第2話

■1

「いやー……まさか罠があるなんてな」

 ジンは呟きながら、手にした瓶に口を付けた。

「ほんと、驚いたっすねえ」

 ロバの部下が同調しながら、向かいでぼんやりと天井を見上げている。

「そりゃあるでしょ……」

 呆れた口調で半眼を向けてきたのは、猫の部下だった。

 ――共に廃宿の椅子に腰掛けながら。

 ともかくジンは、飲みかけの瓶をテーブルに置いて、

「けど、あんな罠だとは思わなかったし」

 黒く焦げたふたりの部下――自分も同じくらい焦げているだろうが――を見やりながら、抗議するように口を尖らせた。そうしながら、思い出す……


 地図で示されていたメイネリア遺跡は、東の都市の外れにあり、人も寄り付かないほど不気味な噂に満ちていることで有名だった。

 その中で最も主だったものといえば、遺跡の中には旧文明が生み出した恐ろしい怪物が闊歩している、というものである。

 森の中に佇む石造りの巨大遺跡は、二階建てを思わせる高さをしていたが、実際のところ上部には人が使うような窓が存在せず、上半身の折れたおぞましい獣人の彫像が立つだけであり、単なる威風のためか、なんらかの儀式のためだろうと思われた。

 全体図を見れば円形だが、正面の入り口の前に立つだけでは見渡すことなど到底できず、小さな村落の住民ならば全員が詰め寄せられるほどの大きさをしている。またしっかりと全体を見渡せたところで、風雨や植物の蚕食によって円形ではなくなっていただろうが。

 いずれにせよその入り口からは古めかしい異臭が溢れており、何よりも遺跡の中を反響して外にまで漏れ出る、獣の低い唸り声のようなものが聞こえてきていた。そうしたものが怪物の噂を生み出したことは間違いなく、また確かに不気味ではあった。

 もちろん、ジンは怪物など信じるはずもなかったが――

「ほ、本当に行くんすか? なんかやばそうなんすけど……」

「いまさら何を言ってやがる。そんな図体して」

「図体は生まれつきっすよぅ」

 口を尖らせながら怯えていたのはロバの男、キュルだ。

 身体を必死に縮こまらせているが、それでもジンは見上げる必要があった。黒っぽい茶色の体毛に覆われ、顔こそ間抜けだが、腕っ節が立つのだろうと思わせる体躯をしている。

 いかにも盗賊といった、服というよりボロキレに近い土色の布は、彼の体格からすれば窮屈そうだが、本人は気にしていないらしい。

 フードを兼ねる濃紺のマントは、顔を隠させるためにジンが買い与えたものだ。その下には必要な道具を収めたリュックを背負っているはずである。

「だいたい怪物なんていたら、とっくに町が壊されてるわよ」

 キュルへの言いくるめに加勢したのは猫の女、ミネットである。

「引きこもりの怪物かもしれないっすよ」

「だったら安全でしょ」

「でも勝手に入っていったら、きっと普通の怪物より怖くなるっすよ?」

「あぁもう、ごちゃごちゃうるさいわね!」

 ジンよりも小柄な彼女だが、シャーッと牙を剥き出しにして怒る姿は、なかなかに恐ろしいものがあった。細く長い尻尾も、毛が逆立って異様な太さになっている。

 彼女はベルトのような革を胸に巻き、その上に青いジャケットを羽織っただけの格好である。加えてショートパンツにショートブーツで、腰や足の露出が多い。

 これは色香を使うためだと、彼女は得意になって語ることがあった。しかしジンにしてみればどれだけ露出したところで虎柄の体毛――虎柄と言うと彼女は怒るが――に覆われているため、今ひとつ理解できなかった。

 首に巻いたマフラーは、首を守ると同時に顔を隠す用途にも使うらしい。

(……やっぱり獣人だよな、こいつら)

 ふたりの部下の姿を見やりながら、ジンは改めてそれを実感した。

 彼らの間に立っていると、獣の口の中にいるような心地を抱いてしまうことがある。

 どちらも年齢はわからないが、力と共に長寿を得た獣人のこと、どちらも自分よりは上だろうと、ジンは肩をすくめた。

 そのついでに自分の身体を見下ろしてみる。

 純然たる人間の中では、中肉中背だろう。

 深緑色の要素が強い、薄手の服と収納の多い厚手のズボンは、体毛の薄さを隠すためだ。手にはめたグローブや分厚く硬いブーツも同様である。頭に被った耳まで覆うゴーグル付きの帽子は、人間の耳を隠す役目を担い、作り物である獣の耳を誤魔化す用途もあった。

 要するに――全てが人間であることを隠すためのものだった。

 顔に細工を施さなかったのは、獣人が多少は人間に近い顔をしている上、元々ジン自身が狼めいた顔立ちだったおかげだろう。鼻が出ていないことや、顔の毛がないことは、種族的なものだと言い訳して誤魔化していた。尻尾は耳と同じく、ズボンに縫いつけてある。

 一方、腰に巻いたベルトに下げている二本の大振りのナイフは、万が一の護身用でもあるが、十七という自分の若年から来る様々な不安を和らげるためだった

「とにかく、行くったら行くんだよ。ほら、さっさとしろ」

「おいらが行くんすか!?」

 背中を押すと、キュルは非難じみた顔をして振り向いたが。

「お前が一番でかいんだから、当然だ。別に怖いわけじゃないぞ」

 言い含めて、無理矢理にランプを持たせる。そうしながらミネットも一緒になって巨体を押すと、彼もどうやら諦めたらしい。「わかったっすよぅ」と弱気に頷き、大きく口を開ける遺跡の中へと、びくびくしながら足を踏み込んでいった。

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