六
「約束を守るくらいの礼儀は心得ている。歴史博物館でのことは、向こうが激しい抵抗を見せたから、やむなく……」
実際は今回の交渉を有利に働かせるための布石だ。目的のためだ。
騒ぎは一向に落ち着かない。このままでは他の人質たちにも悪い影響を与え続けることになる。暴れ始めてしまえば、殺さざるを得なくなってしまう。
落ち着いて人質をしてもらうために殺さないよう命令を出していたが、そう甘くはなかった。
「私たちのせいで国は要求を飲むしかなかった。これ以上国に迷惑を掛けたくはない。殺してくれ」
また別の男性が落ち着いた声色、覚悟の決まった声色で言った。中年の、スーツを着こなす少し風格のある男性だった。
「何を言ってるんだ。もう交渉は終わったんです。そんな無意味なこと、なんで思いつくんです」
「人外、これが社会だ。私たちは社会に属することによって生きていられるのだ。妻も子供たちもだ。だからこそこれ以上迷惑を掛けたくないと言っているのだ」
望み通りに殺すべきか。この考えが空気となり、人質たちに吸われていけばもっと厄介なことになるかもしれない。それならばいっそ殺してしまった方が、あとも比較的楽に進むような気が強くなっていく。
「こいつら死ぬのを願うなんてよ……気味悪いぜ」
超越者が漏らす。
でもエオンはそうとは思わなかった。
「どうするエオン?」
仲間たちが指示を待っている。エオンは自分の髪をぐしゃぐしゃと手で乱し、考える。そこには先ほど、規律を乱した仲間を斬った姿はどこにもなかった。
「エオン、殺そうよ」
その声にはっとし、エオンは一体誰の提案かと辺りを見回してしまった。すると服の袖が引っ張られている感覚があり、その提案の主がわかった。
キュアだった。彼女は背伸びして耳打ちする。
なるほど、とエオンは思った。そうすれば確かに他の人質たちの心を折れるかもしれない。殺せと叫び続ける声が消え、そして他の人質たちももう逆らうだけムダであると完全に諦めてくれる。
エオンにも経験のあることだった。研究所で。
殺しが楽しいわけではない。残された者のことも思い浮かぶ。
しかし目的のためには躊躇わない。超越者たちを虐げ続けるオーロに対する復讐は、何としてでもたどり着かなければならない。
でなければこれからもみんな、光を浴びることすら許されないのだ。
特に何か気合を入れることはなく、ゆっくりと刀を握る。
「やろう。オレに任せてくれ」
「え?」
「みんな」
キュアの提案が聞こえていなかった近くの仲間たちを呼び、このことを話した。誰も反対することはなく、こうして彼女の提案の実行がすんなりと決まった。数人が楽しそうだとにやついたが、そのことに関して今はどうでもいい。
話が終われば各自準備をするために、スタジオの中や外へと探しに行った。
善も悪もない。ただ前へ進むために必要だと思ったことをやるだけ。百人以上の人間を殺そうが、規律を破った超越者を殺そうが、そして今からの事をしようが、そこに大きな差はない。
「よし、ならばあなたの望み、叶えます」
「何?」
これ以上迷惑を掛けたくないと言っていた、あの中年男性の前に立ち、エオンは告げた。
「言った通り、オレは誰も殺すつもりはなかった。でも、あなたがそこまで願うのならば、社会に、国に、殉ずる者へとなるお手伝いをします」
「そうか……本望だ……最期に妻と子供たちに言葉を遺したいのだが」
「わかりました。どうしますか? 映像記録にしますか?」
男は頷いた。エオンは仲間たちにカメラを用意させ、そうして彼の遺言を録画した。内容はやはり、これまでのことの感謝、そして先に逝ってしまうことへの詫び、さらにこれからのこと、など。
それらが終わると、男はもうすでにすべてをやり切った表情となっていた。
「ではもう未練はないですね?」
「ああ」
「ではこちらに」
準備が整っていた。しかしそれを見た途端、男の顔から血の気がさあっと引いていくのがわかった。表情が固まり、目の前にあるものを信じられないようでいた。
「こ、これは……?」
「殉ずる者への敬意です」
大きめの木材をT字に組み、そしてその近くには大量の長釘に鉄製のハンマー。組まれた木材が男のことを待っているかのように黙って重さを示していた。何かに使われたような跡はなく、これが初仕事になる。こんな風に使われるとは思ってもいなかっただろう。
磔だ。
超越者の能力でもって、短時間で見つけ出して準備をしたのだった。
キュアがエオンに提案したのは、
「ここでみんなに殺すのを見せつけようよ。するときっと黙るから」
というものだけで、この方法を思いついたのはエオンだった。男を磔に掛け、見世物にする。公開処刑にすることによって、限界以上の刺激を一気に与えて心を折ろうということだ。
「は、磔じゃないか……」
「そうです。これからあなたをこれに掛けます」
「なぜだ、なぜこんな物をッ?」
「なぜって……あなたは死を望んだんでしょう?」
「そういうことではない。なぜこんな物を使う必要があるのかということだッ!」
このまま抵抗され続けると面倒だ。エオンは仲間たちに指示し、無理矢理スーツを脱がせて半裸にし、磔の上にあおむけに寝かせる。じたばたと手足を動かしているが、超越者に敵うはずがなく、逃れられない。
「で、どうするんだエオン?」
「ああ。釘を打つ。確かここを」
エオンがハンマーを片手にぐっと男の右腕を握り、この位置で固定していてくれとキュアに頼む。彼女も超越者。両手を使ってだが、しっかりと言う通りにできた。
そうして手首、ほんの少し腕寄りの橈骨と尺骨の間を釘で狙う。そしてハンマーを振り上げ、日曜大工でもしているかのような具合で打った。いとも簡単に釘は皮膚と筋肉を貫き血を流れさせ、先端が少し磔へと食い込んだ。
男は少々遅れて悲鳴を上げた。より力を込めて逃げようとするも、やはり超越者たちに押さえ込まれればどうにもできない。気にせずエオンはこんこんと釘を打ち、深々と打ち込んで左腕も同じようにした。
「これでいいのか?」
「いや、これだとすぐに死ぬ。だから――」
男のキレイに磨かれたブランドものの革靴、そして靴下を脱がせた。そうしてまず右足を持ち、磔の側面へと少々膝が曲がるようにしながら力づくで動かした。ぺたりと足裏が磔の側面へと着く。ここでまたキュアに頼み、押さえていてもらう。
そうしてかかとに釘を打った。まだまだ痛みはしっかりと感じるので、ハンマーで打っていく度に男は喚いた。左足も同じようにすれば、これで準備が整う。
「よし、多分これでいいはずだ」
「へえ、これでこのまま磔を持ち上げて、立つようにすればいいんだな?」
「ああ。悪いけど、倒れないようにみんなで固定し続けてくれないか?」
「苦しむ様を正面からじっくりと見れないのが残念だけど、しょうがないな」
ぐっとみんなで協力して磔を持ち上げ、立ち上げた。磔がその働きを示し始める。大勢の人質たちの前で。
足に釘が打ってあろうとも、男の身体は重力に引かれてずるりと下がる。横に伸ばされた腕より落ちてしまえば、男はこの磔がどういう仕組みの処刑法であるかを理解する。すぐさま何とか身体が腕の高さよりも落ちていかないよう、力を振り絞って抵抗し始めた。
「これどういうこと?」
それを見ていたキュアが発案者に尋ねる。
「磔というのは、打ち付けた釘による痛みと出血で死ぬわけじゃない。窒息なんだよ」
「窒息? 息ができなくなるの?」
「ああ、こう腕を横に伸ばしてみて、身体だけを落とすようにすると……」
そうなるようにやってみて、彼女はなにかに気づいてあっと声を上げる。
「あ、ホントだ。息しづらいね」
「この人はちょっと肥満気味だ。だからもうちょっと待てば……」
しばらく経った時だった。男の身体がよりずるりと落ちた。しかし大きな悲鳴は出ず、喉が絞まってしまったような弱い息が漏れた。ひどい苦悶の表情を浮かべ、額から冷や汗が滝のように流れていた。両腕の肩が自重に負けて外れてしまい、だから身体が落ちてしまったのだ。
でも無意識に呼吸を求めるから、脚だけでなんとか持ち上げようと必死になっている。しかし刻々と死に近づいている。
「さて、別段何かあるわけでもない。人質にアナウンスしよう」
磔を背にし、エオンは人質たちにわざと語気を激しく強くして宣言した。
「死にたいのならば、これかもっとひどい方法で死んでもらうッ! それでも構わないというヤツは出てこいッ、その覚悟に敬意を表しながら殺してやるッ!」
目線の先には磔に苦しむ男の姿。きっと男は一瞬で殺されるものだと、その時の恐怖さえ乗り越えれば済むのだとか考えていたのだろう。そしてその先に待つ『人外に屈しなかった国民』として祭り上げられる未来。そしてそれは他の「殺せ」と騒いでいた者たちもきっと同じ。
しかし実際はこうもひどくじわじわと嬲られている。死への恐怖、終わる気配のない激痛、本能的な生存欲求が叶わない状況。
「嫌ならば大人しくじっとしていることだッ! わかったか人間どもッ!」
こうして男の苦しむ声以外、まったくなくなった。騒いでいた者たちはすっかりと大人しくなり、そして誰もが磔に掛けられた男を見ないようにしていた。男は顔に深い深い谷を作り、助けを求めている。
「エオン、このあとどうするんだ?」
「しばらく外を回ってからまた戻って見に来る。トドメはオレが刺す」
「わかった」
磔に掛けられている男に軽く頭を下げ、スタジオから出ていく。キュアもやはりついてくる。歩いていく姿を見る余裕はもう人質たちにはなく、照明にじりじりと焼かれているようだった。
「ねえ、磔なんてどこで知ったの?」
「バルトロさんと図書館。昔見たことあるって話を聞いて、それでちょっと調べてみた」
「なるほど。エオン、図書館好きだもんね」
「好きというか、読むのがクセになってるというか」
「ワタシにはわかんないなあ。眠たくなるもん」
「ははっ、まあ、おねえちゃんによく読んでもらってなきゃオレもキュアと同じだっただろうな」
いつも絵本を読んでもらっていた。研究所でもそれくらいならば許してくれていて、定期的に新しい本も追加されていた。今考えてみれば、これもまた実験の一つだったのかもしれない。あとで研究員にどのような内容であったかを尋ねられていた。
「どこに行くの?」
「他の所でも似たようなことが起きてないか見回る」
「起きてたら?」
「そこでもやるしかない」
ぐっと刀を握ると、その手をキュアが握った。エオンが驚いて脚を止めると、もう片方の手を額に当てる。少し彼女の手はひんやりとしていて、そのおかげで少し気持ちが落ち着いていなかったことを悟る。
「想像を超えててびっくりした?」
「そんなことないよ。どうなるかって知ってたんだ」
ふるふると彼女は首を振ってその言葉を否定した。
「歴史博物館でもムリにテンションを上げて、でも顔は真っ青で。ワタシ知ってる、エオンはお互いに殺し合えるような命のやりとりじゃないとダメだって」
「なってるもんか……ッ」
額に当てられていた手が移動し、頬で止まる。ことはなくさらに下へと進んでシャツの襟元をしっかりと握られた。曲がっているのを直すのにはおかしいと思っていると、引っ張られて彼女の柔らかい唇の感覚が広がった。
キスしていた。
彼女はすぐに唇を離し、エオンのシャツの襟元を解放した。そうして年上らしい頼りたくなる瞳の星を彼にぶつけた。
「ワタシに任せなさい。いい上はなんでも自分でやらず、下を上手く使うんだから」
いきなりのことで頭が軽く混乱してしまったエオンは、力なくこくんこくんと何度も頷いてしまう。
乱してしまったシャツを彼女がなおす。あまり衣服に興味がない彼のために選んだものだった。白ではなく、濃い色にしてあるのは返り血がなるべく目立たないようにと。それに動きやすいようにほんの少しゆったりさせてある。
「やり方は覚えたから。じゃ、真っ青エオンはちょっと休んでなさい。ワタシが見回ってくるから」
彼女はエオンに小さな背を向け手を上げて、少しからかうような意地悪な笑顔を見せた。でもそれが彼女なりの優しさだとわかるから、エオンは素直に甘えることにする。
彼女はすたすたと姿勢よく歩いていった。
残ったエオンはシャツの胸ポケットから一つ棒付キャンディーを取出し、包装を取って口に入れた。バルトロから貰ったものを忘れていて、今ふと思い出したのだ。
優しい甘さが口の中に広がって、それがとても美味しくて安心感が湧いて、まだ自分が十六歳という子供として扱われる年齢であることを実感させる。認めたくないけれど。
ずっと屋内にいるのもあまり良くはない。気が滅入ってばかりになる。今日はせっかくの晴れだから、屋上で日光に当たることを思いつく。
キュアにバルトロに、リュオル、仲間たち。みんなが仕事をこなしているのに一人だけということが浮かんでしまうが、すぐに彼女の顔を思い出して脚を前に出す。
「キュアもやっぱりお姉ちゃんなんだな……」
彼は獣へと変身し、階段を上り始めた。機械式の昇降機を使うことはなく、四本の脚でしっかりと感覚を味わうように。
それでも口にくわえている棒付キャンディーを落とすことはなく、そして噛み砕くこともなく味わい続けていた。
立てこもりはまだまだ続く。
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