第30話 邂逅まで
——空気が震える。
柔らかく儚い振動が、水色の世界を彩っていく。
極彩色の少女は歌う。
瞳を閉じ、翼を広げ、その歌声がどこまでも響くように。
レントは逃亡を催促することも忘れ、
今までに聞いたことのないメロディーだったが、不思議とどこか懐かしいような感覚を覚える。それに加え、先ほどまで慌ただしく揺らいでいた感情が、緩やかに落ち着いていくのを感じていた。
その旋律は遠くにいるハク達の耳にも届く。
「ちっ……!」
それが聞こえた瞬間に舌を打つ
(
一つの懸念が
文字通り顔以外は鳥の姿をしている種族。歌を愛することで広く知られており、ごく一部の
導師を目の前にして、
雄叫びをあげるハクに向かい、お得意の幻惑の術式を用いて短刀を振りかざす。
「……くそったれぇっ!」
悪態をつきながらも、先ほどと同じように幻の分身を操る。少年が避けたところを見計らい、襲いかかる算段だ。
一方のハクは、数日前の時と違って自我を保っていた。
ゆえに、内なる声を受け入れることに迷いはなかった。
(みんなは僕が守る!)
——歌が響く。
怒りに身を任せつつも、その歌声はハクの心の中に緩やかに浸透する。
「これで……
十人に分身したうちの半分が、叫びながら自身へと迫ってくる。前方から一人、後方から二人、左右から一人ずつ。
ハクは腰を低くし、竜のそれと化した右腕に
すると突然、
「なっ……!」
分身体のみに襲わせていたため、男は後方で立ち往生してしまう。急いで
(——歌!?
今更ながらにして、歌声が届いていることに気づく。それほどまでに、脅威を目の前にして冷静さを欠いていたということになる。
そのことすらも、さらに苛立ちを募らせていく。
一瞬にして縮まる距離。ハクは竜の拳を握りしめると、走りながら自分の体を跳躍させた。
「くそがぁぁっ!!」
瞬く間に迫る白髪の半人半竜。
短刀がハクに届くか否かの刹那、赤い右手が
頬骨が砕けた鈍い音と共に、男は物の見事に後ろへ吹き飛ぶ。殺してしまわぬよう手加減したハクだったが、男の意識を刈り取るには充分すぎる威力だった。
仰向けで地を滑り、
—— — — —
郷愁を誘う歌声を聴きながら、ディオネは少しずつ意識を覚醒し始めた。ゆっくり目を開くと、先ほどまで見ていた幻想的な水色の世界が広がっていく。
未だぼんやりとした意識の中、眠らされた直前の記憶が徐々に思い浮かんでくる。
(ハク達と羽を探して……後ろから急に口元に布をあてがれて……)
「——っ!」
自身へ行われた凶行と、拘束されている体から、只ならぬ事態が起きていることに気づくディオネ。地に横たわりながらも辺りを見渡し、すぐ近くで惚けた表情をしているレントを発見する。
「ちょっとレント! これ……
普段、村の中で過ごしていたときは話すことなどまるでなかった二人。しかし切迫している今の状況で、そんなことを考えている余裕はなかった。
「……起きたかディオネ! 今
ディオネの言葉を聞き我に返ったレントは、ディオネを縛る縄と布を解き始める。
「ねぇ……。いったい何がどうなってるの?」
頑丈に縛られているのか、多少もたつきながら拘束を解いていくレント。ディオネはそれに身を委ねながら、四苦八苦しているレントに向かって状況の説明を要求した。
「……俺にもよく分からないんだ。ただ、ここは危ない。……お前も早く逃げた方がいい」
レントも詳しい状況は把握していない。だが、冷や汗をかきながら拘束を解いていくレントの表情を見たディオネは、良からぬことが起きていることを再認識したのだった。
「それで、ハクとラドは? それに……この歌。あの子は……?」
未だ歌い続ける少女の存在を確認したディオネは、再びレントに問いかける。
「誰だかは分からない。……けど、お前と一緒に奴らに攫われてたんだ」
説明しながら、ようやくディオネの拘束を解き終わったレント。立ち上がるディオネの目を正面から見据え、真剣味を幾分か上乗せして言葉を紡いでいく。
「いいか、ディオネ。……この先に、お前を攫った危険な奴らがいる。ハクとラドも一緒だ。……俺は二人をなんとかして助ける。だからディオネは、そこで歌ってるやつを連れて先に逃げろ」
「そんな——」
レントの言葉に反論しようとしたが、ディオネは後ろから接近する気配を感じた。戦場を経験したことのない身ですら感じる、禍々しい黒い気配。
ディオネは恐怖のあまり、その先に続く言葉を発することができなかった。
同じくして、レントもその気配に気づく。ディオネと共に、迫り来る黒い気配に目が惹きつけられてしまうレント。
後方を凝視する二人の目に映ったのは、紫のローブを纏った人族の女性の姿だった。
——歌が止む。
ディオネ達と同じく黒い気配に気づいた極彩色の少女は、翼の羽を逆立て、身震いをし始める。
(声が……出ない)
竦んでしまい声を発することができない少女は、呼吸をすることのみが精一杯だった。
女性は微笑みを携えながら歩く。
標的はこの先にいる。
ディオネ、レント、
ディオネ達は身動き一つ取れないまま、ローブ姿の女性が横を通り過ぎていくのを、ただ冷や汗を垂らしながら見送ったのだった。
—— — — —
ハクは
気づけば、響いていた歌声も止んでいる。状況は飲み込めないが、ゆっくりと近づいてくる禍々しい気配が、また新たな波乱を予想させるのだった。
「ハクっ! 無事か!?」
見たところ、あらゆる箇所に刀傷があるが、いずれも致命傷ではないようだった。
しかし安堵している暇はない。ラドは
—— — — —
ローブ姿の人影を追い、鍾乳洞へと入ったライアス。
一本道を早歩きで進んでいくと、左右に分岐した場所へと到着する。
(道が別れているな。ハク達はどっちに……ん?)
分岐路右側の入り口付近に、紙束を持った人物がうつ伏せで倒れているのをライアスは発見した。
急いで歩み寄ると、その人物の下には大きな血の池ができている。左側の首元を、何らかの刃物で深々と切られたような傷だった。
「これは……もう死んでいるな」
ライアスは顔を顰め、その死体の手元から離れて散乱した紙を一枚拾う。
「……なんだこれは!?」
その紙の見出しには「種族あたりの価格」と書かれ、各種族とそれに対応した金額が記されていた。
(人の売買か……!)
信じられなかったが、この紙を見るに、考え得ることはそれしかない。
「しかし、売人がここで死んでいるということは……」
ライアスは状況が全く掴めない。ただ、ハク達の元へと急がねばならない、ということだけはハッキリしている。
剣の柄を握りしめ、ライアスは走り出した。
—— — — —
ローブ姿の女性は、真っ直ぐハク達の元へと歩を進める。そして遂に、その距離が数メートルにまで接近した。
「商人。今、商品が暴れ出して黙らせるところだ。もう少し待っていてくれ」
しかし女性は表情を変えないまま、ゆっくりとその口を開いた。
「お初にお目にかかります。私はフルーレと申す者です」
フルーレと名乗る女性は
「これでいいでしょう。……お迎えにあがりました、導師ハク様」
返り血を浴びながら振り向いた彼女の表情は、先ほどまでと変わらぬ微笑みを携えていた。
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