[4] マンシュタインの迎撃計画

 1月27日、カフカスから脱出した第1装甲軍はA軍集団からドン軍集団に移され、第4装甲軍とともにはロストフの正面に置かれた。

 しかし、ドネツ河流域の戦線にはいくつもの弱点が存在していた。特にハリコフからイジュムに至る200キロ近い正面は、B軍集団のランツ支隊(第29・第320歩兵師団)とドン軍集団の第19装甲師団しかいなかった。これではソ連軍の攻勢を長期的に阻止することは不可能であり、この方面の防衛線を固めるにはロストフへの回廊を守る装甲部隊を移動させる必要があった。

 2月6日、マンシュタインは東プロイセンの総統大本営に招集された。南部戦域における今後の戦略についてヒトラーと協議するためだった。ヒトラーは会議の冒頭、「スターリングラードの失敗は私ひとりの責任である」と明言し、マンシュタインを驚かせた。

 まずマンシュタインは現状の危機的状況を脱するため、ロストフ回廊を放棄する考えを示した。この措置によってドネツ河下流を守るホリト支隊の戦線を縮小し、回廊の南部にいる第1装甲軍をドネツ河上流に配置転換すべきであると述べた。

 報告を聞いたヒトラーはマンシュタインの計画案に異議を唱えた。

「仮に貴官の言う通りに戦線を縮小して兵力を抽出したとしても、敵も同様に浮いた兵力を決戦場に転用できるようになるわけではないのか?だとすれば、敵の攻勢を挫くことにならんのではないか?」

「ご指摘はごもっともですが、重要なのは兵力転用という策を先に行った側が、その後の展開の主導権を握ることが出来るという点にあります。また、現実問題として我が軍集団の北翼は予備部隊をほとんど保持しておらず、戦線崩壊という最悪の結果に至る可能性は日に日に増大しています」

「いや、こうも考えられよう。すなわち、我が軍が頑強に一歩も譲らずに防衛線を保持し続けたなら、敵は一歩前進する毎に莫大な出血を強いられ、やがては大兵力といえども消耗させられるだろう。それに、攻勢発起点からの距離が増大するに従って、敵の前線部隊への補給も困難となってくるはずだ。数日内にはこの一帯でも雪解けが始まり、敵味方を問わず部隊の長距離移動は大きな困難に直面するものと予想できる。そうなれば、敵も我が軍を遠くから迂回するような大包囲戦は実行できなくなるであろう」

 ヒトラーはカフカスの石油を再び奪取することを考えており、ロストフ回廊の放棄に難色を示した。今に「泥濘期」が来てソ連軍の攻勢が停止するだろうと反論した。ヒトラーの意見にも一理あったが、ドン軍集団の背後へ向かいつつある敵の進撃が「泥濘期」で確実に停止するという保証が存在しない以上、マンシュタインは不確かな願望に大勢の兵士の命を賭けるつもりはなかった

 マンシュタインは根気強く、ヒトラーに訴えた。

「我が軍集団全体の運命を、全く季節外れの融雪期の到来という仮定に委ねるような無責任な態度をとることは、私には断じてできません」

 4時間に渡る会議の末、マンシュタインの決意が揺るぎないことを悟ったヒトラーはしぶしぶながらロストフ回廊の放棄に承認を与えた。

 2月7日、マンシュタインはロストフ正面に置かれていた第1装甲軍に対してランツ支隊とホリト支隊の空隙に移動するよう命じた。さらにフランスから増派されたSS装甲軍団(ハウサー大将)をハリコフに投入して、ソ連軍のハリコフ奪回を牽制しようとした。

 この時、ドン軍集団の麾下にいたSS装甲軍団の隷下部隊はSS装甲擲弾兵師団「帝国」(ケプラー大将)のみだった。残りのSS装甲擲弾兵師団「アドルフ・ヒトラー親衛隊旗(LAH)」(ディートリヒ上級大将)とSS装甲擲弾兵師団「髑髏」(アイケ大将)がハリコフに到着するのは2月下旬まで遅れるとの回答だった。

 時を同じくして、南西部正面軍による「ギャロップ」作戦が発動される。ドン軍集団は第1装甲軍とSS装甲軍団によってドネツ河の防衛線を固めている最中だった。

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