なんだからな」

「でもその、レオちゃんであることには違いないですし……」


 彼は煙草に頼り始める。このやりとり、もう何回したかわからない。


「小さい頃はまあよかったけど……」


 煙草を吸う間隔がとても速くなり、どんどんと燃えていく。いつもはせっかくの高級煙草だからもっとゆったりと味わって吸うのだけれど、それをすっかりと忘れてしまっていた。きっと味もあまりわからなくなっている。


「あんなにぼろぼろになれば、ついレオちゃんとも言いたくなりますよ」

「うっ……あれは、たまたまだ! 次はああならない」

「まあ、二匹の吸血鬼相手によく持ちこたえましたね」


 そう褒めてみるも、彼はあまり喜ばなかった。脚でがりがりと頭をかき、「あー」とやり場のない声を上げていた。持ちこたえるのは最低限の事であり、彼が満足するのは撃破することだった。

 すれば博士公がここまで頭を抱えることはなかった。そう思っているのがこの様子でわかる。


「吸血鬼もただの人外だと、俺が証明してやる」

「固執し過ぎると、死にますよ」

「死ぬものか。例え死んだとしても、閣下が蘇らせてくれる。腕だって脚だってくれた。ならば胴体だって頭だってくれる」


 アノマロカリスの任務で四肢を失い、今の義手義足を得てから、彼はより博士公に心酔するようになった。いくら科学の発達したオーロであっても、そこまでできるはずがない。

 しかし彼は信じきっていて、そしてそれがわかるからササラは何も言わなかった。聞いてくれないからではない。


 今の彼にとって博士公こそがすべてだからだ。自分の存在を彼にゆだねている。


「人外であるこの俺に、ここまでしてくれたのは閣下だけだ」


 日付がそろそろ明日になろうとしている。少しは寝ておくべきだと思い、ササラはサーベルを抱えたままに首を落とした。アルツェロはまだ調整が続くらしく、色々と注文をつける声が聞こえてくる。


 明日が無事に過ぎるとは、到底思えなかった。

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