第30話

ひとつ深呼吸をして、彼女は静かに話し始めた

「人って、この世の中に沢山いて、毎日それぞれ生きているじゃないですか

その人たちにはその人たちの生活があって、

環境があって、考え方があって……

そしてその中で人間同士の関係を作っているんだと思うんです」

「……そうですね」

「その関係って、家族だったり友人だったり、

仕事の関係だったりただすれ違うだけだったり……

いろんな関係があると思うんですけど、それも個人っていうものありき、だと思うんです」

「……確かに」

「だけど中には仲間とか友人って言葉を使って個人を乗り越えてくる人もいるでしょ?

……私はそれが納得出来なかったんです」

「乗り越えて、くる?」

「そうです 例えば、友達なんだからみんな一緒に、とか、みんなやってるんだからやらないのはおかしい、とか」

「……あぁ、ありますね」

「違うと思っちゃいけないんでしょうか?

……そう思い出したらテレビとかCMとか、周りの人たちとか、全部が私に強制してくるように思えて、私は違うのにって思ったら、みんなが一斉に同じ顔をしているのが、まるで仮面をかぶっているように見えてきたんです」

「仮面、ですか」

ドキッとした

今まで上手くやるために張りつけてきた笑顔

無意識にとれるようになった態度

まさに仮面じゃないか

「建前って言うんですかね、社会では必要なのかもしれないけど、それすら私は嫌悪していました

本当は心の奥に本音を隠して愛想笑いをしているようで」

彼女は自嘲気味に笑うと、少し考えて言葉を続けた

「そして、全部が嘘なら私には要らないって思ったんです

でも、あなたに出会った

初めて、全てが嘘じゃないといいなって、思ったんです」

そう言うと彼女は僕の方を見て、

「……聞いてもいいですか?」

「……どうぞ」

「あの時、どうして助けてくれたんですか?」

彼女は真っ直ぐ僕を見てそう尋ねた

駆け引きなんかじゃない

少女のような彼女の問いに今までのような誤魔化しや嘘で返したくない

それは、彼女の決意を踏みにじることになる

「あなたが、あの場で崩れ落ちそうになっているのを放っておけるわけないですよ」

「他人の私でも?」

「そうです ……僕、見てましたから」

僕は彼女にそう言うと、

「フェアじゃないですよね じゃあ、僕も言います!」

ニヤっと笑ってこう続けた

「僕は、逆でした!

上手くやれればそれでいい、相手の気持ちに、思惑に乗ってやれば、無駄な諍いも無くスムーズに物事が運ぶと思ってました」

風に乗って舞散った葉が川に落ちていく

浮かんでは流されていくのを見ながら、呟くように言葉を続けた

「世渡り上手とか言われてたし、何でも卒なくこなすとか、苦労してなさそうとか

周りには僕が楽に生きてるみたいに言われる事が多かったですね

でも、僕からしたら、それは違う

人より多く気を遣って、人より多く周りを見て、相手が何を望んでるかいち早く察知して……

周りの都合のいい僕を、頑張って作ってたんです」


こんなこと言って大丈夫かな

幻滅されるかもしれない

彼女は黙って聞いている

でも、彼女も話したじゃないか

ここで誤魔化したら何も変わらない


「でもね、僕もあなたを見つけました

僕には、あなたが眩しく見えました

僕がどう頑張っても出来なかったことを、出来てしまっているあなたは凄いです」

驚いた顔をしているようだ

でも、構わない

彼女も言ってくれたんだから僕も言わなきゃ

「必要ないなら、要らないって言えるって凄いですよ?

あなたは閉じこもっていると思っているかもしれないですけど、僕には強さに見えました」

彼女の方に向き直って更に続けた

「あなたのおかげで、自分のダメなところを、目を背けていたところを見つめ直せました

人に合わせたり流されることがあっても、真ん中に、自分がいないと意味がないって

……あなたを見ていて、目が覚めました」

ありがとう、と言うと彼女は更に驚いた顔をして言った

「私、感謝されること何もしてないのに」

「してます!いっぱいしてます!」

「どこが!だって私、今日だってよく分からないこと話してるし」

「それは僕もです」

「人の気持ちとか察するの苦手だし」

「人の気持ちなんてこれ以上難しいものないですよ!簡単にわかんないのが普通です」

「私、多分変なんですよ?」

「僕も変わってるって言われます」

「勝手にいろいろ考えて壁とか作っちゃうし」

「壁?」

「私、まだ自分で作っちゃった壁 壊せるかわからない」

自信がない、と泣きそうな目をしている彼女に

はい、と言って僕は手を差し出した

「握手しましょう」

「握手?」

「はい」

ニッコリと笑ってみせる

おずおずと手を差し出す彼女

僕はその手を優しく握った

「ほらね、人間に、壁なんてないですよ?」


彼女は握られたその手をしばらく見つめた後

そっと握り返し、顔を上げ

「ほんとだ」

と言って微笑んだ




帰り道、さっき右手で握った手を左手に繋ぎ変えて歩く

彼女が手を延べてくれたんだ

僕も殻を破るんだ

少しずつ、少しずつでいい

「僕、あなたの嫌いな建前で生きてたんですよねぇ……嫌じゃないんですか?」

「え?だって、さっきの私への話しは本音なんでしょう?」

彼女は嬉しそうに笑った

「そうだ!さっきの、まだ答えになってないですよ?」

「さっきのって?」

「どうして助けてくれたんですかってやつです」

「だからそれは倒れるって思ったら身体が勝手に動いたっていうかー」

「どうして倒れるってわかったの?」

「いつもより顔色悪そうだったから……」

「いつもより?」

「……あ」






彼は、スイッチが切り替わった音がした、と言った

世界が変わるなんて例えをよく耳にするけど、

私は彼の例えの方が好きだ

世界なんて大袈裟だ

いまだに騒音は苦手だし、愛想笑いも嫌い

流行りの服も化粧もわからないけど

聞きたい音が出来た

もうすぐ着くかな?

スイッチを切ってイヤフォンを外す

「ごめんごめん!遅くなった 今日はどこ行く?」

「あのベンチがいい!」

「今日雪降るって言ってたよ?絶対寒いって」

「いいの!あそこが好きなんだもん」

「えーじゃああったかいコーヒーでも買って行こ」

小さな我儘を聞いてくれる

繋いだ右手があったかい

「やっぱり世界?」

「ん?なに?」

「なんでもない!」

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