峻別の王Ⅷ

 扉を三度叩いてみる。

「寝てる、ってことはないのか? というか死神は寝たりするのか?」

 不安を喉の奥に溜め込まないように思ったことをそのままに流し出す。やはり答えは返ってこなかった。

「戻るか」

 そういえば一人で天界を歩いたのは初めてか、と思い出す。なんだか少しずつこの世界に馴染み始めた自分を見つけて、竜也は少し嬉しくなった。そうだ、これだけでも出歩いた価値はあった。

 言い訳と安心を半分ずつ並べる竜也の背中にふいに声がかかった。

「用があるんならとっとと入ってきなさいよ」

「あ、タナシア。いたのか」

「そりゃいるわよ。ここ私の部屋なんだから」

「そりゃ、そうだよな」

 一つやりきった気持ちだった竜也は目的に一歩近付いたはずなのにどこか調子を外されたような気持ちでタナシアの誘いに従った。

 タナシアの個室は竜也が想像していたよりもずっと近代的だった。ここはフィニーの趣味で古城のようなメイド服の似合うデザインになったと聞いていたが、さすがのタナシアも自分の部屋は自分で決めたらしい。

 寝室と書斎を組み合わせたような部屋で、明かりは蛍光灯。二組の本棚にはところどころ空きがあった。ベッドも簡素で竜也のクラスメイトもこのくらいのもので寝ている奴もいるだろうというほど安っぽい。壁も天井も日本の新興団地によくあるプレハブ住宅のようでくすみ一つ見当たらない。

 屋根があることを除けば中庭を間借りしている竜也とそれほど変わらない、あるいは天蓋付きの身の丈に合わないものに寝ている分竜也の方がいい生活かもしれない。

「なんていうか、普通だな」

「悪い?」

「いや、そんなつもりはないが」

 今までもタナシアは何かやっていたらしく、スタンドライトがついた書斎の椅子に腰掛けた。その椅子だって家具屋で安く買えそうな一品だ。言葉よりも豪奢ごうしゃなもの当然のように持って来るフィニーと比べて意外とタナシアは庶民派のようだ。

「最初は他の部屋と同じだったのよ。でも石を組み合わせた壁なんて見てるだけで寒気がするし、オイルランプも燭台しょくだいも使いにくいし、あとフィニーが用意した机大きすぎるし」

 だから全部使いやすいように変えたのよ、とタナシアは自慢げに話した。人間のことが嫌いで仕事にも行きたくないというくらいの割りに、フィニーよりよっぽど現代の生活様式を知っている。不思議なものだ。

「それで何の用? 答えによっては死んでもらうけど」

「物騒だな。特に何かって訳でもないんだが」

「試験のこと?」

 言いあぐねる竜也の心を察したようにタナシアが言い当てる。

「そうだな」

「別に受けてあげてもいいわ。ここでアンタが床に頭を擦り付けてお願いします、って言うんならね」

 どう? としたり顔でこちらを見ているタナシアは少し楽しそうだ。一度言ってみたかったセリフが言えた、そんな風にも見える。竜也にだって自分には絶対に似合わないとわかっているからこそ言ってみたい言葉を何個も胸の内に抱えているからよくわかる。

「別にそこまでしねぇよ。今までの話を総合すると俺は死んだあとに改めて試験を受ければいい。そういうことだろ?」

「察しが良過ぎるってのもなかなかムカつくものね」

 ならどうしてやれば機嫌が良くなるというのか。言葉通りに頭を下げたところで抵抗しないなんて面白みがないと切り捨てるに決まっている。本当に理屈の通らない死神様だ。

 ふと、机の上に広げられた本に気がついた。どうやらタナシアは何か勉強していたらしい。そう思ったのは竜也が自らもそうするように教科書とノートを筆箱で押さえつけているのが見えたからだ。それに今更三年も放り出してきた死神の仕事を急に始めるとも思えなかった。

「それ、試験勉強か?」

「え、なんでよ?」

「俺の人生知ってるんだろ。それなりの進学校なんだぞ」

 テストテストと口うるさく教師から言われ、嫌になるほどやらされていたのだから雰囲気でなんとなくわかるものだ。タナシアから漏れるやりたくないけどやらなきゃいけない、という気持ちが竜也にも覚えがあった。

「受けることになったら恥かきたくないじゃない? ちょっとくらいはやっておかないとね」

「そこまで言ってまだ渋るのかよ」

 覗き込んだノートには小さな丸文字で問題集の解答が羅列されている。竜也にとっては見知った単語ばかりだが、死神にとっては当然のことではなく学ぶべきものなのだ。

「正直私はどっちでもいいのよ。別に仕事を任されたってやらなきゃいいんだから」

「お前なぁ……」

「それより、アンタの方がおかしいでしょ。もっと気になることはないの?」

 開いていたノートを閉じ、タナシアは竜也に向き直った。白い蛍光灯の光に照らされてタナシアの美しい金髪がさらに輝く。あの中庭で見るよりも綺麗で、幻想的で思わず呆然と見つめてしまった。

「何よ、本当に何もないの?」

「いや、そんなことは」

 タナシアは何も言わない竜也を何も考えてないと思ったらしく、不機嫌そうに聞き直す。

「家族とか友達とか色々あるでしょうが」

「あぁ、そうだな」

「アンタねぇ……」

 何故死神に家族だ友達だと言われなければならないのか。それに竜也に家族はともかく友人など皆無だった。家族だって兄弟はいないし、両親は仕事でほとんど家にいない。それが普通だったせいで特別寂しいとも思ったことはないが、繋がりは他の家庭と比べれば深いものではないだろう。

「それより今の方が楽しいと思ってるんだ。こうしてお前と話してフィニーさんが紅茶を淹れて、イグニスがなにか訳のわからないことをしてる、今の方が」

 俺は変なんだろうか? あまり考えずに竜也の頭から出た言葉は本心なのか、タナシアをそそのかすための咄嗟の嘘なのか。それはまだ竜也自身にも見当がついていない。

 ただ、今吐き出した答えが頭の中のどこかにあったことは紛れもない事実だった。

「その感情はきっと一時的なものよ」

 タナシアはゆっくりと吐き出すように答えた。

「今は新しい場所に来て、少し慣れてきて非日常を楽しんでいるに過ぎないの。ここに来た人間にもいくらかはいたもん。まるで天国みたいだ、って。それが数日もすると中身が入れ替わったみたいに帰りたい帰りたいって言い出すの」

「それは人間としての未練があるからだろ」

「そうよ。だからアンタにもきっとあるのよ、何かまだやり残したことが。それがまだ見つかってないだけ。それなのに簡単にこっちの方がいいなんて言って欲しくないわ」

 話は終わりだとでも言うように、タナシアは竜也に背を向けてまた問題集にとりかかる。

「あ、おい」

「明後日の試験は受けてあげるわ。きちんと選ぶための選択肢は残しておいてあげる。人にその半生を見つめ直させ、進むべき道を選び取らせる。それがこの裁きの間の役割だから」

 それだけ言って、とうとうタナシアは完全に口をつぐんだ。竜也の問いに答える様子はない。

「わかったよ。俺ももう少し生きてた頃のことを思い返してみる」

 無言のままの部屋の主に小さく礼をして竜也はタナシアの私室を後にした。部屋の扉を閉めた瞬間に一日海で泳いでいたような疲労感がのしかかった。

 ただの生意気な少女にしか見えなかったタナシアがあれほど大きく見えるとは。その言葉の重さはまさしく人を裁く存在、死神のそれだと思えた。

「やればできるじゃねぇか」

 入ったときよりやつれた声で竜也はこぼす。あの中庭に戻ったら残っているお菓子を食べよう。そう考えながら進む白い石畳の廊下にもう不安は残っていなかった。

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