第32話 託された思い

 金髪の騎士と白髪の少年とが再会する様子を、フルーレは嗤いながら見守っている。

(ああっ! そうです、ハク様!! そのままそのお力で、ハク様が我等の救世主たることをわたくしにお見せ下さいっ!!)

 フルーレは陶酔した面持ちで瞳を爛々らんらんと輝かせ、祈るように両手を合わせた。


 下を向いたまま、ゆったりとした足取りでハクは歩を進める。

(母ちゃん……! 母ちゃん!!)

 蓋をしたはずの心から、止め処なく感情が溢れ出してくる。

 あの大きな翼を布団代わりにした夜。抱きついた胸元から見上げる、優しい紫の両目。——そして、人族の軍勢と戦う傷だらけの姿。

 次々と脳裏に浮かぶ母の姿に、ハクは再び溺れていく。


「ぐぁぁぁぁああーー!!」

 ハクは吼える。咆哮——いや、悲痛な叫びか。


 母を殺した兵士達とライアスは違う。そんなことはハクも理解している。だが、雄叫びを上げる兵士達を思い返す度に、自分の中に眠る竜が燻る。

 もはや自制は効かず、を止めることができない。

 紫の両目から涙を流し、やり場のない感情を右手に込める。


 ——(お前も同じか……。まあ、それもいいだろう)

 小さく聞こえた竜の独り言がハクの脳内を揺らした。



 ハクが吼える姿を再び見たライアスは、異変にすぐさま気づき剣の柄を握る。しかし、

「そうか」

 大まかな成り行きを確信し、自分がやらなければならないことを悟る。

 あと十歩ほど歩けばハクの側へと辿り着く。ライアスは柄から手を離し、ハクの歩調に合わせて歩き出した。



 半竜と化して吼えるハクに困惑し、ディオネとレントは声を失う。ハク達の無事を喜んだのも束の間、それ以上の恐怖と戸惑いが二人の感情を蝕んでしまう。

「ハク……」

 ディオネは初めてできた友達の名を口にする。

 自分を庇ってくれた時の、手を繋いでくれた時の、優しい表情は見る影もない。

 ——怖い。

 原始的な恐れがディオネを侵食する。だがそれと同時に、涙を流しながら吼える姿に憐憫の情も膨らんでいく。

(けど……助けなきゃ!)

 震える足に力を込めてディオネは一歩目を踏み出した。



 翼を持つ少女はそんな中、まるで何かに当てられたかのように、一人静かに涙を流していた。



 二人の距離が残り一メートルにまで近づく。

「人族の……兵士!」

 ハクは息を荒げながら、竜の右手を振りかざした。



(……昔の私は、このように見えていたのか)

 ライアスはふと、そんなことを思いながらハクの両肩を力強く掴む。

 大人と子どもでは当然、腕の長さが違う。肩をいきなり掴まれたことで、ハクの右手はライアスの胸元の手前で止まってしまった。

「ハク。私の目を見ろ」

 普段よりも低いライアスの声がハクの耳に届く。


 拳が届かない苛立ちを見せながら、ハクは真っ赤に充血した目でライアスを睨む。

 すると——


 パシン、という小気味よい音が鍾乳洞の中に響いた。



「え……?」

 突然の出来事に、ハクは怒りよりも現状の把握に思考が傾いた。

 左頬が熱い。

 左頬が痛い。



 ハクの左頬を平手打ちしたライアス。振り抜いた右手に確かな重みを感じながら、濡れた二つの目に視線を合わせる。


「……ハク。私にも陛下を止められなかった非はある。お前に殴られることが贖罪であると言うならば、甘んじて受け入れよう。だが私は、女帝竜からお前とラドを託されたのだ。頼む、とな。……そしてその、必死の思いでお前達を私に託した女帝竜は。お前の母は! 何と言い残して死んだ!? どう生きろとお前に言った!? 覚えていないとは言わせない。怒りに身を任せ、同じ過ちを繰り返すことが、強く生きるということなのか!?」


 徐々に語気を強めていくライアスの言葉に、ハクは何も言い返すことができない。

 ライアスはそっとハクの肩から手を降ろす。


「ハク!!」

 ハクの元へと小走りにやってきたディオネは、そのままの勢いでハクに抱きついた。

「ありがとう、ハク。あたしを助けてくれて。でも、あたしはもう大丈夫。だから、だから! いつもの優しいハクに……帰ってきて……」

 理由は分からないが、不思議と流れる涙は次々とディオネの頬を伝っていく。


 ディオネの大胆な行動に少し驚きながらも、ライアスは表情を和らげる。先ほどは力強く掴んだ手で、今度はハクの頭をポンポンと優しく叩く。

「分かったらもう泣くな。男が泣いていいのは、嬉しい時だけだ」

 よく頑張ったな、と最後に言い残し、ライアスはフルーレの元へと歩き始めた。



「感じる。伝わってくる。悲しい気持ち、優しい気持ち……」

 極彩色の少女は胸元に手を当てて、感じるがままに再び歌い出した。

 先ほどの唄とは違う、もっと儚い、死者を弔うような、静かな唄を。



 ハクはディオネに抱きつかれながら、懸命に涙をこらえた。いつの間にか、右手と左足は元の姿に戻っている。

「……その、ディオネ。……もう大丈夫だから離して」

 泣いていたからか、恥じらいからか。すっかり赤くなった顔で、依然として離そうとしないディオネに話しかけるハク。

「だめ。仕返し」

 しかしディオネはそれを拒否し、ハクの頭を撫で続けたのだった。



 静かな旋律が流れる中を、ライアスは進んでいく。

「ラド。お前も、よく頑張ったな」

「ライアス……」

 ライアスの労いの言葉に、ラドは少し安心した面持ちで頷く。


「……さて、色々とやってくれたようだが。お前は教団の者だな?」

 ライアスは剣を抜き、切っ先をフルーレに向けて構える。


「ええ、わたくしはフルーレ。教団の幹部の一人。ご慧眼、恐れ入りますわ。……国を捨てて、ハク様と一緒に行動している、という噂は本当だったのですね。元第三歩兵部隊隊長……いえ、没落家系の生き残りさん?」


 フルーレも同様に剣を抜き、逆手に構えた。


 数秒の間、時が止まる。

 数分とも思える沈黙の後に、二人の剣は熾烈にしのぎを削り始めた。

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