観光の王様 〜別府へ いらっしゃいませ〜

片瀬智子

油屋熊八

「いらっしゃいませ!」


わたくし、なりたいあなたを応援する、心と旅のコンシェルジュ、ミライと申します。早速ですが、どのようなになりたいとお考えですか?」


 旅行代理店の自動ドアが開いた途端、いきなりの挨拶に俺は戸惑った。

 目の前にはフランス人形のように大きな瞳の女子が、メイド服さながらの制服を身につけ、営業スマイルを施している。


「あ、いや、まだ全然決めてないんですが……」


「ん……、そうですか。では! これからご一緒に決めていきましょう。どうぞ、こちらへお掛け下さい」


 対面のカウンターへ促され、俺はとりあえず腰を下ろした。

 最近、ひどい災難続きだった俺が、救いを求めたのはこの旅行代理店だった。

 ネットで見たのか、誰かに聞いたのか、そこらへんはもう忘れたが『なりたい自分になれる旅』というキャッチフレーズで、旅案内している会社らしい。

 簡単なアンケートに記入させられると、さっきのミライとかいうコンシェルジュが口を開いた。


「本日はご来店ありがとうございます。S山様でございますね。当店ではお客様のなりたい人生に一歩でも近付けるよう、有意義な旅のご案内をしております。まずは、アンケートにご記入頂いた最近の不幸から」

 

「失恋、失業。……なるほど、正直なご記入ありがとうございます。人生における二大不幸が重なったという訳ですね。はい、こちら、決して珍しいことではございません。もちろん、よくあるとは申しませんが」


 何なんだ。素直に書いて損した気分だ。

 俺の歴代でもあるかないか、いやない!ほどの不幸に見舞われてるんだ。可愛い女の子にダメ押しされるために、ここに来たんじゃないぞ。


 そう、心の中で毒づいていると、姿勢正しくアンケート内容を入力していたミライが、確かににっこりと微笑んで俺に言った。


「希望は南方。元気、パワーをもらえる場所。出来ることなら、良縁、再就職、みなぎるやる気求む」

 俺、みなぎるやる気とか書いたっけ?


「ご安心下さいませ、S山様。すでに目的地は特定されました! お客様の行く場所は、……べっぷ。そう、大分県のでございます!」


「あー、別府かぁ……」

 ちょっと、がっかりした。俺、修学旅行で、実はちらっと行ったことあるし。

 温泉でしょ。なんかさぁ、みなぎるやる気のイメージないんですけど。


「有名なのは、温泉だけではございません! S山様には、別府で知って頂きたい人物がいます」


 知って頂きたい? 

 親身になってくれているミライを見て、俺も少し話を聞く体勢をとる。


「はい。別府観光の父と呼ばれている、さんです!」


「あぶら……熊? え、誰、それ?」


「はい、油屋熊八あぶらやくまはち。およそ百年ほど前、数々のアイデアで別府の観光開発に尽力された実業家です」


「な、なんで俺がそんな人を偲んで、旅行しなくちゃならないんだよ」


「S山様が生まれ変わるためです! S山様は、今や死んだも同然。それならば、当時は突飛だと言われたアイデアと、底なしの思いやりの精神で夢を実現させていった彼の魂に寄り添ってみましょう。必ず、ご自身の生きる意味を知ることが出来ます」


 ミライはアーメンとでも言うように、小さく頷いた。

 そして、お帰りはあちらという素振りで、レジカウンターへ俺を促す。

 え、もう、チケットの会計かよっ。俺、行くなんて言ってねぇし。


「まだ、お決めになれない……。そうですか。では、油屋熊八の功績を少しご説明致します」


 俺は渋々、頷く。


「まず、別府がなぜあれほど有名な観光地になったかご存じでしょうか。まさか、温泉が出るから……なんて安易な発想では? もちろん、良質の温泉が豊富に湧き出るというのは、大分県の宝に違いありません。ですが、宣伝なくして繁栄はあり得ますか? 油屋熊八という広報の天才は、別府の可能性を世界に広げるために奇想天外な方法を次々とやってのけたのです。それも、という人の心を動かすやり方で!」


「は、はぁ」

 

 ドキッとするほどの目力で、別府の油屋……ナントカを熱く語るミライはますますヒートアップしていった。


「S山様に今知って頂きたいのは彼以外、他にはおりません! 見た目もどことなく似ていらっしゃいますし。彼の成しえた偉業を簡単にお教え致しましょう」


 ミライはマウスを握り、クリックした。


「熊八は愛媛県の裕福な家に生まれ、米相場で巨万の富を得るものの、日清戦争後失敗し、全財産を失います。ですが、これからが本当の実業家人生のスタート! 三十五歳、船底に潜り込みアメリカへと渡航します。放浪の旅の末、クリスチャンとなり帰国後、別府へ移住。別府温泉を盛り上げるため、亀の井旅館を創業します。たった三部屋の客室で最高級のおもてなしを提供し、旅人を癒やす。少ない資金の中でどれほど最高級のことが出来るか、熊八はアイデアを駆使しました。徐々に口コミは広がり、珍しい外車での地獄巡りやその後バス会社を設立。バスガイドを日本で初めて誕生させます! その他にも、日本初のキャッチコピー『山は富士、海は瀬戸内、湯は別府』を作り、富士山頂や全国に標柱を建てていき、メディアのない時代に思い付く限りのことを実践。大阪毎日新聞の新日本百景では熊八は大量のハガキを別府市民に配り投票させ、別府の人気を全国一位にしました! ……この破天荒な行動力は、別府、いいえ、世界を見据えての可能性の追求だったとも言えます」


 ミライは、ここで一息ついた。


「熊八のアイデアによる功績はまだまだありますが、別府駅前にある彼の風変わりな銅像を一度ご覧になることをお勧め致します。百聞は一見にしかずです! さて、お話の途中ですが、そろそろ閉店のお時間ですので。続きは……」


 えー、何だよっ。

 ミライはおもむろに立ち上がり、背を向ける。


「ちょ、ちょっと、続きは?」

 おいおい、この続きは、WEBなのかー!?


 ミライは腰に手をあて振り返ると、長い睫毛まつげで俺にウインクした。


「続きは……」


「BEPPUでね!」

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観光の王様 〜別府へ いらっしゃいませ〜 片瀬智子 @merci-tiara

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