第32話「小さな幸せ、かすかな願い」


 その子供には、最初から『知性』があった。

 最初から『力』があった。

 

 代わりに、自我も、記憶もなかった。

 造られたばかりの、ただ人々の駒となっていた。

 

「これが、お前を基に作られた新しい実験の結果だ」

「実験……」

 名も知らぬ大人に見せられたその光景。

 年端もいかぬ子供たちが、自身と同じようにただ訓練を受けていた。

 

「イレヴン。そこまでだ」

「はい」

 ふいに、訓練していた少女の一人が、その言葉で一時中断。その場を離れていく。

 

 ―――『プロトゼロ』に、自我はなかった。

 ただ、目の前の少女をサンプルとして把握するために、自身の力を使った。

 

 其処には、他に二人の少女が居た。

 ブラウンの髪と、金髪の少女が、それぞれ『イレヴン』の両隣に座って、何かを食べていた。

 少女達は、『プロトゼロ』が見たこともない顔をしていた。

 

『……おいしいね、りょーちゃん』

『ん、そうね』

『しあわせだねー』

 

 ―――しあわせ。

 知らない。聞いたこともない言葉。

 

 知らないからこそ、知りたいと思った。

「……ねえ、きみ。しあわせって、何?」

「……知らない」

 少女はそれを知らなかった。だが、未来の少女は、それを噛みしめていた。

 

 一体、それは何だったのだろうか。

 疑問が知りたいという欲求を産み、欲求が持ち得なかった自我を産む。

 自我は希望となり―――ただの肉の塊だった『プロトゼロ』は、そうではない何かを、確立した。



 Flamberge逆転凱歌 第32話 「小さな幸せ、かすかな願い」



『くひひひひひっ、ひーははははははっあっはははははは!!』


 声が、響く。

 狂って響く笑い声。

 

 街ひとつが、こうもあっさりと、消し飛ばされた。

 それを行ったのは、目の前の岩村由希子……だった何か。

 

 目の前の彼女が、自分の知らない何かになった。

 アルティマライザーが行った大量破壊は、それを嫌というほど広瀬涼に叩き付けたのだった。

 

「……何で、どうして……!」

 

 何が起こっているのか。どうすれば、とるべき行動に辿りつけるのか。

 その混乱が、不安が、彼女を鈍らせる。

 

 だが。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

「……おい、どういうことだよ! やられちまったぞフランベルジュ!」

「嘘でしょ!? フランベルジュが私達を守ってくれるんじゃなかったの!?」

 

 広瀬涼が大量破壊を止められなかった。

 その事実は。

 

「じゃあどうすりゃいいんだよ! 誰も何にもできないじゃないか!」

「終わりよ……世界の終わりよ……!」

 

 民衆を不安と恐慌の内に叩き込むには、十分すぎるものであった。

 

 広瀬涼は、今まで何に対しても勝ちを重ねていた。

 自身の命がかかっていても、星の未来がかかっていても、敵の布陣全てを覆し勝利を手に入れてきた。

 

 それは、民衆に希望を与える行為だった。

 これまで社会に抑圧されてきた人々は、何に染まることもなく正義をかざす広瀬涼という存在に希望を見出していたのだ。

 

 だが、希望は同時に病でもある。

 希望という概念に慣れきった人々は、喩えるなら『正義のヒーローが現れる』という状況を、当然のものだと思っていた。

 

「……違う」

 

 ぽつ、ぽつ……曇天が堰を切ったかのように、流れ出す雨。

 真っ先に濡らしたのは、その状況を目に焼き付けていた、一人の少年だった。

 

「俺達が背負わせてるんだ」

 懺悔した当日に、この言葉の意味を反芻することになるとは、思ってもいなかった。

 

「何でそんな奴に負けちまうんだよ!」

「やらせだろ! どうせ身内なんだろ! グルになって大量殺人を肯定してるんだ!」

「人殺し! 人殺しよ!」

 

 誰も、何もしようとしない。

 ただ勝手に絶望して、怯えて、責任を押し付けて全てから逃れようとする。

 

「……違うんだよ」

 怒号と悲鳴渦巻き、逃げ惑い、絶望し立ち尽くす人々。

 その中に消え入るように、ただ一人、違う見方を貫いていた。

 

 だが、それは誰も聞こうとしない。

 力なき言葉に、誰も耳を貸そうとしない、それが世の真実。

 そして、民衆が力に頼った末路は、必ず個人がとらされる。

 それが今ではないのか。

「クソかよ……死ぬんだよ、広瀬涼は……! 力ない俺達のせいで……!!」

 

 どこに向かっているのか、どこに向かえるのか。

 恐慌で道をふさがれ、人々に流され。

 

 総一が辿り着いたのは、母の造った『力』の転がる場だった。

 

 総一は『力』に縋った。

 降り出した雨に濡れることも厭わず、転がっていたドライフォートの上に乗り、コクピットを開けようとした。

 

 ドライフォートは、何の反応も示さなかった。

「……何、だよ……!」

 

 天城総一は知らない。

 エールフランベルジュが受けた『槍』、そこから放たれた力は、『機体』の力の悉くを奪い去っていた。

 

 それこそが破壊の力、『キルプロセス』の真意。

 

 そんな事実は、天城総一にとって何の価値もなかった。

「……駄目だ。お前はこんなところにいちゃあ駄目なんだよ。

 あの人を誰が守るんだよ。広瀬涼を一人にするなよ……」

 それが、全てだった。

 だがそれは、一方的な押し付けに過ぎない。

 何もしない、できない、そう甘えていた民衆―――自分を含めた民衆の責任なのだ。

 

「……教えてくれよ。誰か……俺に、何ができるってンだよ……!」

 仰向けに倒れるドライフォートの、開かないコクピットの上で、頭を抱え嘆く声は……雨と恐慌の中掻き消され、誰にも聞かれることはなかった。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

 上半身を形成していたフランベルジュは、上に逸れて高く飛ばされ、落下した。

 下半身を形成していたドライフォートは、地面に叩き付けられ、大きな傷跡を残し、街中で止まった。

 

 そして、衝撃の逃げる場のなかったツヴァイドリルは、はるか遠く、郊外近くまで吹き飛ばされていた。

 

「おい、これって……!」

 背負う形でレイフォンを連れ、漸く郊外からエルヴィンに辿りつこうというところで、ひなたは目にした。

 吹き飛ばされ、転がり、沈黙するツヴァイの姿を。

 

「……ぅ……」

「レイフォン!?」

 その衝撃に揺らされてか、ふいにレイフォンの意識が戻る。

「……ここは……」

「もうすぐ孤児院につく。それより大丈夫なのかお前」

「うん、俺は……!? それより由希子さん、由希子さんは!?」


 はっとしたレイフォンは、真っ先に由希子の名を出した。

 確かに由希子の様子は異常だった。だが、その行先もひなたは知らない。

「……わからない」

「由希子さんがヤバいんだ、変な銀色の化け物に呑まれて、それでおかしくなって……!」

「……な……何だって!?」

 

 レイフォンの言葉に、思い当たるものがいくつかあった。

 ひなたは冷静に、ひとつひとつを振り返る。

 

 銀色の化け物。彼女は一度、それと相対したことがある。

 それはまるで、ビッグワン……おそらく生体金属の塊であろう。

 

 そうだとすれば、おかしくなった、という言葉も合点がいく。

 生体金属の塊に呑まれたとすれば、その意識に影響される可能性がある。

 ひなたや涼が過去に受けた『リバイバル・ワン』の実験は、人間の体内に生体金属を仕込み、脳と反応させることで超人を生み出していた。

 だが中には、その実験で精神が変容し、おかしくなってしまった子供達も居た。

 実態こそ知らないが、ひなたはその『おかしくなってしまった子供達』のケース自体を見聞きしたことはあった。

 

「……助けないと……」

「無茶だ!」

 

 ただでさえ、こっぴどくやられたというのに。

 レイフォンはそれでも、由希子を助けたいと願った。

 

「無茶でも何でも。人種を知って、境遇を知って、それでも俺に手を差し伸べてくれたのは……あの人なんだ。

 あの人がいなかったら、ひなたと一緒に過ごすことも、エルヴィンの社会を知ることもできなかった。

 ……皆と一緒に生きたい。だから、社長さんは絶対に……」

「……お前」

 絶対に助けたい。その意志は、痛いほど伝わる。

 実際、ひなたも由希子を助けたいという気持ちはあった。

 自分のように、人の道を外れ、暗い道を歩むような生き方を、由希子にしてほしくなかった。

 

「……でも、無茶だ。そんな身体でどうしろっていうんだよ」

「歩けるよ、自分で」

 言われて、ひなたはずっとレイフォンを背負っていたことに気づき、彼を降ろす。

 ぽつ、ぽつ……降ろした矢先、降り出した雨は、さっきまで触れ合っていた温もりを消し始める。

 

「……足手まといにはならないよ。だから、ひなた……ひなたができるなら、あの人を、助けてほしい。

 俺が、それ以上のことができないのは悔しいケド……」

 ふらふらと、安定しないながら、それでも立って強がるレイフォン。

 

 ……ひなたは、そのよろめく肩を支えた。

「助ける。ケド、お前も生きてなきゃ駄目だ。戻ってきた時、由希子が悲しむことは残しちゃいけない」

「……ごめん」

「何謝ってんだよ。アタシとお前だろ?」

 雨の中、支え合い。それでも、ひとつの決意のもと、二人は歩き続ける。

 目の前に立ちはだかった、やるべきことに向けて。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

「……どう、して」

 涼が改めて、辛うじて絞り出した言葉は、それだった。

 事態を呑みこむことを心が拒絶している。

 

 人間として『広瀬涼』を初めて受け入れ、新たな世界に導いてくれた。

 共に育ち、楽しいことも悲しいことも一緒に過ごしてきた。

 そんな彼女が、こんな凶行に走り、人類の敵となってしまったこと、それ自体が広瀬涼という一人の人間に、重圧となって圧し掛かっていた。


『この世界は間違っています』

 由希子の口から放たれる言葉は、岩村由希子そのものであり。

『努力をすれば報われる……頑張りは全てシアワセへと還元される。

 そんなものは嘘です。そんなものはまやかしです。

 だって、その分は誰かが持って行ってしまうのですから。黙っていても何かがもらえる、誰かが助けてくれる、潤してくれる』

 言葉は、芯の底まで冷えたかのようなもので。

 

『この世界はゲームなんですよ。何処かの誰かが、知らない人間を好き勝手に弄び、自身を潤していく、終わりなきゲーム。

 盤上の私達は、ただ弄ばれるだけの存在は、そのゲームに干渉する手がない。

 だから……そんな世界は無くなってしまえばいい』

 ザクッ……!

 また一つ、フランベルジュに槍が突き刺さる。

 

「……でも、人々は助けられる! 理不尽に泣く人たちは、私達のやってきたコトで減っている筈だ!」

『違うんですよ、広瀬涼』

 

 ザクッ。

 

『そのゲームのプレイヤーは

 ザクッ。

『それは何も、社会を握る人間だけじゃあないんですよ』

 ザクッ。

『社会的立場という色眼鏡を抜けば、

 ザクッ。

 

『……アナタがその力を持つ限り、プレイヤーはアナタを使い勝手のいい駒に選定し、好き勝手に弄ぶ。

 ……アナタのした行為は、ただ民衆を愚鈍化させる餌を撒いただけなんですよ』

 冷たい言葉に、広瀬涼は反論する力を持たない。

 

 傷つかない筈だったフランベルジュが、機械的に、降り注ぐ槍で少しずつ。

 装甲が傷つき、剥げ、ボロボロになっていく。使い込まれた駒の末路。

 

『私はその力を奪う。世界の全てを破壊する。

 最小限に全てを破壊して、破壊するんですよ……くひ、くひひ……!』

 

 フランベルジュを傷つけた槍が、ふわり、と宙を舞う。

 痛めつけるだけの力を再構成し、殺すための力として洗練する。巨大な尖った銀色の槍が、圧倒的な質量となり、その場に現れる。

 

「そん、な……」

『だから……お願い死んでフランベルジュ!

 アナタを殺して広瀬涼を世界から解放するッ!!』

 最早抵抗する力すら奪われたフランベルジュ、その前に現れた巨大な殺意が、呆然とする涼の前で振り下ろされる―――。

 

 

『駄目だ』

 ガギン……! その言葉を遮ったのは、黒白の影。

 何も示さない、空白、その名を冠した機体。

 

『それだけは、絶対にさせない……!』

 既に片腕も、片足も失い、それでもなお空を飛び、その機体は駆けつけた。

 残った片腕で必死に押し留め、庇いながら、其処に居たのは。

 

『……カストロって言ってましたね』

 不機嫌そうな由希子。だがカストロは、それに構っている暇などなかった。

 

『広瀬涼! 本当の敵は彼女を食い物にした「悪意」だ!

 絶対に負けるな、君が生きるために!』

 あらんかぎりの力を振り絞り、懸命に叫ぶ。

「……何で……?」

『……君に生きる力を貰ったんだ』

 言葉を並べるカストロ。

 

『僕は君に会えて幸せを知った。だから……ありが』

 言葉は。

 

『っるさいんですよォォオオ!!』

 

 由希子の怒号と共に、掻き消された。

 

 受け止めていた槍から飛び出した、細い槍が、ヌル・オブ・アイギスのある一部分を正確に貫通し、抉り抜いた。

 沈黙し、落ち行く機体。抜け出し、フランベルジュに当たった細い槍が……赤いナニカに染まっていたのを、涼はカメラ越しに見た。

 

 

「……ああ、あああ……!!」

 

 また一人、死んでいった。

 由希子の『悪意』に、またしても蹂躙され、その命を散らしてしまった。

 

「……ぁ……あ、うわあああ……!!」

 

 慟哭。

 これまで戦う中、悲鳴を上げることすら少なかった彼女が、遂に戦いの場で絞り出した慟哭。


 どうしようもない。何も救えなかった、何も変わらなかった……その嘆きが、場を支配した。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

「くだらない」

 アルティマライザーの胸部、コクピットの中で機体に繋がれている由希子は、ふいに呟いた。

 

 自分を遺して、両親が『旅立った』時から、由希子の心の中には、埋めようのない空白があった。

 大事なものほど、簡単に砕け散る。

 角川朝輝が涼を庇って死んだ時も、その想いは強まっていった。

 

 だから、彼女なりに何かを変えようとした。

 しかしそれは悪意に押し流され、全てが無駄になる。

 世の中には不可能というものがある。

 

 ―――壊したい殺したい壊したい殺したい壊したい殺したい壊したい殺したい。

 その欲求に抗える程の希望は、持ち合わせていなかった。

 

「……繰り返しても、繰り返しても。その繰り返しが終わることは決して無い。誰もシアワセになんかなれない」

 今までの行為は全て無価値だった。だから殺す。

 カストロが割って入ったから何だというのだ。再び由希子は操縦桿に手をかけ―――。

 

「……確かにそうだ」

 がし、と不意に背後からその手を掴む何かがあった。

「……アナタ!? 何処から、どうして!?」

 驚く由希子の声も意に介さず、その何かは続ける。

 

「確かにそうだ、な」

 有り得ない。この場に、角川俊暁が居るはずがない。

「幸せになれない奴はどうしても出てきちまう。だが生きてりゃいつか幸せになれる日が来るかもしれない」

 だが彼は、血の跡を機体に残しながら、確かにここまで辿り着いていた。


「―――ッ、そんなまやかし!」

「そのまやかしをフェイ=レイフォンに与えたのはお前だ」

「……!?」

 俊暁の言葉を否定にかかる由希子だが、彼女にはそれができなかった。

 彼女の元で仕事に就き、明確に幸せを手に入れた者が居る。

 由希子の言葉を否定するには、それで十分だった。

 

「希望はない、そうかもしれない。けどな、未来はそうとも言い切れない。

 新しい未来を創る力は、誰だって、そしてお前だって持ってるんだ」

 意識が切れそうになる。声が切れそうになる。

 だけど、これだけは伝えなければならない……懸命に意識を繋ぎ留め、歯を食いしばって、耐える。

 

「……今、ここで未来を閉じちまって……幸せでないかもしれないヒトの未来を閉じちまっていいってのかよ……!

 お前が見せた幸せの未来まで! その中には……広瀬涼だっているんだろ!?」



 ―――その叫びは、岩村由希子の中にひとつの光景を去来させた。

 

 目を閉じれば、今でも思い浮かぶ。

 傷だらけになって、人から何かを奪って生きることしかできなかった少女。

 汚れと傷が目立つ手がそれに触れないように、ハンカチで包んで渡した、真っ赤なリンゴ。

 

 困惑。体験。涙。―――笑顔。



 ―――壊したい殺したい壊したい殺したい壊したい殺したい壊したい殺したい。


「希望なんて……そんなモノ、ありは……しませんッ!!」

 コクピットが開く。外の荒れ模様が内部に直接響く。

「全部そんなの誰かに喰われて終わりなんですよッ……それが世界なんです!」

「……それは『生きている』って言う事はできない。息をするだけの肉の塊だ」

「黙れぇえええッッ……!!」


 宙に投げ出される、満身創痍の俊暁の身体。

 その瞳は最後まで、悲しみに満ちたまま、地に堕ちていく―――。


「……何もない、何もない、何もない。

 希望がないから全部壊す。造るためには壊すしかない」

 涙があふれて止まらない。

 狂おしいほどの感情が、心のドアを叩く。



 飢えていた。

 あの日の彼女のように、自分の心が叫んでいた。

 その叫びは誰のものか。自分の物か、それとも心で叫ぶ誰のものか。

 

 

「……そう。わたしは今、おなかがすいているんです」

 

 関係ない。


「満たしなさい」


 瞬間、世界に鈍色の悪魔が放たれた。


 それは獲物を求め彷徨う猟犬。

 それは標的を狙い定める凶鳥。

 そしてそれは、ただ何もわからず破壊に進む赤子。


 その全てが鈍色。その全てが巨大。

 悪魔はセントラルから広がり、全てを覆い尽くさんと駆けまわり、飛び回っていった。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

 ―――おねがい。たすけて。

 ―――みんなが、くるしんでいるの。

 ―――だれか、たすけて、たいせつなひとを。


 祈りのようなか細い言葉が、ひとつの街を駆け巡った。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

 あの日の少女は、そこにいた。

 悲劇に囚われ、忘我の最中、また一人、失われていく。

 

 悪魔の上半身から誰が落ちたのかも、その穴の中に誰がいたのかも。

 はっきりと目に焼き付いては、その事実が彼女を苛む。

 

「……ああ……」

 全ては、間違いだったのだろうか。

 誰かの為に戦った道も、社会人として自分が選んだ道も……自分が、岩村由希子と過ごした日々も。

 

 気づけば、満身創痍のフランベルジュの前には、無数の猟犬があった。

 それは岩村由希子の意志に関係なく、破壊の衝動に任せて全てを喰らう。

 

 敵意。悪意。殺意。目の前にあるだけで、あらん限りの負の感情がぶつけられる。

「……ごめん、なさい」

 ここに居なければよかった。彼女と出会わなければ、こんな未来はなかった。

 全部自分が終わらせてしまったのだ。

「私なんて、居なければよかった……!」

 悲鳴のような叫び。

 いくら力を持とうが、いくら正義を叫ぼうが。

 そこに居たのは、圧倒的な力に捻じ伏せられる、たった一人の人間に過ぎない。

 

 何も変わらない。

 あの日の少女が、理不尽を形容した鈍色の悪意に、食い尽くされていく―――。

 

 

 

『違う!!』

 それを誰が救うのか。

 

『お前がいなかったら、救われなかった奴だっているんだよ!』

 闇は裂かれる。

『アンタのやってきた事は、否定されていいことじゃあない!』

 撃ち抜かれる。

 

「……え」

 呆然とする。

 有り得ない。広瀬涼には、目の前の光景が信じられない。

 

 其処には、吹き飛ばされ、機能停止した筈のツヴァイとドライが居た。

 

『ったく、情けないツラ見せやがって』

 深紅のSLG・ツヴァイドリルから聞こえる声は、神代ひなた。

『困りますよ、まだ何も終わっちゃいないんスから』

 蒼のSLG・ドライフォートからは、天城総一。

 二人とも、そもそもこの戦いの場に居るのが有り得ない筈だ。

「どう、して……?」

『呼ばれたんスよ、に』

『大切な人を助けて、ってな』

 

 コトバは、伝わった。

 そのコトバを受け取った二人は、SLGに導かれた。

 大切な人を護って―――その願いは、出会いの日に託された、あの日のように、新たな声をSLGに届けさせたのだった。

 

『だから、こっからは』

『俺達の出番だ!』

 

 フランベルジュを取り囲む悪魔は、まだまだ無数にあった。

 願いを託された以上、負けるものか。

 飛び上がるツヴァイ、構えるドライ。

 

『初めてだからってしくじんなよ!』

『オーライ!』

 開幕、周囲に一斉射撃。

 ツヴァイ、背部の機首から全砲門。

 ドライ、肩のミサイルに二挺の砲門。

 

 ズババババ、と跳ねれば、触れた瞬間鈍色の悪魔は爆ぜていく!

 

『りゃアアッ!!』

 空中から急降下する凶鳥の悪魔。迷うことなくツヴァイは機首部からドリルを突き出し、突っ切る。

 キィィ……ンッ! 甲高い音と共に、悪魔が次々と串刺しになり、あるいは両断される。だが、相手もそれでは止まらない。航行するツヴァイを取り囲むように、四方から凶鳥が殺到する。

『……! 借りるッ』

 殺到するそれを切り裂くように、唐突に虚空から刃が踊った。

 否。それは地上から現れ、急加速して貫く刃となる。

 その刃は、翼として形成されたバインダー……物言わぬ屍となったヌル・オブ・アイギスが、辛うじて遺していた弐門。

『この程度でアタシにゃあなあああッ!!』

 乱打、乱射。無数の鈍色を次々撃ち落とす光。手元までくれば、迷うことなくそれを掴んで。

 

 ―――薙いだ、薙いだ、薙いだ。

 三振り薙いだ後には、無数の屍と、未だ健在の深紅・ツヴァイが在った。

 

 

『包囲戦かよ!』

 群がる鈍色の猟犬。その一つ一つを打倒しても、あまりにきりがなかった。

 包囲されては火力が足りない。速射が求められる状況、正面番長のドライには分の悪い戦いだった。

 ドライを支えるのが、実戦経験の皆無な天城総一であればなおのこと。

『……でもな、コイツは母さんの願いでもある。譲ってやれねェ!』

 距離感を食い破り、襲い掛かる獣。

 瞬間、総一の眼前に過る何か。迷わずそれに縋り、認可……ガゴンッ、と音が響いた直後、殺到する猟犬……。

 

 ドシュ、ドシュシュ、バシュシュシュウッ!!

『僥倖』

 ―――倒れる猟犬、蒼・ドライの手には、ハンドサイズの実体弾式拳銃が二挺握られていた。

 瞬間的に火を噴いたそれは、速射力と火力に優れ、向けて撃つだけで猟犬が爆ぜる。今まで必要とされなかったその武装は、求めと共に現れ、その暴威を振るった。

 

 

『やるじゃねーか初心者ビギナー! 説明書でも読んだのか!?』

『男の義務教育っスよ!』

 ツヴァイが、ドライが飛ぶ。ひときわ大きな巨大生物、小型ビッグ・ワンのようなものに接近して。

 鈍色の悪魔は迷わず、二機に向けて拳を伸ばし、薙ぐ。

『遅い遅い!』

 狙われたツヴァイは戦闘機状に変形、その速力を以て背部を取り―――対応の直前、突如としてレーザーがコアを掠める。

 予測と反射、獣の本能であるかのように、ひなたはコアを絡め……砲台と、機首のバリアブルドリルがそれを捕え、離さない。

『やれッ!』

 ひなたの叫びから一瞬遅れ、コア内部目がけて脚が飛ぶ。

 コアを狙わんとブーストをかけるドライフォート、必死にそれを阻もうとする鈍色の悪魔だが、拘束されてはその流体容量を上手く防御に割けない。

『……散華しろ』

 あとは、貫く。

 ―――連打連打連打連打連打連打、ズガガガガガッ!!

 駄目押しの拳銃フルオートが、抉り抉り抉り抉り抉り抉り、抉り抜く。

『だりゃあああああッッ!!』

 あとはその脚が、ブースターに押されて、コアまで到達し……蹴り、砕く!!

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

 溶けて消える鈍色の暴威。

 気づけば周囲は一時的に全て淘汰され、三機のみとなる。

「……どうして」

 フランベルジュを縛る無数の槍を、その手で退け、払い。

 意志を得た二機は、絶望に打ちひしがれた広瀬涼の前に在った。

「どうして、私なんかを」

『当たり前だろ。アタシはお前に助けられたんだ。だからアタシはここにいる』

 今更と言わんばかりに、向き合って言葉を投げるひなた。

『責任はアンタじゃない。力のない俺達の無責任さが、この事態を招いたんだ。だから責任を取る』

 悔しげにつぶやきながら、それでも背負わせまいとする総一。


「でも、もう由希子はあんなことを」

『お前らしくない。分かってるんだろ、いつもの由希子じゃないって。だから、まずは助けてやらねえと』

 涼の言葉を止めるように、ひなたが。

「そんなことする権利が、私になんて」

『他人から権利を伺う必要なんてねーっスよ。アンタはアンタの為に、自分の幸せを求めていいんだ』

 さらに並べようとする言葉を、総一が止める。

 

『我儘でいこうぜ』

『アンタがしたいことは、俺達がしたいことだ』

 そして、二人、或いは二機同時に差し出される手。

 

 ……やりたいこと、今自分が求めること。

 涼の答えは、一つだった。

 

「……由希子が、本当の由希子が知りたい。

 ちゃんと会って、もう一度話がしたい。だから」

 真実が知りたい。

 もう一度、由希子と向き合って、その心を知りたい。だから。

 

「手を貸して」

 差し出された手を、涼は片手ずつ掴んで、静かに立ち上がった。

 

 

 Flamberge逆転凱歌 第32話 「小さな幸せ、かすかな願い」

                         つづく。

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