渋川物語

つかさ すぐる

1話完結

 「沙希さきちゃん、

右手ゆるめて、左手引いて!」


宇津木うつきさんが、

自分の右手と左手で

見本を見せながら叫んでいる。

私は、ちらっとそっちを見たけど、

風でキャノピー

(パラグライダーの羽の部分)

が引っ張られるので

それどころじゃなかった。

それでも、言われた様に右手を緩めると、

バランスを失いかけていたそれが、

頭の真上にふわっと上がってくれたので、

すかさず体をひるがえす。

二、三歩歩くと、もう体が浮かんだ。


「そうそう。気ぃつけにゃぁないとおえんでぇだめだよ。」


宇津木さんが帽子を押さえながら

叫んでいる。

たちまち上昇気流で持ち上げられて、

宇津木さんがミニチュア人形の様に

小さくなった。


 海は銀色にきらめいていて、

クジラ島が浮かんでいるのが見える。

その向こうには瀬戸大橋が、

あおい海を白蛇しろへびの様に

島ゝを縫いながら四国まで繋いでいる。


「父さんがなぁ、学生の頃には

あの橋は架かってなかったんじゃけどななかったのだけどね。」


海水浴に連れて来てくれるたびに、

幼い私に父はそう言った。

渋川海岸の海の家で

学生時代アルバイトをしていた父と母は、

そこで出会って結婚したらしい。

夏休みになると必ず一度は

二人に連れられて海水浴に来るのが

我が家の決まりだった。


「沙希ちゃん、何食べてぇんなたいのか

好きなもん取ってええけぇないいからね。」


宇津木さんは海の家の主人で、

二人に連れて来られた私の事を、

孫の様に可愛がってくれた。

店先に並んだおでんの中から、

私が赤いかまぼこを指すと、

それを皿に入れて渡してくれる。

それから、食べ終わると

必ず欲しいかき氷も尋ねてくれて、

それを母に、

「お腹を壊すから。」

と断られて、

暫く押し問答をしているのを眺めるのが、

毎年の恒例行事だった。


 そんな、海の家も

数年前に閉まってしまった。

コンビニが増えたせいで、

途中で買い物をして

海に持ち込む客が増えて、

年ゝ売り上げが減っている事は知っていた。

それに加えて最近は、

お金が無いからか車が無いからか、

夏休みになっても学生が来なくなって

人影もまばらになった。

今日も、7月の末だと言うのに、

海岸のど真ん中に

着地地点を置けるなんて、

昔だったらとても考えられない事だった。

それで、宇津木さんも

数年前に海の家に見切りをつけて、

パラグライダーの器具の貸し出しや

インストラクター派遣の商売に

切り替えている。


 「このホテルが完成してたら、

ちっとは違ごうとったがっていたかも

知れんのじゃけどなぁないのだがね。」


宇津木さんがそうぼやいて見上げていた、

外観だけ完成して

20年以上そのままの建物が

足元に見えている。

私は右手を引いてゆっくり旋回せんかいした。

さっき離陸した展望台の辺り

が足元に見えて、

それを過ぎると、

山の斜面を利用した

すり鉢状の露天ろてん劇場が見える。

春や秋の季節の良い頃には、

達也が仲間とライブをやるから、

よく手伝いに来た。

いつもふざけてばっかりだったけど、

歌っている時だけは真剣でかっこよかった。


 「わいぼくな、東京行こうと思う。」


卒業間際の雨の日に、

車の中でそう言われたのも

いただきに見えている駐車場だった。


「岡山に就職してぇしたい会社もねぇしなないしね

それに、東京でライブしてたら、

なんかチャンスがあるかもしれんししれないし。」


「そんな甘いもんじゃないでしょ。」

と私は心の中で思ったけど、

それを達也に言う事は無かった。

高校を卒業してすぐ就職した私には、

地元の大学に進学していた達也が

段々と幼く思えて来ていたけれども、

惰性だせいで付き合って

5年になっていた。

別れるきっかけを

私も探していたのかもしれない。


  山の尾根が

カーペットの様に広がっている。

実際に落ちたら、

生きているかどうかもわからないのに、

柔らかなクッションが

並んでいる様に思えるから不思議だ。

その緑が、

海風の生臭さを消してくれている様で、

この高さになると風の匂いだけがしている。

向こうの方には、銀色に反射する海に、

これも緑を濃くした三角島が浮かんでいる。

今日は天気がいいから、

対岸の高松港に

高層ビルが並んでいるのがはっきり見える。

途中の島ゝでは、

数年に一度の芸術祭が開催されていて、

そのせいだろうか?

いつもより船の数が多い様な気もする。

銀色の上に、白や紺がっている。


 足元に見えて来た

リゾートホテルの宿泊客も、

今年は外国人が結構居る様で、


こねぇだこの間

ぼっけぇものすごくベッピンの外国人のネェちゃんに

道訊かれて、

でぇーれぇーものすごく困ったで。

あねぇなんああいうひとは

造船所に研修で来とった

ノルウエィかスェーデンかの

ねぇちゃん見て以来じゃったわだったよ。」


と宇津木さんが

鼻の下を伸ばしながら話してくれた。


 造船所は岬の向こうに隠れて

見えないけれども、

この町のもう一つの産業の

製煉所せいれんしょ煙突えんとつから、

けむりが出ているのが見えている。

その手前に松の青で仕切られた

海水浴場が1キロ位広がっている。

随分前の台風で砂が流されて、

持ち込んだ砂で補修された。

鳥取砂丘からもらって来た様に

聞いた覚えがあるけど本当だろうか?

白兎はくとの様に

上から見ると白いのは間違いなかった。

水着もまばらなその海岸の中央に、

今日の大会の着地地点の

まるが見えている。


 両手を少しずつ体に寄せて下げながら、

羽を小さくすると

段々と地面が近くなってくる。


「いつまでも、飛んでいたいなぁ。」


そう思っていても、地面に降りると

足元に砂のザクッという感じが伝わって、

何故なぜかほっとする。


 「あゝ、明日からも、

この場所を私は歩いているんだ。」


そう思いながら、

背中で、

羽が地面に落ちて行くのを感じていた。

                                    了

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渋川物語 つかさ すぐる @sugurutukasa

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