青空と赤い風船

カイリ

第1話

 雲ひとつない青空を揺るがす大歓声。その渦の中で呆然と座り込んでいたはずの私は、いつのまにか手にしたカンフーバットを打ち鳴らしていた。

「な! すげぇだろ!」

 隣から弾んだ声が飛びこむ。振り返ると弾けるような日焼けした笑顔。つられて私も笑った。


 初めてのデートで連れていかれた球場。なんで球場なの、と聞いてみると。

「だって、この街を知るには球場が一番じゃろ」

 とのこと。

 私はプロスポーツチームのない街で生まれ育ち、今年広島に引っ越してきた。高校に転入してすぐ思ったのは、この街は野球やサッカー、バレーにバスケ、日常生活にスポーツが満ち溢れている。スポーツに興味がなかった私は皆の話題についていけず、その上方言もわかりにくく、不安な日々を送っていた。

 そんな私にしつこくちょっかいを出してくるひとりの男子が現れた。何かにつけて私を話に引き込み、無知な私を笑い者にしたかと思うと、さりげなくいろんなことを教えてくれる。今思えばこいつのおかげでクラスになじむことができた。そしてある日、そいつはいつもと変わらない調子でデートに誘ってきた。

「おまえ、野球観たことないじゃろ。連れてっちゃるよ」

 別にことさら観たいと希望していたわけではないが、なかば強引に連れ出された。そしてやってきた球場に、私は口をあんぐりとさせることになる。

 どこを見渡しても赤い人々。ビールを手にしたおじさんに、やはり赤い野球帽をかぶった子どもたちがはしゃいで飛び回る。赤ちゃんを抱っこしたママさんもいる。そうやって集まった彼らが一心不乱に見守り、手を打ち鳴らして応援しているのは、白地のユニフォームに赤いヘルメットが映える男たち。彼らが投げ、打ち、守る。そのひとつひとつに大歓声が上がる。

「今日は特別な試合なの?」

「いや、いつもこんな感じ」

 毎回これだけのテンションで応援しているというのか。どこからそんな体力が湧いてくるのか。呆れるやら感心するやらで辺りを見渡していると、隣の家族連れが何やら美味しそうにご飯を食べている。

「美味しそうだね……」

「おう。いろんな飯が食えるんで。何食う?」

 ポケットからスマホを取り出し、メニューの一覧を見せられる。そのひとつひとつにまたもや目を丸くする。広島レモン、尾道ラーメン、お好み焼きまである。なるほど、ここに来れば県内の名物を味わえるというわけか。

 突如、耳を劈く打球音。わっと悲鳴が上がる。だが、白球は横っ飛びの小柄な選手のグラブにおさまり、着地するや否や白球は別の選手のグラブへと突き刺さる。

 わーっ! 地鳴りのような歓声の中、私はあっけにとられて目を白黒させた。

「よっしゃ、ゲッツー! 今の見たろ? 広島の赤い忍者だよ!」

 よほど人気のある選手なのか、いつまでも拍手が鳴りやまない。隣の家族連れも大はしゃぎでカンフーバットを打ち鳴らし、園児らしき男の子が「ターッチ!」と言ってくる。思わず反射的に両手を合わす。あいつもやはり隣のおじさんと威勢のいいハイタッチを交わしている。すごい。プレーもすごいが、なんなんだ、この一体感は。言葉を失っていると、急に周りの人々が赤い風船を膨らませ始めた。

「ほれ、おまえの」

 ちっちゃな風船を手渡されてまごついてる間に、彼は頬をいっぱいに膨らませて風船に空気を送り、細長い風船はあっという間にぱんぱんに膨れ上がった。気付けばあちこちで赤い風船が右へ左に揺れている。私は慌てて風船に突いたプラスチックのキャップに口をつける。が、渾身の力を込めて吹いても風船は一向に膨らまない。こっちのほっぺたが破れそう! 焦り始めた私に業を煮やしたのか。

「貸せよ! 遅ぇなぁ!」

 私から奪い取った風船に唇を押し付け、私の全身は石のように固まった。風船はみるみるうちに膨れ上がる。と同時に、私の顔もみるみるうちに真っ赤に染まっていくのがわかった。

「ほれ。しっかりしろよ。風船ぐらい」

 膨れた風船を手渡されるが、真っ赤に強張った顔つきの私に苦い表情を浮かべる。

「ば、馬鹿野郎。そんな目で俺を見んじゃねぇ」

「だって――」

 私の言葉は突然流れ始めた大音響の楽曲に掻き消された。人々が一斉に声を上げ、手拍子を鳴らす。そして、すぐに息の揃った歌声が響き渡る。

 格調の高い、わくわくするような応援歌。歌詞がオーロラビジョンの大画面に映し出されてはいるが、皆それを見ずに歌えるようだ。応援歌は盛り上がったままクライマックスを迎え、皆が一斉に赤い風船を空に放つ。無数のジェット風船が甲高い笛の音を響かせながら青空に向かって舞い踊る。雲ひとつない真っ青な大空に散りばめられる赤い風船。なんだろう、この清々しさは。

「すごいね、この球場」

「すげぇのは野球だよ」

「あと、お客さんね」

 そう言うと、彼は嬉しそうににかっと笑った。

 と、鋭い打球音が耳に飛び込む。

「わっ!」

 赤い選手が放った白球は歓声に乗ってぐんぐん勢いを増してゆく。やがて白球は赤い人々で埋め尽くされたスタンドに吸い込まれていった。

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青空と赤い風船 カイリ @kairi_elly

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