秋の桜に

雪邑 基

第1話

 芸術の秋、食欲の秋、読書の秋。なにをするにも秋がいいと世間では言うが、それは嘘だ。

 自然の美しさを残そうと思えばやはり芽吹きの春だし、夏にそうめんをかっこんでデザートのスイカを食べるのは最高だし、冬に寒い寒いとぼやきながら布団の中で小説を読むことほどの幸福はない。

 しかしスポーツの、ことさら自転車の秋というのなら同意する。

 小垣江駅の自転車置き場から黒いママチャリを出して、私は秋の空気を肺に入れる。普段なら刈谷市の市営バスを利用する所も、自転車を使いたくなるのが秋のいい所だ。

 名鉄の赤い電車を見送りながら、小垣江駅から出発する。まだ夏の暑さを残す空気が、風となって気持ちいい。神明神社の脇をぬけて、自動車学校の前を走る。猿渡川に沿ってペダルを踏んで、T字路を左折すると巡見橋。ブレーキをかけながら下る巡見橋を進むと、右手に見える一面に広がったピンク色に圧倒された。

 夏の色から青がぬけた黄色い畑に広がる、一面のコスモス。市が休耕田を使ってつくったコスモス畑だ。

 簡単に駆け抜けてしまうのがもったいなく思えて、私は自転車を降りた。自転車を押しながら、コスモス畑を観察する。

 一言でコスモスのピンクといっても、白っぽいものから赤っぽいものまで、その姿は千差万別だ。コスモスを秋の桜と表現するのは言い得て妙だが、同時にコスモスは桜と似ても似つかない。春の桜は白い花が段々と色づいていく印象に対して、コスモスは逆に深い赤から色が抜けていくように見える。コスモスの色が抜ける様は冬の近づく寂しさと同時に、それでも精一杯に太陽に向かういじらしさを感じさせる。

 コスモス畑の周囲を、私のようにコスモスを眺めにきた人達が囲んでいた。携帯のカメラを花に向けたり、人によってはもののよさそうな一眼レフなんかでシャッターチャンスを狙っている。そして少し歳をめした人たちは、申し訳程度に設置された椅子に座ってゆっくりしている。歩道を隔てた街の幹線道路に車がビュンビュン走っているのを見ると、なんともチグハグだ。

 時に、あなたはピーマンをいつ食べられるようになったか憶えているだろうか?

 ピーマン、あの夏の日差しをテカテカ反射する、生苦いとでも言えばいいのか他の野菜とは一線を画する味のあのピーマンだ。嫌いな野菜ナンバー1のピーマンだから、幼稚園から食べられたってことはないだろう。早熟なら小学校も低学年の頃に食べられるようになるだろうし、高学年になれば周囲の雰囲気を見て仕方なく食べるだろう。中学生になってもまだ食べられない、というのは流石にないか。いや、大人になってからの方が誰にも口を出されないから、大人になってからの方が食べられない偏食家が増えるかもしれない。

 私は、ピーマンを食べられるようになった日を、ちゃんと覚えている。あれは幼稚園のおおきい組、年長組のことだ。

 今では改築されてきれいになった小垣江駅だが、その頃はいかにもな田舎の駅だった。自動改札がないのは当然のこと、夜になると駅員もいないから、田舎の人の良さがなければ無賃乗車もされ放題だったろう。

 そんな田舎の駅は、秋になるとコスモスに囲まれた。そして秋の終わり、冬の始まりになると、枯れてしまったコスモスから来年の種を集めるイベントが開かれた。トゲトゲとしたコスモスの種をとる、それだけのイベントも子供の時分には楽しくて、箱がいっぱいになるまでコスモスの間を駆け回った。

 昼過ぎからはじまったそのイベントは、夕陽の時間をすぎても続き、夜の帳が下りる頃にはソースの香りが広がっていた。イベントの終りに、お疲れ様と焼きそばが供されたのだ。その焼きそばには、人参と玉ねぎと豚肉、そしてピーマンが顔を見せていた。

 野菜の、それもピーマンの入った焼きそば。幼稚園年長組にはハードルが高い。しかしコスモスの中を駆け回った空腹に、ソースの香りは凶悪すぎた。下手くそな割り箸使いで一口食べたと思ったら、まるで全ての麺が一本に繋がっていたかのように、紙の皿はピーマンの欠片も残さずすぐに空になっていた。

 小垣江駅を囲んだコスモス畑は、もうない。それでも、コスモスは今年も咲く。そしてコスモスが咲くと、ピーマンと焼きそばのことを思い出す。

 まだ朝の光を残す中でのコスモスはきれいだ。だが、夕陽の赤に照らされてより深くコスモスが色づく様も、街路灯の明かりに照らされたコスモスが夜の闇の中に輝くコントラストも悪くない。そんなコスモスには、どんな味が似合うだろう?

 ピーマンの入った焼きそばもいいが、ピーマンを食べるなら揚げ浸しの方が好きだし、それならナスもと思ってしまう。季節の秋刀魚をとも思うが、今年は秋刀魚が高い。外で食べることを考えれば、いっそハンバーガーなんて手もあるが、それではあまりにも趣がない。

 花より団子。咲き誇る秋の桜よりも飯のことばかりを考えるのだから、私も随分と俗なものだ。そんな自分に苦笑しながら、私は自転車にまたがった。

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