八ツ山とゴジラ上陸地点

駅員3

八ツ山とゴジラ上陸地点

 第一京浜沿いのJR品川駅高輪口付近は、西から張り出してきた武蔵野台地の東端にあたり、品川の海に突き出た洲が八つあったことから、ここら辺の丘陵地帯は『八ツ山』と呼ばれていた。

 品川駅前の第一京浜をJR沿いに南に進むと、緩やかな坂となる。坂を上りきると、第一京浜は左にカーブしてJRを跨いで横浜方面へと向かう。このJRの跨線橋が『新八ツ山橋』だ。新八ツ山橋付近は、箱根駅伝で有名なポイントとなっていることから、ご存知の方も多いだろう。


 頂上の新八ツ山橋を渡らずに右にカーブすると、五反田方面に下る坂を『八ツ山の坂』と呼び、全長1.1kmをかけて、12mほど下る緩やかで長い坂である。この道が、都道317号環状六号線、通称山手通りだ。

 今は、4車線の大きな幹線道路になっているが、昔は道幅が3間(約6m)しかなかったため『三間道路』と呼ばれ、辺りは民家も少なく夜は淋しい通りであった。

 江戸時代のこの辺りは、松江藩松平家の下屋敷があった場所で、その敷地は15,000坪ほどもあった。七代藩主の松平不昧公がここに独楽庵をはじめとする12の茶室を作り、茶道三昧の日々を送ったといわれている。その後、幕府の命により公収された後、鳥取藩池田家に下屋敷として与えられた。


 坂の途中には、取り壊されてしまった旧SONY本社社屋があった。以前その前に歩道橋があったのだが、再び訪れると、SONY本社とともに歩道橋も無くなっていた。以前あった歩道橋から八ツ山橋を見ると、6車線隆々とした道には絶え間なく車が行き交い、道の南側は高層ビルが立ち並ぶが、道の両側の歩道に植えられたプラタナスはビルの4階まで届くように緑青々と茂り、心和ませてくれていた。

 東京都の街路樹というと、都道でみれば圧倒的に銀杏が多い。それにハナミズキ、トウカエデ、プラタナス、ケヤキと続く。

 現在は、『西品川1丁目地区市街地再開発事業』と銘打たれ、地上24階、地下2階、高さ115mのオフィスビル(A街区)と、地上22階、地下2階、高さ87mのマンション(B街区)が建設されている。


 再び坂道を登って新八ツ山橋まで戻ると、北側にもう一つ、新八ツ山橋より小ぶりでJRの線路の上を越える橋がある。この橋を『八ツ山橋』という。八ツ山橋をわたっていくのが旧東海道だ。そして、新八ツ山橋を渡っていく道が『国道15号』・・・通称『第一京浜国道』である。

 八ツ山橋に行くには、JR品川駅から歩くよりも、京浜急行の北品川駅から歩く方が便利だ。北品川駅に降り立ち駅前にあった品川区の設置した地図を眺めると、「んんんん・・・」と目が点になってしまった。誰かいたずら書きを下のだろうか、ゴジラのイラストとともに『ゴジラ上陸地点』と記されているのである。目を凝らしてよく見ると、決していたずら書きではない。子供が描いたような火を吹くゴジラのイラストとともに地図に描かれたゴジラの上陸地点と記された場所は、なんとこれから行く八ツ山橋の袂である。


 八ツ山橋まで上り坂を歩いていくと、橋の東側は品川区により綺麗に整備されている。その片隅には、青銅製だろうか、高さ3mくらいはあるしゃれたデザインの欄干がモニュメントとして飾ってある。回りを4つの高さ1m程度の『八ツ山橋』、『屋つやまばし』と記された石柱が取り囲むように置かれていた。『や』が『八』ではなく、『屋』であるところが興味深い。これらは初代八ツ山橋の欄干と親柱である。 

 そこにある品川区が設置した住居表示の地図にも、「ゴジラ上陸地点」の表記とゴジラの漫画が描かれていた。 しかし、周りを見渡しても、該当する場所には何も無い。再び地図を見ると、八ツ山橋の東側に赤丸で印が付けられているだけであった。


 ゴジラは、東宝が1954年(昭和29年)に公開した映画に始まる。その映画の中で、原水爆の影響で誕生した初代のゴジラが、東京湾から品川のこの地に本土初上陸をしたらしい。

 いったいいいつから、街の地図に上陸地点が記載されるようになったのだろうか。この地図を書いた方に乾杯!!

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