第16話 ことね7 夢

 しかし、その状況は土曜日になっても、次の週になっても改善はされなかった。どちらかと言えば悪化している様に見えた。

 土曜日、体調の優れない晴香の為に、ことねは晴香の部屋でおかゆを作ってあげていた。


「その体調の事、担当の先生には言ったの?」

 ことねが聞く。

「いや、あんな人になんか言いたくない……」


 以前から晴香は、自らの担当医の事をあまり好いていなかった。

 ことねも何度か見たことはあった。

 山田という名で、細い目をして、痩せ型でめがねをかけ、時計だけはものすごく高そうなものをしているくせに、ズボンの裾は汚れている、確かにあまり良い印象ではない男だった。


「それでも、頭が痛いとかだったら、早めに言っておいた方がいいんじゃないかな?」

 ことねがミニキッチンでおなべをクツクツ言わせながら、ベッドに横になる晴香に言う。

「うん……。考えておく……」


 これは言わないって事だろうな。と、ことねはわかっていた。そろそろ私の方から高谷にそれとなく知らせた方が良いんじゃないかと考えていた。


 次の週、木曜日はまた井口のせいで晴香に会うことは出来なかった。

 金曜の夜、明日会って、まだ担当の先生に晴香が体調の事を話していない様であれば、高谷に相談してみようと思っていた時だった。


「ピーンポーン」


 部屋の呼び鈴が鳴った。部屋の時計をみると、もう23時をまわっていた。誰だろうと思い、ドアフォンのモニターを見てみると、そこには晴香が映っていた。ことねは慌てて玄関の方へかけより、ドアを開けた。


「晴香、どうしたの? こんな遅くに」


 ことねはゆっくりと晴香を部屋に招きいれた。晴香はいかにも憔悴しきっていた。

「ことね、なんだかもう辛くて……」


 そう言って、晴香は突然泣き出してしまった。ことねは優しく晴香の肩を抱いて、ベッドに腰掛けさせた。自分の方はダイニングの椅子をベッドの近くまで持っていき、そちらに腰掛けた。その時に少し晴香からアルコールの匂いがしたが、今はそれには触れないことにした。


「どうしたの、晴香。ゆっくりでいいから話してみて」


 ことねはなるべく、晴香の気持ちを逆撫でしないような優しい口調で言った。晴香が泣き腫らした顔をあげ、ようやく口を開いた。


「おかしな子だって思わないでね」

 そう言うと、晴香はゆっくりと話し始めた。


 晴香の話はやはり井口純也の事だった。

晴香いわく、最近あまり寝付けないのは、彼に関して色々な不安がよぎるからだと言う事だった。

 社交的な彼は、すぐ色々な人と仲良くなるらしく、職場の女性陣からも人気があり、それを見ていると、他の人に盗られてしまうのではないかと、いつも不安になってしまうらしい。

 特に最近は、晴香と反りの合わない女の先輩と仲が良いらしく、職場で楽しそうに話している姿を見ていられないと言う事だ。そのくらいの嫉妬は誰でも抱くものだとは思うが、それで眠れなくなるのは少し度が過ぎている。

 ことねにはっきり付き合っていると言えなかったのも、紹介し、ことねと仲良くしている彼を見るのが嫌だったからだと言う。

 そんな気持ちが積もり積もってしまい、今日その気持ちを彼に打ち明けたところ、重いと彼から言われ、別れを切り出されるのが恐くて、彼の部屋から飛び出して来た、と言う事だった。

 若い女の子の恋煩いで済ませるには、少し晴香の行動は常軌を逸している様に思われた。

 晴香のその尋常で無い不安は、あるいは過去のトラウマに関係しているのかもしれないと、ことねは考えた。

 だとしたら今の状況は晴香にとってあまり良い状況とは言えないのではないか。

 やはり誰か医師に相談するべきだ。

 ことねが、そんな思考を巡らせていると、とりあえず自分の思いを全てぶちまけた晴香は、今までの疲れが一気に押し寄せたのか、座ったまま眠ってしまっていた。


起こして晴香の部屋までつれていこうかとも考えたが、一人にするのも心配で、そのままベッドに寝かしておく事にした。ゆっくりと体を倒し、布団をかける。時間は12時をまわっていた。


 ことねはカーペットの上に、バスタオルを敷き、クッションとタオルケットで自分の寝床を作ると、目覚ましを朝六時にセットし、眠りについた。朝起きたら早めに晴香を一度部屋に送り、担当の医師との問診に参加させてもらおうと考えていた。一緒に担当医に相談して、今の晴香の症状についての何らかの解決策を考えてもらおうと思った。ことねはその事を心に決めると同時に眠りに落ちた。


 何かの物音でことねは眠りから目覚めた。

 慌てて時計を見たが、時計はまだ五時過ぎを指している。目覚ましの音ではなかった様だ。何の音だったのだろうかと思い、ことねは部屋を見回した。晴香はまだベッドで眠っているし、部屋に変わった様子は無かった。

何か外での物音だったのだろうかと思い、部屋の出口の方へ向かいかけた時、背後から音がした。


「あ~、あ~あ~」

 音だと思ったものは晴香の声だった。何か苦しそうに枯れた声で叫んでいる。


「晴香! 晴香! どうしたの!」


 ことねは慌てて晴香の下へ駆け寄り、体を揺らした。しばらくは目を閉じ、晴香は、何の反応も示さなかったが、ことねが体を揺らし続けると、突然バッと目を開いた。そしてこう言った。

「あたし、夢を見ちゃってたみたい……。井口君が、何か凄く怒っている夢……」


 この塔の中で、夢を見るという事は、塔の出口に外から鍵をかけられるような事なのだ…。


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