第7話 見た目はギャルでも純真なんです!②

 火曜日の放課後、コウジョバスケ部の面々は時刻通り、駿河市民体育館のアリーナに集合していた。

 この日も、渡辺先生を車で送ってきた荒井先生は、顔も出さず学校に戻っていった。

 ウメちゃんが見学に来てくれるのかどうかが気になって、私は朝からずっとソワソワしっぱなし。今日も、お昼に部活のお誘いに行こうとしたら、「あまりしつこいと嫌われちゃうよ」とミーちゃんに止められてしまったのだ。

 考えるより先に行動してしまうタイプの私にとって、ジッと待つということは拷問に近い。

「今日はいつにも増して落ち着きがないわね、飯田さん」

「カヤさんが見学に来てくれるからだよね」

 私の代わりにハルちゃんが答えた。

「カヤさん? 飯田さんのお友達?」

 持田さんが首をかしげる。

「ウメちゃんだよ。昨日部活のとき、持田さんも会ったじゃん」

「……ウメちゃん? ますます意味が分からないのだけれど」

「ダメだよ、陽子ちゃん。持田さんはお昼一緒じゃなかったから、ウメちゃんがカヤさんだって分からないんだよ」

 ハルちゃんの言動に、持田さんはさらに不可解な表情を深めた。

「まだ、この話は持田さんには早かったのかも知れない……」

「陽子ちゃん、そんなことないよ。持田さんだって私たちと同じ高校生なんだよ。ちゃんと分かりやすく説明してあげれば、理解できるよ」

 あきらめたように言った私の手をハルちゃんがギュッと握り力強く言った。

「何かしら、この気持ち。あなた達を見ていると、破壊的な衝動にかられるわ。これが怒りという感情かしら?」

 こわっ。

 うっすらと微笑む持田さんを前に、ハルちゃんと私は手を握ったまま思わず後ずさりした。

「はい、おしゃべりはそこまでっ。アップスタート!」

 渡辺先生の合図に救われた。

 私は一目散に走り出す。すぐあとにハルちゃんが続く。

「よ、陽子ちゃん、ちょっと飛ばしすぎじゃない? ペース速いよお」

「命が大事なら全力ブーストだよ! 持田さんに捕まったら私たちに未来は無い!」

 弱音を吐くハルちゃんにカツを入れる。

「えええっー! ば、バスケのアップって、誰かから逃げる練習だったの!?」

「そんなわけがないでしょっ。飯田さん、今すぐその愚行をやめて、通常運転に戻りなさい」

 ハルちゃんの後ろに迫る持田さんが声を上げた。

「ハルちゃん、敵の巧妙な心理作戦にはまっちゃダメだよ! ここは私が引くよ! さあ、もっと回転数上げて!」

「わ、分かった! ハイケイデンスだね、陽子ちゃん」

 さらに加速した私の背中をハルちゃんが追いかける。

「きょ、競技自転車部のジョークなんて、ま、マニアック過ぎて笑えないわっ。プッ、プフフフ」

 吹き出した持田さんは、笑いをこらえるのに必死なのか、それとも私たちを追いかけるのに必死なのか、真っ赤な顔をして走っている。

「意味不明なトークで盛り上がっていますけど、アップとは思えない気合の入った走りですね」

「……ハァ。まったくあの子たちは……」

 米山先輩の隣で、額を押さえながら渡辺先生はため息をついた。


 これまでにないハイペースでランニングをこなした私たちは、すでに練習前からへばっていた。

「ハア、ハア、ハア……ハルちゃん、ラストはナイスアシストだったよ」

「ハア、ハア……え、エースをゴール前まで運ぶのが……わ、私の役割だから」

 ハルちゃんは苦しそうに呼吸しながら、グーサインをつくってニッコリ笑った。

「ハア、ハア……ちゃ、茶番だわ。プフッ。い、いつまでも同じネタが通用すると思ったら……プッ、フフフッ」

 持田さんは笑いをこらえる事のほうが苦しそうだ。

「ほら、ダラダラしないでストレッチ。次フットワークメニューいくわよ」

 渡辺先生の呼びかけに応じてストレッチをこなした私たちはしぶしぶ立ち上がり、フットワークメニューを開始する。

 ガラガラガラ。

 扉を開く音がして入り口に目をやると、ジャージ姿のウメちゃんが立っていた。

「ウメちゃーん、待ってたよー」

「コラっ、よそ見しないっ。手も振らないっ」

 渡辺先生に注意され、ペロリと舌を出す私を見てハルちゃんがクスリと笑った。

「良かったね、陽子ちゃん。カヤさん来てくれて」

 私の横に並んだハルちゃんが小声でささやいた。

「ウメちゃんやらカヤさんやら、あなた達が言っていたのは彼女のことだったのね」

「そーだよ。梅沢伽耶ちゃん、昨日見学に来てくれたじゃん。持田さんは意外と忘れっぽいなあ」

「ごめんなさい。私、興味の無い人間の名前を覚えるのはすごく苦手なの」

 無表情の持田さんが冷ややかに答えた。

 たしかにウメちゃんと持田さんとじゃ真逆のイメージだし、話とかまったく合わなそう。優等生の風紀委員と金髪クロギャルじゃ仕方ないか……。出来れば仲良くしてほしいな。

 ウメちゃんの後から塩屋先生も入ってきて、フットワークメニューを終えた私たちは、先生のもとに集合した。

 そういえば塩屋先生が体育館に来るのは初めてだ。先生も駿河大バスケ部のOBって言ってたし、練習見てくれたら嬉しいな。

「ハッハッハッ、みんな頑張っとるね。今日から梅沢伽耶さんが体験入部することになったんでよろしくのお。じゃ、渡辺先生、お願いします」

 塩屋先生が私たちに挨拶するとウメちゃんはペコりと頭を下げた。

「じゃあ、ストレッチから始めましょう。梅沢さん、こっちに来て――」

「すみません、1つよろしいでしょうか?」

 渡辺先生がウメちゃんに声をかけたのを遮って、持田さんが手を上げた。

「ええ、どうぞ」

「あなたに聞きたいことがあるのだけれど。あなたこの前の日曜日、沼津のスポーツリポで万引きをした? イエスかノーで答えて」

 ウワっ!持田さん直球ど真ん中。いきなりそれ聞く!?塩屋先生が『訳ありの子』て言っていたから、空気読めない私だって配慮してそっとしておいたのに……。

「はあ? 関係ねーだろ。アタシがいつアンタに迷惑かけたよ? ほっとけっつーの」

 真っ直ぐに見つめる持田さんをウメちゃんは怖い顔でにらみ返した。

「ちょっと、2人ともやめなさい」

 渡辺先生が重くなる空気を払拭しようと間に入る。

「私たちは、正式な運動部の認可を受けることを目的に活動しているの。部員が校則違反、ましてや法に触れるような不良行為をした場合、大いに問題になるわ」

「はいはい、アタシみたいのがいたら迷惑だって言いたいんだろ? 遠まわしに言わないで、ギャルが部活動なんて超うけるって正直に言えよ。アタシも好きで来てんじゃねーよ。フン、たしかに笑えるわ」

 ウメちゃんは、ふて腐れた様子で自虐的な発言をして嘲笑した。

「面白いことは1つもないわ! 私の質問に答えてちょうだい」

 持田さんが声を荒げる。

「答えたくねーし。仮にアタシが『やってない』って言ったとして、アンタは信じんのかよっ!」

「あなた、やっぱりバカなのね。質問を質問で返さないでくれるかしら」

「んだとっ、テメエ!」

 ウメちゃんが持田さんに掴みかかった。

 私とハルちゃん、それに渡辺先生は慌てて仲裁に入る。

「ハッハッハッ。青春じゃのお」

 塩屋先生、のん気に笑ってないでよ。先生が話してくれれば丸く治まるって言うのに……。

「話しても無駄のようね。いいわ、勝負しましょう。1on1で私が勝ったらあなたは質問に答える。あなたが勝ったら答えなくて結構よ」

「上等だコラ」

 2人はお互いの顔が触れるくらい近い位置でにらみ合っている。

「ちょっと、いい加減にしなさい! 塩屋先生も何とか言ってください」

 渡辺先生が困り果てて塩谷先生に助けを求める。

「ん? いいんでないの。まあ、ここは2人に任せましょうや」

 塩屋先生、無責任すぎ。

 2人に任せちゃってホントに大丈夫なの?

 若干1名、小学生みたいにワクワクした様子の初老を除き、私たちが心配して見守る中で2人の対決が始まった。

「ルールは3点先取のジュースあり。シュートはどこから決めても1ゴール1点よ。ハンデは――」

「いらねーし。アンタのオフェンスからでいいから、さっさと始めろっつーの」

 ルールを話す持田さんにウメちゃんは荒っぽく言った。

「そう、では遠慮なくそうさせてもらうわ。渡辺先生、審判をお願いします」

「お互いくれぐれも冷静に、フェアに頼むわよ。では始めます」

 ピーーー!

 試合開始のホイッスルが鳴り響き、持田さんは左手でゆっくりとドリブルを始めた。

 そのまま一見無用心に、ディフェンスのウメちゃんに近付いていく。ウメちゃんが手を伸ばせばボールに届く距離まで近付いた瞬間、ドリブルのスピードが一変した。低く強くドリブルして、加速した持田さんはウメちゃんを置き去りに――。

 できていない!?

 抜かれたかのように思われたウメちゃんは遅れてついてきたものの、持田さんに追いついてしっかりとドリブルコースを塞いでいた。

 持田さんが瞬時に1歩下がって、目の前に立ち塞がったウメちゃんから間合いをとる。そのままジャンプシュートの体勢に入った。高い跳躍とキレイなシュートフォーム。

 ウメちゃんはシュートにしっかり反応して持田さんとの間合いを詰め、ブロックショットの体勢に入る。しかし、ウメちゃんの手にボールが触れることはなく、美しい放物線を描いてゴールの中に吸い込まれていった。

「持田さん、ナイッシュー! ウメちゃん次オフェンス1本決めよう!」

「持田さん、次ディフェンス1本止めよう! カヤさーん、オフェンス1本!」

「飯田さんも飛鳥さんも、どちらを応援しているのか分かりませんね」

 米山先輩が笑った。

「そりゃあ、どっちもっすよ。2人とも大事なコウジョバスケ部の仲間ですからっ」

「うんうん。だよね」

 ハルちゃんが頷く。

「おいっ、勝手にアタシをメンツに入れんなっつーの」

 うわっ、ウメちゃん地獄耳。こりゃ、うかつな事は言えないね。

「さあ、あなたのオフェンスよ」

「アンタに言われなくても分かってんよっ」

 持田さんが拾ったボールを差し出すと、ウメちゃんはそれを乱暴にひったくる様に受け取った。

 再び対峙する2人。

 ウメちゃんが右手のドリブルで駆け出した。

 速い!

 まるでボールを持っていないかのようなスムーズな加速に、私たちは驚かされた。

 抜かれた持田さんはゴールの斜め45度、ミドルポストのすぐそばでウメちゃんに追いつた。

 スピードを緩めたウメちゃんが体を左側に向けて進行方向を変え、左足を踏み出した。

 その動きにしっかり反応した持田さんが重心を移動させ、ウメちゃんの左コースをシャットダウンしようとした。

 持田さんを含め、この場にいる誰もが思ったはずだ。右手ドリブルから体前面で左手に持ち替える基本的なハンドリング、クロスオーバーだと。

 次の瞬間、ウメちゃんはボールを持った手を空中でひねり、体の中心付近でボールの方向を変えた。左側に向かっていたボールの進行方向を逆にするのに合わせて、体の向きも右側に修正する。踏ん張った左足で瞬く間に体の方向を右コースにチェンジしたウメちゃんは、そのまま右手ドリブルでドライブを決めた。

 1対1の同点で試合は振り出しに戻った。

「すっごい! ウメちゃん速い」

「ドリブル、私より上手……」

 ハルちゃんも驚きのあまり言葉を失う。

「クロスオーバーに見せかけて、実はボールを持ち替えないインサイドアウト、完璧に決まりましたね!」

 米山先輩が声を弾ませて賞賛した。

「完璧に決まっちゃいるが、ちょっと意味が違うだろ」

 米山先輩の隣で荒井先生がボソリと呟いた……ってワッー!いつからいたの!?

「どういうことですか?」

 米山先輩が不思議そうに尋ねる。

「あの子、えっと名前――」

「ウメちゃんだよ」

「カヤさんです」

「分かんねーよ! ウメちゃんカヤさんってお笑いコンビかよ」

 同時に答えた私とハルちゃんに先生は文句を言う。

「1年7組、梅沢伽耶さんです」

「おー、そうそう梅沢ね。あの子初心者だろ?」

「はい、そうですけど。スポーツは得意なようです」

「あっそう。まあ見てりゃ分かるさ」

 荒井先生の真意を掴めず、米山先輩は難しい表情のままコートの2人に視線を戻した。

 私とハルちゃんも何のことだかさっぱり分からず、お互い顔を見合わせて首をかしげた。

 持田さんのオフェンス。ウメちゃんの目の前でわざと見せ付けるかのようなクロスオーバーを行う。その切り替えしに遅れることなく、ウメちゃんは持田さんのドリブルコースをシャットアウトする。

 このような展開が数回繰り返された。

「梅沢さん、ディフェンスいいですね」

「動体視力、反射神経ともにハンパねーな。フツーだったらとっくに置き去りにされてるぞ。しかし持田のハンドリングも安定感抜群だな」

 荒井先生が面白そうに答える。

「よく個人練習をしているそうです。あまりに上達が早いので尋ねてみたんです。そうしたら、『帰宅後と日曜日にマンションの駐車場でドリブル練習しています』と恥ずかしそうに言っていました」

 ああ、持田さんが頬を赤らめて米山先輩に控えめな声で答える様子が目に浮かぶよ。

 そんな努力家で照れ屋な持田さんの駆け引きに勝負がついた。

 クロスオーバーを数回繰り返した持田さんは、最後にインサイドアウトでウメちゃんの重心を崩し、ドライブしてランニングシュートを決めた。

「チッ。クッソ」

「さっきのあなたと同じ技で、置き去りにされた気分はどうかしら?」

 舌打ちをするウメちゃんに、持田さんがイヤミっぽく問いかける。

「ハア? なに意味分かんねーこと……アタシと同じ――」

「やはり、そういうことだったのね。そうと分かれば、もう1点も決めさせないわ」

 何かに気がついた様子のウメちゃんを同じく、何かに気づいた持田さんがジッと見つめた。

 2対1、持田さんのリードで迎えるウメちゃんのオフェンス。

 右手ドリブルのウメちゃんが、厳しいディフェンスの持田さんに対し、肩を押し込むようにして強引に切り込もうと試みる。サイドステップで素早く対応した持田さんが彼女のドリブルコースをシャットアウトする。

「クッ!」

 左に進行方向を変えたウメちゃんが左足で踏み込む。しかし、ボールを左手に持ち替えることはせず、クロスオーバーに見せかけ、インサイドアウトで右手ドリブルのまま右方向に切り替えして走り出す――。

 が、彼女の目の前に持田さんが立ち塞がった。

「ウっ」

「やはりね」

 ウメちゃんは慌てて左方向に逃げるが、ボールを左手に持ち替えなかったため、持田さんにた易くスティールを許してしまった。

「ああっ!」

「あなた、左手のドリブルが苦手でしょ? まあ、右利きのようだから当たり前のことかも知れないけれど。コースが特定できればディフェンスは楽なものよ」

 ボールを奪い取った持田さんはすでに勝ち誇った表情だ。

 ウメちゃんが悔しそうに睨む。

「勝った気でいんじゃねーよ。アンタうざいんだよ」

「威勢だけはいいのね。獣のように威嚇したって、私には無意味よ。せめてその野獣並みの運動能力をディフェンスに生かしなさい」

 こうなると彼女の本領発揮、持田節全開の発言。

「ぜってー、止める!」

 ウメちゃんは、まるで自分に言い聞かせるかのように呟くと、腰を下げ重心を低めにしてディフェンスの構えをとった。

 ここから、見ている私たちが息もつけないほどのスピーディな攻防が繰り広げられた。

 左手ドリブルで走り出した持田さんの前にウメちゃんが立ちはだかる。間髪入れずにクロスオーバーで右手にボールを持ち替え、持田さんが右方向に切り返す。その動きに遅れずついていくウメちゃんが、再びドリブルコースを塞ぐ。

 自分の目の前でドリブルされたボールをカットしようとウメちゃんが素早く右手を伸ばした。ウメちゃんの手がボールに触れる刹那、持田さんは左斜め前に突き出した足の下にボールをバウンドさせ、受け取った左手にドリブルを切り替えて走り出す。華麗なレッグスルーを決めたものの、すぐさま追いついたウメちゃんがコースをシャットアウトする。

 しかし持田さんはスピードを緩めるもとなく斜め左方向に直進した。ウメちゃんが目の前に迫った瞬間、左手ドリブルを背中側へ回し、手首のスナップをきかせて体の右側にボールを突き出した。持田さんはそのまま右手でボールを受け取り、ダッシュする。見事にバックビハインドが決まった。

「待てコラッ」

 振り切られそうになるのをとっさに重心移動させ、ウメちゃんはまたしても追いついた。

 ウメちゃんはすでに息が上がり、苦しそうな表情で必死に食らいついている。

「ハア、ハア、ハア……ちょこまか逃げ回りやがって」

「しつこいわね。あなた、嫌われるわよ」

「うっせっ。アンタに好かれたくもねーし! アタシもアンタ好きじゃねーし」

 肩で息をしながら、ウメちゃんが悪態をつく。

「あら、意外だわ。嫌われているのかと思ったわ」

「同じ意味だっつーの」

「そう。私はあなた、嫌いじゃないわ。そろそろ失礼するわ」

「!?」

 持田さんは話し終えると、ウメちゃんの目の前で左右交互にドリブルを始めた。

 ウメちゃんが目でボールの動きを追う。

 ボールが左手に移ると同時に持田さんが左足を踏み出した。ウメちゃんが右側に重心を傾ける。その瞬間、持田さんはウメちゃんの股下に向かって、左手でボールを突き出し、右側から駆け抜け、再び受けたボールを右手ドリブルで運んでランニングシュートを決めた。

 ピーーー!

 リングを通り抜けてボールが転がると同時に、ホイッスルの音が響いた。

「試合終了! 3対1で持田さんの勝ち」

 審判の渡辺先生が結果を告げる。

「クッソ……」

「では、私の質問に答えてもらおうかしら」

 本当に悔しそうに顔を歪ませ、しゃがみ込んでフロアの床を叩くウメちゃんに持田さんは静かに声をかけた。

 緊張の瞬間。

 アリーナが静まり返る。

「質問て何のことだ? あ、そーいや俺も渡辺に聞きたいことがあって戻って――」

「シーッ! 先生シッ!」

 若干1名、空気読めない荒井先生の口を慌てて塞ぐ。

「ぐっ、やめろ飯田。おべは、ひひたいほとが、コラッ。飛鳥まで、ぐふっ」

 ハルちゃんの加勢により、やっと荒井先生を黙らせることができた。

 しばらく沈黙したあと、立ち上がったウメちゃんがやっと口を開いた。

「あ、アタシは……スポーツリポで万引きなんて――」

「バスケットボールは楽しかったかしら?」

「ハッ?」

 持田さんの急な問いかけに、ウメちゃんは間抜けな声を上げた。

「1on1は楽しかったか質問しているのよ」

「ハア!?」

「ふう。あなた、やっぱりバカなのね。日本語も分からないのかしら?」

 持田さんがわざとらしいため息をつく。

「ぶっ殺す! 勝手に質問変えてんじゃねーよ!」

「あら、最初の質問を覚えていたなんて、野獣にしては意外に賢いのね」

 怒りをあらわにするウメちゃんに対し、持田さんは冷静な声で悪口を言う。

「アンタ言ったじゃねーか。正式な運動部の認可をもらうために活動してるから不良行為は問題になるって」

「そして、あなたわ言ったわね。『やってないと言ったら信じるのか?』と。裏を返せば、『否定してもどうせ信じやしないだろ』ということになるわね。つまり、あなたは私を信用していない」

「クッ……そ、それは」

 ウメちゃんが言葉に詰まった。

「ええ、もちろん好意的でない私を信用するなんて無理な話ね。でも、飯田さんはどうかしら? 飛鳥さんは? 彼女たちが、あなたにどんな風に接したかしら? 彼女たちからあなたに対して少しでも悪意や敵意、不愉快なものを感じたかしら? バスケットはチームスポーツよ。信頼のできない相手に、パスは出せないわ。不良行為の有無以上に、あなたの人間不信の方が大問題よ」

 持田さんはウメちゃんの目をしっかりと見つめ、ゆっくり語りかけた。

「う、うざいんだよアンタ。余計なお世話なんだよ」

「今、私を信用しなくても構わない。あとで整理がついてから、飯田さんや飛鳥さんに話してくれても構わない。悩みがあるなら米山先輩、渡辺先生、塩屋先生が相談に乗ってくれるわ。それに荒井……とにかく、あなたは自分が思っているほど1人ではないということよ」

 一瞬だけ荒井先生を見て、目を背けた持田さんは、優しく、そして力強く語った。

「おい、持田っ。おれ、俺が抜けてるぞー。目をそらすな」

「シーッ! 荒井先生は黙ってて!」

「先生、自分の無意味な存在価値気に気づいてしまった持ちは分かります。でも、こらえてください」

「おい飛鳥、お前の発言の方が傷つくわっ!」

 大声でクレームを唱える荒井先生をハルちゃんと一緒に押さえつける。

 ウメちゃんは持田さんと向かい合ったまま、両手の拳を震わせ黙ってうつむいた。

「今は、純粋にバスケットが楽しいと思えるだけで十分よ。一緒に練習しているうちに、自然とチームメイトとの距離も近付くわ。共に汗を流し、人数が揃っていつか公式戦に出場したそのとき、信頼し合える関係になっていればいいのではないかしら? もう1度聞くわね。バスケットは楽しかったかしら?」

「……た、楽しくねーよっ! アンタらに何が分かんだよっ。ホントは気になってんだろ、髪の色! 何で言わねーんだよ、肌の日焼けもっ! バスケ部が髪染めたり、日サロ行ったりするのはふさわしくないって思ってんだろ!」

「落ち着きなさい。さっきも言ったでしょ。私はあなたを――」

 持田さんの話の途中で、ウメちゃんは背中を向けて走り出した。

 ガラガラガラ。

「ウメちゃんっ」

 扉を開いたウメちゃんを呼び止める。

「……」

 私の方を見たウメちゃんの瞳には涙が溢れていた。その雫が頬を伝って一筋流れ落ちる。ゴシゴシと目をこすり、ウメちゃんは無言のまま走り去っていった。

「すみませんでした」

 持田さんが、塩屋先生と渡辺先生に頭を下げる。

「持田さんは悪くないわよ。ストレートに気持ちを伝えられて、梅沢さんもどうすればいいか分からなくなってしまったのよ。あなたの思い、ちゃんと届いているはずよ」

「ハッハッハッ。気持ちのこもったナイスプレイじゃったよ。わしの口から話すのはどうかと迷っておったんじゃが、みんなに話しておこうかのお。明日の放課後、講師室に集まってくれんかの」

 そう言うと塩屋先生は、持田さんの頭を笑顔でそっと撫でてからアリーナをあとにした。

 持田さんが私たちの前に来て再び頭を下げる。

「やめてよ、持田さん。ウメちゃんがもう来ないって決まったわけじゃないんだし。いや、むしろ絶対入部させるし。1on1、めっちゃすごかったねー」

 私はいつも通り、明るい声で言った。

「そーだよ。陽子ちゃんが持田さんと戦ったときより、試合内容も誘い文句もずっとハイクオリティだったよ!」

「飛鳥さん、気づいていたけれど、あなた天然な上にかなりブラックね。あなたの何気ない一言で、飯田さんが瀕死のダメージ受けているわ」

 ハルちゃん、マジでクリティカルヒットだよ。荒井先生の気持ちがちょっぴり分かってしまった自分が悲しい……。

「まあ、あれだわ。足首と膝の柔らかさは生まれつきの素質だ。それにくわえて全く力まず踵をつかって動きに入ることによって、ものすごい初速を生み出すフットワークは天性の賜物だな。いやあ、しかし残念だったな。持田のせいで貴重な素材を逃し――」

 バシッ!

「イテっ。何すんだ飯田」

 バシッ、バシッ!

「イテテッ。こら飛鳥、何ちゃっかり2発も叩いて――」

 バシ、バシ、バシッ!

 私たちに背中を叩かれた荒井先生は、捨て台詞を吐きながら撤退した。

「さあ、練習を始めましょう。明日は塩屋先生からお話があってトレーニングは中止ですから、3メンの本数増やしていきますよ! 今日みっちり走っていただきます!」

 米山先輩が私たちに元気よく声をかけた。

「ハイっ!」

 私たちも元気に答える。

 今は練習に集中しよう。きっとまたウメちゃんと一緒にバスケが出来るはず。その日のために、ウメちゃんが私たちに心を開いてくれるその時のために、今できることを必死でやろう。

 ハルちゃんと持田さんの目を見つめる。

 3人で同時に小さく頷き、私たちは走ってコートに入った――。

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